影人のいる世界

ブル長

序章 告白の試み / 第一章 守護官

 この世界で最強の職業。それは、医者だ。なにせ医者は病気やケガを治す。これは誰にとってもマイナスなことじゃない。そして、みんなから感謝されまくるし、お金だってたくさんもらえる。最強だ。

 そんな最強職の医者だが、その頂点に立っているのは他でもない、このオレだ。オレは医学界の頂点に立ってるんだ。なにせオレの操る治癒光は、手に纏わせて患部に触れるだけで、どんな病気やケガも一瞬で治せる。あの東皇大学医学部がこのオレに教授のポストをオファーしてきたこともあるんだ。おい、あの東大医学部だぜ? すごいだろ。

 そんな能力を持ってるオレだから、これからの人生ずっと、「すごい」とか「ありがとう」とか言われながら、お金をたくさんもらって生きていくんだと思ってた。でも、現実はそうはなってない。

 人生ってなんだよ? 生まれてから十五年、ずっと暗闇の中を走ってる。

 今、オレの目の前で、みんなが談笑してる。テーブルの上には、うまそうな食い物が並んでる。これはパーティーだ。オレがこの一ヶ月を生き延びた、それを祝うパーティーなんだ。そんなことだと思ったよ。どうせこうなるような気はしてた。でもオレは、本当は東大の教授になって、みんなにちやほやされたかったんだ。

 時の流れに逆らえなかった。それがオレの罪。濁流に呑まれて、もう戻れないところまで流されてしまった。そんな気がしてる。


          ◆


 この世界には「原因はわからんけど、とにかくそうなってる」ってことがたくさんある。例えば、宇宙の始まりとか、生命の始まりとかだ。「影人」っていうのも、そんな原因不明の現象の一つに数えられてる。

 影人たちは……人を殺す。人を殺すために、この世界に現れた。彼らがどこからきて、なぜ人を殺すのか、まだ分かっていない。もちろん、どのように生まれるのかも。影人については今までいろんな説明が試みられてきた。その中でも「自然が人間の天敵として用意した」という説明がいちばんみんなの感覚にしっくりきたらしい。だから、この説明が半ば事実みたいに流通している。

 初めて影人による殺人が報告されて、二十年の月日が流れていた。その間、彼らは世界中のいたるところに現れて、そして人を殺した。

 オレの住んでる、田舎県の小さな都市まちにも現れた。

 オレが初めて影人に殺されたっぽい人を見たのは小学二年生のときだ。朝の通学路に男の死体があった。ジョギングをするときのような恰好をして、顔はひどく殴られたらしく、ぐちゃぐちゃに潰れていた。お腹のあたりの肉がむしられてて、血しぶきと同じ方向に跳ねた腸がアスファルトの道路に張り付いていた。オレはなんだか不思議な気がして叫び声を上げる気にもならず、じっとそれを見ていた。やがて大人たちが来て、オレをその死体から引きはがした。

 オレが影人を初めて見たのは、それから三年後、小学五年生のときだ。そいつは夕暮れどきの川沿いの散歩道をゆっくりと川下に向かって歩いていた。オレはそれを対岸から見ていた。その姿はまるで、夕焼けの川原にぽっかりとあいた、人の形をした黒い穴みたいだった。やがて夕暮れの街にパトカーのサイレンが響いて、駆けつけた警察官が影人に向かって発砲した。そしてある程度動きが鈍ったところで、警察官の中から白い服を着た一人の女が進み出て影人に触れた。それでその影人は煙のようにぼやけて消えた。

 人間の天敵。それが影人。

 影人の登場によって一時は恐慌状態に陥りかけた人類だったが、やがて彼らに対抗するための手段を得た。それが操光術だ。

 操光術は対影人に特化した技術だという。どっかの偉い研究者が発見し、その理論を公開した。そして今ではその理論を元に、操光術に適性を持つ者を判別したり、操光術の威力を増大させる兵器が開発されたりしている。

 操光術を扱える者は、操光術者と呼ばれる。彼らの登場によって、影人による死者数の伸びは鈍化した。しかしそれでも、依然として右肩上がりのままだ。そのせいで操光術者は慢性的に人手不足らしく、この国でも適性を持つ者を判別するための検査を満十五歳になった者全員に実施していた。で、その検査にオレは……盛大に引っかかった。


闇堂あんどう一磨かずま:真修館高校一年生。操光術の適性あり】


「ばんざ~い! ばんざ~い! ばんざ~い!」

 会別市あいべつしにある真修館高校。その学生食堂の一角で、万歳三唱が起こった。

「お国のために……死んでこいっ!」

「立派に散ってこいよ!!」

 テーブルの上には学食のほぼ全メニューが並んで、それを野郎どもが取り囲んでる。みんなアルコールが入ったわけででもないのに、ノリが素面しらふじゃない。その盛り上がりっぷりは男子校のノリという範囲を大きく超えてる。

「……」

 一人盛り下がるオレ。このにぎやか過ぎる集まりは、オレと同じ一年A組の連中が始めたオレの壮行会だ。

 この国で操光術の適性があると判定された者は、守護警察に配属され、守護官として影人討伐の任務にあたる。それは操光術に適性を持つ国民の義務だ。良心的任官拒否というのもあるらしいが、認められるにはなんともハードルが高すぎる。なんでも人生というものについて高尚な哲学を持ってないといけないんだそうだ。そしてオレの人生に哲学なんてなかった。

「午後の授業、休めるんでしょ? いいなぁ」

 シュンペイが言った。いつでも代わってやりてえ。オレの心はすっかりやさぐれていた。みんなが楽しく飲み食いする中で、オレはコーラをあおる。でも、ぜんぜん酔えない。

「ぐぷっ!」

 突然、スチーブが飲んでた水を噴き出した。

「ど、どうした?」

「いや、今ちょっと想像しちゃってさ。カズちんがあの、股間もっこりスーツ着てるとこ……ごほっごほっ」

 スチーブの言葉に、野郎どもがつられて笑いだす。

「やばいな」

「いや、俺も変身した一磨見たら、フツーに爆笑して窒息死するわ」

 なんだと……。悲しみに満ちた目で、オレは笑う連中を見ていた。でも、たしかにアレは着たくねえ。絶対に着たくねえ……ッッ!!

