File 36: What to do
白い天井。どうやら自分はベッドに寝かされているようだった。
夜風が頬に当たり、気持ちいい。
ヒバナはしばらくぼうっとしたまま、状況を把握することに努めた。
「たしか、俺は……」
モグリに致命傷を負わされ、気絶した。
そこから随分と長い間夢を見ていた気がするが、すでに朧気で思い出すことができない。
そして、目を覚ましたらここだ。
あの時、いつもとは違うことが起きていた。
傷が中々塞がらなかったのだ。
そうだ、と思って斬り落とされた腕を動かしてみる。
どうやら綺麗に再生しているようだ。
大腿部の裂傷も問題ない。
それだけ確認すると、何となくほっとする。
生きていたことに安堵したというよりは、傷が綺麗に治っていることへの安堵だった。
何食わぬ顔をして生きることには、依然として抵抗がある。
どうして生き残ってしまったのか。ここらで棺に収まっておきたかったのに。
首を回し、周りを見てみるとエルが座りながら寝ているのが目に入る。
ヒバナが体を起こすと、エルはゆっくりと瞼を開けた。
「あ、起きたんですね。よかったです。痛むところはありませんか?」
「……大丈夫です。お騒がせしてすみません」
エルはにこりと微笑むと、お茶を差し出してくれた。
長時間意識を失い、ちょうど喉が渇いていたので、ありがたく頂戴する。
口内を潤わせ、しばらく考えたところでヒバナは尋ねた。
「あの、この場所は」
「ここはCPA内の医務室です」
「……なるほど」
初めて来た場所だ。普段ならほぼ絶対に立ち寄ることがないので、CPAの建物の中にそんな施設があることすら知らなかった。
「カズとモグリはどうなったんですか」
「逃げられました。あの後、残りのメンバーが回り込んで対処したのですが、一度影に潜られると手も足も出せず」
あの能力に対して、正攻法では歯が立たないだろう。
見失ったら再発見にも時間がかかる。
誰も責めることはできまい。
「まあ、仕方がないですね。快楽目的にしては動きが不自然ですし、予想が裏付けられただけでも収穫だと思います」
快楽目的で人殺しをするなら、わざわざ待ち伏せをするとは考えにくい。
キッカの睨み通り、CPAや捜査官に義兄弟の目的があるのは明白なように思えた。
「しかし、こうなると捜査の危険性の認識を改めなければなりません」
「わざわざ地下に潜んでいたあたり、狙撃のことも頭に入れていそうですしね。今回みたいに生半な準備だと返り討ちに遭うだけ」
キッカの作戦の大筋は、ヨウカの光線能力での狙撃だった。
つまり、影に潜られる前に意識の外から殺害を試みる算段だ。
そのためにバディを組ませ、わざと戦力を分散し、捜査官自身を囮にした。
だが、結果としてうまく行ったとは言い難い。
タイキの援護が間に合っていれば、もっと有利に戦況を動かせたはずだ。
だからといって悠長に到着を待っていれば一般人が襲われたり、一目散に逃亡される可能性もあったので、難しいところではあるのだが。
「彼らはいずれまた姿を現す。とにかくその時に、有利な条件に持ち込むことが重要ですね」
タイキの能力であれば、室内外問わずに相手の動きを拘束できる。
その場合、ネックになるのはモグリのほうか。
あの俊敏さが相手では、タイミングを見計らうのにも骨が折れる。
一度回避されてしまった時のリスクを考えると、易々と実行できるものではない。
だが、結局リスクがゼロの作戦などないので、念波を軸にして試してみる価値はあるように思えた。
相手の出方次第な部分もあるが、勝算としては上々だろう。
キッカもそのことは想定済みであるはず、と提言する必要性を吟味していると、
「でも、ヒバナさん。不思議なんですけど、少し落ち着いたように見えます。夢の中で何かあったんですか?」
とエルは冗談めかして笑った。
彼女からしたら、相当やけっぱちに映っていたのだろう。
友人に見つかったからと言って、禍根を残すような口調で冷たくつっぱねたのだから、そう思われても仕方がない。
自分の幼稚な振る舞いに恥じ入り、
「夢の中……何かあったかもしれません。覚えていないですけど」
ヒバナは遠慮がちに目尻を下げた。
そして、徐に視線を伏せ、
