一 章

挿絵:

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 我が社の社員旅行、じゃなくてSOS団夏の強化合宿から帰ってきてからやっと仕事のペースが戻った八月。ゲームと業務支援ソフトの開発とメンテで寝る間もない開発部の連中に気を使ってのことか、俺たち取締役も夏休み返上で出社していた。お盆はどこも営業してないんだからせめて三日くらいは休みをくれと上訴してみたのだが、「社員旅行楽しかったわよねぇ」ニヤリ笑いをしながらのたまう社長にむなしく却下された。俺は合宿でCEOの権利を得たはずなのだが、ハルヒの言う次期ってのが四半期のことを言っているのか営業年度を言っているのか分からず、結局はまだまだ先の話だ。

 そういやこの会社に入ってまともな休みはなかった気がするが、それはハルヒが土日にやる突発的イベントのためで、そのほとんどは市内不思議探索パトロールなのだが、疲れ果てた体に鞭打むちうってまで駅前広場に集合させられるのは確実に俺の寿命を縮めてる気がする。なんでそんなに必死になって不思議を探しているのか、俺たちもう若くはないんだしスタッフの福祉も考えてくれよ。いや、まだ二十四歳の盛りだが。


 俺は定時になると長門と退社し、途中でスーパーに寄って買い物などをしつつ長門の部屋でメシを食って帰るという習慣めいたものが定着していた。長門のレパートリーはかなり増えたが、たまに俺の手料理もお粗末ながら披露したりもしている。

 食器を片付けて長門は本を開き、俺は静かにお茶をすすっているともう十一時を過ぎていて、いつものように時計を見ながら腰を上げた。

「そろそろ帰るわ。ごちそうさん、うまかった」

「……そう」

暖かく電球が灯る玄関で靴を履いていると長門が俺の携帯を持ってきてくれていた。分かってはいても、いつも忘れる。

 俺は少しだけ長門の肩を抱いて髪の匂いをかいだ。サラサラした感触が鼻の先をかすめた。

「……泊まって。……」

長門がぼそりと言った。もっとなにか言いたげな、でも躊躇ちゅうちょしているような、そんな表情だった。今日は泊まってと言った。いつもは泊まる?とか、ここで休む?なのだが、今日だけはなぜか違う。今日はなにか特別なことがあったろうか。

「いや、今日は帰るよ。また今度な」

「……」

そのときの長門の表情は、はるか昔のなにかを思い出させた。朝比奈さんと七夕の日にここへ押しかけてきたその帰り、高校一年の五月にここへ呼ばれてハルヒと情報統合思念体のことを教えられたその帰り、それから文芸部の入部届を白紙で突き返したとき。


 実に、寂しそうだった。


「な、なあ。よかったらそこまで送ってくれないか」

「……分かった」

 俺は確かに長門の部屋に泊まったことがない。夜中の十二時をまわっても、長門の部屋で二人きりで一夜を明かしたことはない。付き合ってそろそろ六年になるが、それくらい共有した時間のあるカップルなら互いの家に泊まったりはふつうよくあることだろう。エレベータの中でそれがなぜか考えたのだが言葉にならない。前にも似たようなシチュエーションはあった気がするのだが、いつだったか思い出せないでいる。

 公園が見えてきたので俺は街灯の下の、いつものベンチに向かった。

「ちょっと、座らないか」

「……」

「あのさ長門。泊まりたいのはやまやまなんだが、」

本当は泊まりたいと言いたいのではなく泊まれない言い訳をしようとしていたのだが、長門はそれをさえぎった。

「……あなたがわたしの部屋に泊まらない理由は、知っている」

「そうなのか。そういう話をしたことあったかな」

「……あなたは覚えていない」

ああ、俺の記憶にはない俺たちの歴史があるんだな。

「そのとき俺はなんて言ってたんだ?」

「……母親にもらった装飾品の話をしていた」

「装飾品?ネックレスとか?」

「……例え話」

よく分からんが、以前にも同じ話題があったらしい。

「なあ、最近エラーはよくあるのか」

「……ここ数年安定している。でも許容範囲を超えてピークに達することもある」

「ピークってどんなときにだ?」

「……あなたの背中を見ているとき」

帰ろうとする俺を玄関で見送るとき、光陽園駅で別れるときのことだ。俺が帰った後の長門はどんなことを考えてなにをしているんだろう。独りぽつねんと食器を洗い、部屋をかたづけているのだろうか。青白い蛍光灯の下で茶をすすり、ごそごそと冷たい寝室に入る。眠るときはいつも猫を呼んで抱いて寝ているのを俺は知っている。

