File 16: Sugar Sweet
江口との聴取を終えたキッカは、浮かない表情のまま、外で待っていたヒバナと話をする。
「帰してもいいんですか?」
「しょうがない。現段階では引き止めるのは無理だ」
状況から考えれば、江口の怪しさは抜きん出ている。監視カメラに映っていたり、死者2人ともと関係があったり。だが、それは裏を返せば巧妙な撒き餌とも取れた。江口に罪を被せ、自らは逃亡。そんな可能性もある。思えば、最初の被害者は江口とは何ら関係のない人間だ。総括として、
「真犯人が他にいる可能性は、まだ否めないと」
「ああ」
誤認逮捕は、超能力者関連では禁忌中の禁忌だ。確定すれば問答無用で殺さなければいけない性質上、迂闊なことをすれば取り返しがつかないことになる。
しかし、もし仮に江口が本物であったなら、このまま世に放ち続けるのは危険だろう。それは火を見るより明らかだ。何より人を殺すことに躊躇が無くなっている。苦渋の決断であったに違いない。
「せめて超能力の内容さえ詳しく分かればな……何を爆発させているのか」
「そうですね」
爆発物さえ押収できれば、犯人に繋がる絶対的な証拠への道筋ができるはずだ。
「とりあえず、今は宇田と江口を見張るしかない」
「? なぜ宇田さんも?」
「江口は、おそらく宇田も殺しにくる」
「ん? えーっと。七海さんの中では、江口が犯人で確定してるんですか?」
キッカは黙って頷く。
「これは完全な憶測にすぎないが……あの目は私に似ている。復讐に燃えている目だ」
復讐に燃えている目。
たしかに言われてみればそのような気もする。明確な意志を持ち、黒い感情を抑えているあの感じ。かなり演技は上手かったが――見る人が見ればやはり勘付くものなのだろう。
復讐。いじめは無かったと学校側は主張していたが、それは本当なのだろうか。いや、たとえいじめでなくとも、友人間のいざこざなども、原因としては充分に考えられる。その辺りを深掘りするには、どうすれば――。
「そういえば、宇田さんの精神状態って今そんなに悪いんですか?」
「私が見た時はひどいものだった。ずっと何かぶつぶつと呟いていて、話しかけても反応が無い」
「それは……落ち着くのを待つしかないですね」
難しいところだ。真実を知っているのは、あの2人くらいしかいないと考えられる。もしこのまま宇田から話を聞き出せなければ、江口の動機は一生闇の中かもしれない。
「復讐、か」
ヒバナはぽつりと呟き、礼をして、持ち場へ向かう。とにかく、これ以上被害者を出すわけにはいかない。ただでさえ、これだけ張ってきたのに2人も犠牲になっただなんて、大きな失態だ。3人目は出さない。そのために、どんな手を使ってでも超能力の使用の瞬間を抑えてやる。
決意を新たにし、拳を握りしめた。
ヒバナはぐったりと体をシートに預ける。
かれこれ一週間。事態は特に変化無し。そろそろ車の中からの張り込みも億劫になってきた。たまには対象に活動してもらわないと甲斐がないというものだが、こればかりはどうしようもない。
江口はあれから学校には行っていない。理由は精神的に傷ついているかららしい。友達が目の前で焼き殺されたとなると、それも止む無しというところだ。
くあ、と欠伸を噛み殺し、同様に運転席で退屈そうにしているタイキに話しかける。
「そういえば鮫島さん、七海さんって過去になんかあったんですか」
「なんだ藪から棒に」
「いえ、この前少し気になることがあって」
キッカは自分の目を復讐に燃えていると称した。本人に訊くのも何となく憚られ、素通りしていたが、それは過去に良からぬ一件があったことを示している。あまりプライベートのことに踏み込むべきではないのだろうが、彼女のミステリアスな雰囲気も相まって、非常に気になっていた。
「……あの人、大災害で父親を亡くしているんだ」
タイキは苦々し気にそう言った。
大災害。二十年前、新宿で起こった超能力者の突然変異、及びそれに付随する被害の総称。どうやらキッカの父親はそれに巻き込まれ、命を落としたようだった。
あのどこか冷徹なものを宿す瞳は、それが原因らしいと腑に落ちる。
「腹の底では、超能力者を誰よりも憎んでいる。俺たちには普通に接してくれるけどな。本来は多分、見るのも嫌なんじゃないかね」
「……」
超能力者に復讐するために、彼女は捜査官になった。
父親を失って、彼女なりに思うところがあったのだろう。超能力者をこのまま野放しにしてはいけない、と。それはとても悲しいことだった。暗い水底のような、深淵さを感じずにはいられない。彼女の原動力はネガティブで、虚ろだ。それはあくまでも超能力者であるヒバナの立場から見れば、だが。
