【第ニ巻】The Chain

第一章 The Chain

File 30: Oozing

 肌を刺す、冷たい夜の空気。

 肺を押し潰したように苦しそうな子どもの息切れが、閑散とした月明かりの下で響いていた。


 ここは人気のない臨界区域。

 通称、狩場。

 無数の廃倉庫とコンテナが立ち並ぶこの場所は、対超能力者機関の捜査官が、超能力者を追い詰めるのによく利用するフィールドだ。


 そこを縦横無尽に駆け抜けるのは、一匹の猫。

 雉の柄の子猫だ。

 不思議なことに、人間の子どもの息切れはこの猫の口から発せられていた。


「はっ……はっ……。なんだよ、あいつ……!」

 

 人語を喋る猫。

 ともすれば奇怪なこの光景に、まったく動揺を見せない人影があった。


 半身を黒い鱗で覆った、威圧的な風貌の若者。

 彼は人間離れした速度で風を切り、子猫を追いかけている。

 その鋭い爪、金色の瞳からはありありとした殺意が感じられ、猫を切り裂かんとしているのは明白だった。


 怪物。

 そういって差し支えない見てくれは、走る小動物に得体の知れない恐怖を与える。


 それはコンテナの上に飛び乗り、拓けたところから目視で追跡してきた。単純な直線勝負では自分は不利。いずれ体力が尽きてしまうだろう。

 そう判断した子猫は、急ブレーキをかけ、直角にスライド。そして、コンテナとコンテナの隙間に逃げ隠れ、何とかして撒こうとした。

 

 コンテナの間は狭く、暗い。

 力に任せて突っ込もうにも、非効率的だった。

 立ち止まる半身の怪物。

 

 よし、追ってこない。

 子猫が安心したのも束の間、鋼鉄の塊に紫電の雨が降り注ぐ。

 それは鼻先すれすれまで迫り、地面を深く抉った。

 

 このままここにいては、消し炭にされる。


 突然の強襲に、歯の根が合わぬほどの戦慄を覚える。

 状況がよく理解できないまま、死を直感した子猫は急いで暗闇から飛び出した。


「鮫島さん」


 しかし、怪物の合図とともに、白髪の男が姿を現す。

 男は子猫と鉢合わせのような恰好になると、悲し気な視線を寄越し、おもむろに手をかざした。


「……ッ!?」


 途端、猫の体が真下に強く押し付けられる。

 まるで自分の体重の何倍もあるような人間に乗っかられたような感覚。

 内臓が圧迫され、うまく息ができなかった。


「――はい。武本捜査官と同じ変身能力ですが、スカウトは……やはりそうですか」


 白髪の男は何やら無線で連絡を入れ、目に見えて落胆した。

 スカウトとはなんのことだろう。

 そもそも自分は何で追いかけられているのだろう。

 この人たちは?

 酸欠で遠のいていく意識の中、必死で思考を巡らせるが、答えは一向に出ない。


 自分は猫になる能力を使って、ただ遊んでいただけ。

 そして、気づいたらこんな所にいた。

 そこから、なぜ敵意を剥き出しにし、相手は襲ってきたのか。

 怖くて反射的に逃げ出したが、あまりにも腑に落ちない部分が多すぎた。


 体の力が抜け、変身がみるみるうちに解けていく。

 少年は人間の姿に戻り、弱々しい目で白髪の男に助けを乞うた。


「た、助けてください……」

「……すまない。それは無理だ。俺たちは今から君を殺さなければいけない」

「な、なんっで」


 少年は大粒の涙を流す。

 それを見た男は胸を痛ませながらも、粛々とした態度で


「残念ながら、超能力者に生きる権利は無いんだ。最後に何か言いたいことはあるか」


 と無慈悲な宣告をした。

 一瞬、時が止まったようにポカンとする少年。

 しかし、相手の発言の内容を理解すると、顔を大きく歪ませ、泣きじゃくり始めた。


「助けて……助けてよお……俺、なんも悪いことしてないじゃん。うわあああああああああ」


 たしかに悪いことはしていない。

 どうしてこのようなほぼ無害の子どもを殺さなければならないのか。

 仕事とはいえ、良心が痛んだ。


 あと少し念波を強めれば。

 少年の肋を砕き、内臓を潰すことができる。

 自分の裁量ひとつでこの子の未来を決めてしまえる。


 その事実は男を迷わせるには充分だった。

 本当に殺してもいいのだろうか。

 正義とは、本当にこのようなことを肯定しうるのか。

 ひとたび超能力者が突然変異を起こせば、数十万人が犠牲になるのは明らか。

 だが、それにしてもこれは惨いのでは――。


 手が震え、額から汗が伝う。

 時間が経てば経つほど迷いは肥大化し、呼吸が荒くなる。


「――どいてください」


 背後から鐘のような声。

 慌てて体を退かせると、怪物が跳ね、男のすぐ真上を通り越した。

 

