終煙
江田霞
壱
濡れたアスファルトの匂いと、髪に纏わりついた知らない銘柄の煙草の匂いが混じり合う、初夏、午前四時過ぎの歩道橋で行き交うヘッドライトを眺める。つい十五分前まで一緒に居た男が吸っていた煙草の匂い。適当に見繕って適当な安ホテルで適当に性行為をした男の名前も煙草の銘柄も何だったか覚えていないし特段知りたくも無い。
ポケットから見慣れたメンソール5mmの煙草を取り出して火をつけた。知らない匂いをかき消したかった。煙が目に染みて涙が出る。最期まで禁煙できなかった。
白み始めた空を見上げて、火を消して、脱いだ靴を並べて柵に手を掛けた。
もうすぐこの鬱屈した無意味で無色な世界から解放される。
最期に深呼吸をして吸い込んだ空気は二年前のあの頃と同じ匂いがした。
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「紫陽花の色は土壌のphで変わるらしいよ」
午前二時、コンビニからの帰り道で男はそう言った。へぇ、とだけ返して横に咲き乱れる紫陽花を見つめる。さっきまで降っていた雨露が街灯の灯りに照らされ光っている。その美しさに何となく気が引けて目を逸らした。
しばらく無言のまま気づいたら手を繋いだ、その瞬間LINEの通知音がした。私のスマートフォンだ。反対の手でスマートフォンを確認してすぐに鞄に押し込めた。
「彼氏心配してるんじゃないの」
私は何も返せず小さく頷いた。
私は今日この男と酔った勢いで浮気をした。恋人とは一年半もレスだったから私は性欲というものを失ったと思っていたが違ったらしい。
罪悪感と背徳感と高揚感で頭がぐるぐるして繋いだ手を強く握り返して、何となく隣の男の横顔を見つめてみた。
ちょうど街灯が切れたタイミングで、街路樹の陰になり男の表情は分からなかった。
「雨の匂いって濡れたアスファルトの匂いらしいよ」
私の言葉に、男はへぇ、とだけ返した。
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