 こいつは寂しいという言葉を使ったことがない。そのエラーはたぶん、そういう感情から生まれているんだと思う。俺は長門の肩を抱き寄せて手を握った。

「なあ、せっかく携帯があるんだからもっと会話に使おうぜ。同じ電話会社だからタダなんだし」

「……」

「別に用事がなくてもいい、声を聞きたいだけでもいいんだ」

「……分かった」

長門はポケットから携帯を取り出した。こいつとのメールのやりとりも待ち合わせやら仕事上の連絡事項がほとんどだ。もっとバカ話をしてもいいし、意味不明な宇宙論を話してくれてもいい。喧嘩けんかはしたくないが、そういうのもあって悪いもんじゃない。離れていても会話を重ねていけば近くにいるような気になれるというか、物理的な距離をそうやって精神的な距離で縮めていく、というか。

「……もしもし、長門有希」

「もしもし。俺だ」

「……」

目の前にいる相手になにを話せばいいの、と、首をかしげて俺を見ている。

「じゃあ、俺そろそろ行くわ。また明日お前の顔を見たい」

「……分かった。おやすみ」

「待て待て、まだ切るな。こうやって話しながら少しずつ離れていけば、」

俺は街灯の光で柔らかく影を作っている長門の顔を見ながらあとずさった。

「まだそこにいるような気分になるだろ」

「……」

長門には分からないか、この名残なごりという感覚。

『……体温が残っているのは分かる』

「ま、まあそれに近いもんだ」

俺は夜道を歩きながら、どうでもいいような話を続けた。バカップルがよく「今コンビニの前歩いてる~」とか「階段あがる~」などとやっているのを見かけるが、まさか自分が同じまねをするとは思いもしなかった。

「俺が帰った後はなにしてんだ?」

『……食器を片付けている』

「ほかには?」

『……ミミのエサを補充』

「それから?」

『……布団を敷いて寝る』

やっぱりそれだけか。

「じゃあ寝る前に電話をくれ。少し話をしてから二人で眠ろう」

『……分かった』

俺が飽きたり忘れたりしなければ続けられるはず。

『……着信が入った』

「電話か、じゃあ終わったらかけなおしてくれるか」

こんな夜中に電話なんて誰だろう。大学院の知り合いか、いやいやハルヒ以外には考えられない。

 五分くらいして長門からかかってきた。

「おう、済んだか」

『……終わった』

「当ててやろうか、今のハルヒだろ」

『……そう』

「こんな夜中に何だって?」

『……とりとめもない、女同士の与太話よたばなし

長門が女同士の与太話よたばなしって言ったか今。

「それ、ハルヒにそう言えって言われたのか」

『……そう』

「で、なんの話だったんだ?」

『……それは、内緒』

なんだか陰謀くさいものを感じるのは気のせいか。

「じゃあ、ハルヒには内緒でその内緒話を教えてくれ」

『……それは、契約に違反する』

哀しいことに最近の長門は簡単には騙されてくれない。

「すごく気になるんだよなあ。眠れなくなる」

『……あなたのこと』

「俺の噂してたのか」まあ女同士ってのはそういうもんだろう。

『……あなたをわたしの部屋に引き止められたかどうか』

な、なに。今日のあのなんともいえない寂しそうな表情はもしかしてハルヒの仕込みだったのか。

『……涼宮ハルヒとはたまにそういう話をする。あなたには言えないような、話』

「で、なんて答えたんだ」

『……玉砕ぎょくさいした、と』

こりゃハルヒに一度、俺と長門の恋愛について釘をさしておく必要があるな。俺たちはふつうの男と女がやるような付き合い方はしないんだと言って聞かせないといかん。また長門にヘンなことを吹き込まれてはかなわんからな。

 しかし俺のことがハルヒに筒抜けだったとは、弱みを握られてるも同然じゃないか。まあ長門もほかに相談する相手もいないだろうし、しょうがないといえばしょうがないことなんだが。

「いいか、あんまりハルヒの言うことを真に受けるなよ。あいつは俺たちをラブロマンス映画のキャストかなんかだと思ってんだからな」

『……それはそれで、楽しい』

いかん、完全に毒されてるな。

「それで、ほかにはなんて?」

『……涼宮ハルヒと古泉一樹の状況について』

キター!!ハルヒと古泉の生々しいスキャンダル。あいつらあれからどうなってるのか俺も知りたかったのだが、古泉が貝のように口を閉ざしてひと言も言わないんで気になっていたところだ。

