File 61: Monologue-2

 母の顔は覚えていない。

 幼い頃に家を追い出されてしまったからだ。


 原因は旅人。白いワンピースの着た少女と話をした。何気なくそう告げると、母は血相を変えて怒り出したのだった。

 つまるところ、超能力者として覚醒したことを恐れたわけだが、当時の自分にそんなことを理解できるはずもなく、ただ世の理不尽に触れ、夜道の隅で体を震わせることしかできなかったのを覚えている。

 

 そういう差別は、新宿には根強くあった。

 二十年前の大災害以降、荒廃した地域には良くも悪くも様々な人間が移り住み、治安は悪化。その中には超能力者も大勢含まれていたお陰か、行政もろくに介入できず、結果としてスラムやホームレス、ゴロツキやスリなどが溢れる街となった。

 だから、そこにいる無能力者のほぼ全員が、超能力者を激しく憎んでいた。分断の溝は深く、すでに取り返しのつかないものになっていた。


 俺には一人、弟がいた。

 まだやっと立てるようになったというくらい幼かったのだが、昔の俺はこの子だけが生き甲斐だったように思う。なにせ、貧しい街に大した玩具など無いのだ。だから、頻りに構ってはなけなしの愛情を注いでいた。


 だが、それも自分の超能力の覚醒によって失った。全部、全部失ったのだ。優しい母も、可愛い弟も、温かい寝床も。どれだけの喪失感があったかは語るに足りないだろう。

 ともかくとして、俺は自分の中に眠るこの力を恨まざるをえなかった。この力さえなければ。旅人と出会いさえしなければ。何も失わずに済んだのに。


 霞む瞳と、徐々に動かなくなっていく体。雨に打たれて凍えそうになりながら、アスファルトの上に寝そべる。

 

 ――俺は何も悪い事をしていないのに。


 どうしてこんな仕打ちをされなければならないのだろう。神様ってのがいるのなら、そいつはきっと酷い奴だ。


 だが、息も絶え絶えになっても未だ、俺は親の愛情に縋っていたようにも思う。家を追い出したのは一過性の衝動であり、時間が経てば探しに来てくれると。そういう希望に縋っていないと、とてもじゃないが気が狂いそうだった。


 結果はさっき述べた通りだ。あれから二度と母と会うことはなかった。

 

 新宿では子供の死体なんて珍しくない。そして、皆が皆自分が生きることに必死だ。だから、当時の俺に手を差し伸べてくれる人間なんて早々いなかった。

 ただ、身体を丸めるだけで、いたづらに過ぎていく時間。このままでは死んでしまう。そんな時に自分を救ってくれたのが『ボス』だった。


 出会った時のボスは、六歳か七歳くらいのガキだった。でも、その年齢とは不釣り合いなくらいに大人びていて、神々しく、侵しがたい印象を持った。それは無力な自分に手を差し伸べてくれたという主観的な恩を抜きにしても、やはり異質だったように思う。

 

 ボスは俺に食べ物をくれた。安全な寝床をくれた。沢山の本をくれた。

 

 そうして徐々に元気を取り戻していく中で、ふと疑問に思うところがあった。

 ボスはシヴァというギャングのような組織の頂点だと言うが、未だ年端のいかないガキである。そんな彼がどうして無数の大人たちを纏められるのか。

 その旨を尋ねると、


「さあ、どうしてかな。今のところ、俺が一番強いからかな」


 と冗談めかして笑い、


「……カズ。新宿を囲む有刺鉄線を知っているか?」


 と尋ね返してきた。


「少しだけ、知っています。お母さんにあれだけには近づくなってよく言われました」

「ああ、そうだ。あれだけには近づかないほうがいい」

「どうしてですか?」

「もし何かの間違いであれの外に出れば、殺されるからだ」


 殺される、という言葉に子どもだった俺は震えあがった。


「まあ、正確に言うなら外で超能力を使えば、だが。ただ、俺たちの敵は外にいる」

「敵?」

「CPA。それが俺たちの敵の名だ。奴らは超能力者を見つけ次第、否応なしに襲い掛かってくる。たとえ女子供であろうと容赦はしてくれない」


 有刺鉄線の外に出ればCPAとやらに殺される。その衝撃の事実は、俺の中のコンプレックスを刺激した。超能力者という不可避の要素で、理不尽を押し付けられる感覚。悔しさでたまらなくなり、視線を落とした。