 守護官ってのは変身する。その変身コスときたら、まず体のラインがはっきりわかるスーツだ。体にぴったりと張り付いてやがるんだ。股間のもっこり具合からケツの形まではっきりわかる。そして胸元には操光術の力を増幅させるらしい宝玉みたいなのが付いてる。守護官の連中が影人相手に戦ってるのをテレビとかネットの動画で見たことあるけど、恥ずかしくねえのかな、と思ってた。アレをオレが着るだって? 絶対に嫌だ。死なせろ。

「でも、女の子はカワイイ子多いらしいじゃん。それであのカッコしてんだよ? エロくない?」

 ヨシミチが言った。たしかに、女があのカッコしてると卑猥に見える。彼女たちの親は何をしてるんだ? 絶対に抗議するべきだ。

「もう一回、乾杯しよう!」

 マサシの号令に、また一同がコップを手に取る。

「一磨の股間もっこりスーツに!!」

「「「もっこり~~~☆」」」

 こいつらは……こいつらは本当にオレ友達ダチだったのか? そんな疑問が頭に浮かんで、オレの目は涙で曇った。

「盛り上がってるな」

 担任のゴリがやってくる。

「闇堂、そろそろ行くぞ」

「いやどす」

「行くぞ」

 ゴリがオレの襟首を引っ掴んだ。

「いやだぁ!! 死にたくないっ!! 死に、たく、なぁぁぁぁいッッ!!!」

 引きずられながらオレは懸命に叫んだ。そしてまるで山彦のように、みんなの笑い声が返ってきた……。


 首根っこを摘ままれたハムスターのように、オレは学校の駐車場まで連行された。ゴリは自分の車に荒々しくオレを放り込んで、車を発進させる。

「先生。もう少し優しくしてくださいよ。オレは人類の守護戦士になるんスから……」

 オレは抗議した。しかし、ゴリの野郎は意に介さない。

「せめて人様に迷惑かけるなよ。社会人としての自覚を持ってな」

「先生。オレが死んだら悲しいスか? さすがに泣いちゃうんじゃないスか?」

「あ~」

「夜、一人で酒をあおりながら『馬鹿野郎……』とか言っちゃうんじゃないスか? えへ?」

「まあ、とにかく頑張れや」

 頑張れるわけねーだろ。オレ死んだわ。

 車は順調に市街地に向かって走っていく。穏やかな秋晴れの日だ。まるでお日様までが「お前の悲しみなんか知ったこっちゃねえ」って言ってるみたいだ。オレは悲しかった。


 駅前の中心街からやや外れた官庁街の一角。そこにひたすら横に広い地上七階建ての白い建物がある。それが会別市中央守護警察署だ。守護警察とは言ってるが、その建物の構造はむしろ消防署に近い。一階部分は影人出現の報を受けたらすぐに出動できるように、開け放たれたデカイ車庫になってて、守護警察専用のパトカーがずらっと並んでいる。建物の屋上にはヘリポートもあるそうだ。建物の壁面には『影人を見かけたら即通報!! 1199番』の垂れ幕が下がっている。

「着いちまった……」

 マジで吐きそう。建物の前で徐行を始めるゴリの車。そこでオレの目に飛び込んできたのは『影人も人間ではないだろうか』と書かれたプラカードだ。よく見ると守護警察の建物の前に影人愛護団体の皆さんがいた。つばの広い帽子にマスクをして、プラカードを手に無言でたたずんでいる。そして、そんな彼らの脇を、表情を消した通行人が通り過ぎていく。

「や、やべええええええ……」

 つい数分前まで気楽な学校生活を送ってたはずなんだけどな? なんかこう、一気に修羅場な感じがしてきた。おい、どうなるんだよ、これから?

「それじゃあ、頑張れよ。これ、帰りのバス代な」

 ゴリがオレの手のひらに小銭を落とした。無駄に律儀なヤツだ。でも、こんな優しさ、何の意味もない。オレは死ぬ、死ぬんだ……ッッ!!

 ゴリの車は再び車道に出て信号待ちを始めた。教え子がヤベえことになってるのに、落ち着いて道交法守ってる場合か!? なんだか取り残された気分だ。


 受付の人に教えてもらってやってきたのは、二階の会議室だ。こじんまりしてて殺風景な感じだ。そこでオレは完全な孤独を味わっていた。

 なにせオレ一人しかいない。今年の検査に引っかかったのは、もしかしてオレ一人なのか? 検査のパンフレットによれば、この会別市だけで毎年十人くらいみつかるらしいのに、いつまで経っても誰も来ない。

 時計の針が二時を指した。時間だ。計ったように会議室のドアが開く。入ってきたのは二人の女だ。二人とも白い守護官の制服を着てる。

「こんにちは! 闇堂一磨くん、だよね!?」

 一人が聞いてくる。髪の毛は短くてボーイッシュな感じだ。その人懐っこい大きな瞳は、自身の感情をよく映しそうに見える。

「ボクは青山あおやま美雨みう! よろしくね!」

 一人称は『ボク』。スカートをはいてなければ、カワイイ系の美少年に見えなくもない。声はからっと晴れた日の空のような感じだ。湿ったところがない。

「それから……」

 青山美雨が後ろにいるもう一人を振り返った。

桃川ももかわ莉奈りなです」

 もう一人はそう名乗った。それから「よろしくね」の代わりにちょっと微笑んでみせる。なんとも上品な女だ。髪は緩いカーブを描いて軽く肩にかかり、守護官の制服を隙なく着こなしてる。とは言え、別に近寄りがたい雰囲気みたいなのは無い。むしろ親しみやすいお姉さんな感じがある。

 ははあ、なるほどな。ここでオレは察した。この二人の背後にいる連中の考えが手に取るように分かった。つまり「お前と同い年くらいの女の子も、ちゃんと守護官やれてますよ」とアピっていくことで、オレを逃げづらい状況に追い込むつもりなんだ。

 だが残念だったな。無駄な努力だ。オレはすでに腹を括ってる。逃げる理由を探して頭を悩ませるほど器用には出来てねえ。オレは男なんだ。

「ども。闇堂一磨っス」

 オレはとりあえず頭を下げた。

「一磨くんは高校一年生なんだよね? じゃ、ボクと同い年だね!」

「あ、そうスか……」

 検査の時期が毎年九月だから、中三で任官するヤツと高一で任官するヤツの二通り出てくる。なんでこんな制度になってるのか知らんけど、とにかく青山美雨は中三で任官して、オレより一年先輩になってるわけだ。

「ねえ、緊張してる? リラックスしよ? 深呼吸してみない?」

「いや、問題ねーっス。ていうか、オレ一人なんスか?」

 青山美雨はにっこり笑った。

「うん、そうだよ。でも大丈夫! 一磨くんが十人分活躍しちゃうんだもんねっ!」

「はい?」

「そんな気がするんだ~☆ ふふふっ」

 なんてフリーダムなヤツだ。ぜったいあたまおかしい。

「それじゃあ、一磨くん。さっそく守護官について説明していくわね」

 落ち着いた声で言って、桃川莉奈はホワイトボードの前に立った。


 守護官のうち、実際に影人の討伐を担当するのが討伐部の連中だ。そして討伐部は操光術者を中心に構成されている。

 では、操光術者とは何か?

