捨てる、拾ウ

 ――何だ……?


 夕暮れ時。男がタバコを吸いながらぼんやりと帰り道を歩いていると、ふと、目の前の住宅の柵に何かあることに気づいた。

 近づき、見下ろす。

 ビニール袋。それが水色のリボンで結び付けられている。中に何か入っているようだ。

 男は結び目を解き、手に取り眺める。

 中に入っていたのはハンカチと紙だった。


『九がつ十四日ハンかチをひろいました』


 紙にはそう書かれていた。歪な文章と文字だ。幼い子供が書いたのだろう。落とし主に拾われるように目の届きやすい高さの柵に結びつけた。

 立派な行いだ。しかし、ちょうど一月前の日付を見るに、どうやら落とし主の目には映らなかったらしい。雨ざらしにされていたのだろう、ビニール袋は薄汚れていた。

 男はもしやと思い、指を見るとやはり少し汚れがついたようで少し黒ずんでいた。

 男は舌打ちすると吸いかけのタバコと共にビニール袋をその場に投げ捨てた。


 ――さっきのハンカチ……どこか見覚えが……。


 数十メートルほど歩いた男はピタリと足を止めた。今しがた頭によぎった事が理由ではない。目の前の柵にまたリボンでビニール袋が結び付けられていたのだ。

 男は近づいて中身を確認する。中身はタバコの吸い殻だった。さっきのハンカチと同じように紙には拾った日付が書かれていた。


『九がんつ十六日タばコをひろいマシた』


 これは善意というより皮肉的な意味だろうか。晒上げ。では子供が書いたものではないのかもしれない。何にせよ、持ち帰る者はいないだろう。

 男はクシャッと握り、それを放り捨てた。そしてポケットからタバコを取り出しこれ見よがしに吸い始めた。

 日が沈みかけ、暗い中にタバコの火が映える。フゥーと頭上に煙を吐くと妙な感覚にとらわれた。


 ――前にも似たようなことが。……いや、どうでもいい。ようやく肩の荷が下りたんだ。


 男はタバコを口に咥えたまま歩き出した。

 だが、それもほんの少しの間だけ。タバコは口からポトリと地面に落ちた。


 またも帰路にある住宅の柵に括りつけられていたビニール袋。男は近づいて、外さずにそっと手で持ち上げるようにして紙に書かれている文章を見た。


『九がつ十八日イヤリンググググをひろいました』


 パッと手を袋から離し、男は走り出した。足がもつれ、転びそうになりながらも必死に、止まらずに。

 そして、角を曲がり自宅を目視するとようやく足を止めた。

 しかし、安堵したからではない。男の目の先にあったのは見慣れた我が家ではなかった。

 まるで吊るされた絵馬のように柵にビニール袋が大量に結び付けられていたのだ。

 風で揺れ、旗のようにパタパタと音を立てている。

 男は近づいて中身を確認する。どれも見覚えがあった。


 丸めたティッシュ。

 レシート。

 空き缶……。

 男が外に捨ててきたもの。それが晒されている。


 何故だ? いや、考えている暇はない。回収しなければ。こんなの近所に見られたら……。

 そう考えた男は手当たり次第に引き剥がし、柵の内側に投げ入れた。とにかく、見られなければいい。それが最優先だ。

 クシャッと握りつぶされたビニールが不愉快な音を立てる。荒げた呼吸音。激しい心臓の鼓動。その中、男はハッキリとその音を聞いた。


 ピチャッと何かが落ちる音。水気を帯び、バスルームのタイルの上に落ちたような。


 男は振り返った。よせ、見るなと危険信号を発している脳に今の音は気のせいだと言い聞かせながら。


 女だ。

 

 今落としたばかりの物を身を屈め、恭しく拾い上げた。

 だが、また落とした。

 手からではない。頬から、肩から、ふくらはぎから女の肉という肉が後から無理やりくっつけた粘土のように剥がれ落ちていく。


 男の手に力が入り、その手の中にあるビニール袋がまた音を立てた。それはビニール袋の中身の髪の毛の束が擦れる音。


 この一ヶ月、男を悩ませていたもの。見つからないように排水溝、土、川、茂み、トイレ、コンビニや駅のゴミ箱に少しずつ処分し先日、ようやくすべて処理し終わったもの。


 ゴム手袋。

 鋸。

 指輪。

 髪の毛。

 耳。

 目。

 鼻。

 唇。

 肉。肉。肉肉肉、肉。

 骨。骨骨骨、骨骨。

 すべて捨てたはずだ。

 時間をかけ、すべて……。


 音がする。迫るように。責めるように。

 男はそこで気づいた。まだ捨てきれてないもの。

 それは……。





「ねえ、知ってる!? お隣のご主人捕まったのよ!」

「ええ!? なんで?」


「何でも自分の耳をビニール袋に入れて柵に結び付けてたんだって」

「えぇ……でも捕まったって? そういう病院に入院させられるだけじゃ」


「それがね……なんと自分の奥さんを殺していたらしいのよ!

あっはぁ、それで心を病んじゃったのね!

罪悪感よ罪悪感! やっぱり悪いことはするもんじゃないわねぇ」

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