File 18: Doll & Zest

 数日後、私は久しぶりに外出した。

 肌にまとわりつくような空気と、水滴の匂い。しきりに傘を叩く雨粒が、季節が徐々に移り変わっていることを教えてくれる。鼠色の空は分厚く、全体的にどんよりとしていた。まるで煮え切らない私の気持ちを体現しているようで、憎たらしい。こんな時くらいは目の覚めるくらいの青空であってほしいものだが、あいにくお天道様はそんなに都合の良い存在ではない。


 貰った地図を眺めながら、人のまばらな駅前を歩く。しばらくし、くすんだ色の雑居ビルの前で足を止めた。テナントのシャッターはことごとく閉まっており、まるで死んでいるかのような雰囲気を醸している。私はこの中にある、とある宗教団体を訪ねにきたのだった。


 周囲をきょろきょろと見回しながら、指定された場所に向かう。

 ほどなくして、話通りの胡散臭い扉を見つけ、ドアノブを回す。鍵はかかっていない。おそるおそる開けると、そこら中にお札や神様の絵、お経や新聞の切り抜きなどが貼られている光景が目に飛び込んでくる。異質で狂気的なものを感じつつ、歩を進めると、先日駅前にいたあのおばさんが出迎えてくれた。


「やー、よく来たねー。ささ、とりあえず座って」


 よくあるアパートの生活感溢れる一室で、ちゃぶ台の前に座らせられ、温かい緑茶を振る舞われる。警戒をしてというより、ただ純粋に飲む気が起きなかったので、礼を言いつつもそれには手を付けなかった。そんなことはお構いなく、おばさんはまくしたてるように宗教の説明を始める。

 いわく、彼女たちが崇め奉る神様は、お祈りを捧げることでどんな願いも叶えてくれるのだそう。願いが叶ったら神様のおかげ、叶わなかったらお祈りが足りていない。つまりはそういう理屈だ。


「お祈りをすれば、戦争も無くなりますか?」

「えっ? 戦争?」

「……いえ、なんでもないです」


 どうやらそういう大きなものを願う人は少ないのだろうな、と今の反応を見て直感する。

 そりゃそうだ。大概の人間は目先のこと、卑近なことを考え、自らの利益を希求する。人類社会全体のことを憂い、考えるのは余程の物好きだ。まして町中の小さな宗教団体となると、その傾向は強いのだろう。むしろ閉鎖的な人との繋がりこそが主で、祈願など片手間でやるような共通目標でしかないのかもしれない。


 その後、他愛もない世間話を交わした後、私はとある部屋に案内された。講堂と呼ばれるその場所は、薄暗く、奥に巨大な祭壇が設けられており、座部が無数にあるようなところだ。

 

 そこで数人の信者と思われる人々が、手を組む同じポーズで祈りを捧げている。一言も発さず、微動だにもしない人間がこれだけの数いる光景は、やはり異様と言わざるをえない。


 促されるがままに私も祭壇の前に座り、手を組む。特に神に祈ることなんて無かったが、とりあえず見た目だけでも真似をした。


(……暇だ)


 神に祈る時間があるくらいなら、別の方法を模索したほうが有益だ。こんなことをし続けても、彼らの目標には近づかないだろうに。


 そう思ってふと周りを見渡すと、自分と同年代と思われる女の子が一人、近くにいた。


(ん……? あれって……)


 尾崎だ。間違いない。いつも教室の片隅で一人でいる根暗。私にやたらと話しかけてくる不審者。どうしてこんなところにいるのだろう。

 

 私はこのような場所にいるということをクラスメイトに知られるのが恥ずかしくなって、急に出ていきたい衝動に駆られた。だが、走り出るのはそれはそれで目立つ。

 結局もやもやとした気持ちのまま、昼食の時間まで祈りのポーズを続けた。


 そして、正午を回り、一旦休憩になる。信者たちは各々昼食の準備を始め、キッチンが賑やかになり出した。私は気まずい思いをしつつ、端っこで人を観察していると、


「く、来ると思ってた」


 と話しかけられる。見やると、案の定尾崎がそばに立っていた。


「……なに? どうして?」


 私はやや不機嫌に返事する。尾崎はその態度にびくびくとしながら、


「す、少しお話がある。裏の階段のほうへ行きましょう。あそこなら誰も来ないし……」


 と提案してきた。

 なぜわざわざ話をしないといけないのか、用件を先に言ってほしかったが、どうやら人に聞かれるとまずいらしい。その時点で、私はあまり乗り気ではなかった。が、ここで断るのも変に思われ、渋々後をついていく。


 裏の階段というのは、階段の上というわけではなく、そこに繋がる扉の前のスペースのことだった。なるほど、ここなら誰も来ることはない。おまけに外からも内からも話し声が漏れることはないだろう。


 尾崎はそこに着くやいなや、


「貴女、超能力者でしょ?」


 と言ってくる。

 一瞬、何を言われているのか分からなかった。理解し、困惑する。どうしてコイツがそう尋ねてくるのか。一連の事件から推測したのか、それとも――。

 どうにせよ、私の答えは決まりきっていた。


「は? そんなわけないじゃない」


 面倒なことに巻き込まれたくなかったので、頑なにとぼける。すると、


「誤魔化さなくていい。わ、私も超能力者だし」

「……え?」

「信じられない? ほら」


 尾崎の言葉とともに、いつかの金髪碧眼の洋人形がよちよちと歩いてきた。人形がひとりでに歩いている。何かからくりがあるのではと疑ったが、どこからどう見ても布と綿だけで出来ている、普通の人形だった。