 人の体の中には光脈と呼ばれる部分があって、そこには光素という光が存在している。そして「操光術に適性を持っている」とは、この光脈と外界とを結ぶ光路の形成が可能であることをいうそうだ。操光術者は光路を通して外界に光素を放出し、操光術を行使する。光路を通して外界に放出できる光素の量には個人差があり、それをもって操光術者は現在三つの類型に分類されている。

 まず『レベルⅠ』。彼らは生身の状態で毎秒115以上217LS未満の光素を放出することができる。そして手などで影人に触れることで、影人を消滅させることができる。なお、人間に同じことをすれば軽いやけどを負う程度。ちなみにLSっていうのは光素量を扱う際の単位だそうだ。

 次に『レベルⅡ』。彼らは生身の状態で毎秒217以上1998LS未満の光素を放出することができる。そして放出した光素で剣や槍などの武器を形成し、影人と戦う。またこの性質に着目して、放出した光素をより効果的かつ効率的に使用するための操光兵器が作られた。さらに強化スーツが発明され、外部に放出できる光の量を大幅に増大させることができるようになったが、この強化スーツに適合した人たちは特に『レベルⅡ+』と呼ばれている。そして今現在、この『レベルⅡ+』が討伐部の主力だ。ちなみにこの強化スーツというのが、例の股間もっこりスーツのことだ。

 そして『レベルⅢ』。これは最近現れた類型だ。生身での放出光素量は『レベルⅡ+』と比べても、そのはるか上を行く。しかもこの類型には従来の光素の性質とは異なる光素を放出する者もいる。例えば、属性系は、炎・波・雷などを光素で再現し、影人に強力な範囲攻撃が可能。補助系であれば、自分や他人の身体能力を一時的に大幅に向上させることができる。また治癒系は対象の怪我や病気を治療することができた。これらはイメージでいえば、ファンタジーものでおなじみの『魔法』に近い。中でも治癒系は非常に稀な存在で、世界にまだ三人しかいない。

 莉奈の話を要約すると、大体こんな感じだ。

「……以上、大体こんなところだけど、何か質問はある?」

 意外に早く終わった。ありがたい話だ。オレはとにかく説明会みたいなのが苦手なんだ。どうせ覚えられないからだ。オレみたいなのは体で覚えていくのが一番似合ってるんだ。

「とくにないっス」

「それじゃ一磨くん! 百聞は一見に如かず! 最後にボクの操光術を見てね!」

 そう言って青山美雨が前に立った。そしてオレに握りこぶしを見せる。

「……?」

 その握りこぶしの周りに光の粒子が現れ始めた。キラキラと漂って、やがて剣の形を作っていく。

「ボクはレベルⅡ+だからね! こうやって剣を作って影人と戦うんだよ!」

 青山美雨の手に、一振りの光の剣が握られていた。よく見ると光の粒子がうねっていて、剣は微妙にその輪郭を変えていく。これが操光術か。目の前で見たのは初めてだな。

「それからこれがボクの操光兵器」

 そう言って取り出したのは、陸上のリレーで使うバトンのような物体だ。それに付いたボタンを押すと、片側の先っぽが左右に開いてT字型になった。まるで刃のない剣みたいな感じだ。

「じゃ~ん!」

 青山美雨がそれを両手で握ると、巨大な光の刃が現れた。今度は光の粒子がうねってない。すっきり配列されていて、よく切れそうな雰囲気がある。

「どうお? カッコイイでしょ?」

 ポーズを決める青山美雨。はいはい、かっこいいかっこいい。

「それじゃ、説明会は以上で終わりです。お疲れさま、一磨くん。ちょっと休憩する?」

 桃川莉奈が言う。でも今のオレはとにかく全部終わらせて早く帰りたい気分なんだ。

「いや、大丈夫っス。オレぁもう腹くくってます。とっとと光路を開通させるとかいう機械の中に放り込んでくだせえ……」

「えらいっ!」

「げふう!!」

 背中に衝撃が来た。

「そうだよね一磨くん! ボクたち頑張ろうね!!」

 何やってんだぁ? 青山美雨、ぜったいあたまおかしい。

「それじゃあ、行きましょうか」

 桃川莉奈が会議室のドアを開ける。

「一名様、ごあんな~い!」

 青山美雨がオレの背中を押して、オレたちはエレベーターの方に歩いていった。


 地上五階。エレベーターが止まった。扉が開くと、そこはまるで病院みたいだった。廊下を先へと進む。ときどきすれ違う連中はみんな、白衣を着ている。

「なんスか、ここ?」

「ここはね、研究フロアだよ~。ここで操光術の研究をしてるんだ~。ボクたちの新しい武器を作ってくれたりもするよ!」

 先を歩く青山美雨が答える。そしてオレたちは一番奥の部屋に入った。そこでは白衣の連中が、人間大にしたニワトリの卵のようなカプセルを囲んでなんか作業をしていた。

「闇堂一磨くんを連れてきました~」

 青山美雨が彼らに呼び掛ける。

「ああ、どうも」

 一人の白衣の男が歩み寄ってきて、オレとそっけなく握手した。

「それじゃあ、入って」

 そしてオレに白いカプセルを示す。カプセルを開くと、その内側は凹面鏡みたいになってた。オレは後ろを振り返る。

「がんばれ~!」

 青山美雨がガッツポーズをした。桃川莉奈はその後ろで上品な笑みを浮かべてる。もしかしたら、これがこの世で見る最後の光景になるかもしれない。はっきり言って、いっそ死にたい。

 扉が閉まった。光があふれた。


「ふう……」

 地上四階。カフェのような場所でコーヒーを飲みながら、オレは考えていた。なんとか『レベルⅠ』という判定になってほしい。何気にいちばん良い待遇を受けられるのが『レベルⅠ』だからだ。莉奈の話だと、『レベルⅠ』は影人に直接手とかで触れないといけないから、まず影人を制圧する必要がある。そのために、『レベルⅠ』には陸上自衛隊や警察の機動部隊から出向してきたゴリマッチョな護衛ガードが数人付くのが決まりだ。オレには護衛ガードが必要なんだ。

 それにしても、今のところ体には何の変調もない。これで本当に操光術者になったのか?

