鉾と龍


 



 低く厚い雲が地上を覆い、遠雷が響いている。冷たい雨が降り続く。

伊庭辰之進率いる不知火本隊が幡殖宿に入った直後、多数の弥者と狗族が侵攻を開始した。

同時に進軍していた玄嶽中隊、不知火の輸送にあたった環太積の兵員輸送船、乗組員の小隊も加わる激しい戦闘が勃発する。

電撃のような強襲を行ったのはマカミノミコト率いる軍団であった。

兵卒と共に宿場町内での混乱した状況で無類の強さを見せる。 

人類の退路を断つべく環太積の輸送船「いずみ」も破壊され、沈む。

八十田甚右衛門少佐が指揮する玄嶽第二中隊は乱戦に長けた部隊ではあったが、弥者の攻勢にその半ばを失う。

不知火隊士による局地的な斬り合いでの勝利も、全体の趨勢を変えることはなかった。


不知火、玄嶽両隊は宿場町の外縁まで後退し、一旦体勢の建て直しを図る。本閥の侍は両軍合わせて二百名弱、敵は弥者五十名程、狗族が爬人、和邇わにと呼ばれる爬虫類型の亜人の種族が混合で約一千頭と見られている。


敵本隊の位置が宿場町中央付近に集結している事を斥候と隠密により突き止め、不知火を先頭とした鋒矢の陣での突入が決まる。

生駒玄真少佐の不知火太鼓が轟き、本閥全体に影響を及ぼす防御力強化の音色に狗族は震撼した。が、侍達の怒号をつんざき、眩い閃きと共に一条の稲光が本隊を撃った。


飽和破常力による、超遠距離射撃であった。

本閥隊士による射撃を大きく凌駕する距離と威力に、玄真共々撃ち抜かれた玄嶽隊士が倒れ、死傷者が出た。

右肩を撃ち抜かれた玄真は戦闘への参加は叶わず、生命に別条はないもののすぐに後方へと搬出されたのであった。


弥者による超遠距離射撃の性質、間隔、弱点等まったく掴めぬままであり、その殺傷力は絶大、一旦全隊は侵攻を止めて戦略の変更を余儀なくされる。

玄嶽隊士による防御を前面に押し出し、敵攻撃の調査と共に進軍を決めた時、新たな稲光が隊を襲う。

その標的は不知火隊長、伊庭辰之進であった。

畦倉士道大尉が半ば予知に近い魁音撃、明星でその攻撃の軌道を変える事に成功したが、魁音刀は全損、士道は士魂の過剰消失による昏睡に陥る。

不知火は玄嶽と一旦離散、単独で宿場町を脱出したのであった。 

正体不明の狙撃攻撃は「雷光」と名付けられた。


幡殖宿より東に二里、丘陵の段々畑を盾にするように不知火は陣取る。

麓を流れる掛井川の手前、無論「雷光」の脅威に対してであった。

玄嶽中隊は宿場の南方一里の位置、雑木林の中に駐留との報告を受ける。 

伊庭辰之進の永い戦場での経験でも、これ程の長距離攻撃を警戒したのは初の事であった。        



鉾と龍





「ここ迄は章雪の目論見通りか。」 

不知火の炎の紀章が美しい兜を脇にかかえ、伊庭が竹筒の水を飲み干した。

「はい。しかしあの長距離射撃攻撃は予測できませんでした。」

「あれを前もって知る事が出来るのは刑部くらいなもんよ。」 

苦笑する伊庭の傍には灰音を含め、不知火隊士六名が付き従う。

畦倉士道も意識を取り戻した。

「御頭。悪兵衛、バルザック、桃乃介が合流予定、あと一里の距離です。」美浪の報告に伊庭は頷く。    

暗く重い雲に日の光は遮られ、陣幕を雨音が叩く。

丘陵の北方には黒々とした松乃浦が見える。

その沖に橘川一真が船舶を発見した。

「環太積、強襲艦と思われます。揚陸艇が二隻接岸。」

上陸した環太積の中隊は海岸から平野を横切り、一直線に街道を向かってくる。

「やつら、狙い撃ちにされるのでは。」

十字朗が歯噛みをしつつ漏らす。

「状況は伝えたのだが、部隊の長が強硬に突破すると。」

「環太積の奴ら、武装していない。」

一圓の報告に、灰音が遠眼鏡で確認する。

「確かに鬼門甲も足回りも装甲は無し、魁音刀すら装備していません。」

「ほう。機動部隊とは聞いていたが、丸腰で救援に来たのか。」

伊庭は笑いだした。

破双を用い、高速で移動する上陸兵達とは別に、灰音は遠眼鏡で見渡す。

「掛井川を輜重船が昇ってきています。随獣が曳航している高速船です。恐らく、装備品はそこにまとめ、隊の移動速度を保っているようですね。」

「思い切った事をするな。」

「遭遇戦になったらどうするつもりなのでしょう。」

十字朗の問いに伊庭は微笑んだ。

「策を立てた者は、隊を率いる者が無手でも戦えると踏んだのであろう。」


程なくして上陸隊の侍達の表情が見える程に接近する。

同時に平原の天地の間を切り分けるような「雷光」が輝いた。

一条の黄金色の線が掛井川を遡上しつつある輜重船の荷ごと、穿つ。

着弾よりやや遅れて爆音が響きわたる。

「雷光、着弾。輜重船を直撃しました。」

貫通した装備品より、士魂を感知して振動する異音が響き、やがて激しい

炎を噴き上げる。異常な反応であった。

長距離射撃を物ともせず、環太積の侍達は泥濘の中を匍匐で進む。

丘陵の陰になる位置まで進行し、二十二名が不知火と合流した。


「環太積、第一機動歩兵隊、上条源之助中佐であります。」

「同じく阿波野敬次郎中佐であります。」

隊の指揮をとる二名が伊庭に敬礼する。泥に全身塗れた二人はその容貌すら

わからない。

伊庭は二人と、その背後に控える環太積の侍達に答礼した。

「直接の作戦指令は誰か。」

「霧島歌右衛門大佐であります。」

上條の応えに伊庭は苦笑する。

「掛井川で泥を落として来るがよい。それでは誰かも判別できぬ。」

伊庭の言葉に両名は敬礼を返した。


陣幕の内、篝火が焚かれている。

ずぶ濡れの環太積隊士達が無事であった装備品を確認し、衣を替えて身に付けている。

およそ四割程の物が完膚無きまでに破壊されていた。


「灰音中佐。」

振りむいた灰音は阿波野の声に姿勢を正し、敬礼で返す。

「思い切った侵攻だとは思いましたが、やはり阿波野先輩でしたか。」

灰音は微笑みを浮かべる。阿波野が眼鏡を直した。

「伊庭中将の護衛の人数に驚きました。不知火隊士のみで十名に満たぬとは。護衛の玄嶽は皆討たれたと? 」

「いえ、敵主力がマカミノミコト率いる軍とわかり、想察いたしました。元々の作戦でもあったのですが。」

「どういう事か。」

「彼の者達は寡戦かせんに慣れています。我々の立場に立った状況の時の逆転法を持っている筈。なればこそそれを恐れて攻め手を欠くと考えました。」

灰音の応えに阿波野は黙した。苦み走った表情を浮かべる。

「敢えて、か。」

「はい。」

阿波野は舌打ちを漏らした。能面を貼り付けたような表情が多い男では

あったが、旧知の灰音の前では本音を思わずさらけ出してしまう。

「霧島参謀は何と? 」

「弱った不知火の窮状をわが軍が救う、と。」

「左様ですか。」

灰音は笑いながら湯気のあげる湯呑を阿波野に差し出した。

「かたじけない。……章雪の目論見を台無しにしてしまったようだ。」

「構いませぬよ、先輩。」





幡殖宿の中央近く、小高い台地に海神を祀る神社があった。

東の丘陵と南の雑木林を見渡す位置に弥者達が陣を開いている。

マカミノミコトとその子飼いの部隊、タケオビトである。

部隊の参謀であるクロマシラノカミは斥候より、逃走したかに見えたビャッコの部隊に海上より応援のワリビト達が現れたという報告を受けた。

複雑な紋様の仮面下から伸びた顎鬚を扱きつつ、マカミに向き直る。

「故に能にして之に不能を示し、用にして之に不要を示す。侍達は馬脚を

現しましたな。」

その言にマカミノミコトは頷いた。

「スメラノホコはどうか。」

「いましばらく。」

マカミは腰に差した魁音刀を鞘ごと抜き、組み紐を解いて背に負う。

漆黒の拵えの見事な打ち刀であった。

そうして、クロマシラに目で頷く。

「二つメに入るぞ。」

クロマシラの声に、背後に控え跪いていたタケオビトが一斉に立ち上がる。

革鎧と武具の音が響いた。

「血が、燃えまする。」

クロマシラのうきうきした声にマカミは笑う。


*


不知火陣幕内、着衣と装備を整えた上条と阿波野が伊庭に向き合っている。

「では、敢えて敵を引き留めるために小隊で行動していた不知火に我々が

合流してしまったと。」

上条が額に筋を浮かばせて激怒をおさえ、震える声でいった。      

「今次の作戦は霧島参謀預かりです。。誓野隊長の意向でしょうか。」

阿波野が低い声で言った。

