パンプレポス

「パンプレポス!」


 白昼の街中。今日はやたらと混んでいた。

 ――パンプレポス。

 歩幅を小さく、前を歩く人の踵を踏まないように注意せねばならないほど。

 ――パンプレポス。

 ……そう、先程から頭の中で残響し続けている、さっき耳にした言葉。

 誰かが甲高い声で叫んだのだが、歩きながら顔を向けても人物を特定することはできなかった。この人の流れの中。当然だ。恐らくもうどこかへ行ってしまっただろう。俺の後ろを歩いている若いカップルも「さっきの声、なに?」とバカにしたような口調で言った。


 気持ちはわかる。こんな白昼の混み合った街中でパンプレポスなどという訳のわからないことを叫んだら嘲笑、あるいは危ない人物と認識され避けられる。

 そうとも、ただの変人……。言葉かどうかもわからない。

 何の意味のない音。

 鳴き声。

 馬鹿馬鹿しい。

 無意味。

 ……しかし、俺の頭から離れない。


「パンプレポス……」


 お、おお……。足音にかき消される程度の声で呟いたのだから誰にも聞こえなかっただろう。いや、もしかしたら周囲の人間には聞こえたかもしれないがどうでも良かった。

 

 パンプレポス。

 

 この言葉を口にした瞬間、妙な幸福感を得られたのだ。それは美味しい食べ物の一口目。また、良い映画を観終えたときの幸福感にも似ていた。


「……パンプレポス」


 今度は先程よりも大きな声で言った。周囲の人間には確実に聞こえただろう。だが、そんなことはどうでもいい。声の大きさに比例するらしく、先程よりも大きな幸福感を得ることができたからだ。

 よし、もう一度――


「パンプレポス!」


 ……俺じゃない。俺の後ろを歩いていたカップルが突然叫んだのだ。

いや、彼らだけじゃない。この人混みの中から次々に聞こえる。俺と同様の幸福感を、いや、叫んだ奴らはきっと俺以上の幸福感を得たに違いない。そう考えると羨ましくも妬ましくも思え、俺は大きく息を吸い込んだ。


「パンプレポス!」


 ああ、いい……。こう、口の中を破裂させるような感じで発音すると、なお気持ちがいい。唾が周りに飛び散ったがお互い様だ。

俺は気にしない。誰も気にしない。何度も何度も叫んだ。ああ、そうだ。この言葉を口にしたものは全員幸せになれる。争いが起きるどころか怒りといった感情が湧き上がる隙がないだろう。真の世界平和と言うやつだ。もう他の言葉は必要ない。

 あぁ……ほら、もう何も他のことを考えられなくなってきた……。でももうその必要も……。




「大臣、大変です! れ、例の言葉がわが国で大流行しています!」


「やはり防ぎきれなかったか……。

一度その言葉を口にするとその快感に病みつきになり、何度も叫び

やがて他の言葉を忘れてしまう……恐ろしい病だ」


「ええ、ま、麻薬の……い、いえ、それ以上の中毒性。

そ、それにすごい伝染力です。こ、このままでは世界中に広がることでしょう」


「言葉の伝染病とはな……。対策を立てようにも、一体どうすればいいんだ……」


「け、研究者たちも対処法を探るうちに、か、感染してしまったようですしね。

ゆ、誘惑に負けたのか疲労による、うっかりなのかはわかりませんが」


「情けないやつらだ……」


「……で、でも気持ちはわかりますよ。

み、みんなが何も悩みや不安がなく幸せそうだというのににににぃ……。

ふぅー、自分たちだけ頭を悩ませにゃければにゃらないなんて」


「ん、おい、どうした、さっきから何か変だぞ」


「……実は私も我慢できなくなりなあぁぁりぃ! 

さっきあの言葉を口にしてしまったんですぅーがぁ!

なんと! なんと! ここちよいこと! 

今も早く声に出したくてうじゅじゅじゅしているところでえぇぇす!」


「おまえ……! しかし何てことだ。その顔。

まるで発音の気持ちよさを優先し、文法やら何やら

言葉の決まり事を破壊することに快感を得ているような……。

気絶させればどうにかなら……っとなんだ、外が騒がしいな」


「ふひゅひゅひゅ! むーぅすくまでえぃ来ているんですよぉう!

しゃっ! しゃしゃしゃ! どぅいじぃん! ご一緒にどぅーですぅ?

どぅーせこのモーダイなんてなんてなんて、しゅぐに誰も気にしなくぬりますぅよぅ!

ほらほらほらほらほらぁ! ぱぱぱぱーん!」



 果たしてこれは世界滅亡か世界平和か。それを考える者はいないのだから、どちらだって構いやしないだろう。


「パンプレェポォォォス!」

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