「あ~、早く帰りてえ……」

 ぼーっとしながらコーヒーをすすっていると、青山美雨がダッシュでやってきた。

「一磨く~~ん!!」

 なにやら興奮気味だ。

「一磨くん、すごいよ!! レベルⅢだよ!? 治癒系だよ!?」

「え?」


【闇堂一磨 適格:レベルⅢ 適性:治癒系】


 地上七階。署長室というプレートのある部屋にオレはいた。そのお偉方のジジイは高級そうなデスクの前に座ってオレを見ていた。オレはなぜか立たされていた。そのジジイに前に「休め」の姿勢で立たされていた。この建物の敷居をまたいで、まだ二時間弱。オレはもう『お客様』ではなくなっていた。社会の風は冷たい。

「闇堂一磨君、私は会別市中央守護警察署・署長の権藤彦九郎だ」

「あ、ども」

 まさに権藤彦九郎みたいなヤツだ。いかつい岩みたいな顔にバーコードというかワカメな髪の毛が乗っかってる。そして守護官の白い制服が、この寸胴体形のジジイが着ることによって、すがすがしさとは程遠い印象を醸し出していた。

「君の操光術者としての才能は極めて傑出したものであるようだ。我々としては君の戦略的価値を高め、対影人の戦線を有利に進めていきたいと考えている。いいね?」

「イエッサー」

 ご自由に。くそったれ。

「しかし、君はまだ操光術者として未熟だ。そこで君に護衛をつけることにした。もう会っていたね。桃川君と青山君だ」

 そう言ってジジイは、オレからやや離れて立っていた二人を手で示した。

「光栄です。サー」

「それから、君がレベルⅢの治癒系であることは機密事項とする。だから、周りに言いふらすようなことはしないでほしい。もちろん家族にも言ってはいけない。これは君のための提案でもある。わかるね?」

 いいや、わからん。ちゃんと説明してほしいもんだ。でも今は、とにかく早く帰りたい。

「もちろんです。サー」

「うむ。君の正式な任官は三ヶ月後になるだろう。それまでは研修期間ということになる。詳しいことはふたりに聞いてくれ。君には期待している。私からは以上だ。何か質問は?」

「ありません。サー」

 こうしてオレは『一介の高校生』から『研修中の守護官』にジョブチェンジして、会別市中央守護警察署を後にした。


 車の外側を会別市の街並みが流れていく。オレは守護警察差し回しの車で家路についていた。いわゆる覆面パトってヤツだ。後部座席にはオレと青山美雨が座り、桃川莉奈が運転している。

「あの~」

 と、オレは桃川莉奈の後頭部に向けて話しかける。

「桃川さんて何歳なんスか?」

「十七歳だよ」

「え?」

「守護官になったら、特例で車の免許が取れるようになるの」

「マジすか。オレもいけますか?」

「そうね。研修中は無理だけど」

「あ、そうスか……」

 でも、早めに車の免許が取れるのは悪くない。取ったら親父の車、乗りまわそう。

「ねえ、一磨くん! 今日から一緒の班だね! ボクたちは七班だからね! がんばろうね!」

「そりゃどうも。ところでオレの護衛につくとかいう話だったですけど、これからどうするんスか?」

「今日から一磨くんと一緒だよ! 今日も一磨くんちに泊まるし!」

「え……マジすか?」

「マジ! だいじょうぶ、ボクたち、どこでも寝れるもの!」

 そういう問題じゃねえ。ぜんぜん大丈夫じゃねえ。なんなんだ。どうしてこうなった。護衛をつけてほしいとは思ったが、こんな形でつけられても困る。でも、なんかげっそりして反論する気分になれない。

「了解っス……」

 窓の外を見た。夕方の街が流れていく。これから夜になる。そしたら、仕事帰りの連中が、夜の街に繰り出していくんだろう。

 今現在、この国で影人による死者は年間二万五千人ほどだ。この会別市でいえば、年間二百人弱。五十万人の住むこの都市まちで、年間の全死因による死亡者数は五千四百人。そのうちガンなど病気が原因なのは四千六百人。交通事故などの不慮の事故は二百人。自殺は百人。老衰は三百人。これらの数と比べても、影人とかいうよく分からない存在に殺される人が二百人くらいいるというのは、決して小さくない。

 それでも、街には普段通りの生活が続いている。影人が現れる前とそんなに変わってないと親父は言っていた。影人に殺されるヤツがいても、それは交通事故に巻き込まれるのと変わらない、というわけだ。そういう意味で、影人の脅威は日常の中に溶け込んでいた。

 ただ、危ういところもあると思う。守護警察の設立によって影人による死亡者数の伸びは鈍化した。それでも鈍化しただけで、年々少しずつ増え続けてもいる。そんな中で冷静さを失えば、一気に何か良くない方向に転がっていきそうな、そんな感じもする。

 とはいえ、今はそんなことどうでもいい。問題はこいつらのことだ。最悪、ウチに来るのはいい。でもウチには妖怪が住んでいる。その妖怪の名は闇堂真知子。オレのおふくろだ。

 道はちょうど上り坂に差し掛かっていた。歩道の脇の白いガードレールの向こう側に視界が開ける。眼下には屋根が無数に連なり、ところどころ学校や公園のグラウンドがぽっかりと茶色の穴をあけていた。さらにその向こう側にはさっきまでいた中心街の高いビルの一群が見え、そこから視線をめぐらすと、製鉄所の高い煙突が赤く染まった空に白い煙をたなびかせていた。これがオレの住む都市まち会別市あいべつしだ。

 だんだんオレの家が近づいてくる。

「一磨くんのお母さんにもちゃんとご挨拶しなきゃね!」

 青山美雨が言う。すでにオレの家にはおふくろしかいないことを確認済みのようだ。まあいい。どうにでもなりやがれ。こいつらが勝手にオレの家に来るんだ。どうなってもオレの知ったことじゃねえ。オレは完璧に腹を括った。


 オレは家に帰ってきた。

「うわ~。大きなおうちだね!」

 実際、オレの家は結構でかい。親父が開業医で、めっちゃ儲けていたからだ。でも、その親父はもういない。姉貴を車で塾に迎えに行って、その帰り道に影人がらみの事故で死んだ。姉貴も病院に運ばれたが結局死んだ。それ以来、おふくろは親父の病院を人に譲って、ずっと家に引きこもっている。最愛の夫が死に、優秀オブ優秀で将来は立派に病院を継いでくれそうだった自慢の娘が死に、残ったのは出来の悪い息子だけ。そういう状況に全く絶望して頭がおかしくなってしまったらしい。本当にすまないと思ってる。

 玄関の扉を開けて中に入ると、廊下の奥の方から仏壇のおりんを鳴らす音が聞こえてきた。はっきり言って、この家にはおふくろの負のオーラが充満している。オレは廊下をドスドスと歩き、和室のふすまを勢いをつけて開けた。

