握手をしましょウ

「どうもチャウ・シンリーと申しマス」


 目の前に座った男がカタコトでそう言い、手を差し出した。

 それが握手だと気づくのに、少し時間を要した。

 何せ突然の出来事だ。気づいてからも手を伸ばす気はなく、俺はそのまま箸を持っていたのだが、その男は手を引っ込めようとはしなかった。

 友好の証のつもりなのか薄ら笑いを浮かべたまま、ただ黙って俺の顔から目を逸らさずにいる。

 関節が動くフィギュアみたいだと思った。表情が一切変わらない。

 昼過ぎのショッピングモールのフードコート。込み具合はそれほどではない。顔も知らない待ち合わせの相手と間違えた……なんて話ではないだろう。俺はまず一応訊ねることにした。


「……なんだ? その手は」


「これは握手デス」


「だろうな」


「ボクが暮らしていた村デハ握手で揉め事の解決をしてきまシタ。

握手をすればハイ終わり。これまでのことは水に流すのデス」


「そうか。それでなぜ、俺と握手しようというんだ」


「チャンスでス」


「チャンス?」


「あの席に座る女性、そうあの金髪の人デス。見ていてくださイネ」


 ――プシュ


 何かの音。それから間もなく、こちらに背を向けて座る金髪の女は項垂れるように頭を下げた。


「殺しましタ」


「何」


「今、机の下の、ボクのもう片方の手にある銃が、アナタに狙いをつけていマス」


「銃!? まさか、いや、そんな……」


 男の表情は一切変わらない。嘘ではないということだろうか。まるで機械だ。易々と人を殺し、何も感じていないようだ。


「信じてもらえないのならアナタが指名した人を撃ちますヨ。ドレ? このフードコートには、まだまだたくさんいるので遠慮ナク」


「いい、やめろ」


 俺は声を潜めて言った。

 この男は完全にイカれている……だが、そんな奴がなぜ俺を? 通り魔か? 俺はこの男にも、誰にも恨みを買ってなど……いや、その前にこいつ、確か……。


「……なあ、さっきチャンスって言ったな。つまり……握手をすれば俺を殺さないということか?」


「これまでの罪を水に流す、そういうことデス」


 ……罪? 俺の罪。それが理由で誰かがこの男、殺し屋を差し向けてきたというのか?

 誰だ? 何で? 俺が何を……あぁ……不倫。

 しかし、あれは単なる火遊び。妻にバレる前に関係は絶った……だからか。あの女が……あぁ恐らく人生に行き詰まり、心を病み、嘆き、怒り、自分がこうなったその原因を探るべく過去を辿っていったら俺との件が頭に浮かび上がったのだろう。

『あの不倫で人生がおかしくなった』『あの男にさえ会わなければ』

『あの男だけ幸せな家庭があるなんて』『あの男さえいなければ……』

 逆恨みでしかないが、そう考えてもおかしくはない。追い詰められた人間の思考なんて猪みたいなものだ。


「大丈夫ですカ?」


 知らず知らずのうちに項垂れていた。箸はテーブルの上に落ちている。


「……握手すれば不倫の件は、俺のことは殺さずにいてくれるんだな」


「……握手で全て水に流しまショウ」


 俺は手を伸ばす……がピタッと止めた。

 全てを水に流す。考えても見れば、この男にそれで何の得があるんだ?

 殺しの依頼を受けたんじゃないのか? ためらいからか? しかし、もう無関係な女を一人殺している。それなのに今更、俺を殺すのをやめて一体どういうつもりなのか……。

 弄んでいるのか? それもまた復讐。甚振るように。それか他に狙いが……ああ、金か。そうだ、それ以外ないだろう。殺し屋だ。握手のあと、金額の交渉というわけか。

 いいだろう。出してやるとも。まだ娘の花嫁姿も見ていないんだ。こんなところで死ぬわけにはいかない。

 俺は男とがっちりと握手を交わした。


「全て水に流ス」


「ああ」


「これからよろしくお願いしますネ。お義父さン」


「ああ……ん?」


「そういうわけで、あたし、この人と結婚するね!」


 そう後ろから声をかけてきたのは……あの金髪の女。いや、娘だ。


「お前、どうして? 結婚? その髪」


「ああ、これウィッグね。それと実は妊娠してるの」


 ……男の隣に座り、手を握り合う我が娘。男の手には銃などなかった。

 そしてプシュっと口で音真似をする男。

 謀られた……。

 しかし、そんなことで結婚を許せるはずがない。

 むしろ怒りが……。


「それはそうとお父さん、不倫って何?」


「え、あ」


「んー、ふふふ。まぁお母さんに黙っててもいいけど、結婚式の費用もちょーっと出して欲しいななんて」


 ……もう構わない。どうせ一度は金を出す気になっていたんだ。


 俺は娘に向けて握手を求めた。

 男の張り付いたような笑みは満面の笑みに変わった。

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