【短編】四十五の1hour Write
415(アズマジュウゴ)
3分間の攻防
3分間。この時間を大多数の人間はこう想像するだろう。
インスタントラーメン。
しかし、今俺が思いつく3分間は総合格闘技の1ラウンド。
つまり、即座に手軽く解消できる状態とは程遠い、度し難い緊張と重圧の二重螺旋に囚われてしまっている。
「私たち別れましょう」
彼女のその一言により高らかにゴングが鳴った____
「え、今なんて」
「別れましょうって言ったの」
理解が追いつかない。それもそうだろう。試合開始と同時にら思いきり右ストレートが気持ちよく顔面にめり込んだのだから。
「アッツゥ!?」
カップラーメンに入れていたお湯が勢い余って足にかかる。痛みにより冷静になった俺の脳は次の言葉を導き出した。
「いやいやいや、クミさんや。急に別れようだなんて冗談にも程がありませんか?」
「あら、今の言葉が冗談に聞こえるなんて、随分と私が温和な女性に見えているんですね。流石ユウジさんですこと」
「クミさん、今のは本心?それとも皮肉?」
そんなこと聞かなくても分かる。当然、後者だ。分かっているはずなのに、何故俺は彼女に火をつける返し方しか思いつかないのだろう。その結果は目に見えているだろうに。
「今の返事で分かりました。本気で考えてないんですね。昔から、誤魔化すのが上手い方だとは思っていましたけど。今のでハッキリしました。別れましょう」
目に見えた結果通り。完全にリングの隅に追いやられてしまった。彼女の猛攻は未だ止まらない。
「いや、そういう訳じゃなくて……あー、俺は別れるに至った理由が知りたいんだよ」
「ユウジさんは恋愛ドラマにおいて、そう尋ねられた女性が素直に回答した場面を見たことがありますか?」
「ないです。そこは現実でも変わらないんですね」
「当たり前です。つまり、今ユウジさんが私に求めることは、別れる決意に至った理由ではない。汚名の返上です。
貴方は『別れましょう』という私の言葉を撤回させないといけないのですよ」
「な、なるほど……。分かりました。クミさん、少し状況整理の為の時間を頂けませんか?」
「よろしい、ユウジさんの努力を認めましょう」
なんとか首の皮一枚繋がった。1分間一方的に責められ続けていたが、このチャンスを無駄には出来ない。ユウジ、落ち着いて思考を巡らせるんだ____
まず、確認すべきはカレンダー。何かしらの記念日を失念している可能性がある。俺の視力は両眼ともに1.0以上。追求という名の横隔膜への打撃は避けられるはずだ。
カレンダーの本日の日程には……星型のマークに12時と書かれている。畜生、俺のバカ。クミさんにあれだけ文章として書けと言われていたのに。ここに来てそのツケが回ってくるのか。今の時刻は11時28分。12時をタイムリミットと仮定するなら、本当に時間が無い。だが、ひとつ確証を得たことがある。
「クミさん、本日が期限でしたね」
「正解です。厳密に言うなら12時がタイムリミットですね」
よし、上手く攻撃はいなせた。
しかし、このままだとこちらがスタミナ切れになってしまう。足が動くうちにこちらの一手を決めなければ。
次は記憶の掘り下げだ。今日俺はクミさんと何を約束したんだ。思い返せば、ここ数日仕事が忙しくクミさんのことを蔑ろにしていた気がする。だから、別れたくなったのだろうか。
いや、そんな単純なことであれば3年も付き合うことは出来ないだろうし、なんなら同棲なんて成立しない。
3年間……。付き合ってみれば長かったが、別れ話はたったの3分間か。女々しい話だが走馬灯の様に色々な記憶が蘇ってくる。必死な顔で告白したこと。パーキングエリアで食べたアイスクリーム。遊園地での喧嘩。
「11時59分……ユウジさん、あと1分です」
俺の膝はもうガクガクだった。記憶の一つ一つが俺の顔を、ボディを、脚を確実に仕留めに来ている。もうフラフラだ。
涙が勝手に出てきて止まらない。生物の生存本能がそうさせたのか。俺の心が弱いだけなのか。
脳がぐるぐると回っている。3年間、告白、約束……。
約束?そうだ、告白した時に俺は久美さんに!
そう思うと同時に俺は考えるより先に、その言葉を口にしていた。
「クミさん、結婚しよう」
「えっ」
「あれ、俺なんて……」
「ユウジさん、今の言葉本当ですか?」
「う、うん?いや、でも、別れたいと思ってる久美さんに結婚しようなんて、俺は」
「正解です」
「へ?」
「約束したじゃないですか。付き合った時に。3年間続いたら結婚しますって」
「あっ……」
ようやく言葉に俺の脳が追いついた。頭より身体が先に動くとはまさにこの事か。
決死の覚悟で放った俺のカエル飛びアッパーは、見事顎を捉えたのだ。
「ユウジさん、忘れっぽいから。私がこうでもしなきゃ思い出してくれなかったでしょ?」
「そ、そうですね。でも、別れるつもりは最初から……」
「あら、思い出さなければ私は別れるつもりでしたよ?」
「本当に忘れててすいませんでした」
「過ぎたことです。良しとしましょう」
「ありがたき幸せ」
ピピピッ。
3分間インスタントラーメンを測っていたタイマーが鳴る。試合終了の合図。
「あ、そうだクミさん」
「なんですかユウジさん」
「とりあえず、伸びちゃう前にインスタントラーメン、食べちゃいましょうか。」
「さっきまで伸びかけてた人が、それ言います?」
「あはははっ、返す言葉もございません」
こうして、俺たちは六畳のリングでお互いを称え合うハグをしたのだ____
3分間。この時間を大多数の人間はこう想像するだろう。
総合格闘技の1ラウンド。
だが、今俺が思いつく3分間は結婚に至るまでのタイムリミット。
つまり……
なんて言葉に表すのは後にして、今はインスタントラーメンの味を噛み締めようと思う。
今日という日を忘れない為に。
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