File 42: Wit

 声が出ず、逃げ惑い、物陰に隠れるので精一杯。

 原因は恐怖だ。未知なるものへの恐怖。

 シュウヤの心境は、訳の分からぬ化け物に襲撃されたのと同然だった。

 今まで生きてきて、これほど明確な「死」を感じたことはない。

 地震や高熱の時だって毅然と振る舞えたのに。


 正直、超能力者どうしの戦いというのを舐めていた。

 自分なら何とかできるのではという慢心があったのも否めない。

 戦闘のレベルが人外であることは想定していなかったのだ。


 こんなことなら大人しく従っておくべきだったのだろうが、どうしても自分の正義を曲げるのは嫌だった。

 誰かを不用意に差別するのは性分に合わない。

 だから、こうするしかなかったと自分に言い聞かせつつ、一方でその内心は焦燥と戸惑いで満ちていた。


「お前、俺に勝てなかったのを忘れたのか?」


 モグリはヒバナの腕を強烈な力で弾くと、一旦距離を取る。

 刀に刃こぼれがないことを確認すると、全身が粟立つような凶悪なオーラを発し始めた。


「今度は、容赦しない。必ず殺す」


 積年の恨みを吐き出したような、迫力のある言葉。

 ヒバナは相手の様子を窺い、後ずさりをする。


 途端、その異常に気が付いた。

 モグリの体が一段と大きくなったのだ。

 いつの間にか、骨格や体つきが変貌を遂げていた。

 身に付けていた衣服は張り詰め、今にも破けそうなくらいに膨張している。


「筋力増強……それがお前の能力か!」

「そうだ。だが、能力が分かったところでどうする」


 タネが分かったところで、絶望的であることに依然変わりない。

 むしろ、更なる絶望があった。

 モグリはさかしい小細工をしているわけではないのだ。

 ただただ強くなる。それが彼の能力。

 何か妙なことをしていれば危機を脱する方法を探せたかもしれないが、ここまでシンプルだと詰みに近い。


(いや、あの感じだと燃費はそこまでよくないと見える。持久戦に持ち込めれば光明はあるかもしれないが――それは同時に、自分もリバウンドを起こすリスクがある……!)


