File 19: Haze
「入ってったな……」
雑居ビルの前に車を止め、和泉ヨウカはぼそりと呟く。
ターゲットである江口が久しぶりに動きを見せた。その真意は今のところよく分からない。行き先が学校ではないあたり、何か明確な目的があるのだろうが、予想すらつかなかった。
窓を叩く雨音に負けないよう努めながら声を張り、ヨウカは車内のヒバナとカオルに尋ねる。
「あれ、なんの建物や?」
「えーっと、ちょっと待ってくださいね」
ヒバナは手元のパソコンを使い、雑居ビルについて調べる。誰かの自宅などかと思っていたが、
「キーガン教……宗教法人があるみたいです」
結果は意外なものだった。調べた限り、江口と宗教の関わりは見られない。どうしてこんなところに用があるのか。
「宗教? なんやけったいなこと考えてそうやな」
「そうですね……」
いきなり宗教とは、奇怪だ。ますます爆発事件の犯人ではないかという疑念が強まる。
しかし、このままでは中の様子が分からない。閉鎖的で、良からぬことを企てるのにはうってつけの場所だ。どうにかして捜索をしたいが――。
そこで、ヨウカの腹の音が鳴った。
「あはは! ヨウカ、間抜けだな!」
「な、なんやて! しょうがないやろ! もういっぺん言ってみい!」
後部座席でゲームをしていたカオルが、ここぞとばかりに大笑いする。それに対し、顔を真っ赤にしてヨウカは怒鳴った。
「そろそろ昼食にしましょうか。今日、お弁当作ってきたんですよ。よかったらどうぞ」
そう言って、ヒバナは3人分のお弁当を取り出す。
「おま……女子力高いな」
「おお! うまそー!」
自分との女子力の差に驚愕するヨウカと、そんなことはお構いなしに涎を垂らすカオル。
このお弁当は昨晩、珍しく時間ができたので作ったものだ。やっていくうちに凝り出し、重箱のような見た目になってしまったが、美味しそうに頬張る2人を見て、その甲斐はあったなと満足する。
「なにこれうまっ……ヒバナ、うちと結婚する気あらへん?」
「え? えーーーっ!? けけけけけ結婚ですか!?」
「なんやおもろい反応やなあ? うりうり」
「ダ、ダメというか、いきなりすぎるというか……」
「なははは! ジョーダンジョーダン。もしかして本気にしたんか?」
「あっ、そ、そうですよね! すみません!」
唐突に好意を告げられヒバナは焦ったが、それが冗談であると分かって自身の愚鈍さを反省する。
ぐるぐると色んなことが頭を巡って、冷静さを取り戻せないでいると、後方からぼそりとカオルが呟いた。
「ほんと趣味悪いなあ……にひひ」
それはヒバナにもヨウカにも「何か言ったのは分かるが、何と言ったのかは分からない」という程度の声量。悪戯っぽく笑うカオルにヒバナは首を傾げ、
「どうしたんですか?」
「いやあ、なんでも。それより、ゴキブリ」
「あの、ゴキブリって呼ぶのやめてください。マジで傷つくんで」
早口でまくしたてた忠告は、どうやら馬耳東風らしい。
「食べ終わったら建物の中、調べに行きなよ」
「えええぇ……変に刺激したりしませんかね?」
「刺激したところでゴキブリなら大丈夫でしょ」
たしかに、自分であればたとえ爆発が起こったとしても生き残る可能性は高い。だが、計画性の無い突撃は、こちらが捜査の手を緩めていないことを勘づかれ、状況がややこしくなるだけのようにも思えた。
食べ終わり、箸を片付け、お茶を飲む。一息ついたところで、ボブヘアの少年に尋ねた。
「そもそも、捜査令状なしで行っていいんですか?」
「そりゃ令状無かったら強制力は無いよ。やるなら任意かな」
「任意の聴取……引き受けてくれるでしょうか」
「じゃあ入信するフリをして、潜入捜査、とか」
「あっ、それいいですね」
