「第6章 ガラスの中の平行線」(6)
(6)
「ご苦労様。色々調べてくれてありがとう。それで調べた感想は?」
菱田は顎に手を当てて上を向き、長考した後、口を開いた。
「やはり湊の経歴でしょうか。私見ですが、彼が向こうで働いていた時と現在では給料に相当な差が出ていると思います。残念ながら、どうして彼がアメリカでの仕事を辞めて現在の仕事についたかまでは、時間の都合上、調べが付きませんでした。ですが、職種自体は大分違います。そう言った点から考えても、彼が現在の仕事を選んだ理由に興味があります。それと言い忘れましたが、彼は高校の英語教諭の資格も所持しています。にも関わらず、司書教諭をしているのも気になるポイントですね」
「うーん」
確かに菱田の言う通り、アメリカでの仕事と現在の仕事では、あまりにも違い過ぎる。退職理由までは知らないが、彼と話しただけでも能力の高さ事はすぐに分かった。向こうで何か挫折でもしたか、それともこの仕事を急にやりたくなったのか。結論はすぐに出そうにない。
倉澤は一旦考えを打ち切り、今度は自身の調査結果を菱田に話した。
墨田の勤務態度について。
湊との会話で思った感想。
出納準備室の清掃が行き届いている状況。
個人的な感想を含んで、丁寧に説明した。菱田は真剣な表情で聞き、時折また手帳にメモを取っていた。
「――っとまあ、こんな感じだった」
全て話し終えて、倉澤はソファに深く腰掛けて、背中を休ませる。大きなため息が鼻から出て、疲れが溜まっている事を実感する。
「お疲れ様です。結構な収穫ですね」
「出来たら初日にこの程度までいきたかったがしょうがない。後は、立林が連れて来る生徒に期待しよう」
二人が応接室で過ごしてから約二十分後。(その間に先程、小渕から入手したクラス名簿のコピーを見て、基本的な名前と顔を頭に組み込んだ)約束の時間を少々過ぎた時、コンコンっと応接室のドアがノックされた。
「はい」
ソファに座ったまま答えて、菱田が立ち上がる。
「立林です。連れてきました」
「分かった、ありがとう」
立っている菱田に目配せをして、彼が応接室のドアを開ける。
ドアを開けた向こう側にいるのは、数時間ぶりに見る立林。
そして、その後ろに一人、女生徒が立っていた。
「えっと、彼女が?」
「うん、佐野綾子さん。よく森野さんに勉強を教えてもらっていた子」
立林に紹介された佐野の顔は、先程まで見ていたクラス名簿にきちんと存在していた。しかし、倉澤はそれを決して見せず、初対面の顔を作り挨拶をする。
「初めまして。H県警の倉澤と言います。後ろにいるのは私の部下の菱田。突然、来てもらってごめんなさい。少しの間、話す時間を頂けますか?」
「はい、私で良かったら……」
怯えた様子を見せつつも佐野は承諾した。
「ありがとう。さあ、中へどうぞ。勿論、立林先生も」
「ええ……」
二人はゆっくりとした足取りで応接室のソファに座る。二人に向かい側に倉澤が座り、後ろに菱田が立っていた。
倉澤は佐野の表情を観察する。生徒の立場で考えたら、この部屋には普段入室機会がないのは、予想出来る。その為、緊張しているのは分かったが、それ以外にも彼女の表情が曇っているのは、間違いなく森野詩織の話を聞いたからだろう。知っている範囲では、今日の全校集会で彼女の自殺が告げられているので、ショックを受けるのは当然だ。口で言った通り、時間はかけられない。
佐野は下を向いたままだったが、構わず口を開く。
「早速で申し訳ないけれど話を聞かせてもらうね。私が知っている中では、森野さんって凄く頭が良くて、周りの子に勉強を教えていたようだけど、君も教えてもらってたの?」
「……」
佐野は答えない。聞こえる声量で話したので、彼女の耳には届いているはずだ。
「佐野さん?」
倉澤は静かに答えを促した。隣に座っている立林が彼女の肩に手を置いている。どうやら、森野詩織との繋がりは深くまだショック状態のようだ。一分程待って、それでも彼女が何も話す気配がないのなら、切り上げようと決める。
腕時計の秒針に視線を落とした。
二十秒経過。
四十秒経過。
そろそろ一分といった所で、佐野は顔を上げた。彼女の顔を正面から、はっきりと見る。その両目には涙の通った跡があった。
「……そう、です。私は、特に勉強が苦手だったから、沢山詩織ちゃんに教えてもらっていました」
佐野の声は、注意深く聞かないと聞き逃しそうになる程の小さかった。
「そうか。沢山って事は、佐野さんは彼女とかなり親しかったんだ。それなのにごめんなさい。良かったら日を改めましょうか?」
「いえ、いいんです。何でも聞いてください」
「それでは、お言葉に甘えさせていただきます。勉強は一体一で教えてもらってたんですか?」
「一体一の時もあれば複数の時もありました。詩織ちゃんが作ったお手製のプリントを解きながら、教えてもらうので五人程度なら同時並行でも進むんです」
「凄いですね」
当事者に実際の勉強の様子を聞いて、倉澤は改めて森野詩織の行っていた事に深い関心を寄せた。
「はい。だから知らない子と一緒になる事もありました。学校が違う子とかもいましたね。その中に年下の子が一人いて、正確な名前は詩織ちゃん以外知りません。だから、その子の事はアーちゃんって皆で呼んでました」
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