 そして、少年の痩躯を踏み潰す。


 痙攣を起こしたそれはすぐに動かなくなり、生温かい赤色を地面に広げた。

 ほとんど躊躇なく行われた残虐な行為に、男は呆然とし、


「おまっ……そんな簡単に……」

「? どうしたんですか?」


 こいつは本物の怪物だ、と男は思った。

 人の体を踏み潰してケロッとしているように見える。

 しかし、手段はどうあれ、捜査官としては正しい行いをしたと言えるので、ひとまず言いたいことを飲み込んだ。

 

「いや、すまない。どうも俺は子どもが苦手で……先輩失格だな、こりゃ」

「分かりますよ、その気持ち」


 その発言に得体の知れぬ恐怖を抱き、


「武本捜査官……お前は辛くないのか?」


 と尋ねずにはいられなかった。

 すると怪物は視線を伏せがちにして、答える。


「辛いに決まっています。でもこれは、仕事なので」


 仕事。

 そう。言われてみれば、それは当たり前のこと。

 自分たちは超能力者を殺すことで飯を食べている。

 だが、だからといって簡単に割り切れるほど、状況は生易しいものではなかったはずだ。


(こいつ、壊れてやがる……)


 幾人もの超能力者を殺してきた自分と比較しても、怪物の若者の精神状態はすでに異常な域に達していると思った。

 

 まるで何か呪縛のようなものを振り切るかのように。

 しきりに自身の正義を確かめるかのように。

 

 感情を残虐性で抑えつけ、無理矢理求められているところに達しようとしている。

 つまるところ、その先にあるのは破滅でしかない。

 何かひとつ歯車が外れてしまえば、怪物の精神は後戻りできないものになってしまうだろう。


 そういう危惧があったものの、結局口に出して忠告することはなかった。

 それを言う資格は自分には無いと思ったからだ。

 彼は少なくとも捜査官としては――立派なことをしているに違いない。


 白髪の男は自分の情けなさを自覚し、深いため息を吐いた。



***



「ご苦労だった。武本捜査官」

「いえ」


 秘密裏に超能力者を殺す役目を与えられた世界機関、通称CPA。

 霞ヶ関にあるその本部で、会議を待つ2人は、何となしに立ち話を始める。


 ここに足を踏み入れてからはや数ヶ月。

 

 新人捜査官、武本ヒバナはその人相に深い影を落としていた。

 瞳の光は消え、雰囲気は暗く鋭いものに。

 時折見せる笑顔でさえもどこか演技めいていて、ぎこちなかった。


 その変化に、上司である七海キッカが気が付かないわけもなく。

 厚い瓶底眼鏡の奥から、見定めるようにねめつけ、


「大丈夫か。少し疲れているように見えるが」

「ああ……まあ、はい。ご心配には及ばないかと」


 あまり安心できないような笑みにキッカは嘆息する。

 そして、


「13だ」

「はい?」

「君がこの仕事に就いてから、超能力者を殺した数」


 もうそんなになるか、とヒバナは少し驚いた。

 人を殺すことなんて、3回目以降はどれも一緒のように思えて数えたことすらなかった。

 しかし、改めて聞くとこの数は異常だ。

 とても正気の沙汰とは思えない。


「他の捜査官と比べてもかなりハイペースだ。私の目には消耗しているように見える。そこで提案なんだが、カウンセリングでも受けてみないか」

「……気持ちはありがたいですが、休むわけにはいかないので」


 ヒバナとしては、一刻も早く妹の手術代を稼ぎたかった。自分が休んでいる間にも、病魔は確実に彼女の体を蝕んでいる。そんな状況で、実の兄が悠長なことはしていられないだろう。

 

