公園の秩序
のどかな昼下がり。子供たちの活気ある声が踊る、とある公園。
ベンチに座った男はボール遊びをする見知らぬ子供たちをなんとなしに眺めつつ、タバコを口に咥えた。
ライターを近づける。ぐっと親指に力を入れたその瞬間、足元に青いビニールボールが転がってきた。
舌打ちは心の中で留め、爪先で子供の方へと蹴ってやる。
子供はボールを手に取ると同時に踵を返し駆け出していった。また笑い声が上がる。一方、男は顔を顰める。
礼どころか頭一つも下げやがらない。まったく近頃のガキは……と、男は離れていくその背中を指でパーン、と銃を撃つ真似をした。
「……え、嘘」
男がそう呟き、タバコがポロッと膝の上に落ちた。
その子供が倒れたのだ。
超能力? 目覚めたか? 馬鹿な。ただの偶然だ。タイミングよく転んだだけ。すぐに起き上がるさ……。
男はそう考えた。だが……。
「えっ、え」
起き上がるどころか、また子供が一人倒れた。
更にもう一人、そしてまた一人と間を置かずに次々と。
……あ、そういう遊びか? いや……何か妙な……。
男は身を乗り出して目を凝らした。
と、その目の前を犬がリードを引き摺りながら走り抜ける。その後ろ姿は俺は自由だ! と言わんばかりに喜びが満ちていた。
犬が来た方向に目を向けるとそれは自由とは対照的。老人が倒れていた。
何かが起きている。そう思った男はタバコとライターをポケットにしまい、ベンチから立ち上がる。その瞬間、芝生でくつろいでいたカップルがパタリと倒れた。
――狙撃! いや毒ガスか!
男はとっさに身を屈めた。
この行動が毒ガスに対して効果があるのか? そもそも屋外で毒ガス、あり得るのか? 特に変な臭いはしない。空気の流れのせいか? そもそもあいつらは気絶しただけ? 死んだのか? 俺は……死ぬのか?
湧き上がる疑問。激しく脈を打つ心臓。男の頭の中はパンク寸前、何でもいい吐き出したい。なんならタバコを吸いたい。声を出したい。目的は定まっていないが口が開いた。
が、声がしたのは男の背後からであった。
「あ、あの……あなたは大丈夫ですか?」
男にそう、声をかけてきたのは少し離れたベンチに座っていた中年の男だった。男と同じくスーツを着た会社員。ここまで姿勢を低くして来たのだろうズボンは土で汚れていた。
「ええ、まぁ特に……体調は大丈夫みたいです」
「私もです。しかしおかしい。人がバタバタと……あれ、死んでいるんですかね?
それともドッキリ? そうだ! テレビか! ははぁ! テレビだそうだ!」
中年の男は一人でそう納得し、辺りを見回し始めた。カメラを探しているのだろう。目は見開いているが恐怖の色に染まり盲目的だと男は思った。
ドッキリ番組。確かに可能性はなくはない。素人が右往左往するのを見て楽しむコーナーかもしれない。
動揺をその身で表しているその姿を見て、いくらか冷静さを取り戻した男はそう同意してやってもいいと思ったが、中年の男が独り言のように話し続けるからその機を逃した。
「いやぁ! ふふふふっ! きっと、そうに決まってますよいやいやいや悪質だなぁ。
ふふふん、えふふふ。私ね、従兄弟が弁護士やってるんですよ。
訴えちゃおうかなーなんてねへへへ。いやーもうほんとふぅ、焦ったなぁ」
中年の男はそう言うとポケットティッシュを取り出し、額の汗を拭き始めた。
「……あー、どうでもいいけどハンカチは?」
「ああ、持たないタイプなんですよ私」
中年の男はそう言うとポイッと丸めたティシュを捨てた。
その直後、前のめりに倒れた。
死んでいる。念入りに確認するも脈はなかった。
なぜだ? 傷口などはない、音もしなかった。やはり毒ガス?
じゃあなぜ俺は無事なんだ? 何が原因だ。原因……これまでの……。
ポイ捨て、芝生立ち入り、犬の散歩、ボール遊び……。
男は頭を振り上げ、看板を見た。
『公園を利用される皆さんへ』と題されたその看板には公園内における禁則事項がびっしりと並べられていた。
不法投棄、芝生立ち入り、犬の散歩、オートバイ、自転車、スケボー、キックボード、ボール遊び、タバコの喫煙、大声を出す、鳩への餌やりトレーニング、電話、ベンチの長時間利用――
多い、余りにも多い。目眩がし、全て読めないほどに多い。サボり目的でこの公園を利用することは度々あったが気づかなかった。初めからこうだったのか? それともマナー違反する連中に怒り、ルールを追加していった?
