File 24: Feel bad
宇田を爆破した。
やっとだ。
やっとの思いでその場所を特定し、爆破することができた。
私は悲願を達成し、歓喜にうちひしがれる。
立場が逆転したことで少々熱りが冷めていたが、それでもやはり憎い人間が消えるのは嬉しい。
これで私をいじめていた3人が全員消えた。因果応報という奴だ。やつらはそれをされるだけの大犯罪を犯していたのだから、仕方がない。
人をいじめるのは死に値しないというのは、今更野暮な突っ込みだろう。その価値観は誰が決めたというのだ。
いじめだけではない。陰湿な悪意を振りかざした者は、等しく裁かれるべき。その正義を証明するためなら、何だってしてやる。
とにもかくにも、宇田の死によって、更に上の悲願に近づいたような気がして、赤飯でも炊きたい気分だった。思わず口元が綻び、「どうしたんですか?」と運転手に訝しまれる始末。
あとは相手が動揺してくれれば万々歳だが――どうやらそういうわけにはいかなかったらしい。
CPAは依然としてしつこく後ろをつけてきているようだった。
そろそろ爆発について連絡があったはずなのに、そちらに向かわないのはなぜ? 私が犯人という確信を持っているためなのか、それとも別の人が向かっているのか。どうにせよ、都合が悪いのには違いない。
その時、耳をつんざくようなサイレンの音が後方から聴こえてきた。
「そこの黒のハイヤー。止まりなさい」
いつか私を取り調べした、あの公安もどきの女性の声。それに従って運転手が減速しそうになったので、
「違う!! そのままスピード上げて!!」
「ええっ。でも……」
「責任なら私がとる!! だから、速く!!」
宇田を爆破した。
その直後にサイレンの点灯。
何か、悪い予感がした。このまま素直に降りたら、尾崎の話通り、容赦なく殺される。そんな予感だ。
だから、私は運転手に後続の車を振り切るよう要請する。こうなったら、力づくしかない。逃げて逃げて逃げて――そして、私は生き残るんだ。
「や、やっぱり止まろうよ、お嬢ちゃん……」
迷う運転手。
そりゃそうだ。こんないっぱしの小娘に責任をとると言われても、信用できないだろう。状況もよく分かっていないはずだ。
仕方がない、と私は嘆息し、
「止まったらあんたも殺す」
「ええ……何を言って……」
「実はね。私は爆弾魔なの。もちろん、この車にも爆弾を仕掛けてる。ブレーキを踏んだら、どうなるか。命は惜しいでしょ?」
脅すような真似は正直したくはなかったが、従わせるためにはこの方法しか思いつかなかった。
警察に執拗に追われているという事実も鑑みて運転手は動揺し、声を震わせ、
「で、でもっ。そんなことしたら、君だって死ぬぞ!?」
「死ぬのは嫌だけど。捕まるくらいなら、私は自死を選ぶ。つまり、そういうこと」
運転手は戦々恐々として、生唾を飲み込んだ。
こうして暗闇の中、凄絶なカーチェイスが始まる。
トラックや乗用車を次々と置き去りにし、信号を赤に切り替わるギリギリで通過。
クラクションや急停止のブレーキ音が鳴り響き、同じリズムを奏で続けるサイレンと相まって、その喧騒はまるでクラシックの演奏のようだった。
道路を駆け抜ける2つの車。
真上から見上げたら、黒と黒の点が同じルートを辿っており、軌跡を結ぶと中々面白い。
運転手も運転手で、必死の形相で見事なハンドルさばきを披露していた。
(全然離れない……!! なんなのあの女……!!)
しかし、いくら走っても距離が大きく開くことはなかった。これでは事故を起こすほうが先かもしれない。
「しょうがない……か」
これは奥の手だ。
一度失敗したら、もう取り返しはつかない。
だが、使うタイミングはまさにここなのだろう。
私は集中する。
そして、相手の車にしがみついている人形を爆破した。
***
それは反射的だった。
微かに感じた異音。頬を撫でる熱。
わずかな兆候から、この車に爆弾が取り付けられていることを悟り、隣に座るキッカに手を伸ばす。
どうか助かりますように、と。
いつか見た光景。
そういえばあの時も、こうして車内で手を伸ばしたなと思い返す。
様々な思い出が唐突にフラッシュバックし、頭が割れるように痛くなった。
――――この、悪党ッ!!! どうしてッ!! どうしてえぇッ……!!
