ロードショー

「おっと……」


 おれは座った席が思っていたより低かったことに驚き、つい声を漏らしてしまった。

 誰にも聞かれなかっただろうな、と辺りを見回すと右に二つ席を空けて座っていた男と目が合った。初老の男だ。にっこり笑い、軽く会釈したので、おれも同じように返した。

 スクリーンのほうへ向き直す前に、もう一度だけ席上部に付けられているプレートの番号と、渡された券の番号を見比べてみる。


「D-A-175……」


 合っていたので、ようやく人心地ついた。

 

「隣、いいですか?」


「えっ、あ、はい」


 先ほどの男が身を屈め、声を潜めて話しかけてきた。男はおれの返事に安心したようで、柴犬のように目を細めて笑い、よっこいしょと呟いておれの隣の席に座った。

 勝手に席の移動などして誰かに、特に管理者に咎められやしないかと、おれはまた周囲を見回した。しかし、見張りの姿はなく他の人間はぽつりぽつりと静かに席に座っていて、寝ている者もいれば、腕を組みスクリーンを見ている者。いずれも特にこちらに気を払ってはいないようだった。

 

「実は、私もここに来たばかりなんですよ」


 と、男が周りを気にし、また声を潜めてそう言った。


「ああ、そうなんですねぇ。結構広いもんですねぇ」


 と、おれは少々演技臭く、また辺りを見渡す。  

 場末の映画館のような雰囲気。灯りはスクリーンのものだけ。そこに映し出されている景色や人物の動きが、寒色系の椅子及び壁の影を遠ざけたり、また黒く染めたりと微細な変化を作り出している。

 

「えー、どうもお疲れさまでした」


「ああ、どうも。そちらも、お疲れさまでした」


 と、ふたりでまるでグラスを持ち上げるように手を少し上げたので、照れたように笑った。


「名演技でした」


「え、ああ、いや、どうも」


 先ほど、ここに来たばかりと言っていた男が、どうやっておれを観ていたのかと思い口ごもったが、これもまた今のお疲れ様、と同じで慣例のようなものなのだろう。男が自分にも言って欲しそうな顔をしていた。


「あなたも名演技でした」


 おれがそう言うと、男は「いやぁ、ははは」と笑いながら頭を掻き、「あの時のあそこは、こうしておけば……」といくつか語った。

 それを聞きながら、おれもあの時ああしてたらなぁ、と思いを馳せる。でも……。


「まあ、それも」


「ええ、そうですね」


「人生」


 ふたり、声を揃えて言って大きく笑った。

 斜め後ろの方から咳払いが聴こえ、おれたちは頭を低くし顔を見合わせ、苦笑いした。


 そう、人生。それを終えた者は渡された券を握りしめ、暗い廊下を歩く。目を細め、暗がりで淡く光るような白い券に書かれた番号と、壁に等間隔に並ぶドアの上にあるプレートの番号を見比べながら進むのだ。ここは第57シアター。誰が作ったか決めたか知らないが、まあ、きっと神というやつだろう。

 スクリーンに映し出されている映像はおれのものではない。多分、おれと同じく、ここに座っている誰かの人生だ。

 尤も、映画のように大それたものではなく――


「あっ。あれ、あなたでは?」


「え? 本当だ! 私だ!」


 と、おれが教えてやると男は目を輝かせて喜び、手を叩き、おれの肩を揺らし大はしゃぎした。すると、またどこからか咳払いがして、おれたちはさっきと同じように黙り、苦笑いした。

 男はスクリーンを見つめ、恋人に見惚れるように徐々に頬を緩ませた。おれも席に深く腰を沈め、スクリーンを眺めた。

 なんてことはない、色褪せたホームビデオのよう。市民プール。開園前に友達と並び、一番乗りでプールに飛び込む。大学生。眉間にしわを寄せタバコをふかす。学ランを頭に被り、走る雨の日。孫と虫捕りして、柑橘類のような笑顔。財布を落とした若者をヨタヨタと必死に追いかけ、額から汗。バイト先の店の裏口、休憩時間中に彼女に電話。上を見上げ、白い息を夜空へ送る。

 と、仕事風景。上司にペコペコと頭を下げるシーンになると、男がおれに顔を向け、お恥ずかしいと苦笑いした。おれも合わせて笑った。


「いやぁ、もっといい場面があったと思うんですけどねぇ。年代もバラバラだし、編集を、それにアングルももっと凝って欲しいなぁ」


「ええ、でも趣がありますよ」


「まあねぇ。でも、やっぱりあのシーンを、と、おっ、今度はあなたでは?」


「え、おお……」


 スクリーンに映し出された、おれの人生。今、男が言ったように年代通りではなく、フィルムを雑に切り、繋げたように順番も何もかもバラバラだ。

 本人の記憶に色濃く残った出来事が映し出されていると思いきや、おれが覚えていないシーンもあり、驚かされた。

 ただ平凡かつ穏やかな場面ばかりが映り、変に照れ臭くなったおれは腐してみたくなった。


「いやぁ、自分の人生は自分が主役なんて言うやつがいるが、ははは、詭弁だなぁ。脇役そのものだ」


「そんなことないですよぉ、いい人生だったじゃないですかぁ」


「いやぁ、普通すぎて面白みに欠けるよ」


「そんなそんな……でも、私も平々凡々で、確かにこう、映画のような主役らしい主役に憧れはありますねぇ」

 

「だろう。歌手だの大統領だの、その中でも一握りの、まあ縁のない世界だったなぁ」


「でも、私に息子や孫が生まれた時は『あ、この子が主役だな』って思ったりしたんですよ。あれを思い出すと今でも胸がジーンとするなぁ……」


「ふん、おれは独り身だから、わからない感覚だよ。ああ、なーんにも残せなかったなぁ」


 と、ちょっと腐すつもりがだんだん本当に気分が滅入ってしまった。男は「いやいや、きっとあなたは誰かの人生に何かしら影響をね……」と言い、気を使わせてしまったようで、なんだかおれは申し訳なく思った。


「いやぁ……んん……あ、あの人!」


「ん?」


「今映った若者、あれ、私の時にも映ってましたよ。それに、確かその前の人のにも。もしかしたら彼が主役なのかもしれませんね」


「なわけあるか。この世界はみーんな脇役揃いさ、歌手だの大統領だのも所詮は人間さ」


「んー、じゃあ、我々は誰のために演じてるんですかねぇ。生きている時には役とも気付かずに」


「そりゃあ、自分のため……」


「じゃあ、やっぱり主役はあなただ。はははは!」


「ふっ、あんたもだな。ははははは!」


 笑い合い、お互い「おっと」という顔をしたあと黙った。咳払いはなかったが、ふたり苦笑いした。その後、静かにまたスクリーンを見つめた。誰かの番を終え、また自分のシーンが来るまで、ぼんやりとただ眺める。

 満足したらこの部屋を出てあの廊下を進み、そのうちどこかへ出て、また演じることになる。

 誰が何のためになんて知るもんか。そういう仕組みなんだ。

 でも、おれが演じるのはおれのためだ。だって今、こんなにも心躍っているのだから。

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