File 65: The Day Monster was born

「俺に銃を抜かせるとは、大した成長だな」


 数日後。ヒバナは木島サスケと訓練場で再び相まみえた。少し強くなったからといって木島に勝てるわけもなく、相変わらず攻撃はいなされてばかりだったが、その手応えは確実に異なった。

 そして、変身を保っていられる制限時間ギリギリで、木島に銃を抜かせることに成功する。


「やっとの思いで、ですがね」


 ヒバナはやや苦し気な表情で変身を解いた。あと数秒続ければ、忽ち鼻血を出して卒倒してしまうだろう。つまり、成長したとはいえこの組手は実質的な敗北。やはり目の前の男は化け物であると再認識する一方で、到底掴むことができるとは思えなかった服の裾をやっと掴めたような、ある程度の光明を見いだせていた。


「いや、謙遜しなくていい。俺にここまでやらせるのは、CPAにも片手の指の数ほどもいねえ」

「そうですか」

「ああ。どうやら俺の見立ては間違っていなかったようだ。その目、以前のようなぬるま湯で呆けた感じとは違う。切り捨てる覚悟を持った目だ」


 自覚は無かったが、おそらくそうなのだろうなと思う。内容が内容なだけに、素直に喜べるものでもなかったが。ヒバナは真剣な表情を崩さないまま、答える。


「……たぶん、理解したんだと思います。強さってなんなのか。頭じゃなく、心で」


 強さというのは全ての願望をクリーンに叶えるような、万能なものではない。突き詰めれば何かを切り捨て、何かを選択する恣意性に他ならないのだ。

 そのことを悟ったヒバナの目は、すでに綺麗な理想論を並び立てる青年とは違った。濁ったとも言えるし、強くなったとも言える。ともすれば、やや常人の枠からも外れつつあった。


「……世界ってのは、残酷だよな」


 木島はどこか懐かしいものを眺めるように言う。その言葉は、今のヒバナにとっては何ら新鮮味のない再認識でしかなかった。



 そんな二人のやり取りを上から眺める人影。厚いガラスで守られた観戦室では、キッカと如月が肌に突き刺さるような静寂を保っていた。長い沈黙を破ったのはキッカ。彼女は諫めるような口調で、


「黒田捜査官を殺したのは貴女ですか」


 と問い尋ねる。如月は口の端に浮かべた柔らかい笑みを崩さぬまま応答し、


「さあ、死因は未だ出ていないんでしょう」

「とぼけないでください。あれは完全に爆殺された死体だった。どうしてそんな簡単に……」


 捜査官を手にかけるのもヘッドの仕事のひとつとはいえ、実態は簡単なものではない。超能力者を殺せなくなった捜査官を廃棄するのだって、余程のことが無い限り、何カ月も議論を重ねてやっと実行に移す。

 だが、今回のエルの爆殺はあまりに急すぎるように思えた。あのような所謂「人間爆弾」のような殺し方は前代未聞だ。人としての尊厳など、微塵も無い。


「あの、ひとつ訊きたいんだけど。もし百歩譲って私が彼女を殺したとして、それの何が問題なの?」

「わ、分からないのですか……」

「ええ、ちっとも分からない。だって、ああするしかなかったでしょう。じゃなかったら、カズとモグリ両方に逃げられ、捜査官を人質に取られた状況になる。それに捜査官が彼らの要求通りここの場所を喋ってしまったら、どうなるか分かったものじゃない。それとも、なに? 他に優れた打開策があったとでも?」


 キッカは反論できず、口を噤む。


「最終的には彼もやる気になったみたいだし、尊い犠牲ひとつで全てが丸く収まった。これ以上にない結果だと思わない?」


 ヒバナが戦うのをそぞろに眺めながら、如月は冷たく言い放つ。

 それに対し、キッカは何も言えなかった。説得しても無駄だと思うと同時に、その心は大きく揺れた。たしかに、あの状況ではやむを得ない。大事にするほど、彼女の選択は気が狂っているだろうか。一瞬でもそういう思いがチラつくくらいには、キッカの思考はCPAの持つ空気感に毒されていた。


 だから、如月との会話はここで終わる。捜査官としての偉大な先輩に一礼し、観戦室を後にした。キッカはヒバナを迎えに行く道中で、歩きながら考える。


(違う……こんなのは……本当に正義なのか?)


