視線

 ただの偶然だった。そう、ほんの偶然。

 自然豊かな大きな公園。

 夜中ジョギングをしていると、林の奥に何か妙なシルエットがあることに気づいた。

 木に吊るしたサンドバッグか?

 そう思い、近づく僕が踏んだ落ち葉と枝が音を鳴らし、林そのものがスズメバチのように僕に近づくなと警告しているようだった。


 でも、僕は見てしまった。

 首吊り死体。その足元には財布が落ちている。

 男。五十歳。財布の免許証から情報を得たけど、そんなことは僕の頭の奥には入らなかった。

 風の仕業かギギギと音を立てて首吊り死体が揺れる。暗闇からその目が僕を見つめる。

 汗がにじみ出てきた。吐き気がこみ上げてくる。妙な動悸がする。

 早くこの場から離れなきゃ。それで、家に帰るんだ。朝になれば誰かが見つけるさ。そう、公園の管理者か誰かが。


 でも、死体に背を向け、歩き出した僕をライトの光が捕らえた。


「どうかされましたか?」


 眩しくて目を細める。

 二人。

 男と女。

 カップル?

 ……警察?

 胸元に県警の文字があった。


 光が僕の体を逸れる。位置からして首吊り死体を照らしたのだろう。


「あ、ぼ、僕は見つけただけで……」


 自分でも怪しいと思ったけど喉が渇き、ひび割れた様に痛んでうまく喋れない。手足が冷えていく。体全身が心臓になってしまったみたいに大きな鼓動、それで足がふらつく。


 この場から離れたい。怖い……。

 でも、立ち去ろうする僕を男性警官が引き止めた。女性警官は応援を呼んでいるようだ。

 あっという間。ものの数分で応援は来た……と思う。よくわからない。僕の体内時計は緊張のあまり、煙を上げて壊れたようだ。


 足が情けなく震える。その震えを抑えることに集中したけど無駄だった。

 でも、僕の震えは死体を見つけたことによる動揺と受け取られたようで、いきなり手錠をかけられることはなかった。

 それは良かったけど、帰りたいと申し出たのに、もう少しだけと却下された。

 僕を見る彼らのあの目。殺人犯だなんて疑われているのだろうか……。


「もう、結構ですよ」


 男性警官がにこやかに言う。

 僕は息を漏らした。どうやら遺書が見つかったらしい。しかし、後日また話を聞きたいとのことで一応電話番号と住所を教えて欲しいとのこと。

 僕はササッと書き、渡されたペンを返した。帰れる。帰れる。帰れる……。


「……あ、ちょっと」


 僕はその声でビクッと足先から頭のてっぺんまで硬直した。今度こそ立ち去ろうとした僕を男性警官がまた引き止めたのだ。


「一応、ポケットの中を見せてくれる? 遺書にね『財布のお金は寄付にでもしてくれ』って書いてあってね。結構な大金みたいだけど……」


 僕がポケットにそっと手を入れると、カサリと落ち葉を踏んだような音が鳴った。

 

 もう引き返せない。

 紙の感触。

 ポケットの闇の中。


 僕の指を見つめる、たくさんの目が頭に浮かんだ。

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