「第5章 完璧なる迷路」(2)

(2)

 そこは、図書室奥にあるドアから続く五十メートル程の廊下に存在する小さな部屋だった。その廊下には階段があり、そのまま校舎内を移動出来るようた。また、廊下の終点には妙に綺麗なドアがある。


 横に付いている装置から、そのドアはカードキーで施錠しているのが分かる。


 問題の方のドア上部にある表札には、出納準備室と書かれていた。自分の学生時代の記憶にはない名前だった。


 もっとも倉澤は公立校出身なので、私立校の事情は分からない。


 出納準備室には、機捜の鑑識班達が既に作業を開始していた。


 そして廊下に教職員、用務員が四人並んでいた。


 その中に電話してきた立林洋子を見つけたので、倉澤は彼女の元へ駆け寄る。


「よう、久しぶり」


「倉澤君」


 下を向いていた立林は倉澤に呼ばれて、顔を上げる。目が合った瞬間、緊張が解けたのかほっとした表情を向けた。


「ごめんなさい。いきなり電話しちゃって」


「構わないさ。頼ってくれてありがとう」 


 立林を安心させてから、他の並んでいる連中に目を運ぶ。


 彼らは倉澤と目が合うと気まずそうに会釈をしてきた。彼は背広の内ポケットから警察手帳を見せながら、それに返す。


「H県県警の倉澤と申します。立林先生とは大学時代の友人でして、今回彼女から直に連絡を頂いて急行した次第です」


 そう言うと、並んでいる連中の中から初老の男性が一歩前に出た。


「初めまして、教頭の小淵と申します。実は、倉澤さんを呼ぶように立林先生に頼んだのは私なのです。彼女が自分には警察関係の知り合いがいると言ってくれて。勝手な事をして申し訳ありません。本来ならば110番するべきなのは理解しているのですが……」


「いえ、結構ですよ。知人から直に電話がくるなんてのは、この業界では珍しくありませんので」


「そう言って頂けると有難い限りです」


 倉澤は小渕を観察した。恐らく、最初にサイレンを鳴らさないように立林が言ったのは彼の命令だろう。それを敢えて悟らせるよう、今の言い訳を含んだ自己紹介。教頭と言うだけあって、そこそこの経験は積んでいるらしい。


「倉澤さん。ちょっと来てもらっていいですか?」


 いつの間にか出納準備室に入っていた菱田が、顔だけを出して倉澤を呼ぶ。


「すぐに行く。すみません、皆さん。後で詳しい話をお伺いしますので、一先ず図書室で待機して頂いて宜しいですか? 何か用事で部屋から出る場合は、念の為にそこにいる警察官に声をかけてください」


 倉澤は彼らにそう指示を出して、白手袋を付け出納準備室に入った。


 出納準備室は狭い部屋だった。左右の壁にスチール製の本棚があり、その横に生徒用の机とイス。ファイル等が置かれている。左右に物が置いてある配置の為、中央は広い。また、左右の本棚には何冊か本が置いてあった。


 倉澤は右手の本棚前に置かれた、人型に盛り上がったブルーシートの前に立っている菱田の元へと向かった。


「死んでいたのは彼女です。名前は森野詩織」


 名前を告げる菱田に耳を貸しつつ、倉澤はしゃがみ、両手を合わせてからブルーシートを捲る。そこには白い肌に肩まで長い黒髪の女子生徒の姿があった。


「彼女、美人ですよね」


 不意に隣にいる菱田がそう言ってくる。倉澤は軽く彼を睨む。


「馬鹿、不謹慎だぞ」


「すいません」


「いいか、ココには俺達しかいない。でも、関係者の前では言うなよ」


「それは心得ています。絶対に言いません」


「分かってるならいい。まあ、確かに俺達くらいの歳になったら、美人になっただろうがな」


 倉澤はブルーシートをかけて立ち上がり、その位置から部屋を見回す。


「出納準備室なんてのは、俺の高校時代にはなかったが……。菱田は?」


「僕の通っていた高校にはありました。一応、ウチも大学付属の私立校だったので、用途に多少の違いはあるかも知れませんが


基本一緒でしょう」


「ほう。助かるよ、それで? ココはどんな部屋なんだ?」


 倉澤は菱田に出納準備室の仕様用途を尋ねた。概要だけでも、今の内に把握しておけば、この後に教職員連中に話を聞く時に役に立つ。


「ウチの場合は大学図書館内の書庫にある、貴重書を出納する場合に使う一時保管用の部屋ですね。いくら付属とは言っても、高校生なので直接借りにいけません。だから、図書室で申請するんです。大学生とは違って貸出期限は短いですし、時間もかかります。ですがその分、確実に手に入りますから」


「高校生でそんな貴重書って使うのか?」


「使いますよ。っと言っても、ウチの場合は授業の課題で無理矢理使わせてました。後は夏休みの宿題とかで、大学図書館の資料を使って書かせるレポートとかもありましたね」


「高校生の内から大変な事で」


 自分の高校生活とは大分違う勉強の様子を聞き、倉澤はそう感想を漏らす。


 そして、鑑識班から森野詩織の死因を尋ねた。鑑識班は、少々気になる点はあるが、彼女はまず自殺で間違いない。と断言した。これで、事件性は薄くなり、捜査本部は立たない。警察である自分達の仕事は大分、簡略化される。


「気になる点とは?」


 倉澤は鑑識が言い淀んだ事を聞く。


 鑑識班の男性は、ブルーシートを捲り遺体の首元を指差した。


 今回の件とは別に首にロープ痕がある。一度練習して、失敗でもしたのだろう。自殺を突発的に行う人間もいれば、綿密に練習を重ねて行う人間もいる。


 十代の少女が人知れず心に不安を抱えていて、密かな練習を行っていても不思議はない。なにより、首の吊り方によって出来る傷痕は本物、偽装の線はない。


 吊った際に使用したのは、どこにでもあるクレモナロープ。


 インターネット通販やホームセンターでもトラック荷台縛り用として、販売しているから誰でも入手可能。それが天井の太い吸排気パイプに結んであった。また、遺体近くあったイスには彼女の上履きの足跡がある。


 このイスに乗りクレモナロープを結んだのだろう。イスをこの位置まで運んだ彼女の足跡も確認されたので間違いない。


 よって、他殺とは考えにくい。鑑識班の男性は淡々とそう説明していった。


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