「事前に誓野中将に通してある。霧島大佐の所で食い違いが出たな。」

伊庭は干し飯を湯で戻した粥を啜った。

「ま、やっちまったもんは仕方ねえ。」


「弥者は我等の状況を見て動くと思われます。」

環太積の士官の沈黙を切る様に灰音が言った。

「どちらに来る?」

「与しやすしと見て、全軍で玄嶽を叩くか、数が拮抗しているのがわかった

わが隊に接近し、単体での果し合いを申し込んでくるか、です。」

「阿波野中佐、如何でしょう。」

灰音の問いに思案していた阿波野も口を開く。

「マカミの子飼いの部隊と聞く。不知火と同等の戦力を持っているのであれば、全面的にぶつかり、疲弊するのを良しとするまい。まず、狗族か。」

阿波野の最後の言葉と共に、上条が飛来した矢を素手で掴んだ。

矢じりには研がれた石が結わえられ、中空の構造に黒緑色の液体が溜まっている。毒矢であった。

「中将、奥へ。」

上条が魁音刀を抜くのと、数多の流星の様に矢が落下するのが同時であった。

陣幕から飛び出ると、掛井川より、無数の人陰が現れるのが目に入る。

頭部は爬虫類のそれだが、二足歩行し人類と同様に武器も使う爬人と呼ばれる狗族の尖兵であった。上条は大きく手を振り、控えていた環太積機動部隊

二十名を配置する。抜刀の声と共に一斉に刀を抜いた。

炸薬音が平野に響く。

「やはり、阿波野の見通しが正しかったな。」

「この状況を招いたのは我々なんだ。喜んでくれるな、上条。」


川上から不知火隊士が二名、群れる爬人を物ともせず進む。

白刃が光るたびに狗族の身体が切断され、断末魔の叫びをあげる。

先行する者を取り囲むように六尺ばかりの竹の長槍を持った爬人が取り囲む。

上条は部隊を率いて破双で飛び出した。

不知火、環太積、狗族の戦の叫びを切り裂く様に独特な金属音が吠えた。

不知火隊士の魁音撃が炸裂した。上条は立ち止まり、目を細める。

「あれは。」

「恐らく央人なかんどの安曇十字朗だろう。魁音撃、一文字だ。」

「切れるな。」

「播磨少佐と共に龍虎と言われている。」

阿波野の声を聞きながら機動部隊を前進させる。

安曇十字朗を取り囲んだ爬人の長槍は一文字の一閃でみな手元から切り落とされた。

「短槍より短いではないか。」

十字朗が朗らかに笑いながら魁音刀に月旦抜きを打ち込む。

白刃より立ち上がる煙に爬人達は明らかに恐怖の感情を浮かべて後退する。

成人男性の三分の二程の体格で、表面は瑠璃色にぬめるように輝く鱗に

覆われた爬人は、狗族の中でも知能が高く、組織的な戦闘を行い、武具を使用する。一般的な日の本の兵士には脅威ではあったが、本閥の侍の相手ではなかった。

狼狽する爬人の群れに環太積隊士がなだれ込み、掛井川に突き落とすように切り結ぶ。激烈な勢いの隊士達の攻めを目の当たりにしながら、十字朗は隣の畦倉士道に声をかける。

「どうだ、国造くにつくりは。」

「ううむ、なんとも取り回しが悪いな。」

士道はしかめ面で打ち刀を振った。

「雷光」を奇跡的に防いだ士道の魁音刀「馳駆紫」は修復不可能な損傷を受けた。予備装備の国造を腰に差し、爬人を斬ったものの、まだ馴染んではいない。

不知火正式支給の魁音刀、馳駆紫は正しくは第四世代個人兵装魁音軍刀甲型と呼ばれる。国造は第三世代の魁音刀にあたり、隊で使用している者は現在織田刑部しかいない。

二人が話している間に爬人は掛井川沿いに潰走を始める。


「不知火、美浪結宇大尉であります。陣より北側、掛井川の分流より狗族

出現、爬人、和邇がおよそ百。」

「安曇だ。環太積と合流し向かう。」

宗波に答えると、納刀する上条の元に十字朗は歩を進めた。





掛井川は段丘の北で支流に別れる。その地点に潰走する狗族と

新たに上陸した者が合流し、和邇わにと呼ばれる大型狗族も複数出現する。

爬人によく似た亜人種だが、身長は二米から三米に達し、その強大な膂力を

生かした巨大で粗雑な造りの木槌を手にしている。

狗族はその場に集結し、本閥の侍達を伺うように威嚇と揺動を繰り返す。

「十字朗、弓手と我々が攻撃を開始する。先行して和邇を落とす。」

「承った。空爆後吶喊する。」

短い宗波のやりとりの後、十字朗は上条と目で示し合わせた。

「さすがに殴り込み部隊だな。動きが早い。」

上条の感心した態度に阿波野は少し笑った。

「一歩間違えば、お前があの白の陣羽織を着ていたものを。」

「俺は環太積が好きだ。」

侍達の頭上を、数条の光の線が流れていく。

前方煙る雨の先、巨大な人陰にそれは命中し、獣の絶叫が響いた。

同時に畦倉士道を先頭に侍達が突出した。


灰音は弓をおろし、目まぐるしく動く戦場を見つめている。

空爆により和邇が打たれ、動揺が広がる爬人の群れの中で、士道と

十字朗が刀を振っている。統制のとれた環太積機動隊が一匹の討ち漏らしも

許さぬ構えであった。

爬人は次々と掛井川から上陸し、新たな和邇も出現する。

竹槍と弓、大木槌の原始的な武具のみで固めた亜人だが、多勢である。

群れの背後に新たに出現した和邇を討つため、灰音、美浪、橘川兄弟らの

弓兵も前進する。

「膠着している? いや、留まっているのか。何故だ。」

灰音は戦場を見渡してひとりごちた。やがて、大きく目を見開き、矢を番える美浪に叫んだ。

「美浪殿、宗波を。」


上条が突き出された竹槍を素手で掴みつつ、殺到する矢を刀で払った。

前方の和邇に隠れる様にして爬人の弓兵が固まっている。にやりと笑い、

八双に剣を構え、大きく呼吸し脚を踏みしめる。

「まて、上条。魁音撃は温存しろ。」

「面倒だ。まとめて斬る。」

「そうはいっても、だ。大物が来るやもだぞ? 」

「む、そうか。」

不承不承に刀をおろした上条に阿波野は苦笑する。


「阿波野中佐、灰音です。」

「どうしました? 」

「狗族の集結している位置からみて、「雷光」射手は方位角を東偏させていると思われます。」

「何度か? 」

「……およそ八度から一六度。」

灰音の宗波を受けた阿波野の顔色が変わる。

「阿波野、今のはどういう意味だ。」

「雷光の狙撃者の位置自体、移動している可能性がある。狗族に対して切り結んでいる我々が標的だ。おそらく後方の中将までその範囲に入る。」

「撤退」

上条の裂帛の気合の声が飛ぶ。

「阿波野中佐、いまの宗波は? 」

「雷光の標的になっています。下がります。」

声をかけた十字朗はすべてを悟る。

不知火、環太積の侍達は一斉に破双で後退した。


灰音は弓を置き、自らの魁音刀に手を掛ける。

微小な振動が起きている。士魂に反応し金属音をあげているわけでは

なかった。

「なんだ? この反応は。」

異常な振動を感じた刹那、黄金色の稲光が灰音を襲った。

雷光は正確無比な射撃で、灰音の頭部を狙ったものであった。

「旭光」

悪兵衛の咆哮と共に輝く爆壁が雷光と撃突、激しい反魂の衝撃波と共に

旭光は減衰しながらも上昇、雷光は弾かれ、左上空へと軌道を変えた。

振り抜かれた琿青は白煙をあげ、断続的に金属音が鳴っている。

その夜空の色の刀身には刃こぼれ一つなかった。


「章さん無事か」

悪兵衛が叫んだ。





「標的が私とは。」

灰音が自嘲を含んだ笑みを浮かべる。

「考えがある。撤退してくれ。」

悪兵衛の揺るぎのない表情に頷き、灰音共々、本閥の侍達は

陣幕の後方に下がった。

雨の中、戦場に一人悪兵衛は平野を見渡す。

唇を引き結んで立つ姿は戦神のそれのようである。

琿青に月旦抜きを差す。


「悪兵衛は何故下がらないんだ。」

一真が声をあげる。

「美浪、伝えたのか? 」

一圓も雷光に戦きながら、構えた弓を下さない。

「もちろんだ。奴は皆、下がれと言って聞かん。」

本閥の侍達は、射撃者の位置が考えうる最も北上した場合の方位角の外に

待避している。しかし、さらに北方、幡殖宿に面した松乃浦海上からの狙撃が可能であった場合、その限りではない。賭け、であった。

「なぜ海上からの狙撃はないと言い切れる。」

上条が悪兵衛の後ろ姿を見つめながら言った。

「灰音中佐は、あれほどの大威力を持つ射撃行動は、破常力であろうと、

専用兵器であろうと、確固とした地盤あっての物と考えたのだ。船上からであれば少なくとも輸送艦程度のしっかりとした足場が必要だ。が、弥者の艦艇は現れていない。私も中佐と考えを同じくする。」

