関わらなければ……

 その老人は電柱の前にいた。

 そう。何かをしているというわけでもなく、電柱に顔がくっつくぐらいの距離でただ立っていたのだ。

 俺は不審に思ったが、特に警戒することもなく通り過ぎた。その夜は調子が良く、まだまだ走るつもりだった。

 が、角を曲がった俺は足を止めた。いや、止めざるを得なかった。


 全く同じ老人がそこにいたのだ。


 別の道から急いで先回りした? 有り得ない。こっちは走っていたんだ。おまけに俺は陸上部。先回りできるはずがない。

 じゃあ、そっくりなだけか? いいや。それにしては似すぎている。それにそんな偶然があるか?

 疑問は湧き出るが、構わず通り過ぎることにした。関わらないほうがいい。そう思った。


 ……しかし、角を曲がるとまたそこに老人がいた。

 服装はスーツ。会社員というよりは紳士のような印象を受ける。顔は見えない、いや、見てはならない気がした。関わらないほうがいい、そのほうがいい……。

 何度もそう思ったはずなのに、俺はどうしてか好奇心を抑えられず近づき、老人の肩に手をかけ……。



 そうそれが二十年前、俺が中学生の時だ。当時から、ホラー映画やドラマが好きでよく観ていた。

 だから直感したんだ。ああ、これは碌なことにならないって。

 だから伸ばした手を引っ込め、逃げた。好奇心は身を滅ぼすってやつだ。馬鹿だよな、物語の登場人物って。怪しいなと思ったら関わらなきゃゃいいのに。

 その老人はその後も俺が夜、外に出るたびに電柱の前にいた。いつだろうとどこだろうとおかまいなし。時には姿を変えたりもした。だが、それが女であろうと子供であろうと雰囲気でわかる。だから油断はしなかった。友人の後姿に化けることもあるかもしれない。昔話に出てくる化物のやる常套手段だ。

 いずれもよく見ようとせず無視した。走って走って、中学高校卒業して大学はスポーツ推薦。スポーツシューズメーカーに就職して今に至る。危険が身近にあるんだ、悔いが残らないようにと仕事も遊びも全力でやった。いや、現実逃避の意味もあったかもしれない。とにかく打ち込んだ。で、気づけば昇進。今日はそのお祝いだった。


 会社の連中と別れた後、一人足元がふらつく中、歩いた。良い気分だった。うっかり人にぶつかるまでは。

 大丈夫かと声をかけたが返事がない。それで、せっかく心配してやってるのに無視するなよ、と俺はそいつの肩に手を伸ばした。


 酔いが覚めた。一瞬で、だ。

 あの老人だった。

 その顔には巨大なタバコを押し付けたようにポッカリと穴があいていてた。鼻も目も口もない。数本の歯とトロみたいな舌があるだけ。

 その舌が動いた。

 何かを言っている。

 あの時の好奇心が蘇り、俺はそれが何かを知りたくて、その顔に引き寄せられるように……。



 と、言うのは俺の想像の産物だ。

 危ないところだった。我に返った俺は老人が振り返る前に逃げ出した。フォームも何もあったもんじゃなく、ただがむしゃらに走った。電車に飛び乗り、最寄り駅から出てもなお走り続けた。

 自宅が見えるとようやく安堵の念が込み上げてきて俺は立ち止まり大きく息を吐いた。次いで、両手でバシッと顔を叩く。

 もう酒はやめよう。油断もしない。

 今日も生き延びた。そうとも、関わらなければ大丈夫。気にしない。気にしない。


 ……だがこうも思うのだ。

 これは一体いつまで続くのか。

 すでに俺は囚われているのでは……。


 ……はははっ。なんて考えても仕方がない。

 それよりも……気分が悪い。急に立ち止まったから胃が大きく波立っていた。家のトイレまで間に合いそうにない。

 電柱に手をつき、嗚咽を二回。

 出ない。大丈夫そうだ……と、何だ? この電柱。穴が。

 

 ああ、これ。

 あ、すごい。

 すごーい。

 すごいよこれ。

 ほんとすごい。

 わぁ……。

 すごい。

 みんなもみればいいのに……。

 すごいよ。

 みせたいなぁ。

 すごい……すごい……すごい……。

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