「それは面白そうだ。俺にもぜひ聞かせてくれ」

『……だめ』

「教えてくれよ。きっと赤裸々せきららな話が展開されているに違いない。あいつらいきなりやっ、ゲフンゲブンしちまうくらいだからな」

『……泊まったら、話す』

むぅ、巧妙な根回しに出やがったな。俺がうーむと唸っていると、

『……今のは、冗談』

長門、お前の冗談はいつもきわどいんだから、せめて予告くらいしてくれよ。

 それからなんとかハルヒと古泉の私生活を聞き出そうとしたのだが、頑として教えてくれなかった。ということは俺たちのこともそれなりに秘密は守られているってことだよな。秘密ってのがあるのかどうか分からんが。

「家に着いた」

『……おつかれ』

「シャミが足にまとわりついてる。運動不足で丸々太った」

『……そう。耳の後ろをなでて』

俺は歳をとってそろそろ毛並みのツヤがなくなってきたシャミセンの、耳の後ろをかいてやった。

「おいシャミ、この電話の向こうにいるのは長門だ、分かるか」

猫相手になにやってんだろうね俺、と恥じ入っているとスピーカーから猫の鳴き声がしてきた。それって江戸屋猫八バリの声帯模写ですか。しかもサカってる猫の声だし。

「風呂に入るから、一旦切るわ」

『……分かった』


 にしてもハルヒのやつ、味なまねをする。俺がこういう恋愛に慣れていなくて、たぶん長門も戸惑うことが多くて、誰に相談するともいかないようなボタンの掛け違いを、見かねたハルヒが間に入って俺たちをなごませているのだ。

 俺と長門の付き合い方についてあいつが正面から意見することはない。俺が反発するのが分かっているからな。長門を焚きつけて妙な行動をとらせることはたまにあるが、あれがハルヒ流の恋愛なのだ。ジョンスミスをみすみす逃してしまい(シャレじゃないぞ)、十年も探した挙句がすぐそばにいたという灯台下暗し的運命の出会いが、ハルヒをそうさせているのかもしれない。あいつの奇矯ききょうぶりは恋愛観にまで達してしまっている。中学生の頃は男をとっかえひっかえだったらしいしな。まあその要因を作ったのは俺なのだが。

 俺が中学生のハルヒの恋愛観を作り、ひたすらジョンスミスだけを待ちつづける人生を過ごさせてしまったのだが、当の本人である俺が長門と付き合うきっかけを作ったのは、何の因果であろうハルヒ自身なのだ。


 ぬるい湯船に浸かってまったりとそんなことを考えていると深夜零時を過ぎていた。俺は慌てて長門に電話をかけた。

『……ジュル。もしもし、こちら情報統合思念体主流派』

長門、寝ぼけてるんだよな。


 みんなが寝静まった頃、足音を忍ばせてキッチンに入ると冷蔵庫に俺宛の手紙が貼り付けてあった。往復ハガキだった。高校のときのクラス会をやるので出席と欠席のどっちかに丸をつけて返信を出せということだった。

「同窓会って、今頃やんのか?」

まあ世間的には夏休みで、みんな働いていて忙しい身の上なら時間を作って会うには今時分が適当か。中央やらよその地方やらに出ていったやつも帰ってくることだし。

 差出人を見ると阪中になっていた。あいつももういい歳だよなあ。って俺もだろ、などと独り突っ込み的感慨にふけっているとおかしなことに気がついた。阪中が俺にハガキをよこすはずがない。俺が改変した歴史だと五組にいたのは古泉で、俺は隣の六組にいたはずなのだ。もしかして学年合同でやるのかと裏書を読み返してみたが、ちゃんとクラス会と書いてあり頭の周りでクエスチョンマークが渦巻いた。

 不思議に思って古泉の携帯にかけた。

「古泉、遅くにスマン。今いいか」

『少々お待ちを』

数秒して『どうぞ』と返ってきたのだが、後ろでハルヒの甘えた声らしきものが聞こえていたのは気のせいってことにしとこう。

「阪中から俺宛に同窓会の案内状が来てたんだが、」

『ええ、高校のときのクラス会ですね。僕のところにも来てますよ』

「改変した歴史の俺って一年六組の生徒だったよな。なんで俺に来てるんだろう」

『はて、なぜでしょう。あの後、朝比奈さんの組織がフォローにまわったと言ってましたよね』

ちょっと困ったことになった。つまり俺の改変した歴史と、改変前の俺自身の記憶と、それから朝比奈さん達がフォローした歴史が存在することになる。いったいどれが正しい歴史なのか、ちょっとどころか俺とクラスメイトの記憶が一致しなくて会話が成立しない事態になりかねん。