「お前がそういうのなら。」

上条は阿波野の言葉に初めて納得の表情を浮かべる。


「吶喊白兵衆参 不知火。」

「播磨悪兵衛少佐である。」

「遠くの者は音に聞け、近くば寄って目にも見よ」

悪兵衛の大音声が、雨音を吹き飛ばして平野に響く。

「来い、狗族。冥府の底に落としてくれる。」

遠巻きに悪兵衛を包囲していた爬人の群れが、一歩、二歩と下がる。


「御頭。」

蒼白となった美浪が伊庭に詰め寄る。

の好きにさせろ。」

伊庭はじっと悪兵衛の背を見つめている。


取り巻く狗族の群れを見渡し、さらに西方、霞んで見える幡殖宿の小高い

丘陵に視線を走らせる。

ゆっくりとした動作で狗族に背を向け、一歩ずつ歩み出す。

雨粒のあたる琿青から白煙があがっている。微かな振動が柄に伝う。

「悪兵衛、早く戻れ。」

「破双を使え。撃ち抜かれるぞ。」

橘川兄弟が弓を番えたまま呻く。

悪兵衛はまっすぐ前を見つめたまま、ゆったりしながらも力強く歩を進める。

「彼の胆力はどこからくるのでしょう。」

「我が頭目ですから。」

阿波野の問いに、灰音は微笑みながら答えた。


陣幕まで戻った悪兵衛は泥濘に両ひざを着き、荒い息をつく。精根尽き果てたように見え、膝に置いた両腕がぶるぶると震えている。

「……み、ずをくれ」

掠れた声に十字朗が答え、竹筒を渡す。震える手で受け取った悪兵衛は

喉に流し込んだ。

「十字朗、脚に力が入らぬ。手を貸してくれ。」

「今頃腰が抜けたか。」

十字朗の手を借りて戦慄きながら立ち上がり、声をあげる。

「章さん、一つわかった。雷光は連続の射撃は出来ぬ。」

「お前、それを確かめる為に。」

伊庭が笑いだした。

「無茶な奴だ。」


驚異的な脚力と持久力で先行していた悪兵衛に遅れる事四半刻、

バルザックと桃乃介が合流する。

現在不知火隊士十名、環太積隊士が二十二名。

対する爬人、和邇の複合部隊が約二百。

雷光の射撃範囲内に集結し、それ以上の動きを見せてはいない。


また宿の南方で玄嶽と狗族が交戦という報告を受ける。

残存している七百前後の爬人であると予測された。

幡殖宿に駐留する弥者の戦力は依然として不明である。

雨が降り続いている。





新たな篝火が焚かれ、張り直された陣幕の内、悪兵衛と灰音が床几に

腰かけ一連の戦闘の流れを話している。

「あらましは途中、美浪から宗波で受けてはいたのだが。」

悪兵衛の表情は強張り、不安で蒼白になっている。

「章さん、玉杉殿は。姿が見えぬ。」

「初戦の後、暁輝と空路で東京に向かっています。大掛かりな戦闘になると

見て、報告と幕僚陣営の護衛にまわる為です。……何故ご存じない? 」


「僕たちも美浪から聞いたぞ。」

「皆が危ないっていって一人で破双で飛び出したから耳に入らなかったん

だよ。」

バルザックと桃乃介の軽口に悪兵衛は深く息を吐き、ようやく全身から

力が抜けた。

「大丈夫。桔梗殿は負傷もしていませんよ。」


「桃、雷光の着弾を星巡で感知できるかい? 」

「あれは、聞く限り弾速が銃弾や知久手を使った斬撃より早いと思う。」

「護り星が見えても、それを掴むより先に撃たれる。避けられない。」

絶対防御を持つ桃乃介の能力。それも叶わぬちからに、不知火隊士は沈黙した。明らかに人知を超えている。


「あの光。黄金に輝くあの」

悪兵衛は呟きながら戦場の光景を反芻する。

「どうしました? 」

「……スメロキノミコトの光に感じた。何も確証はないが。」

悪兵衛の一言に、灰音の思考が一気に加速する。何百万字という戦闘報告の一文を寸分違わず思い出す。

「予篠学園での弥者潜入事件。悪兵衛殿はスメロキと宗波の如きちからで言葉を交わした、と報告されましたね。」

「うむ。」

「宗波との違いとは。」

悪兵衛は燃え盛る御輪堂でのスメロキとの邂逅を思い返す。

「宗波は頭にそのまま染みてくるような感覚で、あれは、琿青を通して振動が声に変わったような。」

。琿青は貴方の士魂ではなく外的な力で震えたという事ですか? 」

「そうだ。」

「先ほど、同様の振動を琿青から感じましたか? 」

「……感じたように思える。」

灰音は立ち上がり、沈思黙考の後、口を開いた。


「初戦、雷光は玄真殿と御頭を標的としました。戦闘に多大な影響を及ぼす

者を狙い撃ちしたと思っていました。」

「が、次に環太積の輜重船が狙撃されました。その理由がわからなかったのです。」

「我等の装備品だ。丸腰にする腹積もりであったのでは。」

上条が訝しんで声をあげる。

「いや、撃ち手が灰音中佐の考察通りの者であれば、狙うのは作戦を立案している俺か、指揮するお前なはずだ。」

阿波野の言葉に皆押し黙る。


「輜重船が撃ち抜かれた直後、魁音装備の異音を聞きました。異常な振動に

鬼門甲が反応し、燃えました。先程の私が標的時、同様の現象が起きています。魁音刀に外的な振動を感じたのです。」

「章雪、どういう事だ。」

伊庭に灰音は向き直った。

「撃ち手は士魂の如き破常力を伝播させ、装備品のを感知していると思われます。」

「またその探知に応えた金属により、士魂が及ぼす範囲を大きく持つ者を捜索するちからを持っています。多数の侍に影響を与える玄真殿、言魂により我らに指令を与える御頭、私、です。」

