狂飆の夜

 降りしきる雨が背中を打ちつける、かと思えば今度は正面から顔をはたく。

 風が折れた木の枝を持ち、威嚇するかのように地面を叩く。枝はそのままぬかるんだ地面に沈んでいく。

 お前もこうなるのだ。そう言われているようだった。

 雷に追いたてられ必死に足を動かすのだが、ほとんど地面にめり込むため力を入れて歩かなければならない。体力を消耗し、うんざりした気分の中、私は目を見開いた。そしてこの事は今後思い返すたび、口元が緩むだろうと思った。ランプの灯りが見えたのだ。


 みすぼらしい小屋。でも頬擦りしたっていい。実際にいい女に肌を合わせるように顔を寄せた。

 木製のドアはささくれ立って滑らかさとは程遠いが、それでも優しくキスをした。

 開くことを願い、ドアノブを優しく握る。


 願いは叶えられた。しかし、室内の空気が外とは違うのは当然だが、異質だった。その理由は部屋に一歩足を踏み入れた瞬間、自分に注がれた視線。先客がいた、そのことは驚くべきことではない。ドアに顔を寄せたとき、中からわずかに声が聞こえたのだ。

 男が三人、少女が一人。小柄の男は帽子を被り、紳士的な服装だ。もう一人の大柄の男は薄汚れた白いシャツを着てサスペンダーつきのズボンを履いているのだが片方のサスペンダーが外れてダランと垂れ下がっている。少女は隅で膝を抱えて座っている。

 家具は入り口付近に小さな机が一つ。大小さまざまの曇った空き瓶が並ぶ大きな棚が一つ、椅子が一つあった。いずれも木製で、室内の中央に吊るされている裸電球の揺れで影が伸びたり縮んだりしていた。

 その電球の下で男が大の字になっている。

 その男の頭部の周りにあるもの。一瞬、影かと思ったが血だった。木の床に染み込み、ほとんど黒く見える。


 何を言おうか逡巡する間に大柄の男が私のシャツを掴み室内に引きずり込んだ。そして勢いそのままに部屋の棚に叩きつけた。

 私は大男の更なる追撃を恐れ、目を閉じ、顔をかばうように両腕を上げたのだが「待て!」の一声。もう一人の男が大男を制止させた。まるで犬。ケダモノのようだ。


「誤解を招くような真似してすまない。我々も動揺しているんだ」


 小柄の男は笑みを浮かべてそう言った。その笑みは私を安心させるというよりは自分自身に大丈夫、落ち着くんだと言い聞かせるためにしたように感じた。男の顔から滴り落ちたのは汗か雨か。大男はまだ息荒く、落ち着かない様子で部屋の中をウロウロしている。


 勝手な推測をするのなら倒れている男と隅にいる少女は親子であり、雨宿りしていた。

 そして現れた二人の男と何かしらの理由で揉め、大男が床に頭を何度も叩きつけて殺した。そう考えると大男のシャツの汚れは血に見えなくもない。


「一体何が」

 

 私は小柄の男に訊ねた。会話できるうちは安全だ。この場は話を合わせてやったほうがいい。たとえ、これからされるそれが言い訳めいた作り話であっても。敵対してはならない。この雨の中、小屋を飛び出してこの二人に捕まらずに助けを求め、叫びながら走るのは到底不可能に思えた。


