File 56: KISS OF DEATH
「何の……真似ですか」
ヒバナは呆気にとられた様子で混乱する。問いに対する答えは、暫くなしのつぶてだった。
何かを見定めるようにして閉口していたエルだったが、やがて全てを察したように、
「やっぱり、怖くはないんですね」
「……」
ヒバナは場の異様な雰囲気に圧倒されていた。相手が何を考えているのか、まるで分からなかった。
銃が怖くないのは当たり前だ。思考が追い付いていないというより、そもそもヒバナは鉛弾数発ごときでは死に至らない。それはエルも理解しているはずなのに、どうしてわざわざ確かめるような物言いをするのか。
「これが怖くない貴方に、たぶん私の気持ちは理解できない」
「……もしかして、死ぬのが怖いんですか」
ヒバナの言葉を聞いたエルは少々驚き、銃身を下げる。ヒバナはエルが敵意を向けていたわけではなく、ただ試していただけなのだと悟ると緊張の糸を緩め、
「たしかに拳銃に対する恐怖は他の人より薄いかもしれませんが、俺だって不死身じゃありません。死ぬのは怖いですよ」
「……そうですか。失礼しました。ですが、貴方は根本的な部分で普通じゃない。私の持っている感覚とは違う」
違うから何なのだ、という言葉をヒバナは飲み込んだ。死への意識が些か違うからといって、相手の気持ちが理解できないわけではない。エルが何を求めているのかいまいち要領を得ず、もどかしさが徐々に降り積もってゆく。
フワフワとした回答に怒りの炎が噴き出そうになったが、深呼吸をして心を落ち着かせ、
「……それが、俺を避けている理由ですか」
「……」
「どうして黙るんですか! 答えてください!」
エルの思わせぶりな沈黙に、さすがに感情が昂る。
「死ぬのが怖いなら、俺が守ります! 絶対に死なせません! だから――」
どう話を繕おうが、構わない。ヒバナとしては、どうしても真実を話してほしかった。
自分は相手の肩の荷物を背負おうとするくせに、決して相手には自分の荷物を背負わせたがらない。それは裏を返せば、信頼されていないということだ。
腹が立つ以前に、悲しかった。どういう言葉をかけるのが正しいのか、分からなかった。
エルは迷う素振りを見せたかと思うと、吹っ切れたように口元を綻ばせ、
「人間関係を清算するのって、思ってたより難しいですね。特にヒバナ君は優しすぎる。それが結果的に人一倍傷つき、人一倍抱え込むことになったとしても、困っている人に手を差し伸べずにはいられない」
遺言のようなセリフに、ヒバナは更に困惑する。
「私が何を察知してこんなことをしているのか、私の口からは言えません。一度口にしてしまうと、未来が確定してしまいそうで怖いんです。だから、察してください。でも、ひとつだけ言えるのは諦めたわけではないということ。それがどれだけ低い確率であろうと――私は必ず細い糸を手繰り寄せて、自分の口で貴方に謝ってみせる」
陽光がエレベーター内に差し込む。その白い光を背にして堂々たる口調で言い放ったエルは、爛々とした希望に満ち溢れているように見えた。
彼女は一体何を察知して、人間関係の清算なんかを行おうとしたのか。前の会話を踏まえると、弾き出せる答えはほぼ決まっていた。
まさか、と思った。本当にそれができるのなら、未来予知にも等しい。だが、エルの表情を見ているとなまじ冗談にも思えず、ヒバナは言葉に窮する。
エルは微笑した。そして、何を思ったのかゆっくりとにじり寄ってきて、最後には唇を重ねる。それは雪解けのように淡く、軽く触れあう程度の口づけだった。
だが、その短い時間でもヒバナの記憶に焼き付くには充分。この行為に何のメッセージが籠められているのか、刹那様々なことを考えるが、諸手を上げて喜べるものではないのは明らかで、胸の奥から悲哀がこみ上げる。
ポン、という電子音。同時にエレベーターの扉が開き、エルは振り向きざまに言った。
「……頼りに、してますよ」
彼女の表情はとても複雑で、ともすればフラットにも見える。
ヒバナは分からなかった。何が正解で、何が間違っていたのか。あのまま不用意にエルに関わらなければ、両者ともそれなりに折り合いがつけることができていたのではないか。中途半端に絆に縋ったせいで、お互いの首を絞め合ってしまったのではないか。
そういう後悔が頭をよぎるも、全てはもう過ぎ去ったこと。彼女が諦めていないと言った以上は、自分も弱気になっていてはいけないだろう。
絶対に守る。絶対に死なせない。そう豪語したからには、自分も一層気を引き締める必要がある。失敗は許されない。
この先に一体何が待ち受けているというのか。
運命を半ば呪いつつ、ヒバナはエレベーターの扉から慌てて飛び出し、エルの後を追った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます