File 40: Breaking News

 やってしまった、とヒバナは後悔した。

 反射的に体を動かしたのはいいものの、目立つ行動はCPAの上層部からは良い顔をされないだろう。

 だからといって、あの女性を見過ごすのも嫌だったので結局は堂々巡りなわけだが。

 まずい情報は組織が検閲してくれることを祈りつつ、ある程度落ち着くと、またそれとは別のことに関して悔い始めた。

 ようするに、何故あのような恥ずかしい台詞を吐いてしまったのか。

 咄嗟の出来事とはいえ、顔から火が噴き出そうだ。

 そもそも、自分はそこまで偉そうに説法することができるほど、できた人間ではないだろう。

 あれはただの自惚れであり、お節介だ。

 いきなり恥ずかしい台詞を聞かされた女性の気持ちになって、ヒバナは身悶える。


「……いや、過ぎたことはしょうがない。ポジティブに考えよう。俺は一人の命を救った。うん、そうだそうだ。あっはっはっ。……はあ」


 強がるように空笑いするヒバナ。

 その表情は何となく浮かないものだった。


 それからは特にやることもなく、ただ街中を徒然に歩いた。

 そして、空が黄昏てきた頃合いに、買い出しへスーパーに向かう。

 いつもは忙しくて中々買えないものや、夕食の材料などを一通り買って、ゆっくりと帰路についた。


 家の前に来た時には、すでに辺りは薄暗くなっていた。

 両手でビニル袋を揺らし、チカチカと点滅する蛍光灯を横切る。

 やっと帰って来たと、アパートの階段を登り切って一息。

 視線の先に、人影があるのを認めた。

 どうやら自分の部屋の扉の前で胡坐をかいているらしい。

 怪訝に思いよく見て確認すると、背筋が凍ったような感覚を覚えた。


(シュ、シュウヤ……!?)


 駅で捜査をしている時に、あれほど冷たくあしらったというのに、何故こんな場所にいるのだろう。

 文句のひとつでも言いに来たのだろうか。

 引き返す、という選択肢が突発的に頭をよぎる。その衝動の主たる原因は、友情を裏切ったという後ろめたさだ。

 今更合わせる顔は無い。どうしようかと思い悩み、踵を返しかけたまさにその時、向こうは瞼を開けた。


「おっ、ヒバナ! やっと帰ったか!」


 シュウヤは普段通り、屈託のない笑みを浮かべ話かけてくる。

 それが逆に、ヒバナの罪の意識を刺激した。唇を噛み、怒鳴りつけたくなるのを抑えつけながら、


「……どいてください。そこ、俺の家です」

「知ってるぜ。でも、どかない」

「どうしてですか」

「お前がその他人行儀な態度をやめないからだ」


 どうやらこれ以上この設定を引っ張るのは無理があるらしい。

 下手な禍根を残すのも煩わしかったので、深い溜息を吐き、


「……あのな! どうして俺に構うんだよ! もう放っておいてくれ!」

「放っておけるわけないだろ!」

「だから、どうして!」

「どうしてって……そりゃ友達だからだ」


 早計だった。

 他人のフリをすれば自ずと離れてくれるだろうと踏んでいたが、シュウヤはそれで簡単に引き下がるほどさもしい男ではない。

 情に厚く、義理堅い男なのだ。


 彼は無碍に扱われたことに関して、怒っているというよりかは、むしろ心配してくれている。

 そのことは、真剣な眼差しを見れば明らかだった。

 縁を切るような振る舞いをすれば、心配させるだけ。たとえ辻褄が合わなくとも、適当な理屈を並べて誤魔化すほうが効果的だったと後悔する。


(まあ、どんぐりの背比べってところだが)


