34 名前呼びは気恥ずかしいもので

 「先輩。お母さんと何を話してたんですか?」

 「あ、わかってたのか」

 「お母さんが先輩を目で呼んでましたので」


 そうか。やっぱり親子らしい。そう言う細かな合図でも分かる物なのだ。

 父親が酷い代わりに母親が凄く良い人なのは良く分かって少し安心した。


 「いいや、なんでもない。ただ、これからも白宮と仲良くしてくれって、それだけだ。ま、それもお前が決める事だ」

 「私は、先輩といる時間は嫌いじゃないので、まだまだこれからも一緒に居ます」

 「そっか。ありがとな白宮」


 いつもの様につい癖で頭を撫でる。だが、今の白宮は少し期限が悪いらしくなぜかぷくっと頬を膨らませる。


 「どうしたんだ?」

 「いえ、なんでもないです」

 「お前がその顔するときはなんでもない事なんて無いだろ?」

 「……呼んでくれないんですか?」

 「は?」


 呼ばない?なんのことだ?……まさかさっき由美子さんが言ってた花火大会の事か?あれ?でもどこでその情報を?

 

 「あ、えっと、呼ぶに決まってるだろ。もちろん柾も秋葉も呼んでみんなで……」

 「先輩がなんのこと言ってるのかは分からないですけど、そうじゃなくて……」


 少し不満そうな声で俯きがちに言う。


 「な、名前とか……」

 「名前?……あ」


 名前。その言葉で思い出した。そう言えばさっき由美子さんに言われて、さっきまで名前で呼んでいたんだ。

 

 「え?でも、それは、嫌だろ?」

 「べ、別に嫌じゃないです。少し、ほんの少しですけど、なんだか嬉しかったですし……」

 「う、嬉しかった?」

 「もうこれ以上言わせないでください!」


 そう言って俺の顔にクッションを投げつけて来る。

 まあ、確かに、柾も秋葉も名前呼びだったし、秋葉も白宮の事は名前で呼んでいた。いつも名字で呼ばれる白宮からすると少し新鮮だったのかもしれない。なら、別にいいか?本人の了承は貰ったしな。


 「え、じゃ、じゃあ……祈莉?」

 「は、はい……なんでまた疑問形なんですか?」

 「あ、いや、これは違くて」


 女の子を名前呼びするのなんてほとんど初めての事で少し動揺してしまう。

 秋葉はなんというか、名前で呼んでも平気だった。きっと柾が呼んでいたのと、秋葉の性格が関係あるのだろう。だから秋葉の時は特に何も思わなかったが今回は違う。文句なしの学校一の美少女で、その上普通に可愛いものが大好きな秋葉とは種類の違う女の子の中の女の子だ。もちろん秋葉をどうこう言うつもりは無いが、女の子らしさはこっちが断トツだろう。

 そして俺はそんな女の子に対してほとんど免疫が無かった身。話せないことはないが、基本人が苦手な俺なので、誰かを、しかも女の子を名前呼びするにはかなりの抵抗がある。


 「少し……気まずいと思ったんだよ」

 「きゅ、急に名前呼びはそうですね。でも、それは私も同じなのでおあいこです」

 

 全然おあいこじゃないんだが?言うのがどれだけ恥ずかしいのかこいつは分かっていないらしい。

 今度何か仕返ししてやろう。

 

 「と、それより。優しいんだな、白宮のお母さんは」

 「はい。お母さんは、私の一番大事な人なんです。本当はもっといろんなことをしてあげるべきなんでしょうけど、親不孝者ですね私は」

 「そうか?白宮と話してた時の由美子さんは凄い嬉しそうだったけどな」

 

 事実、あの人は最後まで白宮の事を考えていた。あの笑顔は親が最愛の子供に向ける親愛そのものだろう。きっと親不孝者だなんて何も思っていない。それよりも自分が白宮のために何も出来ていないと考えていたりしそうなものだ。


 「嬉しそう……そうですか。そうですね。お母さんはいつも私といる時は笑顔で賑やかなんです」

 「そうだろうな。羨ましいくらいだ」

 「羨ましいですか?」

 「あ、いや。なんでもない忘れてくれ」

 「ん?」


 つい本音が零れてしまった。こんな風に本音が零れるくらいには仲良くなった証なのかもしれないが、それでもこれはあまり話したくない。たとえ相手が柾でも秋葉でも、もちろん白宮でもだ。


 「まあ、聞いても楽しいものでもないしな」

 「なんですか先輩?」

 「いいや、なんでもない。うちの親は由美子さん並みに楽しい人ではないって言ったんだ」

 「そうですか。というか、先輩また呼び方!」

 「え?あ、ああ」


 呼び方を指摘されてまた自分が無意識のうちに白宮呼びしていたことに気づく。

 というか、今まで白宮と呼んでいたのを急に名前呼びをするのは少し難しい。

 (祈莉……なんか恥ずかしいし)


