File 45: Umbra

「なッ……なんでッ……! なんで来たんだ、ヒバナ! あいつはお前より強い! 殺されるぞ!」


 嬉しさや安心感の次に感じたのは、ぶつけようのない徒労感。

 折角自分がここまで引き付けたのに、どうしてわざわざ死にに来るような真似をするのか。

 全てが水の泡になったような感覚を覚え、そしてヒバナの自信に満ちた表情に戸惑う。


「なんで来たかって? 元々これは俺の問題だ。シュウヤを巻き込むわけにはいかない。それにだな、シュウヤ。お前が走り回ってくれたお陰で、細い勝ち筋ができてるんだ」

「か……勝ち筋?」

「モグリをよく見ろ。肩で息をして、目が血走っている」


 ヒバナから一旦距離を取ったモグリは、たしかに疲弊しているように見えた。立つのもやっとという感じだ。


「あの筋肉達磨の姿はパワー、スピードに長けているぶん、消耗が激しい。そう長い時間は戦っていられない。思いっきり刀を振るえるのは、せいぜい後一回といったところだろう」

「つまり、その一回さえ凌げれば俺たちの勝ちだと」

「ああ」


 自分たちの粘りと短期決戦を急いだ相手のミスが重なり、漸く手繰り寄せることが出来た勝ち筋だ。

 怒らせたことも満更無駄ではなかったらしい。


「だが、ひとつ懸念がある。実は俺も、この姿を維持するのは限界なんだ」


 今のモグリは最初と比べるとだいぶパワーも落ちている。

 普段なら攻撃を防ぐことには問題を見出さないだろう。

 が、疲弊しているのは相手だけではない。

 実のところ、ヒバナもいつ自分の変身が解け、リバウンドしてしまうか分からない状態だった。


「どうすればいい?」

「特別なことができるわけじゃない。言ったら気力勝負だ。だから」

「分かった。俺は後ろにいる」


 限界だと喚く人間の後ろにいるのは怖いだろうに、シュウヤはヒバナを微塵も疑うことなく信頼した。

 それは親友の顔つきが変わったことに気が付いたからだ。

 気力勝負というのなら、この男は負けない。そういう確信があった。


 一方のモグリは満身創痍とはいえ、集中力を保ち、虎視眈々とこちらを狙っている。

 気を抜いてかかれば、未だにいとも容易く足元をすくってきそうだ。

 途轍もない気迫。驚くべきことに、ここに来て更に筋肉を膨らませたようにも見える。


「この一太刀で、絶対にお前ら二人を仕留める。絶対にだ」


 無能力者はもちろん、たとえ超能力者であっても、自分たちに協力しないのなら敵。

 今度ばかりはヒバナも容赦なく殺すつもりだということは、その言動の節々から明らかだった。

 切れ味の良い刃物のような、危険な殺気だ。

 刺し違えてでも殺すという揺るぎない覚悟すら、夜の空気を媒介して伝わってくる。


 ジリ、とお互いにじり寄る。

 緊張が一層強まった。モグリはゆっくりと構え、その切っ先をヒバナの首から糸を引いたように、逆算され尽くした位置でぴたりと止める。


 状況はまさに一触即発。泣きかけの赤子も同然だった。

 何かの拍子で均衡は崩れてしまうだろう。

 その時は集中のピークだ。一瞬たりとも気を休めてはならない。


 街灯がその白い光を慌ただしく強弱させ、消え入るような断末魔を発した。

 その時だ。戦いの火蓋が突如として切って落とされた。


 鬼気迫る表情で突進してくるモグリ。

 弧を描いた刀身は、閃光のごとく振るわれた。

 一気に絶命を図るため首を狙ってきているのは明らか。

 だが、細かいフェイントをかけ、相手を惑わせる冷静さを未だ捨ててはいなかった。

 数秒足らずの間に両者で幾つもの駆け引きが行われる。


 鱗を纏っているのは左腕だけ。

 それがヒバナの弱点だった。

 どれだけ片腕が硬かろうと、右で受けざるをえない体勢をとらせたら、そこに隙が生まれる。

 モグリは抜け目なくヒバナの向かって右側、左腕で力を受け流しにくい角度に侵入し、刃を滑らせた。


 ヒバナは驚愕していた。

 相手がこのゾーンを突いてくるのは承知済み。

 実際、先程までは頑なに避け続けていた。

 だが、音を置き去りにしそうな速度で迫られると、一度避けたところで敵わない。

 顕著な伸びは、それだけこの一撃にかける思いが強いということ。

 何が彼をそこまで突き動かすのか。

 長年の怒りや恨み、憎しみなどのあらゆる負の感情を爆発させたような、並々ならぬものを感じた。


(強い意志ッ! 俺は……俺はこいつに……勝つッ!)


