雉白書屋短編集

姉の力

　僕の姉には不思議な能力がある。

　見つめたものをこの世から消し去るというものだ。これは嘘でも冗談でもない。

　姉は実際に僕のオモチャ、Ｔシャツ、コミックを消してみせた。（……いずれも僕のお気に入りだ）

　僕は姉が恐ろしかった。と言っても、それは世間一般の意地悪な姉を持つ弟とそう変わらない感情だ。

　僕は幼かった。姉のその力が僕自体を消し去る可能性を想像もしていなかったのだ。それはいかに意地悪でも実の姉である以上、弟に対して一定の愛情を持っていると無意識に思っていたからなのかもしれない。

　しかし、姉がその愛情を僕に見せる機会は今までなかった。恐らく、多分、あの日までは。

　姉が消し去れるものは小さなものに、それと僕のオモチャに限らない。

　家の周りをうろちょろしていたネズミ。姉に吠えたてた野良犬。姉の進路上にあった放置自転車。酔っ払いが手に持っている酒瓶。歩きタバコしている人のタバコ。禿げていそうな人が被っている帽子。

　姉が路肩に停めてあった誰かの車をジッと見ていた時は流石にいや、まさか……と思った。

　でも姉が僕の方へ振り返り「あんたをあの車のトランクに閉じ込めてやろうか？」とニヤニヤしながら言ったので僕はその恐ろしい発言にも関わらずホッとした気持ちになった。日常的に僕を脅すようなことを言って反応を楽しむ姉だったのだ。

　僕に意地悪する者は姉以外にもいた。

　ザックだ。彼は典型的なクソガキだ。悪事をバレないようにやるのが得意で、大人の目が届きそうなところでは、ちょっとしたふざけ合いのように偽装する。年齢の割には賢い。尤も意地悪することに関してだけだが。

　ただあの日、ザックは珍しくドジを踏んだ。

　ザックは僕に馬乗りになっているところを目撃されたのだ。僕はというとその目撃者が最初、誰だかわからなかった。と、いうのもザックが僕の髪を掴み、地面に押し付けていたからだ。ダンゴムシを食わせようとしたのか、土を食わせようとしたのかはわからない。

　ザックの「あっちにいけよ」という声が強気で、更には嘲笑が含まれていたことから、目撃者が大人ではないことがわかり、僕は静かに落胆した。

　せめてこの場から離れた後、告発してくれることを願った。きっとその頃には僕の口の中はひどい味がしていただろうけど。

　でも僕の髪からザックの手が離れた。それと同時に体にのしかかっていた重さが一瞬にして消えた。起き上がり、辺りを見回すとザックの姿はどこにもなかった。

　姉。

　そう、いたのは姉だけだ。姉はダンゴムシを摘み上げると僕目掛けて投げた。

　お見事。ダンゴムシはポッカリ開けていた僕の口の中へ。

　さすがは姉だ。姉はザックにできないことをした。僕にダンゴムシを食わせることとザックの肥満気味な体を消し去ること。

　ザックは五日後見つかった。

　ひどく痩せていたがそれはご飯を食べられなかったからと言うよりは鳥がその体を啄ばんだからだろう。鳥たちの間で噂が広がっていたに違いない。「一足早くクリスマスが来たぞ」と。そのおかげでトラック運転手の目に留まったのだからザックは彼らに感謝すべきだ。

　ザックは町外れの樫の木のてっぺんにいたのだ。体が枝に貫かれ、クリスマスツリーの頂点の星のようだったと後に運転手は言った。（当人は上手いことを言ったつもりらしいがめちゃくちゃ非難された）

　ザックの遺体の発見後、警察が僕に事情を聞きにきた。ザックに最後に会ったのが僕だからじゃない。その木の下には無くなった僕のオモチャや、Ｔシャツなどが落ちていたからだ。雨風にさらされ薄汚れたそれらから警察は僕の名前を発見し、訪ねてきたわけだ。（狭い町だ。同名はそうはいない）

　とはいえ、よれたＴシャツから出た僕の細腕を見た警察はザックの腹に穴を開け、その体を抱え木に登る姿を想像できなかったようで特に追求されることはなかった。

　もしかしたらザックが僕から奪った物をそこに捨てていたと解釈したのかもしれない。そこが姉のゴミ捨て場だとは想像できなかった様だ。

　ザックの死は木登り遊び中の単なる事故として処理された。木の下に落ちていたタバコや酒瓶、盗まれたと被害届が出ていた自転車などはザックがやったもの。ザックを調子づいた悪ガキと見なし、警察の捜査のやる気を削いだのかもしれない。

　姉はそれから数年後、家を出た。寄宿学校に通うためだ。僕は時折あの樫の木を見に行くのだけど幸いなことにまだ、枝に突き刺さった死体を見てはいない。

　ただ、たまに落ちている、意地悪な女が履いてそうな下着を手にしては姉の活躍ぶりを想像して笑うと同時に姉の弟で良かったと僕は思うのだった。