妹から初めて向けられた明確な敵意。
あの日見た、憎悪と涙が入り混じった双眸は、忘れたくても忘れられないトラウマだ。
あれ以来、自分はできるだけ良い人間でいられるよう努めてきた。今ではもはやそれがアイデンティティの一部となるくらいには、ごく自然に、無意識のうちに、それを行なっている。
妹に本気で激昂されたのは最初で最後の体験だったが、心の奥底に相当根深く居着いているのは間違いない。どうしてあの時ちゃんと弁解しなかったのか、どうしてあの時家族全員を助けられなかったのか。考えれば考えるほど後悔の海に溺れ、窒息しそうだった。
意識が闇に落ちる。
次の瞬間には、廃墟のようなものが立ち並ぶ、異様な空間にいた。
「ここは……」
一度来たことがある。
あの事故の時に来た場所だ。ということは、奴もまたどこかにいるのだろう。長らく忘れかけていたが、そういえばそうだった、と回顧する。
周りに人はいない。
あるのは枯れ果てた植物と動物の死骸、そして文明がかつてそこにあったことを示すような、大量の瓦礫だけだ。
黒く分厚い雲が空を覆い、視界はあまり良好ではなかった。
まるで核戦争の後のような、絶望的な光景。
「終わった世界」とでも呼ぶべきだろうか。急にこんな場所で目覚めた理由はよく分からないが、ここがいわゆる心象風景であるということは何となく察知していた。つまり、この目に映っているものは夢だ。現実ではない。
だから、ここで過ごした時間と現実の時間は大きく異なる。次目を覚ませば、自分は爆発の真っ只中のはずだ。
しばらく歩き続きていると、
「よぉ、久しぶりだな」
という声が上方から聴こえてくる。
怪物。
怪物がいた。
奴は瓦礫にふてぶてしく腰掛け、値踏みするような視線をこちらに向けてくる。
「俺を頼ってくるなんざ、何年ぶりだ? どうした、心変わりでもしたのか」
「勘違いするな。命の危険にさらされているだけだ」
「ははーん、なるほどなるほど」
怪物は全てを察したように、顎を触る。
「分かった。力を貸してやる」
「いいのか?」
想定より随分あっさりと承諾したので、驚いた。
「……お前、俺が前言ったことを忘れてるんじゃねえだろうな」
「……わ、忘れてるかもしれない」
「誤魔化すんじゃねえよ、しゃらくさい。まったく、これだから人間は」
やや不機嫌そうに頭を掻く怪物。
鋭い爪であれだけでも痛そうだが、硬い皮膚があるので大丈夫なのだろう。そんな余計なことを考えていると、
「俺はな、紛れもなくお前だ。お前の本心だ。だから、お前が心から望んでいることは、俺の望みでもある」
「……そうか」
「ただ、条件が無いわけじゃねえ」
「というと?」
「俺は自由!! 何にも縛られず、衝動のままに行動する!! だから、何をするか、いつ引っ込むかは完全にこっちの判断だ!! ――それを呑めるなら、助けてやろう」
リスクはそれなりに大きい。曲がりなりにも、相手は自分の本心だ。衝動のままに動かれたら、何をされるか分かったものではない。
だが、可否を選べる立場ではなかった。こいつの力を借りなければ、まず間違いなく爆風に巻き込まれて死ぬ。だから、
「ああ、呑もう。好き勝手やってくれ」
とほとんど迷わず即決した。
すると、怪物は少しだけ驚いた表情を見せる。
「いいのかよ。やっちまうぜ?」
「なんだ、まどろっこしいな。いいって言ってるじゃないか」
「いや、さっきも言った通り、俺はお前の本心だ。だから、お前の考えていることの一部は何となく分かるんだが――お前、自分の命を惜しいとは思ってないだろ?」
それなのになぜ、多大なリスクを背負ってまで自分を頼ってくるのか。怪物はどうやら理解に苦しんでいるようだった。
「俺もよく分からないけど……たぶん、妹だ。チルがいるから、俺は今のところ死にたくはない」
「妹を悲しませたくないから、ってか。なるほどな」
怪物は合点がいったとばかりに、こくこくと首を縦に振った。
「いいだろう。力を貸してやる。しかしだな」
「?」
「お前のパーツみたいな生き方には賛同しかねる」
パーツ。
たしかに、自分はそういう生き方を選択しているかもしれない。極限まで自己を押し殺して、社会のため、他人のために動くことが多い。
だが、それはヒバナだけに限った話ではない。
人間は群れを形成する生き物である以上、大多数は歯車として機能する。
もちろん、程度の差はあるだろう。自由気ままに生きる人、組織に身を置いてせこせこ働く人――世の中には多種多様な人間がいるが、ほとんどの場合、生き方の違いは優先順位の差。誰一人として完全な孤独では生きていけないはずなので、パーツでない人を見つけるほうが難しいとも思えるが――。
そういう意味では、怪物もいっぱしの人格である以上、完全な自由ではない。優先順位の一番上が、圧倒的に「自分」であるだけだ。
(まあ、完全に自由なら、自由を追い求めようとはしないか)
もしかしたら、どれだけ追求しようと依然雁字搦めであるのが、コンプレックスなのかもしれない。だから、わざわざ口に出して諌めるような真似はしなかったが、代わりに、
「パーツにはパーツなりの矜持があるんだよ」
と答える。
怪物は腹に据えかねたのか、眉を顰め、
「くだらん。まっこと、くだらん」
そう言って、瓦礫を飛び立つ。
一瞬で眼前に現れたかと思うと、
「しばらく、ここで眠っておけ」
腹に重い鉄拳を一発ぶち込まれる。
ヒバナは気を失い、力なくその場に倒れ込んだ。
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