 「それより、い、祈莉」

 「はい、なんでしょうか?」

 「そ、そのだな」


 さっき由美子さんに言われた花火大会について切り出すことにした。どうやら祈莉も効いていなかったようなのでここらで切り出した方が良いだろう。


 「その、だな。今度花火大会があるんだが、一緒に行くか?」

 

 最近ではほとんど一緒に行動していたからかこういう初心に戻ったような気恥ずかしさは久しぶりに感じる。というか、その気恥ずかしさの8割はこの名前呼びが原因だろうが。


 「花火、ですか?」

 「あぁ。あ、いや、予定があるとかなら別に良いんだ。寧ろ急に誘ったことだし」

 「私で良いなら是非、行きましょう、花火!」

 「お、おう」


 結構食い気味にそう迫って来る祈莉。もしかして?


 「祈莉、花火大会とか初めてなのか?」

 「うぐっ。えっと、一人で行くのは少し心細くて、でも友達とかもいなかったですし、それに私が行くといろんな人が寄ってきてしまうので」

 「つまり言ったことが無いと?」

 「……」


 コクリと頷く祈莉。確かに祈莉が花火大会なんかに来ていようものなら学校の男子たちはこれ幸いにとアプローチをかける事だろう。それが煩わしい事この上ない祈莉にとっては、そんな場所にわざわざ行くメリットも無かったわけだ。


 「ま、ここからでも花火は見えるしな。というか眺め良いしな、ここ」


 なんと言ってもマンションの最上階なだけあってここから川まではとても眺めが良い。わざわざムシムシした外になんて出なくても普通にここからの方が快適に花火を満喫できる。本当ならその方が何倍も良いだろう。


 「そうですね。普通ならここで見た方が眺めも良いし、本当ならその方が良いですね。でも、先輩となら行ってみるのも良いかなとも思ったので」

 「そうか。ま、外にはいろんな屋台も出るしな。もちろん祈莉の料理には負けるだろうけど、それでも楽しむには十分だしな」

 

 寧ろ祈莉の作る料理並みのものが屋台で売っていたらそれこそおかしいだろう。何を食べるにも時と場所は考える必要があるのだ。

 

 「ま、俺はそれを言いに来ただけだから、そろそろ帰る」

 「そうですか」

 

 まず女の子の部屋に長居するのも少し気まずくなっていたところだ。目のやり場には一応そこまで困ったりはしない。流石祈莉なだけあって、しっかりと部屋は片付いている。それでも凝視するわけにもいかないのでそろそろ帰りたい。

 

 「今日は色々とすみませんでした。まさかお母さんが来るとは思ってなくて」

 「いや全然。寧ろ由美子さん、一緒に居ると結構楽しそうな人で良かったしな」

 「そう言ってもらえると嬉しいです」


 立ち上がって玄関へ行き、そこで靴に履き替える。

 今日は家に帰ったら自炊しなければいけない。少し残念ではあるがそれは仕方が無い。ここから祈莉と家まで帰るのも少しおかしい気がするし。ま、その理屈だと常におかしいのだが、それは言わないでおこう。


 「私も戻らなくていいんですか?」

 「ここから二人で戻るのもなんかおかしい気がするしな。また明日来てくれればいい。あ、もちろん祈莉が嫌じゃなければだけど」

 「はい。じゃあ、明日も朝から行きますね。今日はしっかり自分でご飯作ってくださいよ?コンビニで買って行ったりしないでくださいね?」

 「わ、分かってるよ。ま、飯作りながら柾に花火の事伝えておくから」

 「……え?」 

 「どうかしたか?」


 話していたら急に祈莉が硬直する。

 

 「そ、そうですよね。そんな先輩が……私が馬鹿だったんですね」

 「ど、どうしたんだ?」

 

 なんだか少し黒いオーラが見えたような気がしたのだが、次の瞬間にはそれも消えている。

 だが、その笑顔には微かにほの暗い光が宿っているように見えて、


 「いえ、私が少し勘違いをしていたんです。それではまた明日」

 「え、あ、また……」

 

 明日、と言おうとしたがそれを言う前に少し早めに扉がパタンと閉められる。

 (俺、なんか言ったか?)


 無意識に祈莉の何かを刺激したらしく、少し怒ってしまったらしい。

 

 一体何が気に入らなかったのか考えながら家に帰るが、俺にはそんなことが分かるはずもなく、蛙と柾に花火大会の話をする。


 ちなみに、さっきの祈莉の話ををしたところ、柾には「奏汰ってほんと……そこまで行くと治しようが無いか」なんて言われてしまった。


 はて?俺の一体何がそんなに悪いというのだろうか?


 (ていうかなんで誰も教えてくれなんだ?)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る