「輜重船の装備品は。」

「恐らくですが、反応した金属……鬼門甲なり魁音刀の数で、侍が密集して

いると誤認したのではないでしょうか。」


「十字朗、狗族の獲物は。」

「竹槍、吹き矢、弓、大槌、でした。」

「槌は金属か。」

「いえ、荒い木槌でした。」

「間違いなさそうだな。」

伊庭がにやりと笑った。

「魁音刀やよろいを装備した我々を感知する為、という事か。」

十字朗が自らの魁音刀、水鏡みなかがみの柄に手を置く。

「確かめましょう。弓手で月追を使役可能な者はいますか? 」

阿波野の言葉に一真が一歩前に進み出た。一圓はあらぬ方を向いている。


*


陣幕の後方、外套に身を包んだ橘川兄弟が、大弓を手にして足踏と呼ばれる

姿勢で並ぶ。位置を決めた後、夫々が踵の金具の引き金を引いた。

破裂音と共に杭が地面に突き刺さる。

「このぬかるみで固定できるのかい?」

バルザックが訊く。二人の背後に士道と共についている。

「火杭留めは、固定だけじゃなくて反魂を地面に流すんだ。」

一真が答えながら、もう一方の脚も固定する。

二人が手にした矢羽には雷紋帯と呼ばれる鬼門甲の表面を走る、芯鉄いりの

束帯が結わえ付けられている。雷光の一撃によって損傷した環太積のよろいの部分であった。

「しかし重いな。一真、かなり飛ばさないと当たらんぞ。」

一圓の言葉に頷く。灰音が前に立った。

「いいですか。貫通や爆殺してはいけません。あくまでも命中後、体中に矢羽を留まらせる状態を目指してください。」

「承った。」

二人の言葉に不安や迷いは無い。

「バルザック、士道。射撃前に触れるなよ。腕がいくか、全身吹き飛ぶぞ。撃った直後に頼む。」

一圓の言葉に巨漢二人は頷いた。補翼と呼ばれる弓手の補助を行う。

泥濘に固定具が役に立たない今、人力で抑えなければ月追射撃後の二名は

反魂による衝撃の揺り返しで吹き飛ばされ、負傷する危険性があった。


「撃ち型用意。」

灰音の静かな号令に二人は打ち起こしから力強く弦を引いた。


白く煙る雨の幕の向こう、二つの光の炸裂と共につんざくような射撃音が

響く。上空に緩やかな弧を描いて飛んだ光源は、加速をつけて北に流れていった。


「月追、和邇二体に命中。」

美浪が遠眼鏡で確認後、宗波を流す。

士魂を失い自力で歩行も出来ない程消耗した橘川兄弟を、バルザックが抱え

て陣幕に戻る。士道は胸を押さえ、顔を顰めている。

「人間の形をした岩石をぶつけられた様だ。」

「すごい衝撃だったね。」

補翼の役目を果たした二人は苦笑いを浮かべた。橘川兄弟は口も聞けない。


「標的の体中、袖摺節まで通貫。攻撃を警戒して徘徊している。」

月追の射撃は、見事に矢羽の三分の二まで突き刺さった。

陣幕内は接近し観察している美浪の報告を固唾を飲んで聞き入る。

雷光を避けるため、武装をしていない美浪が襲撃された場合、直ぐに飛び出す勢いであった。

「来い。撃ってみろ。」

悪兵衛が雨の帳の先、うっすらと見える巨大な生物二体を見つめる。

硬い表皮に巨大な体躯の和邇の命に別状はなく、依然として射撃手を探して咆哮する。爬人がとり付いて矢を抜こうとしているが、届かない。


侍達は皆、前方に意識を集中させる。

雨が、無音に感じられる時が過ぎる。

秒がその倍にも長い。


「撃て」

悪兵衛が食い入るように見つめ、呟く。

「だめか。」

十字朗が奥歯を食いしばる。

直後、眩ゆい黄金の光が、並んだ和邇を同時に撃った。





「二体の金属反応を感知した射手は、それが連なり、同時に撃ち抜けるまで

待っていたようです。」

陣幕内で美浪が報告をしている。

「うむ。章雪の言に相違はなさそうだな。」

伊庭の言葉を受け、十字朗が灰音にいった。

「どうする。我等も装備を解除して狗族を叩くか。」

灰音は即答を避ける。

「阿波野殿、無手で侵攻中、遭遇戦になった場合はどう見積もられていたのですか?」

「敵の武装を接収、交戦と上条中佐に伝えました。」

「では、我々もそれでいきますか。」

灰音は笑いながら言った。悪兵衛はいち早く琿青を鞘ごと抜いている。


「いや、すでに狗族、それを指揮する弥者は我等の動きを掴み撤収すると

思われます。」

「阿波野、どういう事だ。雷光がある以上、装備無しで戦闘する我らの方が

不利ではないか。」

「狗族の位置から見て射手との距離は約二里半、その間を時間差なく行動の

指示を与えているという事は、弥者と狗族に何らかの意思の疎通、もしくは

甲が乙を使役する能力があると考えられる。」


「我等の宗波のような、か。」

伊庭の問いに阿波野は頷いた。

「環太積はヰ朗歌を扱う場合、究極的には意識を同調させます。弥者に

も一部、同様の能力があるとの報告がありました。」

「では、すでに我らが雷光の構造を探り、囮を使って検証したのが弥者に

伝わっているという事ですね。」


「爬人達が東に移動しています。」

狗族を監視していた桃乃介が陣幕に入って来た。

「おお。まさに阿波野のいった通りか。」

「上条。雷光を見破った灰音中佐あっての事だ。」

阿波野が小声で上条の袖を引いて言った。


*