「わからない、わからないんだ。ただ部屋の明かりが消え、点いた時には……」


 小柄の男が言葉に詰まった。電球が点滅し始めたのだ。

 小柄の男の顔が恐怖に染まる。大男もわなわなと震え、電球を見つめる。それはまるでカウントダウンのように、そして……消えた。


 音がする。

 潰すような。

 水気のあるものを。


 十秒。恐らくそれぐらいの時間だろう。再び点いた電球が闇を押しのけ、全てを明るみにした。

 大男が、床に倒れている小柄の男の顔を殴りつけている。いや、殴り倒したのか。

 小柄の男はピクリとも動かない。振り上げた大男の拳が体に打ち付けられ、足がビクンと動くのは別としての話だが。

 大男が顔を上げ、こちらを見た。

 その瞬間、再びの点滅。また明かりが消えようとしている。

 私はドアに向かって走り、手を伸ばした。もう、四の五の言ってられない。外よりこの小屋の中のほうが危険だ。


 しかし、開けたドアから容赦のない風が吹き込み、私を部屋に押し戻す。

 違う、後ろから引っ張られたのだ。


「待て! 待て! 俺じゃない! 俺じゃないんだ!」


 大男の腕が私の首に絡みつく。熱を持った湿った腕。不快だったがジェットコースターの安全バーのようにがっちりと私を締め、振り解くのは困難であった。

 私は腕をやたらめったらに振り回した。殆どが空を切ったが何回かは大男に当たった。しかし獰猛な野生動物のように息を荒げる大男には全く効いていないようだった。

 と、思ったら私から大男の腕が離れた。なぜか。なんてことはない。ただ、代わりに拳が私の顔面に飛んだのだ。

 私は痛みに倒れ、目をつぶった。視界が激しくチカチカするのは、アニメーションのように私の頭の周りに星が飛んでいるからではない。点滅が早まっているのだ。

 大男が猪のように私に突進する。私はそれをかわすと大男は壁にぶつかり、小屋全体が大きく揺れた。

 振り返る大男に対し、私は腕を大きく広げた。威嚇のつもりであったが、むしろ抱擁を受け入れているような構えになったと自分でもわかった。

 そして大男の突進。受け止めきれるはずもなく、私は床に倒され頭を打った。

 ドアが風で閉ざされ、大男が私の胸ぐらを掴み、立たせた。そして奴が握った拳を振り被った瞬間。視界が真っ暗になった。


 気絶からの回帰、あるいは再びの点灯。何秒、何十秒後かはわからない。

 ドアの近くにいたはずなのに私は小屋の中央にいた。ひどく頭がぼんやりとしている。殴られたせいだろうか。ここはどこだ。小屋だ。そうだろう? 手が、痛い。ジンジンと腫れ上がるような。それにこれは……血か。あの大男は……。


 大男の目が私を見ている。私の足下で、ただそれは死んだ魚同様、ただ黒目がこちらの方向を向いているというだけだ。何もない。恐怖も怒りも生気も。

 この小屋には何かがいる。その何かは人間に取り憑き、そして……。


 私は背後に何かの気配を感じ、振り返った。

 少女だった。

 私を見上げている。

 このままではきっとこの少女を殺してしまう。その逆の可能性も……流石にないだろうか。そうは言いきれない。震える私の足。これは死の恐怖か殺人に対する拒絶反応か。

 しかし、どうしたことか。少女は怯えていない。その目つき。怒り、だろうか。非難めいた。責めるような。

 少女が私を指差す。頭の中に声が響く。静かで、冷徹。


 ――お前のせいだ。

 私じゃない……。

 ――お前がやったんだ。

 私がやったんじゃ……。

 ――お前が殺した。

 私は殺してない。

 ――見ていた。お前が殺したんだ。

 私はパパとママを殺してない。

 ……何を言っている?

 私は……。


「そこまでだ。よーし、大丈夫。戻ってきた」


「本当に上手くいくんですかね先生?」


「問題ない。写真を見せてみよう。早いほうがいい。さぁ、あの夜、誰が君のパパとママを殺した?」


 私の前に並べられた四枚の写真。

 あの小屋に居た男たちだ。

 私の指は自然と一人の男に向いた。

 最後まであの小屋で生き残っていた男、つまりはあの時私だった男に。


「……この男だそうだ。刑事さん」


「よし、すぐに手配しよう」


 刑事と呼ばれた男が部屋から出て行った。


「疲れただろう。ココアを用意している」


「……あの……小屋は?」


「単なる状況設定だよ。覚えているかな? 催眠による記憶の逆行を君に施したんだ。

君のパパとママが殺された夜。君は犯人を見ていた。しかしショックのあまり――」


「記憶を失くしたのね」


「その通り。君は記憶の中で候補者たちの中から犯人を搾り出していたんだ。

……方法は君任せになってしまったようだけどね。

さぁ、ココアが来た。どうぞ飲んで。これは片付けておこう」


 先生と呼ばれた男が、机の上に置いてある電球のついた箱を手に取った。

 箱についたスイッチで点灯できるようだ。その先生の助手らしき女性が私にコップを手渡す。

 温かさが手から伝わり、体がジーンとする。

 そして、喉に流し込んだ甘さと温度が、暖かな日差しと草木に滴る雫を頭の中に描いた。

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