「おふくろ、帰ったぞ。オレ、守護官になったぞ。で、このふたりは同僚の青山美雨と桃川莉奈。今日からこの家に住むからな。聞いてんのかババア」

 早口でまくしたてる。おふくろは基本オレに興味がない。それでも最低限のコミュニケーションを欠かさないオレは息子の鑑じゃないか? 仏壇の方を向いていたおふくろが、ゆっくりとオレたちの方を振り向いた。黒い残像のような負のオーラがゆらめく。顔の右半分が髪の毛で隠れていて、黄ばんだ左目がオレたちを見ていた。唇はかさかさに乾いて白っぽくなっている。親父と姉貴が生きていたころは『きれいな奥様』なんて言われて調子に乗っていたもんだが、今ではやつれ果ててその面影はない。

「こんにちは、おばさま! ボク、青山美雨です! 今日から、よろしくお願いします!」

「桃川莉奈です。今日からお世話になります」

 おふくろの負のオーラに全く動じることなく自己紹介するふたり。なるほど、さすがに守護官だ。それなりに修羅場はくぐってるらしい。

 そのとき、オレのケツポケットに入れてたスマホが震えた。電話だ。オレは廊下に出る。

「もしもし?」

『一磨。説明会は終わった? ちょっとケイトリンズカフェに来れない?』

 オレは和室の中をのぞく。ちょうどおふくろが桃川莉奈を凝視しているところだった。この二人はオレの護衛らしいが……まあ、黙って出かけても問題ないだろう。オレは男だ。今のうちから女のケツに敷かれてたまるか。オレは……オレは圧倒的自由を主張する!

「もちろん。すぐ行くよ」

 オレはそっと家を抜け出し、自転車にまたがった。向かう先はケイトリンズカフェだ。


 ケイトリンズカフェ。それはオレの家の近所にある喫茶店だ。住宅街の中に溶け込むようにあるおしゃれなカフェだ。行ってみると、店の前に出ている黒板には『本日十七時から貸し切り』と書かれている。

 店に入ると、奥の方の席に座っていた男が軽く手を挙げた。

「深太先生! どうしたんだよ? 貸し切りなんて?」

「昼の壮行会に行けなかったからね。とりあえず、僕からもささやかな壮行会をしておこうと思った」

 ……親友ダチ、だ。こんなところに親友ダチがいた。昼間とは違う涙に、オレの視界がにじむ。最高だ。

 黒ノ谷深太。真修館高校一年生。一年A組の学級委員長でもある。分厚い眼鏡をかけた理系男子。いろいろと物知りで、万事そつなくこなすナイスガイ。とにかく頼りになる男。神様から『記憶』のギフトを授かっていて、あらゆることを詳細に記憶する。ただ、あまりにもいろんなことを記憶してしまうので、普段は孤独という箱庭の中に住んでいる。その博識ぶりに敬意を表して、オレは『深太先生』と呼んでいた。

「カズちん、いらっしゃい!」

 ウェイター姿のスチーブがやってきた。昼間、オレのもっこりスーツ姿を想像して吹き出していたスチーブだ。

 スティーブ・マックグッド。アメリカ生まれの日本育ち。透き通る碧をたたえた瞳を持つ圧倒的美青年。性格はとても明るくて気さく。この世界ではある意味、最強の部類に属している。特技は他人の家で自分の家のようにくつろぐこと。下手をすればその家の人々とともに食卓を囲み、泊まることさえあったが、誰にもそれを不自然と思わせないのが、この男の真骨頂だった。愛称は『スチーブ』。

 ちなみに、このカフェはスチーブの母上殿がやっている。ケイトリンのカフェだから、ケイトリンズカフェ。わかりやすいネーミングだ。

 スチーブは三人分のコーヒーを配ると、エプロンを外して一緒の席に着いた。

「それで? カズちん、今日はどうだったの?」

「どうもこうもねえよ……」

 オレは熱いコーヒーを一口すすった。そして深太先生に向き直る。

「なぁ深太先生。深太先生の助けが必要なんだ。ヤバいことになってる」

 このセリフはもはや、オレが深太先生に厄介ごとを持ち込む際の定型文と化していた。深太先生もコーヒーを一口飲んだ。

「うん。まず、レベルはいくつだった? Ⅰ? Ⅱ?」

 署長のジジイは機密事項と言ってたが、親友ダチなら話しても問題ないだろう。親友ダチってのはある意味、オレの分身みたいなもんだ。

「Ⅲだ。Ⅲの治癒系」

「うそっ! すごいじゃん! それってすっごいレアなんでしょ!? カズちんすごい!」

 スチーブが興奮する。

「らしいな。さっそく護衛もついたよ。今うちにいる」

「へえ~。でもそれだったら、抜け出してよかったの? ちゃんと言ってきた?」

「ん? ああ、まあな……」

 オレはさりげなくごまかした。

「それで……」

 オレは覚悟を決めて本題に入る。

「深太先生、マジに言う。オレはあの股間もっこりスーツを着たくねえんだ。どうすりゃいい!?」

 あのもっこりはオレの美学に反する。少なくとも思春期のオトコノコに着せていい代物じゃない。オレはそう確信していた。

「そうだね。一磨がレベルⅢの治癒系なら、着らずにすむ方法はあるよ」

「マジか! さすが深太先生だ……たよりになりすぎる」

 オレは感激した。深太先生の手が、テーブルの上にのせていたオレの手の甲に触れる。あったけえ。これが友情の温かさだ。

「もう治癒光ちゆこうを出せるようになった?」

「いいや、まだ何もわからねえ。なにもやってねえ。よくわからん卵型の機械に入れられただけだ」

「そうか……」

 深太先生は少し考えこむ。

「一磨はミリア・グレイを知ってるよね?」

「あ? ああ、知ってるぞ。あのイカレた女だろ?」

 ミリア・グレイ。この世界で一番最初のレベルⅢ治癒系だ。ある国のすごく高位の貴族の生まれで、治癒系の能力が発現してからは修道院に入り無償の治療活動をしているらしい。奇跡の聖女ということで日本でもずいぶん話題になったもんだ。

「そのミリア・グレイがある新聞のインタビューに答えてこう言っている。『目を閉じたとき、私はそこに光を見つけました。その光に手を伸ばして触れたとき、私は私の中で何かが脈打つのを感じました。私はその光を受け入れ、再び目を開けたとき、私の手から淡い光の泡が立ちのぼっていたのです』」

 さすが深太先生だ。ちょっと読んだだけのインタビュー記事を暗記してるなんて余裕なんだよな。

「それじゃあ、一磨。目を閉じて、光に触れてみて」

 おい、いきなりだな。オレは目を閉じた。しっかし、目を閉じただけで光なんて見つかるのか? 案の定、まぶたの裏は真っ暗で、さっきまで見てた光景が薄暗い緑色になって点滅してるだけだ。

「なん、にもねえぞ、深太先生」

「そうかな?」

 深太先生の手がオレの手に触れた。その瞬間だ。暗い視界の中にぽっと光がともった。その光はさっきまで見てた残像なんかじゃねえ。確かに光り輝いてる。

「おい、なんだありゃ?」

「見つかった?」

「あ、ああ。やべえな。でもコレどうやって手を伸ばすんだよ?」

「そういうイメージだよ。手を伸ばして触れるっていうイメージでいいんだ」

「なるほどね……」

 よくわからんが、ちょっとこっち来いやテメエッ!……とオレは光に呼び掛けてみた。光はふわふわとオレの方にやってくる。そしてオレのイメージの中の指先がその光に触れた。

「お、おい深太先生。受け入れるってどうやるんだッ!?」

「両手で包み込んで胸に押し当てるイメージ」

 オレはその通りにした。とくんっ……と音がする。なんだよ、少女マンガで恋に落ちた瞬間の効果音か!? わけわかんねー!!