『僕も自分の歴史がどうなっているか気になるので、機関のデータベースを調べてから折り返しお電話します』

「すまんが頼む」

つまり当事者の俺も三パターンの歴史を覚えてないといけないってことだな。ややこしくて頭痛に襲われそうだ。あのとき朝比奈さんが怒髪天どはつてんを突く勢いで怒った理由が今さらながらに身に染みて分かった。

 五分後、携帯が鳴った。

『どうも古泉です。お待たせしました』

「どうだった」

『あなたの周辺はかなりカオスな状態になっていますね』

「カオスって具体的にどうなってるんだ」

『改変前は涼宮さんの周辺で起こった出来事のうち、大部分はあなた自身がトリガになっていまして、それを修復するために朝比奈さんたちが無理やりあなたを動かしているようです』

「お前が肩代わりできなかったのか」

『もちろん僕自身も駆り出されているようです。ですが、フォローするにもやはり限界があったのでしょう。たとえば涼宮さんと口論するイベントなどは、僕というキャラクタには無理ですからね』

ハルヒを怒らせる役回りは俺にしかできないってことか、なんだかこの問題はこの先もずっとついてまわりそうな悪い予感がするぞ。

『日誌には修復の痕跡こんせきが見え隠れしていまして、かなり苦労したようです。ある部分はどうしようもなくてツギハギ状態のようなありさまで』

「つまり俺の周りだけ歴史がですぎたスパゲティ状態なのか」

『簡単に言えばそういうことです』

電話の向こうで古泉のニヤニヤが見えるようだ。

「それは今後朝比奈さんと相談しつつなんとかしよう。話は戻るが、俺は長門と同じ六組のはずだよな」

『記録によると、四人とも二年になってから五組になっていますね。涼宮さんとあなたが別のクラスだと発生しないイベントがあったのでしょうか』

イベントイベントってギャルゲのフラグっぽいんだが、全員が同じ部屋に押し込められたのか。なんだかもう、未来人もデタラメだなあ。

「俺に関する当時の資料をもらえないか。自分の記憶と一致させねばならん」

『あいにくとすべて機密扱いなので簡単には持ち出せないのですが』

「お前の力でなんとかならないか。歴史改変の事情は幹部も知ってるだろう」

『なんとか取り計らってみましょう。改変のおかげで機関内での僕の地位も上がってますし』

「昇進したのか」

『戻ってきたらシニアチーフになっていました』

チーフにシニアがついたのがどれくらいの待遇向上なのかは分からんが、きっとボーナスがいいんだろうね。

『それはいいとして、あの頃に収集された情報は相当な量になりますが』

「できれば概要だけ頼みたいんだが」

つまり俺が改変した歴史がどうなったかかいつまんで教えろ、と俺は言っているのだ。自分で言っててなんて勝手なやつだとは思うのだが。

『かしこまりました。明日の朝一までにそろえておきます』

いつもながら、古泉のこういう手配力には頭が下がる。また借りができたな。

「すまんな」

『いえいえ、これくらいお安い御用です』


 次の日、職場で受け取った書類の量はまじにハンパではなかった。古泉は三百ページはありそうなA4用紙の束をドンと机の上に置いた。

「十一年前の七月七日から、あなたに関する情報を抜粋したものです。これでも全体の十パーセント程度に減らしてあります」

古泉はこれ見よがしに前髪をさらりと跳ね上げ、オレっちはこれが仕事じゃけんのうと鼻を鳴らしそうな勢いだった。まあ俺が頼んだことなんで、突っ込むわけにもいかん。腹立たしいことだ。

 全ページにCONFIDENCIALと赤くスタンプが押してある。ページをめくると、まずこの資料をまとめた人間の俺に対する所感しょかんが書かれていた。モラトリアム、自主性に欠ける、行き当たりばったりで人生の目的が不明瞭ふめいりょうなどとかなり辛口だったが、俺が古泉に電話したのが昨日の零時くらいだから、きっと徹夜仕事でイライラだったんだろうなあと同情しそうなくらいに気持ちが文面に漏れていた。それから目次、続いて十一年前からの月次レポートと年次レポートで俺の行動が事細かに書かれていた。といっても概要だけらしいのだが、自叙伝じじょでんでもここまで詳しくは書けないぞ。

「いかがですか、自分の観察記録を読んだご感想は」

「まだ読んでる途中だ。なんというか、俺が一冊の本になってるな」

機関の設立はあの七夕の日から数週間後らしい。まあハルヒに超能力を与えられて即日組織化されるってのも急すぎて人間技じゃないからな。七夕事件のことは機関の運営が軌道に乗ってからさかのぼって調査したことらしい。つまり人づてに聞いたことをまとめたのか。