 あまりに適当すぎても、シュウヤは同じ行動をしていたかもしれない。

 現時点で学校に来れていないのは事実なのだから、懸念事項はすでに揃っている。

 ゆえに、自分がやるべきことは結局のところ唯一つであると自覚し、


「……シュウヤ。金輪際、俺に関わらないほうがいい」


 と実直に要請する。

 案の定、熊のような見た目の好青年は眉を顰め、


「理由は喋れないのか」

「ああ」

「どうしても」

「どうしても、だ」

「……そうか、分かった」


 シュウヤはこちらの置かれている立場を察したように、肩をすくめた。


「これ以上深入りはしないでおく。だがな、あまり妹さんを心配させるようなことをするんじゃねえぞ」


 妹が心配している。

 それはまさに寝耳に水だった。

 どうやらうまく誤魔化せていたと思っていたのは自分だけだったらしい。滑稽なことだ。

 あの子は自分を心配させまいと、納得しているフリをしていた。

 何も言い返すことができず、魚のように口をパクパクさせるヒバナ。

 己の不甲斐なさに、ただ目を泳がせて俯くことしかできなかった。


「……すまない。ありがとう、シュウヤ。迷惑かけたな」

「おう。じゃあ、俺はここら辺で……って、ん? そこにいるのはヒバナの知り合いか?」


 立ち上がり、玄関の前からどこうとしたシュウヤは、ヒバナの後方に目を向けてそう言った。

 急いで振り向くと、二つの人影。

 ニヤニヤと笑うばかりで微動だにしないそのシルエットは、ヒバナの脳内に深く刻み込まれていた。


「カ、カズとモグリ……」


 あまりの驚きで、硬直する。

 次に襲ってきたのは、恐怖だ。

 毒牙を喉元に突き立てられた、いたいけな動物のように。

 圧倒的強者に対する恐怖が、電流のように全身を駆け巡った。


「どうしてここに、って顔してるなあ、武本ヒバナよ。そうだよななあ、俺らがお前の家を知るはず無いもんなあ」


 まさか邂逅した後、ずっと後を追ってきたというのだろうか。

 いや、それはありえない。

 カズの能力は影のついているところしか移動できないはず。

 資料が間違っている? ならば、どうして今の今まで現れなかった? より無防備な瞬間はいくらでもあった。

 この2人は一体どうやって――。


「いいぜ、教えてやる。俺らはお前の後をつけたことには違いねえ。幸運にも、お前の現在地を知ることができたからな」

「それは、どうやって……」

「簡単だよ。ネットに沢山動画があがってたぜ。お前が映ったなあ」


 自殺寸前の女性を助けた時か、と一部納得する。

 たしかにあの時は沢山の人が撮影をしていた。

 現在地を知らせてしまうには、充分な材料だろう。だが、


「俺の顔が映っている動画は、そもそもネットにアップロードできないようになっている。映っていたとしても腕くらいだろう。それなのに、何故」

「おお、怖い怖い。捜査官って奴は凄えなあ。そこまで徹底してんのか。だが、爪が甘かったな。俺たちはまさにその腕から、あれがお前だと判断した」

「なっ……ま、まさかッ」

「そう! その腕時計から判別したのさ!」


 まずいことになった。

 まさか腕時計の形を記憶しているとは。

 おそるべき観察力と洞察力、そして強運。

 自分の現在地を把握したこいつらは、わざわざ尾行までしてここまで来やがった。


(いや、今は驚愕している場合じゃない! 落ち着いて、見極めないと!)


 居場所がバレた。

 それはもう仕方のない結果だ。

 こうなった以上は事実を受け入れて、戦わねばならない。反省は後だ。

 とりあえず、確かめるべきことを確かめようと、唾を飲み込み気持ちを落ち着かせる。


「……一体、何しに来やがった」

「交渉さ。お前、俺たちの仲間になれ」

「な、仲間だと……?」


 予想外の提案に、喉が震える。


「そうだ。俺たちはどうしてもCPAの場所を知りてえ。だから、協力者が必要でさ」


 CPAへの到達。

 今ここではっきりと相手の目的を理解した。

 だが、どうしてそこまでして本部に到達したいのだろうか。

 行き着いたところで、勝てる見込みはないはず。

 ただの無謀な間抜けならまだしも、この灰色のワッチを被ったほうは頭がキレる。

 何の策もなしに特攻するとは考えにくい。裏があるのは間違いない。


「協力……? 大体、CPAの場所を知ってどうする」

「それは俺たちも知らない。単純に、ボスの望みってだけだ」


 超能力者集団、シヴァのボス。

 新宿三大勢力の首領は、一体何を目論んでいるのか。

 これから良くないことを起こそうとしている。

 そんな嫌な予感があった。

 ジワリと、額に汗が滲む。


「超能力者は下等生物に散々コケにされてきた。お前も経験がるだろう? 例えば、その胸の爆弾とか。だからよお、反逆しないといけねえ。調子に乗っている奴らに、自分の立場ってもんを分からせてやらねえとな」

「つまり、無能力者への復讐がお前らの目的ってことか……!」

「へっ。復讐だとか、そんな生易しいものじゃねえぜ」

「何だと……!?」

「俺たちの最終的な目標は『支配』だッ! 追いやられてきた超能力者を表舞台に解放し、下等生物を支配するッ! 暴力には暴力をッ! 理不尽には理不尽をッ! やられてきたことを、とことんお返ししてやるッ!」


