見えない死体の目撃者

 駅前交番勤務の片平巡査は通報を受け、急いで現場に駆けつけた。

 横腹が痛い。最近、太ったことを気にしている。いい年だ。婚活中。しかし、なかなかうまくいかない。髭が濃くなった。実家の母が孫の顔をと、うるさい。同級生は収入が良い。電球買わなきゃ。トイレットペーパーも切れてるはず。

 と、現状に不満。悩みだらけ。しかし、そんなことは職務と関係ない。息を切らしつつ、どうも、と笑顔を作る。

 だが、現場にいた複数名、おそらく通行人たちは片平を見て動揺。『しまった』とも見えるような困った表情をしたことに片平は違和感を覚えた。

 片平はまず息を整え、軽く咳払いし、誰とは決めず訊ねた。


「通報を受けて来たのですが……死体はどこに?」


 道に車などの遮蔽物はない。では死体はこの塀の向こうの住宅の庭か? 覗き込んだのか? 何故? それで後ろめたくて困った顔をした? 片平は訝しがった。


「それが……そこにあったんですが、消えたんです」


「……消えた? 誰かが持ち去ったということですか?」


「いえ、スゥーと透明になっていく感じで……」


 そう話す男性。片平が他の者に目を配ると、皆その通りですと言うように頷いた。

 死体が消えた? 何をバカな。全員がグルで虚偽の通報を? いや、そんなことする意味があるとは思えない。

 片平は死体があったとされる場所にしゃがんで手を置いてみた。

 手に伝わるのはただ荒いアスファルトの感触のみ。温もりも湿り気も血の痕もない。死体があったとは到底、思えない。


「あああぁぁぁ!」


 その場にいた一人の女性が声を上げ、へたり込んだ。

 ひどく怯えているようだ。傍にいた男性が肩を抱いた。その様子からして恐らく恋人だろうと片平は思った。


「どうしたんです! 何か気づいたことでも!?」


 片平は訊ねた。しかし女性は震えるばかりで答えない。代わりに一人の男性がほとんど呟きに近い声で言った。


「やっぱりか……」


「やっぱり? なんです?」


「実は僕らは映画サークルの者でして」


「映画サークル……全員が?」


 片平の問いかけに一同、バラバラにだが頷く。若い男女。確かに、どことなくグループ感がある。


「では、虚偽の通報を? それは犯罪ですよ」


「違う、違うんです。死体は本当に見たんです。ただ……」


「ただ……?」


「……僕らは想像したんです。死体を」


「想像……? やっぱり嘘なんじゃ」


「いえ、全員で同じ死体の姿を想像したんです。そしたら、本当にそこに死体が現れたんです!」


 男は死体のあった場所を指差し、そう言った。

 映画サークル……映画の自主製作。彼は役者だろうか。その顔、演技だとしたら中々大したものだ。片平はそう思った。


「そうですか……で、どうしてそんな事を」


「次、撮ろうと考えている映画にちょうどそういう場面がありまして、お昼を食べに行く道すがらにちょっとやってみたら、みんな、熱が入ったというか、盛り上がってそれで、いつの間にかそんなことに……いや、ははは、まさかと僕らも驚いたんですけど、でもあれ、設定とか練ったからですかね? 死体の人の名前とか、その人物像を細かく設定して、家族構成とか、顔とかもね、みんなでこんな風だとか写真を見て一致させて、それで、この辺でやってみようってなってそれから――」


 と、どこか誇らしげ、興奮気味で話す男を前に片平はふーむと眉をしかめる。

 到底信じられない話だ。集団パニックの類だろうか、それともやはり若者の悪戯か。

 

「……ま、なんにせよ死体がないことだけは変わらないわけだ。逮捕する気はないから、さぁもう行きなさい。

これからはむやみやたらと想像しないように」


 片平はそう言い、笑顔を作った。だが、誰も笑みを返しはしなかった。


「あ、それが……その、片平さん……」


「何です? まだ何か?」


「他にも想像して」


「何を……」


 と、その時だった。片平は背後から何か金属が引きずられ、地面を削るような音を聞いた。


「死体には……その、殺人鬼がつきものでしょう?」


 片平は振り返る前に銃のホルスターに手を置いた。

 が、片平はそこで動きを止めた。

 そこで感じたあやふやな銃の輪郭と駆けつけた時の彼らの表情。それが、もしかしたら自分も彼らの想像物なのではないかという想像を掻き立てていた。

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