秘めごと

ぱん

秘めごと


はるくんのこと、好きなの。だから応援してほしいんだけど」


「え……」


 帰る足を引き留める一言に、どうしようもなく焦って数秒言葉を失った。

 かずちゃんは友達だ。友達の恋を応援するのは当然のことだろう、と。

 言い聞かせようとする良い子な自分に従って、私は頷き返す。


「あ……うん、応援するよ」


「やったー! ほんと小南こなみのこと大好き! 告白成功したらいの一番で伝えるからっ!」


「あはは……頑張って」


 動かない口の端を無理矢理引き上げるので精いっぱいだった。

 ひらひらと手を振り、鞄を持って下校する彼女を見送る。

 比較的、仲のいい和美かずみちゃん――通称、和ちゃんはクラスの中でも下層に近いヒエラルキーにいる私とは違って、上層の住人だ。

 何より、私の隣席の春臣はるおみくんは最上位――憧れナンバーワンの人気のある男子だった。

 そんな二人が付き合うとするなら、まあそれはお似合いなのだろう。春臣くんに負けず劣らず、容姿も、性格もすごくいい和ちゃんは、表面上を取り繕うのが上手いとも言うけれど、それも才能の一種だ。褒められるべきことを持つ身の上同士のカップル誕生は、単純に祝うべきだと思っている。

 斜陽かかる校舎の玄関口、取り出そうとしていた靴を戻し、私は靴箱に寄りかかった。


「春臣くん、かぁ……」


 高校二年生に上がり、クラス替えを経て一緒になった彼は先月の席替えで隣席となった。学級委員を務め、クラスリーダーとしてみんなを引っ張るその後ろ姿は誰であれ――当然、私でも憧れてしまうほどにその求心力は他の追随を許さない。

 何より、甘いマスクで高身長、おかしなぐらいの万能性という、神に愛されすぎなその不公平すぎる性能のせいで、春臣くんはこのクラスの、いや、この学校の頂点に君臨するかと思われる逸材だ。

 それが、幼稚園から進学する学校が一緒になり続ける腐れ縁な幼なじみだとしても、彼と私の現実のカーストには雲泥の差がある。何がここまで差を広げたんだろう。

 まあだからこそ、下層の私は引き立て役になるしかないわけだけども。

 彼女の――ひいては、春臣くんの。


「それが、私なんだもんね」


 言い聞かせる内なる声に従順に、教室を出てきた道を戻るように私は後ろ向きに歩く。

 後ろ手に持ったちょっとだけ重たい鞄が軽くお尻を叩くたび、廊下窓から響く運動部のかけ声に羨ましさがこみ上げてくる。打ち込める何かが私にもあればと入学当時、部活に入りそびれたあの日を思い出す。

 施錠されていて使えない屋上へと階段を上がる。

 最中、学校前の横断歩道で足取りの軽い和ちゃんが見えた。

 明日か、明後日か。大体、遅くても一週間以内というところだろう。

 そのぐらいに、彼女は春臣くんへと告白を敢行するはずだ。


『さっそくで悪いんだけど、今後、さりげなく春くんから情報収集お願いしてもいいかな?』


 ブレザーのポケットに忍び込ませたスマホが、和ちゃんからのラインを知らせる。


「抜かりないな、和ちゃんは」


 ちゃっかり頷いた私を使っていくスタイルに悪気はない。

 感謝も対価も払わず人を使うことに長けるのは、友達以上にこれほど容易いものはないのはわかる。だって友達だからね。優先する友情のためになぜか奉仕させられていることに気づけないし、何より自分が得られない幸せをせめて手助けして得た気分になろうとするみたいな、その手助けしてあげますよみたいな。考えすぎなんだろうけど、そのお節介にもほどがある下層への労りと傲慢に、私は逆らうことなんてしない。むしろ受け入れようとさえ思っている。

 だって本心から和ちゃんには幸せになってほしいと思うし、友達なのだから。

 ともあれ。

 了解のスタンプを押してラインを閉じると、私は屋上前にたどり着いた。

 扉を施錠し、なおかつ机を重ねてバリケードのように堅く屋上への道を閉ざすその踊り場は、一年の頃から私の秘密基地だ。

 見回りの先生もここまで来ないし、校舎が閉まるギリギリまでいても人の気配一つない。元々、授業外で使われることのない校舎三階のせいで、ちょっと人気のないトイレで用を足したい人ぐらいしかこの三階まで来るような物好きはいないからだ。

 だから、私は悠々と尻尾を振るペットのお世話ができてしまう。


「――春臣くん、待った?」


 件の彼は正座したまま手すりに掴まる私を見上げた。

 はあ、はあと興奮に息荒くして、大型犬のように目をキラキラとさせて。今にも飛びかかりたい欲を抑えるその姿は、昼間の彼を見ていると滑稽で、愛らしくて、かわいそうだ。

 どうして神様はこんな子を作ってしまったんだろう。


「待ちきれないみたいだし、今日もお散歩、しよっか」


 春臣くんに告白されたのは、中学二年の冬だった。


『小南にしか頼めないんだ、お願いだ――僕を調教して』


 我ながらよくわからない懇願を受け入れたものだと今も振り返ってしまう。

 昔からなんでもできる人だったけれど、どこか無理してるところがあった。ストレスも多分、あったんだと思う。そのはけ口を探すうち、戻るのが難しいところまで踏み入れてしまっていたのは、当然、幼なじみとして近くにいた私が気づけなかった責任でもあったと思う。

 二つ返事で受け入れた私は、彼より先にとっくに狂っていたのかもしれない。


「ねえ、そういえばね。春臣くんが好きな子がいるんだ」


 鞄に詰め込んだ散歩セット。首輪にリード、犬耳に――尻尾。

 彼が犬たらんとするために用意したそれらのために重くなった鞄を床に置き、中身を取り出す。


「その子に今日、応援してねって言われちゃった」


 彼女なら戻せるだろうか。

 春臣くんを――というか一体、どこに戻すかもわからないけど。


「ね、春臣くん」


「……ぁっ」


 彼の首に首輪を通し、ベルトを締める。

 少しだけ窮屈で、少しだけ苦しそうに喘ぐその顔がたまらなく愛おしい。

 ――私は多分、彼に惹かれていたんだろう。

 完璧で、誰にも優しくて、幼なじみで、周囲の憧れの的で。

 今は歪んでしまったこの愛情が、もう戻ることはないのを知っているけれど。

 もし。

 もし、引き返すことができたのなら――いや、無理だ。

 だって。


「私と散歩したかったら、わかるよね」


 私は今を随分と楽しんでしまっていた。これでは戻ることはできない――ゆえに、することは一つだけ。

 言い聞かせるように、私は春臣くんのリードを引いた。

 ご主人さまの言うことは絶対。ご主人さまの願いは第一に遵守する。

 彼が自ら縛ったルールでこの嫉妬を、独占欲を満たそうとする私は悪い女だ。


「わかったら、鳴いて」


 和ちゃんには幸せになってほしい。

 いつからか狂ってしまった私たちとは、別のところで。

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秘めごと ぱん @hazuki_pun

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