幡殖宿の北、外縁の街道沿いに船宿があり、その戸は破壊され周囲を濃緑の

甲と弓と太刀で武装した弥者達が取り囲む。

内部の船着に、青銅の床弩の土台が設置されている。

その上部に黄金の環輪から二本の刃が対になるように突き出した異様な武具が備えられている。

刃の先は白熱し、じりじりと音を立てながら薄い煙があがる。

周囲の光景が歪んで見える程の熱を放っている。


その傍、スメロキノミコトが佇み、白く煙る平野を見つめていた。

黄金の装飾の入った薄い甲はその若く強靭な身体を包み、全身から力が沸きあがるようないで立ちである。

「これほど早く、ミコトの御力の構造を見破るとは。」

スメロキに付き従うウツセミノヌシが呟いた。

「ヤマトビトにも知恵者がいるという事だな。」

スメロキは微笑を浮かべている。

「ミコトのスメラノホコは神にも等しい力。破る術などありません。」

ミハカノヌシが言いながら組んでいた腕を解いた。

「モガミ、ムスナリガミ達は。」

「ムス、ホウリ共に段丘の陰まで移動しています。ワリビトたちは留まっているようです。」

ミハカに答えたモガミと呼ばれた者は胴丸がまだ落ち着かない小柄な娘の弥者であった。薄暗がりの中、緑色の眼が発光している。

会話をしながらも、その顔は憑かれたような無表情で破常力を行使している

のが見て取れる。

はどうしている。」

「東の海中に。」

頷いたスメロキは、黄金の環輪の中央、黒革が巻かれた柄を握り持ち上げる。

白熱していた刃は、赤化し未だ高温のままであった。

両手で持った柄を輪の中で上下に分離させると、柄内部の金の鎖が音を上げる。同時に突き出していた刃が回転して環輪内に収納された。

黄金の輪に古代の文字が並びそれぞれが明滅している。

武具を手にしたスメロキノミコトを見上げ、ミハカ、ウツセミ、モガミが

膝を着く。

「スメロキノミコト、ヤツカノツルギに畏みてもうします。」

ウツセミの言葉に、護衛の弥者達も皆、膝をつき首をさげた。

「三つメに移る。マカミノミコトと動くぞ。」

黄金の環輪を背に負うと、スメロキノミコトは高らかに言った。


*


「矢羽に金属を巻き付けて撃ち込み、スメラノホコを誘っただと?」

船上のクロマシラノカミが声を荒げた。

「何故、ミコトのカナモノを共鳴させる力がわかったのだ。」

「解らぬから確かめたのだろう。」

タケオビト達がスメロキの配下の報告について語り合う。

「ミコトの御力に恐れをなして、無い知恵を絞ったのだ。」

小柄な若者、ロシノヒコが声をあげ、皆が笑う。

「敵はビャッコだ。侮ってはならぬ。」

双角の弥者が落ち着いた声をかけ、ロシノヒコは押し黙る。

「アガキミ、スメロキノミコトが動きました。」

クロマシラの言葉にマカミは頷き、海原に視線を戻す。

仮面を稲光が白く照らし、雷鳴が轟いた。





不知火本隊と環太積機動歩兵隊の混成部隊は北上を開始した。

皆武装を解除し、魁音刀すら持ち合わせてはいない。

大量の狗族達はその痕跡を残したまま移動し、姿は見えなかった。

未だ雷光の脅威は在るが、攻撃は無い。


隊士達は行軍中、米袋から干し飯をすくい、口に放り込む。

削り節と昆布の粉末と塩、米油をまぶして乾燥させた物で

皆ばりばりと音を立てて咀嚼している。

「悪兵衛、そのへんにしておけ。」

十字朗が笑いながら声を掛けた。

「しまった。つい。」

スメロキに心を奪われながら口に米を放り込んでいた悪兵衛が

我に返った。

「干し飯は後から膨れるんだから。この間みたいに、食い過ぎて戦闘が

始まっても動けぬようになるぞ。」

一圓の言葉に悪兵衛は鼻をこする。米袋をたえず振って、薬味の粉末が

袋の底に溜まらないようにしている。

「戦闘が終わった頃にまた腹が減ったな。」

不知火隊士達が笑いあう。


「なんだ、あの連中は。行軍中に無駄話とは。」

「まあ、怒るな、上条。」

阿波野が苦笑しつつ、上条を留めた。

「あの双子は十六の年ですでに「月追」を習得している。そんな弓手は他に

聞いた事がない。悪兵衛もまた然り、だ。他の隊士もだが異常な戦闘力を持っている。同じ人間と思えぬ。」

「おそらく幾多の修羅場をくぐってきている。その中で年相応の

保っているのは、伊庭中将の薫陶が大きいのではないか。」

上条は阿波野の言葉をじっと聞き入る。

「中将を見ろ。微笑んで何も言わぬ。皆の心情を全て掴んでいる。だから

細かい事は放免されている。」

「お前は見てそれを学んでほしい。」

「何故だ。俺は規律の話しをしている。軍ならば当たり前の事だ。」

「やりかたの種類の話しだ。お前はいずれ本閥を率いる。かならず役に立つ

時がくる。」

「俺はそんなつもりはない。」

「お前がそういっても周りが許さぬよ。俺もだ。」

「阿波野がそこまでいうのなら。」

阿波野は上条の横顔を見、そして伊庭の背を見つめている。


*


部隊は平野を縦断後、松乃浦で待機している環太積艦船にて東進、幡殖宿には海上から侵入し玄嶽と両面から侵攻する作戦に切り替えられた。

鬼門甲の部材を用いた偽装を撒きながら雷光の誤射を誘い、弥者本体を叩く

算段である。

厚い雷雲が日を遮っているが、雨はやみつつあった。

   

