「第6章 ガラスの中の平行線」(8)

(8)

 懐かしむように佐野は当時の様子を話す。よく話す友人にそう思わせる森野詩織にとっての内田透。倉澤はますます彼と話がしたいと考える。


 佐野に気付かれないよう、視線を上げて、壁掛け時計で時間を確認した。彼女が来てから四十分は経過している。時間が経つのが早い。


 そう考えた倉澤は両手を一回パンっと叩いて、流れを止めた。そして、もうこれ以上聞く必要のない佐野に感情を極力抜いた言葉使いで話す。


「佐野さん、貴重なお話ありがとうございました。時間も丁度良いです。本来は早く帰らなければいけないのに、こちらのお願いを聞いて頂いて感謝しています。良かったら、御自宅までお送りしましょうか?」


「えっ? いや、でも……」


 急に冷たい言葉使いで来られた事で、これまで築いた二人の距離が遠くなり、また最初と同じ警戒心を佐野は抱く。なので、急に家まで送ると言われて、困惑しているようだった。このまま倉澤に押されて、気まずい雰囲気の中、家まで送らされる事になる時、横から立林が助け舟を出す。


「佐野さんは私が家まで送るわ。貴方はまだ仕事があるでしょう?」


「そう? じゃあお願いするよ」


 自分だって仕事はあるだろうに。内心そう思いつつ、それを口には出さないで、倉澤はソファから立ち上がる。佐野と立林両名も立ち上がった。


「今日は本当にありがとうございます。もう一度話を聞く事は、おそらくないと思いますが、もし聞く事になったらまた宜しくお願い致します」


 そう言って深々と頭を下げる。


「……いえ、大丈夫です」


 完全に入った時と同じ状態になる佐野。そんな彼女に微笑み、応接室のドアを開けた。ドアを開けると丁度そこには中に入ろうとした菱田が立っていた。彼はドアが開くと素早く状況察して、すぐに横に逸れて頭を下げる。


 そのまま二人は応接室から出た。その際、倉澤は状況を背広の内ポケットから、茶封筒を取り出して、立林に向けた。


「これ、昨日言ってたコピーのヤツ」


「あっ、ありがとう」


 茶封筒を突然差し出された立林は、眉をしかめたが、倉澤にそう言われて昨日の事を思い出したらしく、手を伸ばしてそれを受け取った。それを手に持って、立林と佐野は応接室から離れていく。


 廊下の先まで早足で歩く彼女達の背中を少しだけ目で追ってから、倉澤は音を立てないように静かにドアを閉めた。


 閉めたドアに背中を預けて、立ったまま菱田に聞く。


「それで?」


「申し訳ありません。既に下校したようで捕まえられませんでした」


 菱田は素早く頭を下げた。


「まあいい。彼の名前が分かっただけでも大きな収穫だ。帰ったとしても捕まえられる。出来れば早い内に話を聞いて置きたかったのは事実だが」


 校内にいる内に捕まえておけなかったのは少々痛い。


 しかし、この後すぐ行けば緩和出来ないでもない。倉澤はすぐに頭のスイッチを切り換えて、応接室の電気を消した。二人は部屋を出て、鍵を職員室にいた小渕に返す。途中、色々と話を振られそうになったが、急いでいると言ったら、彼の言葉の波は嘘のように引いていった。


 元々、関わるのが面倒だと思われていた。あるいは、警察に逆らってまで話し続けてもメリットがないと判断したのだろう。倉澤からしたら別にどちらでも良かった。


 倉澤と菱田は、止めてあった車に乗り込む。


 菱田が運転席、倉澤が助手席だ。助手席に座ると、すぐに携帯電話を開いて職員室へ電話する。先程、鍵を返却に訪れた際、立林の姿が見えた。まだ出ていないだろう。電話に出た名前の知らない職員に立林へと繋いでくれるように頼む。


 菱田が車のキーを回す。


 エンジンが振動を始めた。菱田はそのままサイドブレーキを降ろして、ギアをドライブに。ゆっくりと校門の外へと車を動かし始めた。


「あっ、立林。すまん、倉澤だけど。一分で終わるから少しいいか? ああ、助かる。あのまま教頭先生に捕まり続けてたら大変だったよ。えっと、例の内田透君の顔写真。俺の携帯にメールでくれないか? 至急頼む。ありがとう、今度飲みに行った時、一杯奢るよ」


 最後に感謝の意を伝えて、携帯電話を閉じる。二人を乗せた車が校門を乗せて二メートル程走った時、立林からメールが届く。サブタイトルは、赤ワインだった。文面を見て笑った後、添付された画像を開く。


 ピントも綺麗にあった男子高校生の姿が映し出された。


 髪型に特に特徴はなく、染めていない。証明写真の見本のように無個性だった。車がそのまま駅に向かって出来る限り低速で動いている中、まだ点々と下校している生徒の姿が見える。


 倉澤は画像を見ながら内田透がまだ歩いてないか探したが、中々高度な作業である。本人の身長も分からないので、とにかく男子生徒がいたら注意深く顔を見る事しか出来なかった。


 駅に到着するまでに歩道を歩いていた男子生徒の顔は、見られる範囲で全員確認したが、結局そこに内田透の姿はない。


 バスロータリーにハザードを出して邪魔にならないように、一時停止する。


「どうします?」


「追い付けると思ったがしょうがない。彼の自宅に直接行こう。相手の家族になるべく不安を与えたくなかったが」


「彼の家の住所、分かりますか?」


 菱田はすぐにでも発進する表情だった。倉澤は首を横に振る。


「知らん。また立林に頼むさ。佐野さんを送ってない事を祈るばかりだよ」


 先程と同じ要領で、立林にメールを書く。五分程待っていると、彼女から返信が届いた。(まだ佐野を送っていなかった事に安堵する)今度のサブタイトルは小海老のアヒージョ。要求が次第に増えている事に苦笑しつつ、メールを開く。


 書かれた住所をカーナビに入力する。彼の家の住所までのルート案内がアナウンスされる。菱田がハザードを消して、車を発進させた。

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