 世界の実権を、無能力者から奪い返す。

 社会構造を、常識を、根本から変えるつもりだ。

 果たして可能だと思っているのだろうか。

 超能力者は特殊な力を持っているとはいえ、圧倒的なマイノリティには違いない。

 無能力者が本気を出せば、かつてのように忽ち一網打尽にされてしまうだろう。

 だが、彼の目を見れば、その夢物語が本気であるということが伝わってきた。


「……もう一度問う。武本ヒバナ、俺たちの仲間になれ。一緒にこの腐り切った世界を破壊しよう。そして、明るい未来の礎になろう」


 たしかに現状のままでは、超能力者というだけで色々と理不尽に奪われてしまう。

 それに対して、怒りや恨みなどが無いわけではない。

 しかし、今無能力者がやっていることと同じような支配の仕方では、何も解決しないだろうということは薄々勘づいていた。

 「やられたらやり返す」の精神では、この悲しみの連鎖を断ち切ることはできない。

 だから、返答はすでに決まり切っていた。


「良い提案だな。だが、断る」

「ほう……何故だ?」

「お前たちの方法では何も解決しないからだ。俺たちは復讐や支配ではなく、共存の道を模索しなければならない」


 それを聞いたカズは顔をきょとんとさせ、そして噴き出した。


「あっはっは! 聞いたか、モグリ!」

「俺、聞いた。笑える」


 2人して抱腹絶倒とばかりに笑うので、ヒバナは訝しみ、


「なにがおかしい」

「自分で言ってて分かんねえのか? お前は俺たちの同志かもしれねえがよお。同時に仇なんだぜ。他人を殺すくらいなら、自分が死ぬ。お前はその選択ができなかった弱虫野郎だ。そんな奴が今更共存だと? どの口がほざいてんだ、ボケ」


 正論だ。自分勝手で一貫性のない主張。

 だが、それは紛れもない自分がよく分かっている。

 だから、ヒバナはカズの詰りに怯むことはなかった。

 その様子のおかしさに気付き、カズは嫌悪感にぐにゃりと顔を歪める。


「なんだあ、テメエ。その覚悟の決まったような顔はよお。まさか本当に共存なんかが可能だと思っているのか?」

「ああ」


 一点の曇りのない澄み切った目で、ヒバナは肯定した。

 あまりに迷いが無かったので、カズは得体の知れない恐怖を感じる。


「なんだなんだ。なんだってんだ。この前会った時は、そんな目をしてやがらなかった。この数日で何がお前を変えた。どこから湧いてきやがるんだ、その自信はよお」

「……分からない。だけど、これは確信なんだ」


 とち狂っている、とカズは思った。

 超能力者と無能力者の溝は決して埋まることはない。

 超能力をこの世界から無くすくらいのことでもしない限り、この復讐の連鎖は続く。

 共存なんか不可能だ。

 そんなこと、ひらがなを覚えたての幼稚園児でも分かり切っているのに。

 それなのに、どうしてコイツは根拠も無く主張できるのだ。


 意味不明だったが、コイツからどうしてもCPAの場所を吐かせねばならない。

 ここまで取り合っておいて、何の収穫もなしに帰るのは悪手だろう。

 だから、腕の一本や二本ぶった切ってでも説得する必要がある。


(つーか、あいつの腕、いつの間にか再生してんだよな。義手でもない。能力の一部なんだろうが、あまり悠長なことをしてると足元をすくわれそうだ)


 話の流れを整理し、やるべきことを確認する。  

 もし最後まで頑なに仲間入りを拒否するなら、コイツはここで始末しておかねばならない。

 今度は容赦なく首を跳ね飛ばす。粉微塵にして海に散逸させる。

 たとえ同志だろうが、目的の邪魔になるなら同情の余地は無い。


「……なるほど、分かった。じゃあ、そこにいる下等生物に訊いてみろよ。超能力のある奴と無い奴、一人しか助けられないとしたらどちらを助けるか」


 視線が集中し、後方で固まっていたシュウヤは更に緊張を強めた。

 能天気で楽観的な彼でも、さすがに場の物々しい雰囲気を感じ取ったようだ。


 ごくりと生唾を飲み込む喉の動きが見える。

 ヒバナの心臓の鼓動は、無関係の友人を巻き込んでしまうかもしれないという感情と、超能力者として罵声を浴びせられるかもしれないという感情、正体をバラさなければならないという感情で、にわかに早まった。


「さ、さっきから何言い合ってんのかよく分からねえけど……まず訊きたいのはさ。ヒバナ、お前一体何者なんだ?」

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