263.伝染病と窮地を救った化け物〜エヴィンside

『エヴィン····私はまだ、死に、たく····ない。

まだ····子供達の成長、を、もっと····見ていた、い。

もう、長くな、いのは····間違い、ない····あの子に、賭け····た、い』


 息も絶え絶えの兄の言葉に····俺は同意する事しかできない。


 もっと簡単に考えていた。

胸を切り開いて直接心臓を切って治療するとか、聞いた事もない。

考えた事すらない。


 それでも絶対に助かると言われたのなら受け入れられた。


 だが現実は違う。


『なあ····もしお前がもっと早くその手術をしてくれるように手筈を整えてりゃ、こいつの生存率は高かったんじゃないのか?!』


  産まれた時から共に生きる片割れにもたらされる未知の治療の話に、反射的に恐怖を感じた。

そんな弱さを認めたくなくて、責任転嫁して話の論点をずらそうとしてしまった。


 その後、あの愛しの化け物が払う代償を聞かされ、兄が途中で遮ってくれた事を心から感謝している。


 だがあの伝染病の時もそう感じたが、確かに俺の知る常識はあの愛しの化け物には非常識なんだろう。

そして常にあいつは説明不足だとこっそり思うくらいは許して欲しい。


 あの伝染病····あいつは出血熱とかエボラ?とか言っていたが、とにかく周辺の害獣や害虫駆除、民家周辺の除草や木々の伐採を徹底させた。

伝染病と何の関係があるのかすら全く説明されず、その時はわからなかった。


 ただ実行を命令するだけ。


 な?

俺の愛しの化け物は説明不足すぎるだろ?


 あいつの脅し通り症状の出た者達を完全に隔離し、疑わしい者をグループに分け、全員に頻繁な手洗いうがいを義務付け、口元を覆わせた。

そして少なからず治癒した元患者達にも口元を覆わせ、膝まですっぽりと覆うエプロンを着用させて看護役に回るよう指示し、ことあるごとに高濃度の酒でありとあらゆる物を消毒させた。


 更に土葬していた亡骸や駆除した諸々はあの赤髪の男に問答無用で焼かれる。

正直あの時領民の7割が程度の差はあれど病に倒れて隔離していなければ、暴動が起きていたんじゃないかとゾッとする。


 口にする川や井戸の水は煮沸を徹底させるし、煮沸の際には水蒸気を集めて不純物のほとんどない水も無駄なく大量に作らせた。

そこに自らのマジックバックから何かしらの粉を取り出して混ぜ、ユエキと呼んだ。


 同時進行で駆除した獣の膀胱、除草した筒状の蔦、鳥の羽根を集めさせたが、これも説明はなかった。


 余談だが、この国は鳥系統の獣人が多い。

辺境の騎士達総出の山狩りをしても当時は冬。

そして飢饉にあってまともに鳥など狩れない。

最終的に彼らは己の矜持たる羽根をも毟ってくれた。


 ····皆涙目になりながら黙々と毟った。


 現在庭師もどきと化すあの爺もその1人だ。

さすがにあの化け物も受け取る時はすまなさそうな表情を見せ、爺は小さな手で頭をよしよしと慰められていた。


 まだ俺の中では愛しくない、ただの化け物だったが、俺もして欲しいと少なからずこそっと思ったのは秘密だ。


 その日には早速それらを煮沸させたり、削らせたり、組み合わせたりして化け物がユエキとテンテキと呼ぶ初めて見る医療の道具を目の前で作り出した。


 そして出来た物から患者の腕に片っ端からぶっ刺しては容赦なく使い捨てしまくり、終われば躊躇なく赤髪の男が焼却処分する。


 体力はもちろん意識もほぼ無く、逃げられない重病人から見せしめのように刺していく幼児。

しかも目と鼻と口だけが露出するマスクのようなフードを頭から被り、口元は布で覆い、ぴったりした皮の手袋をするという出で立ちの幼児。

力が弱い幼児だからか、数人刺すごとに手がぷるぷるして休憩する幼児。


 傍から見ると恐怖しか与えない白い小っこいシルエットだった。


 本人は虚弱体質で抵抗力のない幼児なんだから感染対策はこれくらいしたって心許ないと言っていたが····。


 動けなくても意識のある患者は針を持つ幼児が近づくにつれて顔の引きつりを強める現象を前に、俺は心の中でそっと手を合わせ続けるしかなかった。


 しかし数日後には苦しむ者はいても意識を取り戻す者が増え、1日に亡くなる者が目に見えて減った。


 一種の戦場のような、地獄絵図のような場所だったからこそ、そんな彼らの寛解が目立ったんだろう。

お陰で見た目は怪しいテンテキは逃げられるレベルの患者にも戦々恐々としながら受け入れられていった。


 使用済みの点滴を目の前で瞬きする間に炭にするあの男に恐怖したのもあったからかもしれないが。


『また押さえつけるようなやり方で証明されたいの?』


 全くの言葉そのまま、あの幼児の治療開始当初は伝染病よりもあの男に恐怖を感じて治療を受け入れていたのは間違いない。


 そしてあいつが現れて5日後。


 あの男と化け物に連れられてナビイマリ国の王の寝所に強制的に転移で引き連れられて行った。


 そこで化け物は伝染病にかかっていた将来俺の義妹となる当時の王女も含め、彼の国民達の救命を担保に兎属の国王を陥落させた。


 あの全身膝まで白ずくめで紫暗の目だけを覗かせた幼児が一国の王を脅し、言い負かす。

もう2度とこの先一生お目にかかれない光景だっただろう。


 帰りはナビイマリ国が掴んでいた俺の馬鹿な兄にあたる当時のヒュイルグ国王太子と、将来の宰相夫人であるクェベル国王女の奴隷に関与する証拠の提示と後ろ盾の確約を得た。


 自国の民が秘密裏に奴隷として捕らえられ、取り引きされていたからこそ確たる証拠を握っていたらしい。


 余談だがヒュイルグ国で発生した伝染病の感染の爆発的広まりの要因の1つに、不当に捕らえられたあげくに衰弱した奴隷達の感染があった。

我が国か隣国か、どちらから広まったかは今となっては定かではない。


 しかし伝染病の流行した事はもちろん、獣人を奴隷にしようとする両国に挟まれる小国という立場では、追求する機会にその日まで恵まれなかったのだと国王は肩を落としていた。


 小さな手が兎属である国王の長い耳をそっと撫でていた。

だがあいつは別に慰めていなかったと思う。


 国王は項垂れて見ていなかったようだが、当時はあまり表情が変わらなかったそのマスクのようなフードから覗く目元が、まあまあ弛んでいた。


 今の愛しの化け物のオープンな耳好き尻尾好きを考えても、絶対触りたかっただけだと確信している。


 そして何より助かったのは大量の鳥や食用の獣をせしめ、いや、好意で受け取った荷車一杯の食料と共に転移して帰れた事だ。


 その後数日で伝染病の対処を部下達に教え込み、俺には実践的かつ効率的な立ち回りを叩き込んだ。


 そうして現れてから1週間後、あいつは俺の前から忽然と消えた。

お膳立てを無駄にしたらこの国ごと俺を潰すというメモを残して。


 その後すぐ、王都からの支援物資が少なからず届くのを待って愛しの化け物が与えた策謀を忠実に実行に移し、当時の王太子一派を排除し、国王の力を削ぎ落とせた。


 化け物はわずかな期間で俺の領を、引いてはこの国や隣国を窮地から救った。

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