「……あの時の俺は、仕事以外のことを考えたくなかったんだと思います。目の前のタスクをこなすことに集中していないと、プツンと糸が切れてしまいそうで。だから、横やりが入ってパニックになったというか」
「ようは一回糸が切れちゃったんですね。それで落ち着いたと」
「そう。そうです。峠を越えた、みたいな。ずっと悩んでいても、埒が明きませんから」
依然、靄がかかったような気持ち悪さを抱えつつも、ストレスや疲労感を顔に出さなくて済むくらいには心が安らいでいた。
特に何も解決したわけではないのに、何かを超えたような妙な充足感がある。
体を休めたことで、ある程度開き直ることができたのだろう。
全ては妹のため。
彼女が笑顔で過ごしてくれるならば、他のことはどうだっていい。
超能力者だとか、無能力者だとかは自分にとっては建前でしかない。
今でもそう思っている。
だが、段々とその手段への疑念は強まっていることには違いない。
このままではダメだという漠然とした思いが、ふつふつと湧いてきていた。
つまるところ、人殺しのような真似からは、一刻も早く手を退きたいのだ。
限界を超えた今、以前のように平気な顔をして人を殺せる自信はなかった。
「エルさんは、人を殺したことがありますか」
共感を得たいがために、何となしに尋ねてみる。
「……ありますよ。といっても、両指で数えられるくらいですが」
「嫌じゃありません?」
「もちろん、進んでしたいとは思いません。でも、悪いのは自分ではなく、それを強いるCPAだと思っているので」
「……実際、そうだと思います」
その感覚はヒバナにも通ずるところがあった。自分たちはパーツ。
言われたことを淡々とこなしているだけ。
己の意思で人を殺しているわけではない。
だから、どれだけ恨み節を吐かれようと、知らんぷりできる。
責任はここには無いぞ、と。
「難しいところとしては、私たちの立場だと同族殺しになってしまうところでしょうか。超能力者を殺そうとするたびに、自分が殺される可能性を嫌でも想像しなければならない」
たしかにそうだ、と思った。
もし自分が無能力者であったなら、よりはっきりと割り切ることができるだろう。
相手の痛みにここまで敏感なのは、同族であるからだ。
冷徹になりきれず、罪悪感を感じてしまう原因はこの辺りにある。
「だから名誉無能力者と自らを称して、罪悪感を誤魔化す捜査官も多いですね」
「名誉無能力者、ですか」
無能力者に屈服し、超能力者が本来持つ咎を免れた存在。
無能力者を救うために、絶対の正義を掲げた存在。
近しいことを無意識のうちに考えていたヒバナでも、いざそういう名前を与えられると抵抗感があった。
それは明らかに差別的な要素を含んでいる。
使っている自分を想像して、生理的な嫌悪感を抱き、
「たしかに楽にはなるでしょうが、殺人行為がエスカレートしそうで怖さもあります」
「まあ、今更です。キツイこと言いますが、貴方がいくら罪を贖おうとしたところで、殺した相手は帰ってこない。だったら、最後まで正義を貫くべきだと思います。それがどれだけ間違っていようと。罪を背負う覚悟を持っていないのなら、最初にスカウトされた段階で首を縦に振ってはいけない」
そう、こうなることは最初から分かっていた。
自身の命が天秤にかけられていたとはいえ、あの段階で殺人行為を承認したのは紛れもない自分。
嫌であれば、大人しくCPAの刺客に殺されておくべきだった。
罪を贖い、楽になりたがっているのは、つまるところ自分勝手な甘えでしかない。
(あれだけ平気で殺してたくせに、今更殺人行為のエスカレートもクソもないか)
だが、それを自覚しても尚、名誉無能力者という言葉を使う気にはなれなかった。
間違った正義に心まで屈服するつもりはないという、ささやかな抵抗。
つまるところ、CPAの掲げる正義をどうしても認めることができなかった。
「……そうですね。エルさんの言う通りだと思います。俺は心のどこかで甘えていて、罪の重さに耐えきれなかった。でも、」
ヒバナは言葉に詰まりかけながら、胸の中の蟠りを押し出すように、
「このままではいけない。何かを変えないと」
と言った。
エルは唇をきゅっと噛み、視線を回す。
「……この世界は突き詰めれば、弱肉強食です。強いものが正義、弱いものは悪。自分より強いものに負け、自分より弱いものに勝ち続けているというのが私たちの現状と言えるでしょう。それを打破したいなら、方法は二つしかありません」