 そうなってしまえば、もう勝つ方法は無い。万にひとつ神様が笑っても、生き残ることはできないだろう。だが、やるしかない。

 一気にケリをつける心づもりのモグリは、体の構造を変え終えると、脇目も振らずに突っ込んでくる。

 先程とは桁違いのスピード。反応が一瞬遅れ、足を滑らせてしまった。


「ま、まずいッ!?」


 慌てて、刀を腕の鱗で受け止めようとする。

 しかし、鋼鉄よりも硬いはずのそれは、豆腐のように粉砕されてしまった。

 刃が下層の皮膚に到達。そして、骨ごと両断。


 以前の戦いでは、ここまでの破壊力は持っていなかった。

 斬り落とせても、鱗で覆っていない右腕だった。

 それなのに、一瞬でここまでパワーが上がるとは。

 モグリの本気を垣間見て、「殺される」と強く思う。

 流れの中で脇腹を蹴りつけられ、「グアッ」と声にならない声で呻き、紙屑のように吹き飛ばされた。


 失神しかけたが、背中の衝撃で強制的に目を覚まさせられる。

 どうやら家の前の小さな公園まで直線的に飛ばされてしまったらしい。

 体を起こすと、節々が痛んだ。 

 距離ができてしまったので、シュウヤの身を案じたが、杞憂だとばかりにモグリが追随してくる。

 シュウヤはいつでも殺せるから後回し、といったところか。

 わざわざ優先して追いかけてくるあたり、やはりあの形態は燃費が悪いのだろうが――さて、どうするか。

 ヒバナは斬られた左腕を再生しながら、絶体絶命の窮地を脱する方法を逡巡した。




「……あー、行っちまったな。ここは俺ら二人、と」


 カズとシュウヤは対面する形で睨み合う。頬を伝う冷や汗。

 シュウヤの頭の中は恐怖が支配していた。

 この目の前のガラの悪そうな青年からは、得体の知れない虚ろを感じる。

 本能は「早く逃げろ」という指令をビシビシと発するも、体は言う事を聞かない。


「……あんたは俺を襲わないのか」

「あいにく俺の能力は戦闘向きじゃなくてね。まともにやり合う気は無い」


 少しだけ、安心する。

 目の前の彼は無能力者と同程度の危険度。

 つまり、逃げるなら今がチャンスだろう。

 機を見計らって、あの日本刀野郎が戻る前に闇に紛れなければならない。

 そんな風に考えていると、


「今、逃げることを考えたな? いいぜ。逃げてみろよ。もっとも、俺らの追跡をまくれる自信があるならな」


 思考を先読みされたことに、シュウヤは怯む。

 逃げ出さないことを確認すると、カズは開口し、


「少し、時間がある。どうせお互い暇だろうし、話でもしようぜ」

「は、話だと……?」

「そうだ。俺はお前が嫌いだが、実はちょっと興味が湧いてな。どうして答えを変えた?」


 超能力者のことでヒバナとカズが対立していたのは、何となく理解していた。

 共存を主張する親友に、襲撃者が自分を使って改心を迫っていたのも、大体。

 超能力者を差別し、ヒバナの心を折らないと生きて帰さないという彼らの意思に、怯えが無かったわけではない。

 現に、最初はそういう内容を口にし、様子を見た。

 しかし、どうしてもそれを貫き通せなかった理由はただ一つ。


「変えたというか、最初からそのつもりだったってだけだが——嘘を吐くのは苦手なんだ」

「それだけか? 命がかかっているのに、嘘のひとつも吐けないなんてどうかしてるぜ」

「だろうな。でも、誰かを傷つける嘘を吐くくらいなら死んだほうがマシだ」

「はっ。今だってろくに立ち上がれないくせに、強がりだけはいっちょ前だな。そういうのは人格者って言わないんだぜ? 命知らずの役立たずって言うんだ。あの時、武本ヒバナの心をバキバキに折っておいてやったら楽だったのによお」


 まさにそれこそがシュウヤの心残りだった。

 後先考えず自分の心に従ったことは、果たして賢明な判断とは言えないだろう。

 最終的にはヒバナの決断とはいえ、力になれていない。ただ守られているだけ。

 これほど不甲斐なく、ともすれば利己的に映ることはなかった。


「……たしかにな。俺は何もできない。無力だ。だが、俺が意見を変えた時、ヒバナは少し嬉しそうに見えた」

「希望を見出したから、か。それで何が言いたい?」

「いや、よく分かんねえけどよ。俺の意見なんかであいつの『覚悟』は左右されなかったんじゃねえかな」

「……ふん。力関係の分かってない大バカは殺されて当然だと思うんだがな。何のために俺らが一度姿を現したと思っているんだ」


 駅構内に潜伏したのはCPAの戦力を見極めるために他ならない。

 あの時点でこちらとの実力差も分からせたはずなのだが、こうも思い通りにならないとハラワタが煮えくり返りそうだった。

 そして、カズは苛立ちを抑えるようにして尋ねる。


「まあ、いい。それより、だ。どうしてお前は超能力者を憎まない? 俺は特にここが訊きたい」

「それはまー、なんというか。『大災害』なんか二十年も前の話だし、俺生まれてねえし。俺の家族がやられたとかなら話は別なんだろうけど、いまいち実感湧かねえっていうか。憎む理由なんか無えんだよなあ」


 カズはここで自身の誤解に気が付いた。

 たしかに、言われてみればそうだ。

 多くの無能力者は、すでに超能力者とは無縁の生活をしている。

 差別意識が全く無くなったわけではないとはいえ、憎むに足るほどの危険性も認知していないのだ。

 ずっと憎悪されているとばかり思っていたが、どうやら被害妄想だったらしい。

 「外」の人間、特に若い人は予想よりも淡泊な感情を抱いている。

 その事実は、カズとしては拍子抜けするところだった。


 もしかしたら共存も可能かもしれない――一瞬そう思ったものの、新宿で延々と差別にさらされてきた自分が途端に惨めになり、それは忽ち「どうして助けてくれないのか」という傍観と隠匿に対する怒りに変わった。

 結局は勝ち取ることでしか世界は変わらないと結論づけ、


「……なるほど、分かった。やっぱり俺、お前のこと嫌いだわ」

「……そうか。お前も色々あるんだな」


 不思議と、明確な拒絶の言葉に傷つくことはなかった。

 生きてきた環境が違いすぎるが故に、その内心まで詳しく共感することはできなかったが、人生の紆余曲折を推し量ることは出来る。

 超能力者というだけで辛い思いをしてきたのは想像に容易い。


「それで、お前はやっぱ逃げないんだな」

「……いや、そうだな。そろそろ逃げるか」


 シュウヤはよろめきながら何とか立ち上がる。


「ふははッ。本当に行くのかよ。薄情だな、オメー。最後まで信頼してやれよ」

「勘違いするなよ。これは作戦だ。震えて待っとけ」


 にやりと笑う無能力者に、カズは底の知れない嫌悪感を抱いた。

 走り去る後ろ姿を見つめながら、眉を顰める。あれはただの無能力者だ。

 モグリに対して何かできるはずがない。

 自分の愚かな選択で友人を危機に陥れたのにも関わらず、その友人を置いて逃げるセコい奴――これが客観的な印象。


 大体、あれは内心超能力者の命なんかどうでもいいと思っているからこその行動だ。

 放っておいても問題はないだろう。


 それなのに、なぜか胸がざわついた。

 あいつは逃がすとややこしいことになる。そんな予感があった。


(挑発に乗るか、否か――)


 カズは刹那、黙考する。

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