 今まで、数え切れない数の超能力者を殺してきた。それは罪の無い多くの人々の命を突然変異の脅威から守るためだ。だが、そうやって殺し続けた先に、一体何がある? 積み上げられた屍の数は突然変異で失われうるものと、さして変わらないのではないだろうか。


(いや、考えすぎるのは毒だ。思い出せ。あの日、右手だけになった父の姿を。それを見た当時の気持ちを)


 あの時の映像は今でも瞼の裏に鮮明に焼き付いている。腸が煮えくり返るような、激しい憎悪。そして、何かを変えなければいけないという強い使命感。思い出すとそういった感情がフラッシュバックし、少しだけ心象が軽くなった。


(私たちは鬼だ。だが、鬼でも構わない。何かを変えるためなら……だから、こんなのは今更だろう)


 手段や方法は選んでいられない。勿論、捜査官は大切にするべきだと思うが、それはあくまで駒としてだ。人としてではない。

 非情になれ。冷徹になれ。正義のために、人間性を捨てろ。キッカは自分に、繰り返しそう言い聞かせる。


 そうしているうちに、訓練場から出てきたヒバナと出くわした。


「調子はどうだ、武本捜査官」

「悪くないですね。今は少し休みたいですが」


 他愛のない会話を交わしながらも、その心中は探り合いだった。いつエルという地雷に踏み込むのか。お互いピリピリしつつ、言葉を紡ぐ。

 次第にヒバナは暗い表情を見せ、


「……エルさんの死因って、もう判明したんですか」

「……いや、まだだ」

「そうですか」

「どうした。いやに冷静だな」

「喚いてどうにかなるのなら喚くかもしれませんが……。それに、この濁し方はもう答えを言っているようなものですし」


 つまり、CPAがエルを殺したと。彼の中ではすでに答えが出きっているようだった。


「それなら余計に冷静でいられることが不可解だ。もっと突っかかるだろう、普通」

「ヘッドの貴女がそれを言ったらおしまいじゃないですか」


 ヒバナはそう苦笑し、


「ただ、納得しているだけです。あれは仕方がなかったことだ、と」


 キッカはそれが嘘であると直感した。彼の目は復讐者のそれにかなり近い。CPAのやり方に納得がいっていないのは明らかだった。

 だが、嘘発見器を一瞥すると、その色は動いていない。彼は機械の判定上は嘘を吐いていないということになる。


(……いや、これはおかしい)


 本来どんな質疑応答でも多少は色が揺れ動くのだが、この変わりようの無さは異常だった。つまり、彼の精神力はほぼ一切の動揺を見せないくらいには卓越していることになる。


(前もあったな、こういうこと。江口レイナ……彼女は突然変異を起こしかけた……)


 突然変異を起こした人物と精神状態が似通っているというのなら、今の彼は危険極まりないと言えるだろう。勿論確定ではないが、色々と備えておくのに越したことはない。


 とりあえず探りを入れようとキッカは質問を整理し、


「それで、どうなんだ。超能力者は殺せそうなのか」

「はい。問題ありません」


 この問いにもまるで動じない。キッカはいよいよその異常性を訝しむ。


「……そうか。安心したよ。黒田捜査官の件もある。CPAのことはあまり信用できないかもしれないが――」

「いえ、信用してますよ」

「……は?」


 予想外の返答に、キッカは思わず硬直してしまった。


「だって、CPAはより多くの人々の幸せのために機能してるんですよね。やり方は少し強引ですけど、疑う余地なんてどこにあるんですか」

「……反抗する気は?」

「まさか。更々ないですよ」

「今は、という話だろう! 君はいずれ何をするつもりなんだ! 一体、何を企んでいる!」


 そこまで口走って、キッカはヒートアップし過ぎたと反省し、


「あ……す、すまない。今のは忘れてくれ。味方を疑いすぎるのはよくないな」

「……はい」


 キッカは心の中で舌打ちをした。嘘発見器が正常に作動しないというのは、これ程までにやりにくいことなのかと痛感する。言質も取れなければ、表面上はいたって優等生の振る舞いをされてしまう。これでは改善を促すことすらできない。


(大体、CPAと敵対したからといって、この地獄は簡単には変わらない。捜査官一人に何ができるというんだ? 落ち着け、自分)


 危険な存在とはいえど、すぐに行動は起こせないはず。現時点で自分がやらなければならないことは経過を観察し、兆候を見逃さないことだ。

 もしかしたら、エルの死によって最も動揺しているのは自分かもしれない。そういう自覚を持ちつつ、ヒバナと目を合わせる。


 その目はやはり、怪しい炎を燃やしているように見えた。彼はおもむろに口を開くと、


「七海さん」

「? なんだ?」

「俺は弱いです。今回の件で、それを痛感しました」

「……では、どうする?」

「ブランを殺します。この手で、必ず」


 一切の曇りのない宣言。ブランの殺害に奮起してくれるというのはこちらとしても願ったり叶ったりというところだが、あまりの変わり身の早さにキッカは困惑した。そして、恐怖する。


 この底の見えなさはダメだ。放置してはいけない。そう強く思うものの、どう対処したらいいかまるで分かったものではなかった。

 目の前にいるのは超能力者ではない。人間でもない。ましてや、命令に盲目な怪物でもない。

 その精神はタガが外れ、想定しうる枠組みから外れてしまっている。


 目の前にいるのは――ただひたすらに強さを追い求める、より得体の知れない何かだった。

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