「鮫島さんは復讐ってどう思いますか」
「……難しい質問だな。悲しいことだと思うが、正しいことだとも思う。よく『復讐は何も生まない』って言うが、俺はそうは考えない。復讐は『権利』を生むための最終手段だ。少なくとも俺たち人間目線では」
人は何か大きなことが起きない限りは変わろうとしない。今まで虐げられてきた人間が復讐することで、初めてその権利を担保することの重要さを周囲が実感する。だから、復讐は権利を生むという構図が出来上がる。逆に言えば、復讐しなければ、永遠に虐げられたまま。
では、キッカは超能力者を制圧する立場になってなお、何に虐げられているのか。
(超能力者に殺されるという可能性……)
その大きな漠然とした不安は、超能力者が存在する限り、どこまでいってもついて回る。つまるところ「無能力者の生きる権利」を守るために、彼女は復讐に燃えているのだろう。
だが、それは一方で「超能力者の生きる権利」を真っ向から否定している。
自分たちに生きる権利は無いと言われて、もちろん良い気分はしなかった。どうにかしなければいけないという使命感も無いわけではない。
復讐合戦の様相を呈したところで、行われるのは権利の比重の調整。なるほど、そういう意味では「復讐は何も生まない」という言葉は正しいように思える。しかし、それはあくまでも神様目線のお話。当事者からしたら、本当にどうでもいい――考えるだけ無駄だ。人間は神様にはなれない。
だから、結局は超能力者が自分の権利を主張するためには、反乱を起こすしかない。しかしそれでは――。
(だーーーーーっ!! 分かんねーーーーっ!!)
難しいことを考えすぎて頭がショートしそうだった。
ただ、ひとつだけ分かったのは、復讐という言葉がこの世界から消えてなくなりそうにはないということ。それならば達観して物事を考えるより、諦めて黙々と目の前の仕事をこなしているほうが随分と楽だ。
「俺、人を殺しました。つい最近」
「……それで?」
「恨まれることをしたと思うんです。その人の家族は、俺が憎くて憎くてしょうがないでしょう」
「まあ、実際に手を下した人間を知れば、そうなるかもな」
「でも、俺はかなりあっさりとしていました。人を殺したのに、自分でも驚くほど。相手の家族の心の痛みとか、あまり感じなくて」
あまりの冷血ぶりに、帰宅してから自分で自分のことを嘲笑してしまったほどだ。
目の前の超能力者を殺さなければ、大勢の無関係の人間の命が奪われるかもしれない。だから、自分の行為には妥当性がある。そう割り切っていたが、いざとなるとこれほど辛くないものだとは思わなかった。まるで流れ作業みたいに淡々としている。言われたからやった。それだけ。大義名分はあれど、ある種の異常性を感じざるをえない。
「復讐って多分、こういう人間の冷徹さから生まれるんじゃないかな、と」
「一理ある」
タイキは窓の外をぼうっと眺めながら、悠然と呟く。
「超能力者ってだけで駆除対象なのは、まあ、やりすぎだよな」
何か思うところがあるのか、タイキの表情は寂し気なようにも見えた。
いつ突然変異を起こすか分からないとはいえ、その確率は限りなく低い。それにもかかわらず問答無用で駆除というのは、措置としてはたしかにやりすぎなようにも感じる。せめて監視対象にするとか、他にもやりようはいくらでもありそうだが。そういう意見が一般的でないのは、ひとえに超能力者が未知だからだろう。突然変異を起こす超能力者と、そうでない超能力者。その差異が分かれば、溝は少し狭まるかもしれない。
「超能力者って、一体何なんでしょうね」
「さあな。俺たちが普通の奴らと何が違うかなんて、誰も分かっちゃいない。分かったら、こんな極端なことにはならねえだろうになあ」
突然変異を防ぐ薬とか手術とか、ちょっとでもそういうのがあれば歩み寄れるだろうに。現実というのは非情なものだ。神妙な面持ちで考え込んでいると、タイキは一万円札を取り出し、
「ほい」
「なんですか、これ。賄賂ですか」
「んなわけねーだろ。これで飯買ってきてくれ」
「分かりました」
張り込みは長時間にわたって行われる。その間、当然お腹も空く。こういう時はアンパンと牛乳が定石なのだろうが、この前本当に買ってきたら眉をひそめられたので、とりあえず選択肢としては除外する。
「俺はなんか甘いので頼むわ。牛乳は無しで」
ヒバナはこくりと頷き、サイドドアを閉める。
この頃の数回の御遣いで分かったこと。タイキの味の好みは意外と子供っぽい。ヘビースモーカーのイメージとはかけ離れていて、少し面白かった。
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