「一磨。目を開けていいよ」

 オレは目を開けた。そしてオレの右手からふわふわと淡い光が立ちのぼっているのを見た。

「すげえ……これが治癒光……?」

「そうみたいだね」

「すごーい! カズちんすごいよ!」

 オレの口元に自然と笑みが浮かぶ。

「いひひ……すごい、すごすぎるぜ。そう、このオレこそ神だったんだよ……ッ!!」

「それは調子に乗りすぎ」

 スチーブの冷静すぎるツッコミ。でも、今はとにかく誰かで試したい。ただ、あいにくここに怪我人はいない。しょうがない。

「なあ、スチーブ。ここにナイフか何か置いてねえ? オレの左腕をぶっ刺してみてほしいんだが」

「やだよ。怖いなあ、もぉ」

 言いつつも、スチーブは席を立って、カウンターキッチンの向こうから小型のナイフを持ってきた。

「しょうがないから、ぼくがカズちんの初めてになってあげる」

 そう言うとスチーブは自分の腕にナイフをあてがって引いた。皮膚の表面が切れ、ぷつぷつと血のしずくがあふれてこぼれていく。

「うおおい!?」

「一磨、落ち着け。イメージするんだ。傷口に光をしみこませる、そういうイメージだ」

「おっけー。まかせろ……」

 だいじょうぶだ。オレならできる。しかしそれにしても、オレの右手から立ちのぼる光は、ひたすらほんわかしていて、緊張感のかけらもない。

 光をまとったオレの手がスチーブの腕に触れた。

「おお~」

 優しく撫でると傷が……消えていた。

「……やったぜ」

「すごい! めっちゃ温かかったし! なんか癒された感じしたよ!」

「マジか……」

 やはりオレは神。

「それで? これでもう股間もっこりスーツを着なくていいのか?」

「そのためにはもう一つ、覚えないといけないことがあるね。実はミリア・グレイは影人に襲われたことがあるんだ。そのときのことを彼女はこう回想している。『怖くはありませんでした。ここで私が死ぬなら、それを主が望まれたということ。手を組み合わせひざまずき、私は祈りを捧げました。主よ、どうかあなたの望むままになさってください。すると治癒の光が、私の全身に行き渡っていくのを感じて……。気が付いたとき、私はまだ生きていました。主がそれを望まれたのだと思います』……。この回想がヒントになると思うんだ。ちょっとやってみようか……」

 十五分後。オレは完全に神だった。これでもう股間もっこりスーツを着らずにすむ。最高だ。深太先生、頼りになるとは知っていたが、まさかここまでとは……。天才すぎる。

「それじゃ、今日はこのくらいにしとこうか。僕も操光術関係の情報をいろいろ仕入れとくよ」

「たのんだぜ、深太先生」

「それからこれを渡しとく」

 深太先生がオレに渡したのはガラケーみたいだ。二つ折りになったのを開いてみると、通常のボタンのほかにでかい三つのボタンがある。これはあれだ。おじいちゃんおばあちゃんがワンボタンで息子や娘と電話できるあれだ。

「大きいボタンの『1』を押せば僕とつながるから。何かあったら、いつでも僕に電話していい。ちなみに傍受できない仕様になってるし、そこそこの衝撃にも耐えられるように改造してある」

「ありがてえ……」

 深太先生がオレの人生に深くコミットする。そういう宣言だ。ありがたすぎる。誰かの言うことを素直に聞いてれば幸せになれる時代は終わった。でも、深太先生の友情あふれる助言はこの限りでない。やったぜ。

「ちなみに『2』を押せばぼくにつながるからね。ヒマなときかけてきて!」

 と、スチーブ。あ、そうなんや……。

「あとそれから、これ」

 スチーブは何かじゃらじゃらしたものをオレに手渡す。

「なんだこりゃ?」

「ドッグタグだよ」

 ドッグタグ。ハリウッド映画の戦争もので、兵士が首から下げてるのをよく見かけるやつだ。手のひらにすっぽり収まって握れるサイズの金属プレートに、兵士の名前が押してある、あのアレだ。見るとたしかに、オレの名前が押してある。

「これをいつも首からかけててね。そしたら顔面ぐちゃぐちゃになった死体になっても、カズちんだって分かるでしょ?」

「分かってどうするんだ……」

「ちゃんとお葬式あげられるじゃん」

「……ありがたくもらっとくよ」

 これも友情の一つの形だ。そうに違いない。

 こうしてオレはケイトリンズカフェを後にした。今のオレには友情の温かいサポートがある。しかも治癒光が使える。もしかしたら悲観するような状況じゃないのかもしれない。というより、もしかして明るい未来が拓けてるんじゃないのか? 帰ったらよく考えてみよう。そう思った。


 家の前まで帰ってきたら、オレの家に電気が点いていた。なんとも新鮮だ。おふくろしかいなかったときは、たとえあたりが暗くなってても電気を点けようとしなかったからだ。あのころは、まるで留守宅に帰ってきたような気分を味わっていたもんだ。

 玄関の扉を開けると、リビングから笑い声が聞こえた。久々にオレの家に人がいる。そんな感じがする。

「たらいま」

 リビングのドアを開けるとそこには三人の女がいた。

「あ、おかえり一磨くん! もぉ~どこ行ってたの? 今度から出かけるときはボクたちに言ってね?」

 食卓の準備をしているのは青山美雨だ。

「あ、すんません……」

 台所の方を見ると、桃川莉奈と見知らぬ女が夕飯の支度をしていた。誰だ? 守護警察から新しいヤツが送り込まれたのか?

