File 64: Dear You
モグリとカズの騒動に決着がついた翌日。
ヒバナは普段通りの業務をこなし、普段通りクタクタになって帰路についた。
CPA内はエルが死んだからといって特別喪に服すとはなく、皆の仕事ぶりは非常に淡々としていた。違いと言えば、少し沈黙が多かったというくらいか。分かり切っていたことだが、やはり捜査官の死は珍しいことではないらしい。
カズの死体は表では焼却処分したことになっているが、実際は白井さん率いる研究課に引き取られた。死体を焼かなかったことにしてしまうと、それを奪還する目的で襲撃される危険性があるからだ。それから先のことは自分もあまり知らないが、超能力の正体を突き止めるためにぜひ役立ててもらいたい。それは彼自身も望むところではあるだろう。
一方のエルの死体は原型を留めていなかったらしく、研究には向かなかったそうだ。死因に関しては未だ調査中。その事実はますます疑念を強めるばかりであったが、詳細を突き止めるには至らなかった。
(しかし旅人の使徒って、一体何なんだ……)
楽しそうに腕を組むカップルを尻目に、白い息を吐きながら考える。ここのところ、頭の中をグルグルと回るのはエルの死とこれだった。
旅人。超能力の発現とともに現れ、使い方だけを指南し消える謎の存在。特に害を及ぼすようなものではないと認識していたので素通りしていたが、協力者がいるとなったら話は別だ。その目的は一体何なのだろう。
(超能力者を増やすこと……では何のために?)
彼女が超能力を人に植え付けて回る存在だとして。わざわざそのようなことをする謂れは何も思い浮かばなかった。
(もし仮にだ。仮に、あの子を倒せるとするなら、どうなる。超能力者は生まれなくなるのか?)
超能力さえ無くなれば、人々の分断は消え、全ての事象は丸く収まる。何となく、そう思った。しかし、そのための方法は何ひとつ分からない。とりあえず使徒を名乗るブランを倒せばいいのだろうか。だとするなら、たしかにあの男を殺しに行く必要性があるように思う。
(だが、奴は同時に敵は複雑だと言った。それがなんか引っかかるな……)
ここで考えていても何も分からない。前に進むためには決断を下さなければいけないが――生憎今の自分には実力が足りないだろう。CPAもシヴァも、今のままでは刃向っても無意味。目下、やること自体は引き続き変わらない。
ヒバナは立ち眩みを起こし、こめかみを抑えた。
エルが他界してからというもの、悲しみの波が定期的に押し寄せてくる。もっとうまくやれば彼女を救えたのではないか。そういう考えても仕方がないことばかりが、ふとした瞬間に抉れた心の傷に去来するのだ。だから、必死に他のことを考え気を誤魔化しているが、何かの拍子に堰を切って思いが溢れ出してしまいそうになる恐怖は依然としてあった。
そこからは足を早める。特に急いでいるというわけでもないが、漠然と、ただ早くベッドに入って眠りたかった。
そして数分もかからぬうちに家に到着。ルーティーンで郵便受けを確認すると、さして重要ではない紙切れたちに混じって、一通の封筒があるのを見つける。
「差出人は……黒田エル……」
ヒバナは差出人の名前を見て、目を大きくする。信じられなかった。死人から手紙が届いたのだ。カラクリとしては、ただ単純に死ぬ前に書いたものを投函しただけなのだろうが、その時のヒバナには魔法の類のように感ぜられた。
気が動転しそうになるのを抑え、バタバタと階段を駆け上がってゆく。落ち着かない動作で扉を潜り、まろぶようにして鋏を取り出した。
そこで、一呼吸。動きを止める。中々開ける勇気が出なかった。早く中身を確認したいという気持ちと、何が書かれているか分からないという恐怖。その二つでせめぎ合った末、意を決して鋏を封入口に走らせる。
中身はやはり手紙だ。内容は以下の通りだった。
もしこれを読む時に私が死んでいなかったら、この手紙は恥ずかしいので、読み出す前にここで燃やして処分してください。
願わくばそうなることを祈っていますが、最悪の事態を想定して念のため綴ります。
この手紙を書こうと思い至った動機としては、ヒバナくんには私がああいう行動を取った経緯を説明しておかなければならないと思ったこと、そして私の身勝手さばかりに余計な心の傷を負わせてしまったのを改めて謝らなければならないと思ったこと、この二つがあります。