 瞬間、体の構造が根本的に書き換わる。

 脳味噌に新しい思考回路が追加されたような、鮮烈な衝動が体内を駆け巡った。

 ちょうど泳ぎ方や自転車の漕ぎ方などを会得した時と似ている。

 コツを理解し、突発的に体得したのだ。

 忘れようと思っても中々忘れることのできない、出来なかった時に何故出来なかったのか不思議でしょうがない、そんな経験的記憶。

 それは確実に自分の糧となり、発現する。


 右の指先から肘の辺りまでを、黒い鱗が覆ってゆく。

 まるであの怪物に段々と近づいていると言わんばかりの進化を遂げた。


 助言通り、強くなった。

 が、未だ安心はできない。内心はこの鱗の強度では不満足であると焦りつつ、


(もっと硬く! もっとだ! もっと硬度をあげないと、受け止めきれないッ!)


 モグリの刀を、漆黒の右腕で受け止めようと構えるヒバナ。

 相手は予想が外れて悔しそうに眉間に皺を寄せたが、次の瞬間には般若の相で腕ごとぶった切らんと地面を踏み込んだ。


「「ウオオオオオオオッ!!!」」


 両者は雄叫びをあげ、衝突。

 土埃が巻き上がり、爆発音に近い轟音が鳴り響いた。そして、束の間の静寂が訪れる。



 ――結果としては、モグリの渾身の一撃を止めることに成功した。



 だが、それで簡単にあきらめる相手ではなく、衝撃をいなした後でさえ、刃を食い込ませようとギリギリと力を込めてくる。

 一枚、また一枚と鱗が罅割れ、そして砕け散っていった。


「こんなところで立ち止まるわけには……お前みたいな人殺しの悪魔なんかに……」


 モグリは夢の中で喋るような、朦朧とした口調でそう呟いた。


「……すみません」


 ヒバナが申し訳なさそうに、だが確固たる意志の宿った瞳で謝るのと同時に、モグリは鼻血を噴き出して昏倒。

 一閃を防いだことで、戦いの佳境は超えた。


 ヒバナの右腕から、鱗が剥がれ落ちてゆく。

 まだ慣れないからなのか、左よりもだいぶ維持が難しい。

 その下にある皮膚は、モグリの刀が押し当てられたことで夥しく流血していた。


 危うく安堵しかけたが、未だ気は抜けない。

 カズが弟の戦いぶりを遠くから、複雑な表情を浮かべて眺めていた。

 静かな怒り、とでも形容するべきか。

 形勢が逆転しても尚、ヤンキーの風貌の青年は諦めている様子は無かった。

 彼が一歩踏み出すと、ヒバナは制止する。


「それ以上動かないでください。動いたら、この人を今ここで殺します」

「俺たちはA級だろ? 躊躇うなって言われてんじゃねえのか?」

「……それはあなたたちの意思次第です。全面降伏するなら、未だ生きる道はあります」

「はっ。捜査官になれってか。笑わせんじゃねえ」


 カズはゆっくりと、一歩ずつ近づいてくる。


「ほ、本当に殺しますよ」

「声が震えてんぞ。どうした、急に怖くなったのか」


 あれだけ人を殺して来たのに、どうしてだか今更になって体が動かなかった。

 それは理性による打ち止めであり、ともすれば恐怖であった。

 共存を目指す上で、人を殺すのは矛盾する行為だ。

 主張の一貫性を保つためには避けなければならない。

 だが、立場上はそれを強いられている。葛藤で頭がおかしくなりそうだった。


「いいか? お前ら。恨み事ってのはやったほうは忘れるかもしれねえが、やられたほうは死ぬまで抱え続けるんだ。その苦しみが消えることはねえ。もう昔の話だからっていう論理は通用しねえんだよ」


 いつの間にか、カズはモグリを担げるところまで歩み寄って来ていた。

 ぐったりと倒れる巨漢に肩を貸し、顔を顰めて立ち上がる。

 そこまで来てやっとヒバナの胸中で何かが弾け、青年の首元に爪を突き立てた。

 そして、苦々しく忠告する。


「影に潜ったら、容赦しません」

「……ふん。その甘さが命取りだぜ」

「な、なにを……」

「ところで、夜って何故暗いのか、考えたことはあるか」


 この期に及んで急に何の話だ、とヒバナは困惑した。


「地球の反対側に太陽があるから、ですか」

「そう。光があるところには必ず影があるんだよな。趣深いことに」

「……話が見えません」

「つまり、夜ってのはそれ自体が影みたいなもんなんだ。俺の能力は影に潜ることができる。言いたいこと、さすがに分かるだろ?」

「ど、どういう……」

「察しの悪い奴だ。ま、この技は疲れるからあんまし使いたくねえんだが。そのぼやけた目でよーく刮目しておけ」


 瞬きと同時に、カズとモグリの姿が消えた。

 さっきまで掴みかけていた首は、すでにそこに無い。それはほんの一瞬の出来事だった。


 逃げられた。

 そう認識するまでに、やや時間を要する。

 気持ちの悪い汗が噴き出て止まらなかった。

 どういうカラクリで逃げたのかを思考して、「やられた」と地団駄を踏む。


 奴らはに潜伏したのだ。

 このようなことが可能とはつゆ知らず。

 影の中というのはいわば異空間のようなものだと推測されるので、追うことすらできない。


「……ちく、しょ……う」


 消化しきれない気持ちを抱きつつも、ヒバナは脅威が去ったことを確信すると、途端に赤い血を鼻から流して気を失う。


 真夜中の人知れぬ激闘は、一杯食わされたという形で終わりを迎えた。

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