「それにしてもマッシーの家ってなんか寂しいよね。最低限の物しかないって感じで殺風景だよ。テレビすらないし」


 あの日からちょうど一週間が経った。幸か不幸か例の請求書はまだ届いておらず、芳楼ほうろうさんからの連絡もない。おかげさまで私は今日も今日とて慎ましく平穏に最低限度の文化的な生活を送っている。

 今だって大学の帰りに友達が私の家にやってきて、そいつのバイトの時間まで適当に話し相手をしてやってるくらいだ。


「ミニマリストと言ってよね。私は部屋が散らからないように敢えて物を少なくしてるの。それにもともとテレビは見ない人間だから必要ない」

「だとしてもだよ。なんかもっとこう、生活感ってのが欲しいよ。これが一人暮らしをしている女子大生の部屋とは思えないね。メイク道具もないじゃん」

「そんなの要らないよ。めんどくさいから私メイクしないし」

「それでも外に出れる顔だからずるいよね、マッシーは。あと今の言葉は世間の女子から顰蹙ひんしゅくを買うから私の前以外で言わないようね?」


 それは売ったらお金になるのか?

 もしそうなら是非とも大量購入していただきたいものだ。少しでも生活費の足しにしたいからな。


「だけどそんなこと言ったってしぐれもそこまでメイクしてないだろ? いつもリップ塗ってるくらいじゃん」

「まあ私は可愛いからね。それで十分なの」

「お、おう……」


 その自信あり気な態度にツッコむ気にもならない。

 まあ、確かにお前は女子の私から見ても可愛いけどさ。


「でもマッシーのことを可愛って言ってる人もいるよ。私の入ってるサークルの先輩なんだけどね」


 こいつは五月雨さみだれしぐれ。

 入学して間もない頃、キャンパス内で迷子になっている彼女に私が声をかけたのがきっかけでそれから時々お昼を一緒にしたりしている。学部は違うけれども私の数少ない大学での友達だ。ちなみにマッシーってのは私のこと。


「その先輩って石油王だったりしない? もしくは財閥のご子息だったり」

「いや全然違うけど……」

「じゃあいいや、興味ない」

「凄く感じの悪い女になってるけど大丈夫そ⁉︎」


 お金持ちだったら一度ご飯でもと思ったが、そうじゃないなら用はない。

 もちろん私だって年頃の女の子だ。彼氏を欲しいと思う気持ちもそれなりさ。けれども今は事情が事情なので色恋にうつつを抜かしている余裕はないのだ。


「まあ、また落ち着いたらその先輩は紹介してもらうよ」

「そんな悠長でいいの? 先輩はイケメンだからその頃までに彼女がいない保証はないからね?」

「とりあえず今はいいって。私も忙しいし」

「ははーん。マッシーってばそんな感じだから今まで一度も彼氏が出来たことないんじゃないの? ダメだよ、チャンスを逃してばかりじゃ」

「うるさいなあ!」


 当たってるけどさ!


「でも何がそんなに忙しいの? 中間テストの時期も終わったことだし、マッシーはバイトしてないから暇でしょうに」

「そ、そうだけど……」

「あれ、もしかしてバイト始めたの? あんなに落ちまくってたのに」


 ぎくり。

 しぐれは変なところで勘が鋭い。


「ああっ、その反応は絶対にそうでしょ! 隠そうとしたって無駄だよ、私にはわかるからね!」

「ソ、ソンナコトナイヨッ」

「嘘だ! もう目が泳いでるもん! 眼球がクロールしてるよ!」

「比喩でもそんな気持ち悪い例えはやめてくれ!」

「私たちの間で隠しごとなんて水臭いよ。それにマッシーちょっと汗臭いよ」


 後半は余計だ!

 そりゃ最近は暑くなってきたし、少し汗ばんでるかもしれないけどさ! ……くそ、ケチってクーラーを付けてなかったのが仇となった。


「もしかして私に言えないようなヤラシイ系なの? うん、でも確かに。マッシーのおっぱいがあれば需要ありそうだもんね」

「勝手に納得するなよ、断じて違うからな! おいこら、合点がいったように頷くな!」

「ならさっさと教えてよね。勿体ぶらずにさ」

「そ、そう言われましても……」


 言えるはずがない。

 モノノに関する仕事だなんて。

 雲の上を歩き、虹を掴むような話だ。信じてもらえないことはもとより、うまく説明できる自信もない。馬鹿正直に話したところで頭がおかしくなったと思われるのが関の山だろう。

 そんな体裁を気にすると共に、しぐれを余計な心配をさせたくないという思いもあった。こいつのことだ。変に心配して友人の私にお金を工面しようとするかもしれない。

 私は考えた末、親戚の手伝いだと誤魔化すことにした。不本意にも騙すような形になってしまったが致し方ない。嘘も方便という言葉があって助かった。


「ふーん、じゃあ叔父さんの手伝いをしてるんだ? 何はともあれマッシーがやっとバイトを始たようで安心したよ。私はずっと心配していたんだから」

「お前は私の親なのか?」

「ううん、しゅうとめ。しかも小姑こじゅうとね」

「義理の方かよ」


 そりゃあ世話焼きなのも頷ける。

 誰とも結婚した覚えはないけれど。


「ようやくこれでパンの耳生活から脱却だね」

「なんでそのことを知ってるんだ⁉︎ 恥ずかしくて言ってなかったのに!」

「だって冷蔵庫にその袋しか入ってなかったもん。さっき見たときはびっくりしたよ」

「勝手に漁るなよ……」


 私がトイレに行ってる隙に小腹を満たそうとしたらしい。油断も隙もない奴だ。

 けれども極貧生活とおさらば出来たかと言えば現実はそう甘くない。冒頭にも言ったが芳楼さんからの連絡は全くなく、それは私が働いてないことを意味している。……目安の一週間も今日だしなぁ。

 このままだとパンの耳すら食べられなくなってしまうのは時間の問題である。


「そうだ、マッシーのバイト先も無事に決まったわけだしお祝いしようよ!」

「お祝い? たかがバイトごときで大げさな」

「そんなことないって。ちょうど今から私はバイトだしさ、一緒に来てくれるならサービスするよ。どうせこのあと暇なんでしょ?」

「勝手に私を暇人と決めつけるのはやめてもらおうか! まあ暇だけども!」


 しぐれのバイト先は夕凪ゆうなぎという老夫婦が経営する喫茶店である。前に何度か行ったことがあるが、そこは私のお気に入りスポットだったりするのだ。

 最近はお金に余裕がなくてめっきり行けてなかったことだし、サービスをしてくれると言うのならお言葉に甘えてもいいかもしれない。

 たまにはガス抜きも必要だろう。こうも毎日切り詰めてばかりだと肉体よりも先に精神が参ってしまうかもしれないしな。


「じゃあ決まりだね。そろそろ時間もいいくらいだし行こうか」


 言いながらしぐれが立ち上がり、それに私も続く。

 自然とテンションも上がってしまう。


「しぐれ、ところで小腹はもういいわけ? 今からバイトならお腹が空いてるのはまずいんじゃない? 途中でコンビニに寄ってもいいけど」

「それなら心配ないよ。しっかりご馳走になったから」

「まさかお前──!」


 嫌な予感がした私は慌てて冷蔵庫の扉を開ける。

 そこにはパンの耳が入った袋すらない、空っぽの空間が広がっていた。


「おい、私の命よりも大事なパンの耳をよくも!」

「大袈裟だよ、マッシー。夕凪でちゃんとしたの食べさせてあげるから怒らないで」

「絶対だからな! 最低でも揚げたパンの耳に砂糖をまぶした奴だぞ!」

「……まずパンの耳から離れなよ」


 そうしてアパートを出発した私たちは夕凪へと向かう。

 そこで新たなモノノ怪に魅入られてしまうことも知らずに。

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