385.おまじない〜レイヤードside
「イタイノイタイノトンデケー」
母上と普段はアリーと呼ぶ実妹、アリアチェリーナが昔使っていたおまじないというやつを唱えながら、掛布の上からこんもりした山を撫でる。
このおまじないがどこの国の言葉かは知らない。
良かった、震えは無くなったみたいだ。
布団越しに伝わっていた震えは消え、体の強ばりも幾らか和らいだ。
そっと布団をはぐれば、うっすらと汗を滲ませ、目元を濡らして敷布に獣の姿の時のように丸くなっている妹が出てくる。
白銀の髪が眉を寄せる顔にも首筋にもへばりついていた。
「何があったかは、まだ教えて下さいませんか?」
「うん。
聞こうとすると話をそらされてしまう」
そう言って後ろに控えていたうちの執事長が、痛ましそうな目をしながら静かに口を開く。
「幼児の頃に過呼吸を頻繁に起こしてたなんて、気づいてなかったよ」
「レイヤード様が気づかれないのも無理ありません。
あの頃はいつも奥様が一緒にいて、過呼吸を起こしそうになる度に厚めのショールで覆って抱きしめておりましたからな。
周りが悟るのは難しかったでしょう」
確かにまだ僕が妹を義妹としか思っていなかったあの頃の母上は、大きめのショールを必ず身につけていた。
なかなか体も大きくならない娘をすっぽりショールで覆って抱きしめながら、おまじないを唱えていた記憶はある。
まさかあんな頻度で幼児が過呼吸を起こしていただなんて····。
僕が実妹のルナチェリアへの気持ちの整理をまだ上手くつれられなくて、あえて見ようとしなかったせいだ。
今まで気づいてもいなかった。
いつの頃からかその言葉は聞かなくなり、母上が心臓発作を起こすようになってから今度はアリーが時々口にするようになっていた。
痛みが無くなるおまじないらしい。
アリーと再会してから2週間ほど経ち、ロリコン国王もいないのにイタチの姿でいるのが多いように感じてはいた。
けどそれは怒らせた専属侍女の怒りをそらす為だとばかり思っていたんだ。
でも不意に布団に潜るようになって、そんな時はセバスチャン、僕はセバスって呼ぶこの執事長がそれとなく専属侍女のニーアを遠ざけ、布団の上からぽんぽんしながら小さな声であのおまじないを口にする。
それでやっと異変に気づいた。
タマシロ君はメンテナンスと称して取り上げて、獣姿で誤魔化せないようにしている。
きっと今は眠るというよりも気絶に近いんだろう。
そう思いながら弛緩した体を上向きにして寝かせ、流れた汗と涙を洗浄魔法で綺麗にする。
「ん····」
くぐもった声を出してころりと横向きになれば、顔に貼りついていた白銀の髪がさらりと後ろに落ちた。
暫く見ない間に大人びて艶の出た
妹に懸想するこの国の第2王子であるルドが目にする事なく、王都に戻ってくれて良かったよ。
心からそう思う。
実年齢はともかく、僕の中ではまだまだ精神面でも不安定で幼い妹だ。
それに以前に教えてくれたこの子の過去は····あまりに過酷で痛ましくて重い。
それこそ赤子の頃から幼児となるまでに精神的な疲弊から、何度も過呼吸を起こしていたくらいには····。
かつての妹の専属侍女だったココの死に続き、今度は過呼吸の存在。
セバスは当時、母上がアリーを育てるのを全面的にサポートしていた。
そんなセバスに教えられるまで知らなかった事に愕然としてしまった。
····あの頃の頑なだった自分を殴りつけたいな。
「坊っちゃんはまだ若い。
これからじゃよ」
僕の気持ちが沈みそうになったのに気づいたみたいだ。
学生時代までは時々してくれていたように、孫にするかのように頭をくしゃりと撫でて部屋から出て行った。
僕が産まれた頃には執事へと転身し、留守がちな父上の代わりに何かと面倒事や遊びに付き合ってくれた祖父のような存在だ。
そんなセバスだからこそ僕達3兄妹は気を許していて、セバスも僕達の心の機微に敏感なんだろうな。
「何があったの、僕の可愛いアリー。
きっとあの洞窟で何かがあったんだよね?
イグドゥラシャ国の王女の何かに気づいたのかな?」
聞こえていないのを良い事に、思った事をそのまま口にする。
「再来週にはこの貴族用の温泉施設もオープンするし、何だかんだでカクテルっていうのも新たなゲームも提案し終わってるよね。
ここの次期領主が虎視眈々と僕の可愛いアリーを男性的な目線で狙ってて鬱陶しいし、そろそろ一度グレインビルに戻ろうか。
来週には王太子の婚約式で父上が王都に出てくるんだ。
それに合わせてゼストや留学生達も王都に戻るし、ここの領主親子とも話をつけるから、用が済めばそのまま父上が直接迎えに来るって。
アリーのしたかった家族風呂を皆で堪能したら、グレインビル領に戻ろうね」
優しく声をかけながら頭を撫でていれば、やっと穏やかな寝息になって、胸をなで下ろした。
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