第42話 月夜

 貫一が箕のマンションへやってきたのはその日の夜のことだった。


「むぐ、おかえり」


 箕はだらりとゲーミングチェアに寝そべり、もぞもぞと口を動かしていた。デスクにはポテチの袋とエナドリが一本。既に晩酌の体勢だ。

 しかし、箕は部屋に入ってきた貫一を見ると、すぐに様子がおかしいことに気が付いた。

 貫一は何か思いつめたような顔をしているように、箕からは見えていた。


「彼女が居るかもしれません」

「……姿を見かけたのかい?」

「いえ。確証はありません。でも……。とにかく順にお話しします」


貫一は屋敷の中の様子を語って聞かせた。

門で再会した警備員のこと。

一人だけの執事のこと。

応接間の肖像画のこと。

イタズラ好きな子どもが屋敷の主らしいこと。

その子は遊び相手を求めているらしいこと。

ADGsは既プレイで、『強い人とも弱い人とも戦いたくない』らしいこと。


そして、『前のオモチャはつまらなくなった』と前任者の存在をほのめかしたこと。


貫一は今日のあらましを語り終え、お茶を口に含んで息を吐いた。


「個人的な感想ですけど、あのお屋敷はかなり黒いと思います」


 屋敷を訪ねる前から抱いていた疑念が薄まることはなかった。

 箕は助手の話を黙って聞き、その後しばし考えこむそぶりを見せた。


「屋敷でさっき話してくれた以外の人物は見かけたかい? 例えば子どもの両親だとか」

「見なかったと思います。今日見かけたのは三人だけですね」


 例えば、彼女を見つけられていれば、もっと話は簡単だったのかもしれない。けれど、そう簡単にはいかなかった。

 箕はまたしても何かを考えながら、スマホをいじり始めた。

 ゲームだとか、SNSを使っているような雰囲気ではない。そもそも、箕がそういったものを積極的に使っている姿を貫一はほとんど見かけたことがなかった。せいぜいチャットアプリで誰かからの連絡に返信するくらいだ。

 しばらくして、箕は手を止めた。画面に目を通してから、スマホを貫一へと投げ渡した。

 あまりにも雑なスマホの扱いに驚きつつ、貫一が慌てて受け取ると、そこに表示されていたのはあるwebページ。

それが何に関するページなのか、すぐに気が付いた。


「不知火家の情報ですか?」


 不知火家、あのお屋敷の所有者の苗字だ。あの子ども、侑くんのフルネームは不知火侑になる。屋敷を訪ねる前に、貫一は簡単に目を通していたから、それはすぐにわかった。ただ、箕の真意は分からない。


「何か気付くことはないかい」

「気付くことと言われても、あそこは実業家の家系で、今は経営から退いて……」

「けれど、その子の両親はまだ会社に籍を残している。その会社の名前は何だい?」

「Shiranui社です。……あっ」

「ようやく気付いたようだね」


 貫一はその名前をごく最近聞いたことがあった。それもADGsの中で。

 確か、リカが使っていた武器種:鎌を開発した企業だったはずだ。


「Shiranui社はADGsのカード開発に参入している企業の一つ、周辺機器の開発なども含めて、ADGsとは深い関わりがある企業だと言っていいだろう」


 箕は天井を見上げて、椅子をくるりと回した。その横顔は笑っているようにも、歯を食いしばっているようにも見えた。


「いよいよ臭くなってきたじゃあないか」

「でも、これだけじゃ何の証拠にもならないですよね」

「そうだね。状況証拠と言い張るにしても弱すぎるだろうね」


 それはつまり、直接、蒲田刑事の力を借りることはできないということでもあった。


「明日、もう一度お屋敷に向かいます」

「ああ、私も同行するよ」


 箕があまりにもさらりと口にしたので、はじめ、貫一は聞き間違いかと疑った。

 しかし、箕の顔を見て、それが聞き間違いではないことを悟った。

 探偵の決意を止めることはできない。


「そういえば、僕は箕さんの助手でしたね」

「忘れてもらっては困るね。助手としての自覚が足りないよ、まったく」

「……ありがとうございます。何か危険があるかもしれないのに」

「構わないさ。君が道を作って、私が決闘をする。そういう契約だっただろう。君は十分に自分の仕事を果たした」


 箕は笑っていた。

 探偵は気まぐれだ。きっと、ここまでに集まった情報の中に箕の心に火をつける何かがあったのだろう。貫一には気付けない何かが。

 探偵がやる気を出している理由、それは決して助手のためだけではないだろう。

そう思えるほど、貫一はうぬぼれてはいなかった。

 しかし、それは自分が手を抜く理由にはならない。


「今回は絶対に成功させます」

「ああ。だが、気負い過ぎるのはよくないよ。確証が得られたなら、蒲田に相談するという手もある」


 探偵は椅子から立ち上がって、床に放り出されていたクッションを抱いた。

 最近、暗黙の了解と化してきた、お開きの合図。


「今日はここまでにしよう。早く帰って十分な休息をとるんだ。いいね?」

「箕さんこそ。ちゃんと寝てくださいよ」

「ふふ、言うようになったじゃないか」


 二人は笑い合い、それから互いに背を向けた。


「……明日、お願いします」

「ああ、任された」


 貫一は探偵の声を聴いて、マンションのドアを開けた。


 明日だ。明日、必ず見つけ出す。

 ……それで、探偵とはサヨナラだ。


 夜空に浮かぶ月だけが、貫一の声にならない呟きを聞いていた。

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