合理的な提案。それに、信者のフリをして内部を探るというのは、ちょっと楽しそうだ。ヒバナが作戦の段取りを話し始めようとすると、
「いってらー」
「えっ?」
刹那、カオルは左手でヒバナの体に触れる。すると、彼の姿は跡形もなく消え去った。一瞬の所業。車内に残されたヨウカは少し焦りを含んだ表情で、その意図を問いただす。
「……え、ええんか? あんな雑に送り出して」
「ま、なんとかなるでしょ。中の状況が分からない以上、ここでグチグチと相談しても意味ないし」
「ふーむ、そんなものか。しっかし、七海さんはなんて言うんやろなあ」
「キッカ、学校にいるんだっけ? 連絡したほうがよかった?」
「……たぶん」
テヘッとお茶目に舌を出すカオル。それに対し、ヨウカはすかさず、
「やっちゃった、ちゃうわ! あほー!」
と突っ込む。
「まあまあ。なんとかなるでしょ」
「……やといいけど」
ヨウカは嘆息し、あの雑居ビルの中で何が起こっているか、思考を巡らせる。
江口が犯人だとするなら、宗教施設で爆弾か何かを製造している可能性は高い。その現場さえおさえればチェックメイトだ。
だが、そう簡単にしっぽを出すだろうか。もしかすると、向こうはこちらの尾行に気付いているかもしれない。そうであれば、これは罠ともとれる。もしくは「宗教に頼らざるをえないほど疲弊しているんです」アピールか。どうにせよ、江口の考えていることがまともじゃないのは確かだ。
ヨウカは念のため、無線でキッカに連絡を入れた。
***
畳の上に落下するヒバナ。
一瞬で場所が変わったので、思考が追いつかない。くらりと眩暈を起こしながら、辺りを見回した。前には両手を組んだ格好でぽかんとする人々、後ろには仰々しい祭壇。ここが何か、宗教と関連のある場所であることを悟るまでにそう時間はかからなかった。
(カオル君、凄いところに落としてくれたな……)
まるで敵地のど真ん中に送り込まれた気分だった。いきなり落下してきたことを、どう説明しよう。見た限り、江口の姿は無い。ここに長居しても誤解を生むだけだ。逡巡した結果、
「あ、すみませーん。間違えました。あはは」
ととぼけてその場を立ち去ることにした。
すたこらさっさと講堂を出ようとすると、
「神様……」
「私たちの願いが届いた……?」
という声が聞こえてくる。どうやら特異な現れ方をしたので、神様と間違われたらしい。「ほらみたことか、ややこしいことになった」とげんなりしたが、同時に「これは使える」と利用方法を閃いた。
「あの、江口レイナさんってどこにいるか分かります?」
ヒバナがそう尋ねると、
「あら、そういえばさっきまでいたんだけどね」
「尾崎ちゃんもいないわね」
「あの二人なら、裏の階段のほうに行ったのを見た」
と至極親切に情報を話してくれた。
神様と勘違いされなかったら、ここまで簡単には引き出せなかっただろう。ヒバナは「ありがとうございます」と礼を言い、本格的に絡まれる前に走り去る。
裏の階段。
この建物には階段に連なる非常階段しかない。おそらく屋上か上階に向かったのだと考えられた。秘密裏に集団を抜け出して、一体何をやっているのか。そして、尾崎とは誰なのか。
きな臭くなってきたところで、ふと足を止める。階段に繋がる扉の前は、物置のように色々なものが乱雑に置かれていた。薄暗く、埃臭い。蛍光灯はちかちかと点滅し、所々蜘蛛の巣が張っている。ここは、もう何年も人が訪れていない空間のように思えた。
「……誰もいない、か」
怪しい場所ではあったが、人の気配は無い。その時だ。ごそりと物陰から音がした。
「ん?」
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