「十一時方向上空、異変あり。」

復隊した一真がいち早く声をあげる。双子が望む先、雷雲とは明らかに

異質な青黒い霧状のひと固まりが移動している。

「何だ。」

訝しむ隊士達とは別に、バルザックが悪兵衛と灰音を呼ぶ。

「悪兵衛、あの空の塊。あれに似ていないか。」

「あれ、とは……。あ、あれか。確かに同じ物に見える。」

灰音が二人の言葉を注意深く聞いている。

「灰音殿。以前報告しました、大居藩地里江村の超大型狗族襲来事件。

その際の」

「大量の編切りが出現した件ですか。」

「そうだ。だが規模があの時の倍以上いるような。」

「桃が「星巡」では、もっと近づかないとわからないと。」

「接近して確認しましょう。」

灰音の言葉に二人は頷く。

行軍する隊より後方、掛井川を輜重船が下っている。装備品を載積し、

美浪と十字朗が雷光を警戒しつつ予め用意した金属の束帯付きの矢羽を

本隊の外縁に投射する。雷光の射撃者を欺く為であった。


超遠距離攻撃のないまま、沿岸を望む崖上まで不知火は進んだ。

眼下には風雨に荒れる松乃浦が広がっている。

環太積中隊が使用した揚陸艇二隻は破壊されていた。爬人、和邇を擁する

狗族の仕業と思われる。

視線の先、海上の強襲揚陸艦「あがの」上で戦闘が始まっている。

上空に広がっていた青黒い霧状の物体は、「編切り」の群れであった。

今やその個体まで目視できる。

群雲のように集まった狗族は「あがの」へと殺到する。

が、漁民や一般兵ならいざ知らず、本閥、環太積の侍達にはそれらが有効な

襲撃とはならなかった。

白刃が振られ、魁音撃の炸裂の度に大量に斬り落とされている。

「編切りか。」

「第四隊の相手になるか。どれだけいても刀の錆びだ。」

阿波野と上条が言葉を交わす。船上の侍達も、蠅を叩き落す程の感覚でしか

ない。雷光の攻撃範囲に入っている筈ではあるが、未だ沈黙している。  灰音が伊庭に報告する。

「超大型出現の兆し? 」

「編切りの数と出現の様式により、予測されます。」

「阿波野中佐。強襲艦の兵力は。」

「第四機動歩兵隊二十五名、あがの乗員十三名、歩兵隊隊長、阿久津景昌少佐が指揮しております。」

「充分な戦力だ。超大型を誘引した所で、か。弥者、何を考えている。」

「あがの」を見下ろし、伊庭は黙り込んだ。


桃乃介が魁音刀を抜き、魁音撃「星巡」を使役する。

瞳孔が白い炎で小さく燃え、上空と船上をつぶさに観察する。

「編切りの魂が空で渦を巻いてる。あの時と同じだ。」

「では、奴ら次は。」

隊士の言葉を聞きながら、灰音は違和感を感じている。

それまでの戦闘とは異質な場当たり的な対応で、攻撃の意図が掴めない。


「バルザック中佐より状況は聞きました。以前の報告にありましたね。」

阿波野が灰音の隣に立つ。

「阿波野先輩は如何思われますか。」

「この後に件の再生型を投入するとしても有用と思えませんね。」

押し黙る二人の参謀の脳裏に同様の言葉が浮かぶ。

「こんな時」

「刑部先生なら。」

強襲揚陸艦あがのの船上での戦闘はすでに収束しつつある。

斬られた大量の編切りの死体は消失し始め、甲板の侍達は納刀している。


「不知火、美浪結宇大尉であります。現在松乃浦に面した南側に待機、

戦況は如何でありますか。」

美浪の宗波が飛んだ。

「環太積、阿久津景昌少佐だ。編切りの襲撃を受けたが撃退。被害は軽微で

ある。甲板が青い血で汚れて酷い有様だ。」

「不知火、伊庭だ。再生型超大型狗族の襲撃が予測されている。引き続き

警戒せよ。」

「承りました。」

宗波を切った直後、船上に異変が起きた。


艦船の裏側から黒い影が甲板上に次々に現れる。橘川兄弟でさえ気づかない程、海面の色と同色に巧妙に偽装された小型艇が接舷している。

黒革に灰色の獣毛の飾り、手に様々な武具を用いた弥者達であった。

ましらの様に跳びあがり迅速に次々と乗り込む。

回転しながら飛び込んだ後、着地と同時に侍が斬られた。仮面の奥で威嚇の声を発しながら手元の小刀をくるくると回す。

大型の鎌を振る者、二刀を閃かせる者、巨大な金棒を振り回す者、武具は様々だが、その統制の取れた早い動きは、あきらかにマカミノミコトの子飼いの部隊であった。

驚愕し、後ずさる侍達の前に十数人程の弥者の部隊が立ちはだかる。

揺動し、戦闘の構えを見せながら、遠吠えの声をあげる。

最後に現れたのは、一際目立つ長身の弥者であった。

ゆっくりと弥者達の中心に立つ男は、背に漆黒の拵えの打ち刀を負っている。

マカミノミコトが侍達を無言で見回した。





不知火本隊、環太積の混成部隊の隊士はざわめく。いち早く美浪が玄嶽に

尊級出現の報を送った。

船上では侍と弥者が入り乱れての乱戦が始まる。

腕を組んで見下ろしていた伊庭が口を開く。

「士道、十字朗に装備を持ち込むように伝えよ。」

「すでに雷光の脅威は無い。」

偽装への攻撃もすでに途絶え、眼前の両軍は完全武装している。

伊庭の要請に士道が破双で輜重船に向かった。


「まずいな。弥者が上手だ。」

吐き捨てる様に上条が言った。

応戦する環太積隊士は、上下左右に攪乱しつつ凶暴に白刃を揮う弥者達に

押されている。一人、また一人と斬り倒され、血まみれの甲板に倒れ込み、

海に突き落とされる。

飢えた獣の群れの攻めを繰り出す弥者達は散発的に撃たれる魁音撃を物ともせず、戦意は一向に衰えない。が、突如潮が引く様に後退し両軍には間が空いた。


やがて、太鼓と笛の音が流れ出す。

「何だ。奴ら何を。」

不知火隊士達が見下ろす先、船上の弥者達は音曲を奏で、その曲調に乗るよ

うに二人の者が進み出た。

一人は長髪に手甲鉤の者、今一人は小柄で両手に小剣を持っている。

それを受ける様に環太積隊士も二名、相対し剣を構えた。

程無くして、侍の一人は片腕を両断され、首筋を斬りつけられて絶命する。

もう一人は胸元深く鉤爪を差し込まれ、蹴倒された。

弥者達の遠吠えが響く中、遺骸は海に突き落とされる。

次に細身に似つかわしくない金棒を背負った者と、無手の大柄な者が

進み出る。大柄な者が環太積に何か申し立てている。

侍が四名、二人の弥者の前に立った。

またも数瞬で勝負は決した。

暴風のような勢いで振り回される金棒に、侍は刀を弾き飛ばされ、

撲殺される。

残り三名は大柄な者の拳による、的確な急所への素手の突きで倒れ伏した。

笛と太鼓の音が一段と強まる。

「阿波野、俺は波を掻いてでも行くぞ。」

「落ち着け、途中で射殺される。無理だ。」

阿波野の沈痛な声により、上条も拳を下す。

断腸の思いは、同じであった。

「頭同士の一騎打ちには、奴らはマカミノミコトを出す。阿久津ならば

討てる。信じろ。」

「阿久津の魁音撃ならば」

阿波野の言葉に頷き、上条は歯を食いしばる。


「源之助殿。阿久津少佐の魁音撃とは? 」

二人の様子を窺った悪兵衛が上条に問う。