よく見るとその白い看板はペンキで塗られたようでダマがある。もしかしたらルールを追加するために何度か塗り重ね、書き直したのかもしれない。
いや、今はそれは置いておこう。どうでもいいことだ。もしもこれまでの出来事が公園のルールを破ったことによるものなら全てが一致する。馬鹿げた発想だが、もしそうだとすれば……。タバコ……。
男はさっきの自分の行動を思い返し、身震いした。その場で深呼吸を数回し、結論を出す。とにかくこの公園から出る。自分の仮説がどうであれそれしか助かる道はない。
男はなるべく静かに立ち上がった。寝ている猛獣を起こさないようにそっと。
出口までおよそ百メートルといったところか。公園奥のベンチに座った自分を恨めしく思い、唇を噛み締めた。こんな恐ろしい所にいたくない。一気に走りぬけよう……いや、待て。
『トレーニング禁止』
男の頭の中にその文章がパッと浮かんだ。
もう一度見て確認するまでもない。看板にはそう書かれていたはずだ。そしてこれには走ることも含まれているのでは?
危ないところだった……。さすがに歩くことは禁止されてないはず。ゆっくり行けば問題ないはずだ。一歩一歩、ゆっくりと……。
風が出てきた。木々がざわめき不気味な雰囲気。いつの間にか日が陰っていた。一雨来るかもしれない。
そう思った男が空を見上げようとしたとき、枝と葉が擦れる音に紛れ、何かが転がる音が聞こえた。
「あぶ!」
間一髪だった。さっきの子供たちが遊んでいたボールが男めがけて転がってきたのだ。触れればボール遊びをしていると判断されかねない。男にかわされたボールはそのまま駆けていく。
一安心。それも束の間。
――もう一個!?
男は尻餅をついたものの何とかかわした。まるで魔物だ。駆け回る二つのボールを見て、男はそう思った。
そして立ち上がろうとしたとき、違和感を抱いた。
――ライター!
立ち上がる男のポケットから今、零れ落ちるように……。
――うおおう!
間一髪。男はライターを手にし、心の中で雄たけびを上げた。
危なかった。もし落としていたらポイ捨てと判断されていたかもしれない。……判断? さっきからそう思っているが一体誰に? 神か?
男は今度こそ、空を見上げた。空にはいつの間にか暗雲が鎮座していた。ひどく黒く、胸を押されるような威圧感があった。まるで数十人の人間が順番に壺の中に悪口、罵声を吹き込みそれが最後、割られて出てきた憎悪の塊。見ているだけで込み上げてくる不快感から男は空から顔を背け、歩いた。
公園から出た男はその場で膝をついた。硬いアスファルトで痛みを感じたが、そんなのどうでも良かった。
後ろを振り返って横たわる人々、その亡骸の奥、公園の看板を見つめる。
白い看板に書かれた文字。もう、この距離では良く見えない。だからか呪詛のように思えた。
その後、あの公園は閉鎖された。あの事件の原因は今もわからないまま。
それでも男は自身の体験を警鐘とし、人々に伝えようとしていた。
ルールを守れ、命が惜しいなら。
男がなぜ、人々にそう訴えかけるのか。いつまたどこで同じような事が起きるかもしれないからだ。そんなことが起きないように。あるいは起きても困らないようにと喉を枯らす。
しかし、聞く耳を持つ人間はいない。当然とも言える。以前の男もそのうちの一人だった。ポイ捨て、信号無視。ルールを守らない連中がこうも腹立たしいなんて考えもしなかった。
――クソめ。
男は誰かが捨てた丸まったティッシュを拾い上げ、信号が青に変わるのを待つ。車が来ないのは見通しがいいからわかっている。
それでも俺はルールを守る。
横を通り過ぎていく人の背を睨みながら男は改めてそう心に誓った。
……なんだ?
横断歩道のその向こう側、空に見覚えのある雲があった。黒々とした。空が淀み淀み、空気が重く重く。悲鳴のような風。あるいは風のような悲鳴。
こちらにゆっくりと迫る、迫る。
――よし、いいぞ。
信号が青に変わった。男は晴れ晴れとした気分で軽快な一歩を踏み出した。
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