 あんなこともあったこんなこともあったと、第三者視点の我が人生の記録をしみじみと読んでいる俺だった。他人の目にはこんなふうに映ってたんだななどと相槌あいづちを打ったり、かたや、あのときは違うんだよ俺のせいじゃないんだってばというようないい訳じみた独り言をブツブツと吐いていた。

 俺の記憶とは部分的に違う二年五組の様子を読んでいるところで携帯がブルブルと震えた。知らない番号からだった。

「はい、もしもし」

『阪中だけど、キョンくん?』

かなりドキリとした。同級生に会うのにこれから丁寧にアリバイを用意しようと考えていた矢先に突然電話がかかってきちまったんだもんな。

「お、おう。阪中か。久しぶりだな」

『ほんとにお久しぶりなのね。ハガキ届いたかしら?』

「来た来た。たぶん出席できそうだ」

『そう、よかった。折り入ってお願いがあるのね』

「いいけど、なんだ?」まさか俺に司会をやれとか言うんじゃあるまいな。

『涼宮さんと同じ職場にいるって聞いたんだけど』

「そうだが。同じというかあいつが社長でな」

『そうそう、聞いてるわ。涼宮さんを同窓会に連れてきて欲しいのね』

「自分で頼めばいいだろう」

『それがね、毎年誘ってるんだけどいつも断られるのよ。同窓会が嫌いみたいなのね』

まあ、前進あるのみで過去にはこだわりたくないっていうハルヒの考え方は分からんでもないが。

「阪中が頼んでだめなら、俺が頼んでも無理だと思うが」

『そこをなんとかお願い。あなたなら涼宮さんを動かせるんじゃないかって』

またそれか。ハルヒのお守り役は古泉に譲ったはずなんだが、そのへんは修復で元に戻っちまったんだろうか。

「そういう話は古泉のほうがいいと思うぞ。なんせカレシだしな」

『頼んではみたんだけど、自分じゃ無理みたいだからキョンくんに頼んでくれって』

なんだあいつ、自分が説得できないからって俺に鉢をよこしたのかよ。

「しかしなあ、ハルヒが嫌がってるんだったらテコでもクレーンでも動かんと思うが」

『みんな涼宮さんの話を聞きたいのよ。あたし達の間で社長にまでなったのは涼宮さんだけなのね。出世頭しゅっせがしらっていうのかしら』

出世頭しゅっせがしらか、その言葉は俺にもグッと来た。高校大学と奇矯ききょうなまねばかりしていたハルヒだが、見るやつが見ればなにかでかいことをやるやつだという予感めいたものがあったに違いない。そこで二十四歳にしてこの社長椅子に座ってるとなりゃ、堅物かたぶつの岡部でさえグッジョブを出すに決まってるさ。

「分かった。俺がなんとかする」

『ほんとう?ありがとう。じゃあ四人とも参加にしとくわね』

四人って?と問い返そうとしたのだが、じゃあよろしくね!と勢いよく切られてしまった。俺達全員が同じクラスってことは古泉と長門のことも頼んだってことなのか。やれやれ。


