お呼びでない
にじさめ二八
お呼びでない
ああ、愛しのシャルロッテ。
君がこの世に生まれたことを私は生涯恨めしく思おう。この感情は例え私の身が朽ちて、命が天高く昇って星となろうとも褪せることはなく、また世界のどこからも消え失せることはないだろう。君が存在するという事実、ただその事実を感じるだけで、心には君がいつまでも残ってしまうのだから。
至福をもたらす美味なる料理を食しても満たされることはなく、夜月がもたらす清流の光をこの身に浴びても洗われることのない。そんなこの気持ちを一体どうしたら良いのか。
私がもしも、
「ハインツ様」
んん、全くもって良いところで邪魔が入った。シャルロッテを想う心のポエムが、波に攫われる砂のように消え去ってしまったではないか。
「何だ?」
「あ、これは失礼しました、お邪魔をしてしまったようで」
「いい、気にするな。何のようだ?」
執事曰く、庭の白薔薇が見事な花を咲かせたという。普段なら喜ばしいことなのだが、今の私が関心を寄せることは、庭の白薔薇でも百年もののワインでもない。
下町の小さな花屋で貧しく暮らす町娘、シャルロッテだけなのだ。
私は近い将来、この国を治めることになる身分であり、ゆえに城下の生活を知っておかねばならぬと言うことで時折町に出る。
そして、その視察での出会いこそが私を変えた。そう、シャルロッテとの出会いだ。
雨が降った後の細道で、彼女はうっかり足を滑らせて私の服を汚した。そしてその時に泣きそうな表情で頭を垂れる彼女の目に映る、ラピスラズリの輝きを私は知ってしまったのだ。
ああ、なんという衝撃。私というちっぽけな存在にトール神が雷を見舞ったかの如き勢いで、
「ハインツ様」
「今度は何だ?」
「紅茶の香りにお呼ばれして、小さなお客様が、ふふふ」
微笑む執事の目が追うのは、一匹の蝿だった。
お呼ばれしただと? お客じゃねえよ。
「なあ執事よ…………蠅は客ではない」
「これは失礼しました。私めもハインツ様を見習って、情景を詩にしてみました」
だからって蝿かよ! お客じゃねえよ。
「して、ハインツ様。先ほどから貴方様の心を苦しめる原因は、いつぞやの町娘ではありませぬか?」
この執事。日頃の言動はとち狂っているが、よもや私の悩みを言い当てるとは。いささか彼を見くびっていたのやも知れぬ。さすがは我が一族に仕える執事だけのことはある。
「やはり分かってしまったか。ああ、許しておくれ。私は身分の壁を超えた愛に目覚めてしまったのだ。彼女とともに毎日白薔薇を眺めたい…………おお! シャルロッテ! 私が」
「お呼びでございますか?」
しまった。ついうっかり執事の前で名前を呼んでしまった。
全くもってややこしい。何故に此奴の名前もシャルロッテなのだろうか。ってかこれ、普通は女性に付ける名だぞ。
「すまない、お前じゃないんだ」
ややこしいしなんかガッカリするから、執事の前では名前を出したくなかったのだが。つい油断してしまった。
気をつけなければ、私の心に映る愛しの彼女の輪郭が揺らいでしまう。
「ハインツ様のお気持ち、私めは応援しております。つきましては、庭の白薔薇の世話を今後彼女に頼もうと手筈を整えました」
「何!?」
こいつ、できる!
「まもなくやって来ますよ」
「シャルロッテがか!?」
「お呼びでございますか?」
こいつ、ムカつく!
「おや、噂をすれば」
その言葉を聞き、私は部屋を飛び出していた。そうしてあっという間にたどり着いた白薔薇の園。そこにはツギハギだらけの服を纏った女性が、裁ち鋏を片手に白薔薇をそっと手に取っていた。
間違いない、彼女だ。ああ、私はその薔薇になりたい。君の可憐な指に触れられている、一輪の薔薇になりたい。
私は居ても立ってもいられずに声をかけた。
「その薔薇、とても気に入っているんだ。毎日世話をお願いできるかな?」
「はっ! ハインツ様!?」
彼女は白い頬を薄赤く染め、瞳の中のラピスラズリに深い色を持たせて私を見た。
「こんな見窄らしい格好で申し訳ありません」
「構わぬ。君はありのままでこそ美しい」
「申し遅れました。私、本日よりお庭の手入れをさせていただきますシャル」
私は彼女の名乗りを遮るように、そっと指を彼女の唇に当てた。
「君の名は、もう知っている」
シャルロッテがますます顔を赤らめる様子が見えた。
…………そして、薔薇の陰で名前が呼ばれるの待ち構えているもう一人のシャルロッテの姿も。
「そ、そんな、恐れ多くて…………どうぞ私のことは、庭師とお呼びください」
「すまないが、君のことを庭師とは呼ばない。不躾かも知れないが、親しみを込めてその名を呼ばせてもらうよ」
「名前を? まあ…………」
夢にまで見た愛しき人との蜜月の始まり。
ああ、愛しの○○○○○○。
<了>
お呼びでない にじさめ二八 @nijisame_renga
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