「CPAってのは超能力者を殺すために超能力者を高い金で雇ったりしていてな。同族殺しを強要してるんだ。このCPAに入りたいばかりに新宿にも同族殺しを行うバカがいるが――まあ、それは置いておいて。狂っているだろう、こんな卑劣なことが平然と罷り通っているなんて」


 俺が小さく頷くと、ボスは微笑し、


「カズ。自身が超能力者ということに誇りを持て。それは決して悪いことじゃない。悪いことじゃあないんだ」


 その言葉を聞いて、俺の心に一筋の光が差した。超能力者であることは、悪いことではない。寧ろ誇れることなんだ。コンプレックスをそう前向きに捉えるだけで、すっと胸が軽くなったような気がした。


「俺たちの目標は理不尽な支配を終わらせること。そして、二度と歴史を繰り返さぬよう、他の誰でもない俺たちが頂点に立つことだ。それをよく覚えておいてくれ」


 俺は子供ながらに、彼についていけば何とかなると思った。到底不可能なように思える目標だが、ボスならやってくれる。それだけの能力がある。

 そして何より、彼は自分の恩人だ。この人のためなら命を落とすのも構わない。この時、俺は初めてそう思った。



 それから十数年間、俺はボスために心血を注いで働いた。

 お金に目が眩んだ同族殺しのバカどもを何人も殺し、そして同時に何人も仲間を失った。


 そんな中で最も第一印象が悪かったのがモグリだ。感情表現が乏しく、何を考えているのか分からない。初めは喧嘩ばかりしていた。


 だが、何度もともに死線を潜り抜けるうちに、自然と親交を深めていった。それはたぶん、生い立ちが似ていたからだと思う。奴も幼い頃、超能力のせいで母を失い、兄を失ったそうだ。


 家族を理不尽に奪われたものどうし、次第に二人で行動することが増えていった。そして、ある時を境に義兄弟の契りを交わした。

 偽りの兄弟関係だったが、心地は悪くなかった。何でも腹を割って話すことができたし、どんな時でも背中を預けることができた。自分にとっては本当の兄弟よりも、兄弟らしい関係だった。


 信頼できる仲間を得、組織内で昇進し、順風満帆のように見える生活。

 だが、ここ数年、俺はボスの行動に疑問を抱いていた。もうかれこれ十年以上経っているのに、一向にCPAと喧嘩しようとしないのだ。


 問い質すと「慌てるな。まだその時じゃない」という返答があったが、納得がいかなかった。いつまでも新宿内で穏健派や同族殺しのバカを相手にしていては埒が明かないだろう。

 また、誰よりも忠誠を誓っていた俺を差し置き、外部のよく分からない奴が幹部になっていたりするのを見て、内心焦っていた。


 だから、俺は新宿を出ることにした。分かりやすい手柄が欲しかったのだ。

 止められるのが目に見えていたので、俺は夜中一人でアジトを抜け出した。

 だが、モグリだけは俺の動向に勘づき、そろそろとついてきた。


「お前は来るな。外は危険だ」


 親切心からそう制止したのだが、


「兄貴が一人で行くほうが危険。俺、そう思う」


 と諭され、やや腰が引ける。


「……覚悟があるのなら好きにしろ。ただ、ひとつ条件がある」

「条件?」

「どんなに命の危険に曝されようと、俺はお前を庇わない。お前も俺を庇わなくていい。仲間を切り捨てる。その非情な選択ができるなら、ついてきてもいい」


 モグリは少し迷ったようだが、やがて意を決したように首を縦に振った。俺はこの時、たぶんほっとした。モグリが後ろにいてくれるというのは、かなり心強い。たった一人でどこまでやれるのだろうかという不安もあったので、精神的にも良い支柱だった。

 

 俺たち二人なら手柄を取れる。

 そして、絶対にボスに自分を認めさせてやる。


 ゆくゆくは、天下を取るのだ。

 巨大な理不尽を破壊するために。

 

 そういう強い思いを持って、俺たちは有刺鉄線の外に出たのだった。

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