「なんであたしが高校のクラス会なんかに出なくちゃいけないのよ」

「無理に行けとは言わんが、お前の代わりに出席の返事をしちまったからなあ。お前が行かないと古泉も行かないだろうから、俺が会費を払わされることになる」

「あんたが勝手に返事をするのが悪いんでしょ。あたしの知ったこっちゃないわよ」

「毎年やってんだからたまには顔を出せよ。お前がいないとメンツが締まらない」

「あたしは同窓会と名のつく集まりは嫌いなの」

「なんでだ?昔遊んだよしみじゃないか」

「イヤよ。年取って小じわが現れたのをお互いに数えあうなんて。昔の顔と比べて使用前使用後みたいな集まりは」

同窓会は別に化粧品の実演販売じゃないんだが、うまいこと言うな。

「メンツの中で社長やってるのはお前だけなんだよな。なんつーか、みんな聞きたいわけだよ。お前のサクセスストーリーを」

「社長なんてその気になりゃ誰でもなれるわよ。とにかくあたしをネタにして酒を飲もうなんてお断りよ」

やっぱりというか思ったとおりの反応というか、幹事をやっている阪中に拝み倒されて事後承諾みたいにしてOKを出した俺がバカだった。今は反省している。

「まあそこまでイヤだっていうんならしょうがない。俺が自腹でお前達二人分の会費を払うしかないな。せっかく古泉をお披露目ひろめできるチャンスだったんだが……」

最後のはボソボソともったいつけて言った。

「お披露目ひろめってなによ」

「知らないのか、八年も付き合いのある同級生を彼氏に持ってるってのは希少なんだよ。あいつらはそういう話をうらやましがるのさ。幼馴染おさななじみの彼氏に近いかもな」

「そ、そうかしら」

ハルヒがポッと顔を染めた。ふっ、釣れたな。だがまだ引き上げないぞ。

「いやいいんだ、気にするな。俺もあんまり同窓会って集まりは行きたくないしな。気持ちは分かる」

「あんたが払えないんだったら行ってあげてもいいわ」

「忙しいんだろ、無理すんな。会費くらいなんとか払える」

「いいの、あんたの寒いふところ具合を凍らせたら有希がかわいそうだから」

「今月は余裕あるから大丈夫だ」

「あたしも行くつってんでしょうが!」

くっくっく。とうとう切れやがった。

 とは言うものの、古泉はあまり乗り気ではないようで、仕事にかこつけて後から顔を出しますとごまかしていた。この古泉の記憶にはないクラスメイトの、しかも彼氏を見せびらかすだけの同窓会になんて喜んでついていくわけがない。


 飽きもせず毎年やっているだけあって集まるメンバーにそんなに違いはないんだが、来るやつは毎年来るし来ないやつは招待のはがきを出そうが電話をかけようが絶対に来ない。よっぽど学生時代にいやな思い出でもあったんだろうか。かつての担任岡部は呼ばれればまめに顔を出しているようだが、今年は来ていないようだった。

「やあキョン、来てたんだね」

「キョンよお、お前あいかわらず涼宮とつるんでるんだって?」

国木田と谷口がコップを握ってにじり寄ってきた。なんで知ってるんだこいつ。こいつらの記憶と俺の記憶がどこまで一致しているか果たして疑問だが、適当に話を合わせておこう。

「あの頃のクラスメイトが集まって昔話に花が咲くといや、必ず一度は涼宮の話になるもんさ」

「あいつとは腐れ縁だしな。俺もそういう星の下に生まれたんだとそろそろあきらめの境地だ。俺だけじゃない、四人ともだ」

「キョン、涼宮さんと会社作ったんだって?」

「ああ。なにがしたいのかよく分からん会社だがな」

「いいよなあお前ら。俺も雇ってくんねえかな」

お前が宇宙人未来人超能力者のどれかに属するなら考えてやらんこともないが、それよりお前にハルヒのお守りが勤まるとは思えんので却下だ。

「長門有希とはまだ付き合ってるのか?」

谷口は、別れたならぜひ自分がカレシ候補にとでもいいたげな目をして、ヒシと俺に問いかける。

「ああ。ハルヒと一緒にいるはずだが」

俺は遠目に、いい歳になった女どもに囲まれているハルヒのほうを指差した。歳をとってハルヒも多少なり角が取れ、あの頃話もしなかったクラスメイトともちゃんと会話しているようだ。

 谷口は目を細めて長門を探していた。

「おーおー、長門だ。ほかの女どもがすでに下り坂ってえのに、あいつはぜんぜん変わらんな」

なんだその黄色い道路標識みたいな下り坂ってのは。女子連に聞かれたら締め上げられるぞ。

「長門さん、きれいになったねえ」

「ほう、国木田には分かるのか」

「そりゃ分かるよ。女の人は恋をするときれいになるんだ」

意外に見る目あるんだなこいつは。国木田の左手薬指にはもう指輪がはまっていた。こいつは結婚が早かったと聞く。

「お前らあんまりジロジロ見るな。女は長門だけじゃないだろ」

「見たって減るもんじゃねえだろ。男なら誰だって六年経ったアレがどんな姿になってるか、気になるだろうがよ」

気持ちは分からんでもないがアレ呼ばわりはないだろ。

「にしても、まさかお前がトリプルAの長門有希と」

「Aマイナーじゃなかったのかよ」

「俺のランキングは市場連動型なんだよ」

「なんだそりゃ」

「朝倉みたいな清純派はあの時代にはハイクラスだったが、今は萌えだ、萌えの時代なんだ」

こいつもまたハルヒみたいなことを言い始めたぞ。

「なるほどな。お前あの頃は朝倉が好きだったもんな」

谷口がポッと顔を赤らめた。


── 俺の記憶によればだが、高校三年のとき俺と長門が付き合いはじめたことが谷口の耳に入るのは朝のラッシュアワーをすっ飛ばして行く原付よりも早かった。こいつには一度長門と抱き合っているところを見られた経緯もあって、二人の仲はずっと疑われていたらしい。あのとき谷口は俺のネクタイをハルヒ張りにひっつかんで締め上げた。