 また、ひとたび休んでしまえば、自分が何をしでかすか分からないといった恐怖もあった。気持ちを落ち着けて自らの所業を顧みるのは、何となく怖い。

 目の前のことに集中し、淡々と与えられた仕事をこなしていることでしか、自我を保っていられないような気がした。


 ヒバナの気持ちを汲み取ったキッカは、小さく「そうか」と零し、


「君は私たちの重要な駒だ。くれぐれも無理はしないように」

「の割には、結構無茶させますよね」

「仕方ない。そういう仕事だ」

「あはは」


 ある程度の無理はやむなしといったところか。

 それでも、壊れて欲しくはないという気遣いは本物のように感じた。


「……七海さんは俺たちの命を握ってるんですよね」

「執行権の話か」

「はい」

「それがどうした」


 ヒバナらCPAで働く超能力者の胸には、小型の爆弾が埋め込まれている。

 突然変異を起こした時に、速やかに生命を断つためだ。

 

「どう思ってますか、俺たちのこと」

「……部下だ。それ以上でも以下でもない」

「人間扱いしてくれるんですね」

「時と場合によるがな」


 キツい物言いだが、これでも優しいほうなのだろう。

 自分たちは本来、道具扱いされてもおかしくない存在だ。

 

「……君はどうなんだ。自分の命のこと、どう思っている」

「自分、ですか」


 ヒバナはきょとんとし、そして掠れた声でつぶやく。


「たぶん、どうでもいいんだと思います」



***



「――どうでもいいんだよ、お前なんか」


 高層ビルが立ち並ぶ煌びやかなオフィス街。

 その光の届かない路地裏で、2人の若者と1人の中年が揉め事を起こしていた。


 贅肉を蓄え、高そうな服に身を包む中年は、ワッチを被る青年に大量の札束を渡して命乞いをしたのだが――その願いは残念ながら聞き入れられなかった。

 

 すぐ近くで血を流し、くたばる中年の付き人。かなりガタイの良い体格をしているはずなのだが、呆気なく絶命している。というのも、若者のうち、青いパーカーを着ているほうは銀色の真剣を携えていたからだ。


 突如として刃物で斬りつけられれば、どんな屈強な男でも大抵は成す術は無い。

 まして、青パーカーは負けず劣らずの巨体だった。

 

 このままでは冷たくなった付き人と同じ結末を辿る。

 恐怖で動けなくなる中年。

 ワッチの青年がお金を渡したら命だけは助けてやると言ったので、彼は慌てて自身のカバンの中からありったけの金を差し出した。


 事の顛末は大体こんな感じだ。


 が、青年は金を受け取ると態度は一変。

 命を助けるという約束を反故にされ、首元に日本刀を突きつけられる。

 

「いいか? 大事なのは金だ。金があれば何でもできる。用があるのは、間違えてもお前じゃない」

「なっ……約束が違うぞ! そ、それに、私を誰だと思っている!? 殺しでもしたら大問題に――」


 青パーカーは中年が言い切る前に、日本刀を滑らした。

 赤い血飛沫をあげながら、中年の首が地面に転がる。


「さ、金は手に入ったし、行こうぜ。モグリ」

「……」


 モグリと呼ばれた青パーカーの男は、黙って首を縦に振った。


「しっかし、CPAってのはどこにあるんだあ? 調べても出てこねえし。なんか良い案ある?」

「これ……使おう。カズ」


 モグリは先程切り飛ばした中年の頭を踏みつける。

 彼の言葉を聞いたワッチの青年、カズはにたりと笑って、


「おー、そりゃ名案だ。さすが俺の弟」

「……」


 モグリはわずかに口角を上げた。

 身近な人間でなければ分からないほどの表情の変化だったが、それは彼なりの精一杯に違いない。つまるところ、モグリという人間は自己表現が苦手だった。


 カズはそれを見て白い歯を見せ、相好を崩す。

 そして、札束をポッケに無造作にねじ込み、髪の毛を掴んで中年の首を拾った。


 生首を持ったまま、カズは裏路地を出る。

 赤い血液が生々しい痕を点々とつけ、モグリはそれを踏まないように慎重に避けながら後を追った。


 表通りに出て、街灯に照らされる2人組。

 深夜なので、人気はない。

 きょろきょろと辺りを見回して、上のほうに監視カメラを見つけると、生首を掲げ、


「いいか! 俺らがぜってえCPAをぶっ潰す! この顔をよーく覚えておけ!」


 がははと高笑いするカズ。

 見せつけるように、道端にぽんと、首を放り投げた。

 

 刹那、彼らの足が地面に埋まる。

 アスファルトがまるで溶けたみたいに柔らかくなり、ずぶずぶと両者の体を飲み込んでいった。


 ――影の中に消えた。


 そう形容する他ない超常現象。

 東京の裏では、怪しい思惑が蠢き始めていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る