芒迫もうはくだ。聞いた事があろう。」

「ありませぬ。」

「お前は味方の魁音撃には興味は無さそうだの。」

悪兵衛の肩に手を置いて上条は苦笑する。

「芒迫は、剣が攻撃対象に接触した瞬間、炸裂。爆壁を散開させる魁音撃です。」

阿波野が言葉を加えた。

「という事は。」

「鍔競り合いに入ったならば、絶対に勝つ。」

「成る程。剣戟を尤もとするマカミノミコトならば、勝機がありますね。」

灰音の言葉に二人は頷いた。

悪兵衛は興奮で額まで赤くしている。


遠く、不知火の隊士達まで「勝負」の二文字の言霊が届く。

甲板の中央、長着を肌蹴た鬼門甲姿の侍が力強く進み出る。

筋骨たくましい男は髭面に鋭い眼差しで、怒りと戦意は他を圧倒しているかに見えた。阿久津景昌少佐である。

対する弥者達は膝を着き、頭を垂れる。

中央の男が腰に刀を差し、ゆっくりと歩み寄った。

「あれが、マカミノミコト。」

悪兵衛はその挙動を見逃すまいと食い入るように見つめる。

仮面に獣毛、黒革の鎧と他の者と違いの無い様相であるにもかかわらず、

その動作に視線が引付けられる。

その場にいるだけで、率いる者達の崇拝と畏敬の念を感じる。


笛と太鼓の音が止まる。

両名は見合った後、同時に刀を抜いた。

緑青と黄金の火花が甲板と二人を照らす。

「一圓、一真。マカミの刀の拵えと柄頭が見えるな。描き取ってくれ。」

伊庭の言葉に橘川兄弟はその驚異的な視力を駆使し、マカミの持つ魁音刀を

細かく描きだしていった。


おお、という歓声が船上から沸き起こる。

切り結んだ両名は位置を入れ替え、阿久津は正眼に、マカミノミコトは

水平よりやや刃を倒し、巻き込むような姿勢の変形中段に構え直す。

素早く、力強い踏み込みで阿久津が突きに入ると、マカミは大胆にも背を

見せる様に回転しやり過ごしつつ、阿久津の背を手で押した。

踏鞴を踏んで振り返りながら、鋭く斬りつける。マカミはゆったりとした動作で、避けた。そうして軽やかな脚運びで変形中段に戻る。

阿久津の額に筋が浮かび、凄まじい形相で弥者を睨む。

「誘っている。」

「激しやすい阿久津の剣を二太刀で見越したようだ。」

環太積の二人の言を聞きながら、悪兵衛はマカミの動きを捉えるべく

見つめる。

大きな波が舷にぶつかり白く煙る。甲板上の者達は舟の挙動に合わせて

左右に揺れ動いた。が、マカミだけは甲板に根が生えたように動かない。

決して踏み込んだ姿勢ではないが、体軸をぶらさず平常と変わらぬように

見える。

「誘いで受けさせ、近接戦技に入ると見せかける。元本閥の侍ならば

その常とう手段を見破る。それを逆手にとり、その状態で芒迫をぶつける。これで勝つ。」

上条が拳を握って呟く。

気迫が高まり切った阿久津は、正眼から八双に構えを変え、大きく息を吐く。

マカミは半身の姿勢で左手を開き、突き出す。

「あれは」

「魁音撃を消失させる破常力でしょうか。」

灰音も固唾を飲んで見守る。

阿久津の剣気のを抑え、マカミが半身のまま刀を両手で構え、突きの

姿勢に入った。

「あの構えは。」

伊庭の脳裏に鮮やかに蘇る疾風の魁音撃。

「あれは、紫電。」

元不知火、柏崎壮之介中佐が見せた一撃必殺の構えであった。





稲光が阿久津の横顔を照らした。ややもすれば激昂し、怒りに我を忘れる

剣を揮う侍ではあったが、今は静かな半眼で弥者の首長を見つめている。

気と体が満ちた。

滑る様に一歩踏み出した瞬間、マカミノミコトの全身に空気が収束し、爆発

するような衝撃が起きた。同時に突きの姿勢のままマカミは阿久津に突入し、

互いの位置が入れ替わった。


阿久津の刀が撥ね飛ばされたかに見えた。が、それは手首ごと吹き飛ばされた物で、右半身がほとんど消失し、その残滓であった。

阿久津だった肉体が水音を立てて倒れた。

構えを解いたマカミは腕で魁音刀をはさみ、刀身をしごくように抜いた。

白刃からは白い煙があがっている。

弥者達から勝利の遠吠えと足音が踏み鳴らされる。


一部始終を見ていた不知火、環太積混成部隊の者は声を無くしていた。

やがて、灰音が口を開く。

「御頭、尊級が繰り出したのは、紫電に見えました。」

「うむ。見様見真似でやってのけたのだろうが。技の本質は得ていたな。」

「御意。」

憤怒の表情で見下ろす上条の鼻孔から、赤い血が流れる。

「奴は目にした魁音撃を模倣、再現できるようだ。生中な剣の才ではない。

また軟剣の使い手に見えたが、おそらくどちらも出来るだろう。」

阿波野が努めて冷静な分析を行う。

「今のお前では相性が悪い。負ける。」

「奴は俺が斬る。」

「それはそうだ。俺が勝たせる。」

上条は血をぬぐい、阿波野を見て頷いた。


第四機動歩兵隊のほぼすべてを失った環太積の乗組員達は、船尾付近から

海中に飛び込み、潰走する。

勝利の声を揚げる弥者達が船上を破壊し始めた。

マカミノミコトを中心とした輪の中に、膝を着き、慟哭する者が見える。

他の者達は一歩引き、マカミとその足元の者を見ている。

「何が起きてる? 」

「女の弥者か。いや違う。」

橘川兄弟が手を止め、甲板上を観察する。

マカミに付き従う獣毛の外套姿の弥者が、ひれ伏す者に静かに語り掛けている。禿頭に銀の顎髭で、老齢に見える。

嗚咽する者の手を取り、優しく立たせた。

長い髪に白い肌、巻いた細い一本角は女性に見えるが、雨に濡れて張り付いた衣服は、細身ながら屈強な男性のそれである。

「あれは」

「一圓、あの者。」

「御頭、ご確認を。」

一圓の言葉を受け、遠眼鏡で伊庭は甲板上を観察し、一度目を離す。

また遠眼鏡を覗き、頷いた後、灰音に渡した。

「連者隊、副隊長の呉羽少佐だ。弥者帰りしている。」

伊庭の言葉に全員が硬直した。

「美浪、玄嶽に確認せよ。章雪、どうだ。」

「呉羽布目少佐であると思われます。」

「すでに呉羽でも本閥の佐官でもない。」

甲板から歓声が沸き起こる。

手渡された仮面を、呉羽だった者が身に付けている。

笛と太鼓、筝が鳴りはじめ、「あがの」の本支柱が斬り倒された。

沸く弥者達の中央、皆と同様の仮面姿の呉羽が膝をつき、マカミノミコトに

首を垂れている。


怒りと絶望、焦燥に掻き立てられ、悪兵衛が吠えた。

湾に響く怒声が、すべてを震撼させた。

「琿青」

声と共に、装備品から琿青が手の中に飛び込んで来る。

鞘を握る手が震えている。


マカミノミコトが崖上の不知火本隊をみあげている。

やがて、腰の刀を鞘ごと抜き取り、それをかざした。

士魂ちからと剣」という符帳と共に、不知火隊士同士が行う金丁きんちょうと呼ばれる

動作であった。

「野郎、舐めやがって。」

伊庭はにやりと笑う。


*


北岸から南進し、再び平原に不知火は戻った。

先行する美浪と十字朗による偽装した矢羽への雷光の攻撃は無く、本隊は刀を差し、甲を纏う。

同僚達が壊滅した環太積第一機動歩兵隊の怒りは大きく、マカミノミコトの