「キョン、お前長門と付き合い始めたってほんとか!」

「く、苦しい離せ。ハルヒに告げ口したのはお前だろ。おかげでとんでもない目にあったぞ」

「キョンが人気のない教室で抱き合ったりするから噂が立つんじゃねえか」

「いやあれは抱き合ってたんじゃなくて長門が具合悪そうだったから支えてやってたわけでだな」

「この期に及んでそんな言い訳が通用するか、よっ」

ふざけているのかまじめなのか分からん谷口に腕卍固うでまんじがだめを決められてマイッタを何度も叩いている俺だった。

「で、長門有希のどこに惚れたんだ?」

どこと申されましても、俺と長門の関係が曖昧すぎてハルヒが付き合うのか付き合わないのかはっきりしろと怒ってそれで強制的に団公認みたいな流れになっちまったんだが、なんてことを言ったら谷口は切れるだろうな。俺はただひと言、

「萌えた」

このセリフが予想以上に谷口にショックを与えたようで、やおら涙目になって、

「末永くお幸せにっ」

ごゆっくり、のときと同じシチュエーションでダダダッと駆け出して教室のドアをガラガラピシャっと閉めて出て行った。いったい何があったんだとシーンと静まり返った教室内に谷口の賭けていく足音だけが遠く遠く国境を越えてカナダにまで行ってしまいそうな勢いで聞こえていた。


 今じゃなつかしい、恥ずかしい話だ。こいつの歴史と一致するのかどうかは知らんが。

「谷口は長門にも惚れてたのか」

「おうよ、キョンが長門と付き合いだしたって聞いてそりゃもう逆上もんだったしな」

どうやら一致してるらしい。

「お前らは知らないだろうけどな、俺あのときマジ泣きしたんだぜ」

いや、知ってたから。みんなの前で十分涙流してたから。ついでに言うと翌日から下級生を手当たり次第ナンパしてたのも知ってる。欲をかいて新卒の研修生にまで声をかけてひっぱたかれたのも知ってる。さらに近所の中学生に、

「分かった、分かったからもういいって」

「あははは、あのとき谷口が生徒指導室に呼ばれたのはそれでだったんだね」

「頼むから思い出させないでくれ。酔いが覚めちまう」

「お前は女のことになると見境がないからな」

「あれは俺なりの治療薬なんだよ。女で受けた傷は女でいやせ、って昔からいうだろ」

それは寝取られたときとかに使うセリフだ。お前が勝手に空回りして傷ついてるだけじゃないのか。

 谷口がぼそりと言った。

「あーあ、朝倉に会いてえぜ。今ごろどうしてんだろな」

今からでもカナダに行っちまえよ、などというと本当に行ってしまいかねんやつなので言わなかったが。


 二次会が終って三次会のカラオケに付き合い、ほろ酔いの頭でそろそろハルヒと長門を連れて帰らなきゃなと見回してみたがすでに姿はなかった。そういえば一次会の終わりごろ古泉がちょこっとだけ顔を出して一緒に帰っちまったな。やっぱりあの三人がクラスにふつうに溶け込むにはキャラが立ちすぎてたか。

 その後の記憶は曖昧なのだが、ただ谷口が俺に向かって言ったことだけはかすかに覚えていた。

「キョン、ちゃんと呼べよ?」

谷口がなんのことを言っているのか、酔った頭で数秒考え、

「おい、何のことだ?」

もう一度谷口を見たがタクシーはすでに走り去っていた。


 それからどうやって家に帰ったのか、一切記憶がない。

 目が覚めたのはたぶん夜中だったと思う。俺のベットで隣に誰かが寝ていた。部屋は暗く、物音はなく静かだ。顔を横に向けてみると、見慣れた顔がそこにあった。長門がうつ伏せで眠っていた。肘を曲げ、口元に軽く握った手を置いていた。耳を澄ますとスゥスゥという寝息が小さく聞こえる。

 ああ、俺は夢を見ているんだなと思った。昨日は飲みすぎたからな。こういう夢なら大歓迎だ。ハルヒと夜の校庭を走り回ったりするんでなければな。

 俺は長門の顔をじっと見ていた。すやすやと、吐息に合わせて髪が揺れる。いい夢だ。

 …………。おかしい。この夢、いっこうに覚める気配がない。不思議に思って右のほっぺたをつねってみたが現実に近い痛さだ。左のほっぺたをつねってやっと理解した。ベットだと思っていたのは実は敷き布団で、自分の部屋にしちゃ三十センチくらい天井が高いなと感じていたのは、実は長門の部屋の天井だったのだ。俺はガバと飛び起きた。