「あら、一磨」

 と、その女は言った。

「おかえり」

 いやになれなれしい。この女はいったい誰だ? いやまて。よくよく見るとどこか見覚えがある。オレのよく知ってるヤツのような気もする……。

『おかえり一磨』

 遠い記憶の果てからオレを呼ぶ声がした。まさか……まさか!? なんてこった!! こいつは真知子だ!! オレのおふくろだ!! 俺が出かけていた小一時間の間に、いったい何が起こったというんだ!? 目に理性の光が宿っている。ついに……ついに頭が正常に戻ったのか!? だが、おふくろは桃川莉奈の肩を抱いて言った。

「一磨。ねえ、うれしいでしょう? お姉ちゃんが帰ってきたのよ!」

 あっ……。そしておふくろは青山美雨を手で示す。

「ほら、妹も連れて」

 ……逝った。完全に逝った。おふくろの頭が完全に逝っちまった。いつかこんな日が来るとは思ってた。いつかこんな日が……。そしてそれは今日だったんだ。せめてもの救いは犯罪に走る系の逝き方じゃないってことだ。本当にそれだけが救いだ……。


「いただきまぁす!!」

 青山美雨がぱちんと手を打ち鳴らす。久々にオレの家の食卓が埋まっていた。食卓の上には姉貴の好物ばかり並んでいる。さすがおふくろだ。ここらへんはさすがだよ。それにしてもおふくろってこんな顔してたんだな。久々に見たような気がする。

「ねえ、一磨くん。明日からのことを話してもいい? 食べながらでいいから」

 と、桃川莉奈がオレに言う。

「あ、いーっスよ」

「ねえねえ、敬語やめよ? ボクたちは同じ班の仲間なんだからさっ!」

「そーか。じゃ、遠慮なく」

「ボクのことは美雨って呼んでいーよ! ボクも一磨って呼ぶ!」

「おっけ。とにかくオレのことは好きに呼んでくれ」

「わ、わたしのことは……」

「莉奈、でいいか?」

 莉奈はハッとしておふくろの方を見た。おふくろはニコニコしている。気を遣ってくれるのはうれしいが、うちのおふくろのクレイジー具合を舐めるべきじゃない。オレが莉奈を何と呼ぼうと、莉奈を娘として認識し続けるぐらいには頭逝ってる。そう確信できる。それはそれとして。

「それで? 明日からどうなるんだ?」

「えっ、うん。明日からさっそく、対影人の訓練が始まると思うの。でも、一磨くんの能力は特殊だし、世界でも一磨くん以外には三人しかいないし、日本では一磨くんがいちばん最初なの。だから、わたしたちにも一磨くんの能力を育成するノウハウはまだないわ。しばらくは試行錯誤することになると思う。もどかしい思いをするかもしれないけど、付き合ってね」

 なるほど、たしかに、日本で初めてならノウハウもないだろうが……。

「その点については問題ねえ。これを見ろ」

 スチーブの傷を治したときのイメージを頭の中に思い描いた。オレの右手が光に包まれる。

「うそ……もう使えるようになったの?」

「ああ、ダチにこういうのに詳しいヤツがいてさ。ミリア・グレイのインタビュー記事を読んで、さくっとうまくいきそうな方法を教えてくれたよ。それでできるようになった。まぁ、五分もかからなかったかな?」

 さりげなくオレ有能アピールも盛り込んでおく。

「すごーい! 一磨すごいよ!」

 美雨がはしゃぐ。いいね。もっと言ってほしい。が、莉奈は難しい顔をする。

「ねえ、一磨くん。それじゃ、そのお友達に『自分はレベルⅢの治癒系だ』って話したの?」

「もちろん」

「権藤署長に、機密事項にするから誰にも話さないようにって言われたでしょう?」

「といってもよぉ。ダチっていってもガチのマジ。親友ってやつだ。問題ねえだろ?」

「ねえ、一磨くん、おねがい。今すぐそのお友達に電話して誰にも言わないって約束してもらって。ね?」

 懇願する口調だが、有無を言わさない感じもある。オレはやらかしちまったのか? これが社会人になるってことなのか?

「一磨。お姉ちゃんの言うことを聞きなさい」

 おふくろが口を挟む。昔よく聞かされたセリフだ。めっちゃ久々に聞いた。

「わーった。わーったよ」

 オレはポケットから頑丈系ガラケーを取り出して『1』を押した。ツーコールの後。

『もしもし』

「深太先生。オレだ。オレがレベルⅢの治癒系なの、ガチの機密らしいんだ。もう誰かに言っちまったか?」

『そんなことだろうと思って、誰にも言ってないよ。スチーブも同じ考えだ。僕たちからその事実が漏れることはないから安心していい』

「さすが深太先生だぜ。オッケーだ」

 電話を切る。

「聞いての通りだ。問題ねえ」

「それなら、いいけど……」

 結局、オレのことは明日、守護警察で改めて相談することになった。

「それにしてもよぉ……何か重大なことを見落としてるような気がすんだけどな~」

 オレの中で違和感が大きくなる。何か重大な事実を見落としてる気がする。そんなオレがちんたら食ってる間に、美雨はすでにデザートに取り掛かっていた。

「ねえ一磨。イチゴいっこ、ちょうだい」

「やらねーーよ」


 夜。オレは自分の部屋のベッドに寝っ転がって考えていた。何か、たしかに何か重大な事実を見落としてるんだ。それはいったい何だ? 自分の右手をじっと見る。そしてイメージしてみる。怪我を治すこと、病気を治すこと、誰かを……癒すこと。それに応えるように、オレの右手から淡い光が立ちのぼっていく。

『治癒光』

 怪我を治し、病気を治し、誰かを癒す。そんな光。怪我を治し、病気を治し……。

「あああああああああっ!!!??」

 ついに。ついにオレは気付いてしまった。怪我を治し、病気を治す!? それって医者じゃん! オレ、医者になれんじゃん!! オレ、これ、もう医者になれんじゃん!! なんで今まで気づかなかったんだ。答えがあまりにも近くにありすぎて気づかなかったんだ。やった! やったぜ!!

 俄然テンションが上がってきた。オレに医学部は無理だとか言ってたあの先公ども! オレは医者になるぞ!! 守護官なんかやってる場合じゃねえ!!