裁縫師ドールメーカー。私が作った人形を、私の意のままに動かせる能力」

 

 人形はフリルのスカートの端をつまみ上げ、ぺこりとお辞儀する。私は信じられない、という気持ちになった。どうやら彼女は本当に超能力者らしい。自分のすぐ近くにそんなのがいたという事実、ましてそれが目立たないあの尾崎という事実。人というのは実に見かけによらないものだ。


「……質問いい?」

「うん」

「まず、どうしてここに尾崎がいるの」


 超能力がある。百歩譲って、そこまではいい。だが、なぜ私が気まぐれで入った宗教団体に尾崎がいるのか。偶然にしては不可解だった。


「それは貴女が来ると思っていたから。私もここに入ったのはつい最近」

「なに、未来予知でもできるって?」

「いや、そうじゃない。私の人形は、私の耳であり、目。情報収集は得意なの……」

「じゃあ、盗み聞きしてたってことか」


 尾崎は肯定もしなかったが、否定もしなかった。つまり、そういうことなのだろう。今更それに対して、咎める気にもならなかった。


「その様子だと、私がやったことは知ってるみたいね」

「まあ、なんとなく」

「じゃあ、あんたも殺す」


 秘密を知られている以上、生かしてはおけない。こんなところで捕まるわけにはいかないのだ。私はポケットに手を突っ込み、予備の髪の毛に触れる。それを見た尾崎は危険を察したのだろう。「待って待って待って!」と慌て、


「違う! 私は貴女を売ったりはしない!」

「……違う? なら、何が目的なの」

「江口さん。同盟を組もう」

「……同盟?」


 思いもよらない提案に、面食らった。


「そう、同盟。私と江口さんで手を組むの」

「どうして私がそんなこと……」

「私は、この世界を変えたい」 


 唐突な宣言。私ははっと目を見開く。尾崎は感情昂り、急に流暢になって、


「この世界はおかしい。だ、だって、超能力者ってだけで迫害されるんだよ? 殺されるかもしれない。いつまでもそんな恐怖に怯えて生きていかなきゃいけないなんて、やってられないわ。私たちが私たちらしく生きられる世界を、私たちの手で作らなきゃ」

「それで? そのために手を貸して欲しいって?」


 彼女は首を縦に振る。


「裁縫師はね、便利な能力だけど欠点があるの」

「殺傷能力に乏しい……」

「そう。そこで貴女の能力の出番。髪の毛を私の人形にくくりつければ、お手軽移動式爆弾の完成」


 たしかに、それは互いの弱点を補った強力な兵器になる。私の髪爆弾は設置する手間があり、いざ戦闘となると事前準備なしに戦うことができない。今までは何とかなっていたが、運が良かっただけともとれる。故に、尾崎の提案は魅力的なもののように思えた。


「世界を変えるために何をするの? 返事はその内容次第」

「まずは新宿に行く」

「新宿?」


 大災害の爆心地。なぜわざわざそんなところに行くのだろう。


「あそこには超能力者の団体がいくつかある。会えば、私たちの助けになってくれるはず……」


 尾崎いわく、新宿周辺の地域は超能力者の巣窟らしかった。CPAと呼ばれる私たちの敵も、そこは迂闊に攻撃できないとのことだ。

 行けば、手を貸してくれる。今まで超能力者というのは私一人であり、孤独なものだと思っていたので、少し計画がずれ込んだ。


「私も、腐ったこの世界を変えたい。いじめや差別が横行してるなんて、許されないこと。人間の陰湿な思考を根本的にたたきのめす」

「だから、宗教をつくるのね」


 私は頷き、


「超能力者差別も同じこと。つまり、あんたと私の目的は重なる部分がある。いいよ、協力してあげる」

「やった!」

「ただし」

「うん」

「私はあんたを信用したわけじゃない。自分の身が危ないと感じたら、容赦なく切り捨てる」


 他人なんて簡単に信用できない。それはこの数年間身に染みて実感したことだ。尾崎と組むメリットは大きいとはいえ、背中を任せるわけにはいかなかった。


「ふうん。私はと、友達だと思ってるんだけどな」

「いいよ、そういうのは」

 

 友達だなんて面倒な関係、今後一切欲しくはない。私ちちはあくまで同盟。互いの目的を達成するためだけに協力する、ドライな関係。馴れ合いなんて懲り懲りだ。


「で、新宿に行くのはいつ頃?」

「まず色々と準備しなくちゃいけない。貴女の髪を人形に仕込んだり、そういう作業」

「分かった。それはここでやるの?」

「そうね。他の場所は全部危険。CPAに嗅ぎ取られる可能性がある。ここなら窓も無いし、人気もない」


 当面は、この宗教施設に通うフリをして、爆弾を仕込む。そして、新宿へ向かう段取りを考える。私はおそらくCPAにマークされているので、普通の行き方はできないだろう。振り切るためにはどうすればいいのか――。

 そんなことを考えていると、


「江口さん、隠れなきゃ!」


 突然、尾崎は慌て出し、私を力任せに物陰に押し込んだ。

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