「な、なんで俺がここにいるんだ!?」

声は出さなかったが、心の中で叫んだ。

 ええっと、昨日なにがあったんだっけ。確か同窓会でだいぶ飲みすぎて、あ、誰かに抱えられて歩いたな。記憶の中で、ふらふらと歩いている自分の映像のあちこちに長門の顔があった。自宅に戻るつもりがここに押しかけちまったのか。しかも酔っ払ったまま。しまった、長門に嫌なところを見せちまったな。まさか長門を襲ったりしてないだろうな俺。……記憶がぜんぜんない、冷や汗もんだ。

 俺は布団から抜け出た。そこは和室だった。朝になって長門になんて説明しよう。音を立てないようにそっとトイレに行ってシンクで顔を洗った。顔がやたらベタついていた。ザブザブと洗ってふと顔を上げると、鏡の中の俺はひどい顔をしていた。髪はぼさぼさ、顔色は悪く目の下にクマができていた。

 あれ、俺、長門のパジャマを着てる。と思ったがボタン穴が左で男用だった。そういや長門は同じのを着てたな、ということはおそろいのパジャマか。俺は想像した。酔ってヘロヘロになった俺が長門の部屋のドアをガンガンと叩いて起こす。長門はしょうがなく俺を中に引き入れて水を飲ませる。俺はそのまま倒れこんで眠ってしまい、長門がパジャマに着替えさせる。頭を抱えたくなるようなシーンだった。

 それにしても……前にも見た気がするがいつ買ったんだこのパジャマ。俺はハッとした。長門がこれと同じ緑色のパジャマを着ているのを最初に見たのはいつだっただろうか。昔、あいつが熱かなんかで寝込んだときだったような気がする。ありゃまだ俺たちが高校二年くらいのときだ。あのときすでにこのパジャマがここにあったんだとすれば、長門は俺が泊まることを予測していたわけだ。

 俺は鏡の前に立ててあった新品の歯ブラシを取った。硬めのブラシしか使わない俺用だった。コップとその横に二日酔いの薬が置いてある。

「長門……」

はみがき粉も俺が自宅で使っているのと同じやつだった。

 歯ブラシをくわえ、口を泡だらけにしてこっちを見ている男が鏡に映っていた。そいつが言った。


── ここが、お前の帰る場所なんだよ。


その意味はなんだ?俺はがしがしと歯を磨きながら複雑な表情をした。男がまた言った。


── もう、自分の居場所を決めてもいい頃だろ?


「黙ってろ」俺はタオルで鏡をはたいた。電気を消すと鏡の中の男がニヤリと笑った、ような気がした。


 暗いリビングに戻ると、俺のスーツとシャツがきちんとハンガーにかけてあった。テーブルの上に乗っていた携帯を開くと午前二時半だった。メールも着信もない。ふと、発信履歴を見てみると夜中の一時ごろに長門にかけている。うわ、まったく覚えてないぞ。なに話したんだ俺。長門を怒らせるようなことを言ったんじゃあるまいな。情報連結解除されたらどうしよう、このまま逃げ出して自宅に帰ろうかなどと古泉と同じ穴の二の舞をやっているような気分になった。

 和室をのぞくと俺が抜け出したままの布団に長門が眠っていた。俺は足音を立てないようにそろそろと布団に近づいた。

 カーテンのない窓から、月の光が差し込んで長門の顔を柔らかく照らしていた。シンと静まり返った部屋の中で、長門の吐息だけが小さく波を打っていた。

 俺は長門の隣で横になってその寝顔を見ていた。布団の上に青白く冷たい光が長門の顔の形に影を作っている。寝顔を間近で見るのはあまりなかったと思うが、覚えている限りではたぶん二度目くらいだろう。じっと見つめていると、スヤスヤと寝息を立てる長門の半開きになった柔らかそうな唇に引き寄せられそうになったが、起こしてはまずいと思い自分を抑えた。


 こいつに会ってそろそろ八年だな。もっとも、長門からすると十一年くらいか。いや、終わらない夏休みとかタイムトラベルとか歴史のループを合わせるといったいどれくらいになるのか見当もつかん。なんて感慨にふけっている俺だが、この数年間は実にあっという間だった気がする。会ってからずっと、俺も長門もハルヒという台風の目に振り回されっぱなしだった。困ったときはいつでもこいつを頼った俺だった。こいつのために俺がなにかしてやったことがあったっけ。思い出せない。せめてそばにいてやることくらいはしてやりたい。そう、ここ、長門の隣。ここがたぶん俺の……。鏡のあいつ、なんて言ったっけ。

 そんなことを考えているうちにまた眠りに落ちた。長門のかわいい寝顔がいつまでも目蓋まぶたの裏に焼きついていた。今度はいい夢を見れそうだった。

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