 テンションが急上昇して部屋の中をうろうろしていると、ドアをノックする音がした。

「……一磨、まだ起きてる?」

「あ? ああ、起きてる。入っていいぞ」

 ドアを開けて入ってきたのは、美雨だ。小脇にふとんを丸めて持っている。小柄なのに、何気に力持ちだ。しかも、よく見ると姉貴の寝間着を着ている。これが現地調達ってやつか。

「ねえ、一磨。ボク、こっちの部屋で寝てもいい?」

 急に何を言い出すんだ。美雨は莉奈といっしょに姉貴の部屋で寝ることになったはずだ。クレイジー。ぜったいあたまおかしい。

「な、なんでだ?」

「あのね、向こうの部屋で真知子さんが莉奈さんの寝顔を見てるんだ。ときどき頭もなでたりして。だからボク、邪魔しちゃ悪いような気がして……」

 あのババア。姉貴が帰ってきたシチュに浮かれてるんだな。イカレてる。

「そうだな……。でも、男と同じ部屋に寝るってのもどうなんだ。ウチには客専用の寝室もあるぞ」

「ふふふっ、いいじゃん! ね、いいでしょ? ほら、どいてどいて」

 美雨はオレをどかして、床に布団を敷いた。そしてもぐりこむ。

「おやすみ~」

 サバイバーだ。なんてたくましい女なんだ。オレは観念して電気を消す。

「……」

 ベッドに寝転がって、小さく息を吐く。今日はいろんなことがありすぎた。でも、最悪の一日だったわけじゃない。オレの人生に一筋の光を見出すことができた。オレは医者になる。いや、ならなきゃいけない。それがオレの運命なんだ。

「……ねえ、一磨。お話して、いい?」

 と、美雨がオレに話しかけてくる。

「あ? なんだ?」

「不安、だったりする?」

「いいや、ぜんぜん」

「そっか」

 沈黙。とりあえずオレはおふくろについて聞いてみる。

「そういや、オレが出かけてる間よぉ、おふくろに何が起こったんだ?」

「あ、うん。あのね、莉奈さんの顔をじーっと見てて、それで『お姉ちゃん』って呼んだんだ。それから、莉奈さんのこと抱きしめて泣いてて、泣き止んだらなんてゆうか、晴れやかな顔になって『夕飯の支度をしましょう』って」

「なるほどな」

 真知子。なんて哀しい女だ。

「真知子さんにさ、何があったか、聞いてもいい?」

「ああ。なんつーか、親父と姉貴が交通事故で死んでよぉ、それ以来、頭がおかしくなっちまったんだよなぁ。それで莉奈が来たのを姉貴が帰ってきたのと勘違いして頭がハッピーになっちまったみたいだな」

「そう、だったんだ……。ねえ、一磨のお姉さんって、なんて名前?」

「みかこ、だ。美しい香りの子と書いて、美香子」

「じゃあ、ボクたち、莉奈さんのこと、美香子さんって呼んだ方がいいんじゃない?」

「別にいいだろ。頭のおかしいヤツにわざわざ合わせてやることもない。自分の名前を呼んでもらえないとか、しんどいだろ」

「そう、なのかな?」

「そうだろ。当たり前だ」

 沈黙。話題を変えるつもりか、美雨が言った。

「ねえ、一磨のお姉さんってどんな人だった? やっぱり莉奈さんに似てるの?」

「まあ、顔立ちはちょっと似てるかもしれねえ」

 実のところ、姉貴はビッチってやつだった。死ぬほど優秀で、学校の成績もめちゃくちゃ良くて、先生受けもよかった。でもビッチだった。とにかく男をとっかえひっかえして遊んでた。「姉ちゃん、もうやめろよ」って何度言ったか分からねえほどだ。そのたびに姉貴は、ビッチにしかできない妖艶すぎる微笑みでオレの言葉をかわして、男とのデートに出かけていった。オレは悩んだ。もしかして姉貴がビッチなのは自分のせいじゃないかって思ってた。姉貴は本当は医者になりたくないのに、弟がバカだからしょうがなく病院を継ごうとしてて、そのストレスで男に走ってるんじゃないかって。オレは思い切って姉貴に聞いてみた。そのとき、姉貴は言ったんだ。「全然、そんなことないよ。いろんな人と肌を合わせるのが好きなの」オレは思った。終わった、何もかも。姉貴はホンモノだ。オレにはどうすることもできない。

「……まあ、似てるのは顔立ちだけだけどな」

「ふうん。そうなんだ……」

「そういや話変わるけどよ、オレ、レベルⅢの治癒系なんだが?」

「え? うん」

「オレもあの股間もっこりスーツ着ないとだめなの?」

「こか……強化スーツのこと?」

「そう」

「うん。レベルⅢの人も着るんじゃないかな?」

「あのさぁ、あれ、恥ずかしくないのか? あれはもう服じゃねえ。皮膚に張り付いてる何かだ。なんならケツの割れ目まで完璧分かっちまう。それってどうなんだよ? あれを人間に着せていいのかよ?」

「え、うん。別にいいんじゃない?」

「いいのかよ? マジかよ?」

 なんて度胸だ。すごい女だ。

「ボクもね、初めは恥ずかしかったけど、でももう慣れちゃった。それにね、すっごく動きやすいし、光でコーティングするから防御力もとっても高いんだよ」

「そうなのか?」

「一磨にもきっと、よく似合うと思うんだぁ。ふふふっ、一磨が装着したら、ボクが一番最初に笑ってあげるからね」

「笑うのかよ……」

「みんなで着てみて、笑いあったら平気になるんだよ。大丈夫、一磨もきっと慣れるから」

 慣れてたまるか。オレの美意識があの股間もっこりスーツを拒んでる。今日、深太先生に教わった技で、なんとか着らずにすむようにしてみせるぞ。

「ねえ、一磨。もう一度見せて。治癒の光」

「ああ?」

 とりあえずリクエストに応えるか。誰かを癒したい。そう思う。そして右手を真っ暗な天井にかざす。手のひらから淡い光が湧きたって、ほのかに天井を照らす。手のひらからこぼれた光が、ふわふわと部屋の中を舞った。

「……きれいだね。ボクたちの光とはちょっと違うかも。なんてゆうか、やさしいひかり……」

 うっとりした感じで美雨が言う。とてもいい気分だ。もっと言え。

「あっ」

 美雨の伸ばした手に治癒光が触れて弾けた。光の粒子が美雨の指先にまとわりついて、やがて消えた。

「……ねえ、一磨、ボクたち頑張ろうね。頑張って戦って、世界を元通りにしようね」

 『頑張って戦う』ってなんだよ。そんなワード存在するのかよ? この現代日本によ?

「おやすみ、一磨」

 美雨は目を閉じたようだ。

 まあいいだろう。オレもそこまで恩知らずじゃない。治癒光が使えるようになったのは守護警察のおかげだ。だから今は守護官としてキャリアを積んでやろう。それで実績を積み上げたら、いつか大病院からのオファーもあるだろう。いや、治癒光さえあれば、いきなり自分の病院を持つことだって可能だ。しかも絶対に治せるとなれば、めちゃくちゃ流行るだろうな。最高だね。ババア、学校の先公ども、いいか見てろよ。オレは絶対に医者になるぞ!!

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