「たった、二つ」
エルはこくりと頷く。
「強いものから一目散に逃げ出すか、強いものよりさらに強くなるか」
この場合、前者に当てはまるのは自殺だったり、変化そのものを諦めることだったりするのだろう。
そして、後者はCPAへの反抗。
間違った正義を強いる組織を、内側から変える。
たしかに、それができなければ根本的な解決はしない。しかし、
「CPAより強くなるって、想像が難しいですね」
「まあ、簡単ならすでに誰かがやっているでしょう」
突然変異の仕組みの解明が最良。
少なくとも「殺人」という手段の善性を削ぐことができる。
だが、それだけではおそらくCPAは止まらないということは、最近になってようやく理解し始めていた。
たとえ突然変異が無くとも、超能力を得て気が大きくなっている人間は甚だ危険だ。
この事実にかこつけて、今とほとんど変わらずに超能力者を迫害するに違いない。
だから、解明しようがしまいが、結局は力勝負になる。
自分たちを抑えつけているものを変えようとするなら、ある程度の武力行使は避けられないだろう。
強いものより強くなることは、どこかで絶対必要になるのだ。
「うーん。どうしたらいいと思います?」
「まずは胸の爆弾を取り除かないと」
「あはは。そうですね」
強制生命停止装置。
これが胸に組み込まれている限り、怪しい行動はできない。
無理やり外そうものならまず間違いなくその場で爆発するので、扱いに困る。
「あれ、でも。これだけ複雑な機構になると、素人では歯が立たない。もしかして、俺たちって詰んでません?」
「はい、詰んでます」
「どうしましょう」
「……」
二人は揃って沈黙する。
「どうにせよ、今は私たちにできることはありません。名誉無能力者として振る舞うしか選択肢はない」
「いやあ、つくづく無力ですね……」
正直これ以上人を殺すのは嫌だったが、割り切るしかない。
せめて妹の手術代が稼げるまでは、罪の重さに耐えよう。
それまでは従順なフリをする。
大義名分が揺らぎ、否定しつつある今、壮絶な心痛が伴うだろうが――覚悟の上だ。
ヒバナは相手の表情を窺う。
四面楚歌の状況を嘆くのはそこそこにしたかったが、どうしても気になることがあったので尋ねずにはいられなかった。すなわち、
「……エルさんはどうです? 現状に納得していますか」
話の筋からすると、自分と同様に殺人を肯定する組織に疑問を持ち、現状に不満を抱いているように聞こえる。
少なくとも、名誉無能力者という言葉を妄りに使うほどには、冷徹になりきれていない印象だった。
「前も言いましたが、私は弱肉強食の世界が嫌いです。本当は、当事者なんかにはなりたくないんですが」
その目は、艶やかな憂いを帯びていた。
程度の多寡はあれど、誰もが誰かを虐げることでしか生きていけない。
そんな生きることに対するジレンマを嘆く彼女にとっては、殺人などおおよそ容認できるものではないだろう。
現状に納得しているはずもなかった。
「じゃあ、力を貸していただけませんか」
「私は別に、超能力者の隆盛も望んでいません」
「違います。俺の望みは――共存です」
途端、エルの表情が晴れたように明るくなる。
が、すぐに現実を直視したかのごとく俯き、
「……考えておきます」
彼女はそう言うと、時計を見て、立ち上がる。
どうやら帰るみたいだ。
当たり障りのない別れ際の挨拶を交わし、医務室を出て行く背中を見送った。
一人残された部屋で、シンキング。
難しい顔をして悩み込んだ。
どれだけ妹のためであろうと、人殺しは決して胸を張れるような行為ではない。
今回の精神の不調で嫌というほど痛感した。
そこにいかなる正義も存在しない。
あるように見えるのは、ただのまやかしだ。
だから、今まで変えようがないと思っていた部分を、見直す必要がある。
超能力者への差別意識を、共存の道に導く。
そのために、誰よりも強くなる。
いつまでもパーツに成り下がっていてはいけない。
決して平坦ではないだろうが、やってやろうではないか。
それこそが自分の贖罪だと、ヒバナは胸に刻み付けた。
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