思春期
中学校に入学して日がそう経たないうちに父親の仕事の都合で引っ越しをした山田は、再び父親の仕事の都合で以前住んでいた町に戻ってきた。
担任の先生の合図を待ち、教室のドアの前に立っている山田は、ふぅと息をつく。
……左遷か栄転か、平凡な会社員にしか見えない父にも、もしかしたらテレビドラマのような展開があったのかもしれないけど、まあ、わからないし、この中学三年生という受験やら何やら忙しない時期で正直迷惑。でも、馴染みのある中学一年生の頃に通っていた学校に戻って来られたからマシだと思おう。先生や友達の顔を覚えているし――えっ
「えー、と、いうわけで、この通り、山田が帰ってきた! みんな、拍手!」
「おかえりー!」
「お、おかえり山田!」
「おかえりー!」
「ウェルカムバアァァク! 山田!」
「ふぉおおおう!」
「じゃあ席に。お、そうだ、川西の隣が空いてたな。あそこに座りなさい」
「え、いや、あの、え」
「ん? どうした? 隣が女子の方がよかったかー?」
「先生、そういう発言どうなんですー?」
「そーだよー」
「あ、すまんすまん、はははは!」
山田は拍手に押され、先生に言われた席まで歩いた。
「お、おっす。山田、久しぶりだな。まあ座れよ」
「あ、おっす……」
山田は席に座った。いや、正確には、はみ出た。
「あの、川西……?」
「ん? どした?」
「いや、その、え、どうしたんだ、その体」
「体……? おれの体がなんだ?」
「いや、筋肉というか、お前! でかいよ!」
山田は声に出すと同時に立ち上がった。なんだなんだと注目が集まり、顔が熱くなった山田は静かに椅子に座る。
「おいおい、どうしたんだよ。ま、訊きたいことがあるなら授業が終わってからな」
山田と川西は幼稚園からの親友だった。山田が引っ越すと知った時、川西は涙を流し、山田もその姿に思わず涙ぐんだ。しかし、山田は先生にあれが川西だと言われるまで気づかなかった。山田が教室に入った瞬間、目を、思考を奪ったあの嘘のような体格をしたその巨像がまさか川西だとは思わなかったのだ。
おそらく少し背伸びするだけで教室の天井に届くほどの巨体。縮こまり、席に座るその姿は一輪車に乗るサーカスのゾウのようだった。
なぜ? どうやって、そんなに大きくなった? そんなサイズの制服があるのか? 何でお前が一番後ろの席じゃないんだ。お前の後ろの席の人が可哀想だろ。
と、山田の中で疑問が次々と湧き上がり、あっという間に授業は終わり昼休みになった。山田は川西を人目のない、校舎裏まで連れ出した。
「お、おい、山田。なんだよ。急に引っ張ってきてさ……」
「いや、引っ張ってきたというか、お前、びくともしなかっただろ。指がビキッてなったわ」
「はははははは! いやぁ、それにしても久しぶりだなぁ。お前、どうしてた?」
「いや、それを聞きたいのはこっちの方だよ! その筋肉はなんなんだ!?」
「あー、お前、そういえばさっきも筋肉がどうとか言ってたなぁ。ふふふっ、憧れてんのか?」
「いや、すごいとは思ってるよ。すごいとはな。で、なにした?」
「ふふふっ、まー、筋トレだな。あとは睡眠と栄養。ま、基本的なことをコツコツと」
「それでそんな体になるかよ!」
「でも、なったもんはなったからなぁ」
山田は混乱した。おかしい、ありえない。ありえなすぎる。そもそも、他のみんなが何とも思ってないのが変だ。
授業が終わった後の小休みの間に話しかけてきた何人かに訊いたけど『川西くん? ああ、大きいよね。え? 別に変じゃないと思うけど』全員そんな具合だった。なぜ……いや、もしかして徐々に変化したからみんな、違和感を抱かなかったのか? バカな。
「――でさ、やっぱ回りまわって自重トレが一番だと思うんだよ。器具も良いけど場所を選ばないからなぁ。でもたまには気分転換に夜、ジョギングして立ち寄った公園とかで」
何か語ってるけど、ただのトレーニングじゃこうはならないはずだ。絶対、何か理由があるはずだ。コイツの父親、科学者かなにかだっけ? いや、違ったような……ああ、わからない……。
「なんか、うんうん悩んでるみたいだけどそうか、お前もやっぱ筋肉が欲しいんだな。ほら、一緒に筋トレするか? こうやってな、校舎の壁に寄りかかるようにしてな腕立て伏せを、フン! フンフンフンフンフン!」
「よ、よせ! やめろ! 校舎が揺れてるぞお前! いや、地震か!? どっちだ!?」
「フンフンフンフンフンフンフンフン、ハァー!」
「あ、窓が割れ、あ! 危な――」
「て、おいおい、山田。大丈夫か?」
「……い、いや、お前が危ないから突き飛ばそうとしたのに、まさか跳ね返されるとは……しかも、無傷なのかよ……」
「ああ、まあ鍛えたからな。ガラス程度なんともないさ」
「はぁ……もう、何でもいいや……。でも、なんでだよ」
「ん、だからさぁ、自重トレがさ。あとは自然の物とか。筋トレのために作られた道具使うなんて邪道だよね」
「いや、お前の主義は聞いてねえよ。どうしてそんなになるまで鍛えたのかって話」
「え、そ、それは、その……」
「ふふっ、なんだよ。ナヨナヨして、やっぱ昔と変わってねえな」
「な、何だよ! お、お前こそ、見た目は変わったのに、その言葉遣いの悪さは変わってないんだな!」
「うん? 当然だろー、ははははは!」
「はは、ははは……で、でも、なんでスカートなんて。一年の頃は学ランだったろ? 小学生の時も男みたいな格好してたし……」
「んー、まあ色々な。言葉遣いも、ま、おいおいな」
「色々ってその」
誰か、好きになったのか? だから変わろうと思ったのか? おれと同じように……。川西はそう言葉を繋げられず口ごもった。
「ほら、手を貸してよ」
「あ、うん」
「さんきゅ。って、なんで今、腕立て伏せ!? もーははははは!」
――おれが体を鍛えたのは、お前が自分より弱い男なんか眼中にないとか言ったからなんだよ。
自分の想いを伝えられない川西は、山田が引っ越してからこれまでの日々と同じくまた筋トレに逃げ込み、彼の筋肉はそのもんもんとした想いを表しているかのように肥大し続けるのであった。
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