私は幼い頃から生物の「死臭」を嗅ぎ分けることができました。じきに死ぬ生物を瞬時に判別することができたのです。その臭いは死期が近くなればなるほど強くなっていきます。なので、大体いつ死ぬかも把握できました。
もうお分かりかもしれませんが、私自身にその「死臭」が漂ったこと。それが不可解な行動を取ってしまった理由です。
好意を見せたのは私のワガママでした。そこで言い訳をするつもりはありません。映画に誘ったのは、死ぬ前に美しい記憶を作りたかった。ただそれだけです。
ですが、楽しい時間を過ごす間も私の心は揺れていました。心の距離が近くなればなるほど、相手はもし自分が死んだ時に辛くなるのではないか。みすみす死ぬつもりはないといえど、このままではあまりにも身勝手ではないか。
そう思い、最終的には嫌われるように仕向けることにしました。ギリギリまで迷ったせいで、あの発言はその場の思いつきに近かったのです。だから、中途半端な対応になり、結果的に余計に傷つける形になってしまったことをお詫びしなければなりません。
ところで、「死臭」を持った生物の中でも、まれに生き残る個体がいます。運が良いというのもあるでしょうが、私はそういう個体が生き残るのは強い意志を持って道を切り開き、生きる権利を勝ち取ったからだと思います。
死臭を感じ取ってからというもの、私の目標はそれでした。運命に抗い、生き残ること。低い確率とはいえ、それを目指そうと思えたのはヒバナくんのお陰です。以前の私のままだったら、命に執着せず、運命を受け入れていたでしょう。
ですが、私は変わりました。それは強大な敵に立ち向かおうと志す、貴方の覚悟の強さを見たから。どれだけ無謀であろうと、変えなければならないものは変えなければと言ったヒバナくんは、私にとって重大な転機であり、憧れでした。
私はこの世界から憎しみの連鎖が断ち切られることを望んでいます。少なくとも、このままでいいはずがない。なので、ヒバナくんは自分の進む道を信じてください。その優しさは決して間違いじゃない。応援しています。
一枚の便箋に書かれた文字は、そこで終わっていた。
(涙の痕がある……)
所々液体が滲んだ痕があり、エルが泣きながらこれを書いていたのは明白だった。その事実がヒバナの胸をぎゅうっと苦しめる。そして、嗚咽を吐きながら涙を流した。
彼女は死の恐怖と一人で戦っていたのだ。誰にも打ち明けることもできず、たった一人で。どれだけ心細く、怖い思いをしていたのだろう。
エルが死んだ今となっては、この手紙から命の儚さを感じざるをえなかった。そのともしびは消えるのは一瞬であり、一度消えてしまえば何人も蘇ることはない。
ヒバナはせめて自分の気持ちを伝えたかったと後悔する。だが、それが叶う機会はもう二度と訪れない。そのことがより一層悲しみを増長させた。
「……?」
悲嘆に暮れていたその時、はらりと落ちる便箋。どうやら見立てと異なり、二枚封入されていたらしい。
この後に何が書かれているのだろうと疑問に思いつつ拾い上げ、目を通す。
「鹿児島……?」
そこには「気持ちの整理がついたら、この場所に向かってください」という言葉とともに、謎の住所が書かれていた。二枚目の便箋にあるのは、それだけ。エルの意図するところが分からないまま、その住所をとりあえずネットで検索してみる。
すると、黒田養豚場という場所がヒットした。名前から察するに、エルの実家だろう。どうしてそのような所に行くことを促すのか。気持ちの整理がつく前に行けるような場所ではないのはたしかだが――あまりに酷というものではなかろうか。
行きたいか行きたくないかで言われれば、進んで行きたくはない。だが、エルの口調は不思議と強いものであり、まるで「行かない」という選択を取って欲しくないようにも思えた。
「考えすぎか……」
彼女の実家に一体何があるのか。怪訝に思いつつも、選択は一旦保留とした。そこに向かうための時間も心の余裕も、今は到底持ち合わせていない。
「……というか、肉食べれないのに、実家養豚場なんだな」
生産者というのは、その仕事に対して多くの時間を割いているぶん一定の誇りを持っているイメージなのだが、彼女は違うらしい。いや、寧ろ多くの時間を割いたからとも言えるのか。どうにせよ死後に知ったまさかの事実に、ヒバナはよく分からない感情を抱き苦笑した。
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