軍団の追跡を希望していた。が、帰艦するあがのが完膚なきまでに破壊された今、それも叶わない。

ぬかるんだ街道を隊士達は無言で歩む。

小高い丘陵に位置する幡殖宿が白く霞んで見える。

伊庭が灰音を目で呼んだ。

「章雪、敵は何を思う。」

「マカミノミコトは局地的な戦闘での勝利を望んではいないと思います。」

「では何か。」

「玄嶽を含む、我々の鏖殺です。」

「船を破壊したのは脚を先に斬ったという事か。」

「御意。」

「みなごろし、ねえ。」

伊庭の腰には、装絹そうけんと呼ばれる士魂遮断材で作られた刀袋が差されている。

純白のそれから、低い振動が鳴る。魁音刀の響きであった。

平静な表情の伊庭の内なる怒りと士魂の漲りが隠せない。

隊士達はそれぞれが先ほどの惨劇を反芻し、黙々と行軍している。

雨が、あがった。

遠雷が鳴り続けている。





「御頭、こちらを。」

一真が一圓と共に描いたマカミノミコトの魁音刀の拵えの素描を差し出す。

木板に木炭で描かれた物であったが、精緻であった。

「む、いかん。老眼で見えぬわ。」

伊庭が目を細めて呻く。

「十字朗、バルザック。どうだ。」

刀剣と武装に詳しい両名に板を渡す。

「柄周りというか、拵えは新井浦と同型に見えるな。」

「いや、待って。柄頭が少し違うよ。」

「バルザック、どう違うのだ。」

「装飾が多く、現行の物より小さ目に思えます。」

両名の言に、伊庭は目を瞑り記憶を呼ぶ。

與那嶺よなみね、か。」

「新井浦の前世代の玄嶽の正式装備という事ですか。」

「恐らくな。美浪、玄嶽と御津菱に流して調査させろ。」

「は。」

「新井浦」は現行の玄嶽正式採用の魁音刀で、第三世代機にあたる。

さらにそれ以前と物となると今の不知火で使用した経験のある者は

皆無であった。


「そうか。それでマカミノミコトの出自がわかる、か。」

阿波野がひとりごちた。

「上条、鹵獲した魁音刀を使いこなせるか。」

「初めて抜く刃であればな。古ければ癖がついて士魂は通らぬ。剣が主を

選ぶ。」

「ではやはり。」

「うむ。マカミの持つ剣は自らのだろう。奪った物ではない。」

玄嶽と宗波でやりとりを終えた美浪が伊庭に寄添う。

「御頭、玄嶽よりの報告で編切りの群体と交戦、撃退したと。」

「数は。」

「およそ千程という事でした。」

「通常の大型狗族を誘引したわけではないのだな? 」

「はい。単独で襲来したそうです。」

伊庭は立ち止まり、一時休止を命じた。


周辺の地形図を前に灰音と阿波野を呼び出す。

「超大型が出現し、我等を討つとしてどの位置が考えられるか。」

「ここです。」

二人は同時に幡殖宿の前方、枯れ畑を擁する平野を指さした。

「根拠が複数ありそうだな。同意見という事はだ。」

「御意。」

「ではこのまま西進するのみか。」


「御頭、橘川兄弟が狗族を発見。超大型と思われます。」

桃乃介が段丘を駆け上がり急ぎ報告する。

「お、もう来たか。奴ら、しっかり固めていたと見える。」

「精妙な波状攻撃です。」

兜の緒を締めながら、伊庭は彼方に視線を走らせる。


幡殖宿の北側の海岸より、この距離でもわかる巨大な人型が視認できる。

ゆっくりとした動作で上陸する。

一体、また一体と海中から姿を現し、総数六体が街道筋に沿って南進し始めている。

ゆらゆらと揺れ動く複数の腕、その手には様々な武具が握られ、全身を朱の

鎧で固めている。

街道筋の生垣や物見台と比較して、全高は十米を超えている。

六体の阿修羅が幡殖宿の正面、不知火と玄嶽両軍を迎え撃つ位置を目指している。灰音と阿波野が指摘した位置であった。

雲間から降りる光を受ける巨大な人影は、天上世界で列を成して歩む悪神の

威容である。

「でかい。俺たちが遭遇した物の倍はありそうだ。」

悪兵衛が視線を逸らさずに言った。

「そうだね。それに武装している。あれが成体なんだろう。」

遠眼鏡で観察しながらバルザックが返答する。我知らず汗ばんだ掌を

見つめ、強く握った。

不知火本隊、環太積機動歩兵隊を恐怖の幕が包んでいる。


「章雪、奴の能力は。」

「長大な剣による直接攻撃と、周囲への電撃で遠隔攻撃を行う錫、即効性の精神毒を散布する鈴を持ちます。また緩慢ですが、断続的な瞬間移動を行い」

「それに超回復を持つというわけか。そいつが六体。」

「御意。」

「人を、喰うのを目撃しました。」

桃乃介が蒼白な表情で申告した。死闘が脳裏に蘇る。

「全隊停止。あれが奴らの切り札か。」

「恐らくですが、違います。超大型を我らにぶつけ疲弊させた後、マカミノミコト本隊で襲撃、本閥の侍を全員討つ算段に思えます。」

「阿波野。」

「灰音中佐に同意いたします。」


美浪が宗波で玄嶽と阿修羅に関しての伝達を行っている。その会話だけで、

玄嶽本隊も恐慌を来しているのがわかる。

「御頭、玄嶽、八十田少佐が指示を仰いでおります。」

「幡殖宿正面を迂回し、不知火背後につくように合流せよ。」

美浪はそのまま伝え、宗波を終える。南方、雑木林から迅速に移動を始める

玄嶽が見えた。

(合流した本閥全体で正面からぶつかるのか。それでは弥者の策に乗ってしまう事になる。が、最も消耗を抑えるにはそれしかない。)

阿波野は奥歯を噛みしめながら、伊庭の指示に頷いた。


「あのでかぶつが無くなれば、やつらの手は一枚落ちというわけだ。」

「阿修羅が角行で、本隊が飛車とするなら。ですが彼らが上手ではありませぬ。そう、信じております。」

伊庭は将棋に例え、灰音と共に少し笑った。刀袋の紐を解く。

純白の拵え、本柴の美しい鞘の魁音刀を腰に差す。

「章雪、良いな? 」

「はい。一体でも制圧すれば精緻な作戦故、弥者はこちらの戦力を類推し、

引くと思われます。」

「いや、あれを野放しにして、これ以上身内の犠牲は出すわけにいかぬ。それに逃げ続けで俺も向かっ腹がたってら。全部ぶったぎるぜ。」

「御意のままに。」


不知火総帥が魁音刀を腰に差す動作に、隊士達は直立で臨む。

その場の空気が戦意と緊張で固まったかに思える。

伊庭は振り返り、隊士を見回して微笑んだ。

侍達は戦旗を立て、まっすぐに伊庭を見つめている。

士魂ちからと剣。」

「士魂と剣」

隊士達の大音声が平野に響く。

伊庭が背を向け、単騎で歩み出した。

見送る隊士達を見、阿波野が灰音に問う。

「章雪、いったい何を。」

「戦術決戦魁音撃を使用いたします。」

「戦術……。それは佐官複数名の協議、もしくは幕僚の承認なくば使役能わずとあったと記憶しています。」

「つまり、中将御自ら使役されるという事だな。」

上条の言葉に灰音は頷いた。

「ご両名共、反魂に巻き込まれます。これ以上の接近は危険ですので、おさがり下さい。」



十一



雲間から光が差し、平原の彼方此方を照らし始めた。

ただ一人歩み寄り佇む人間を、阿修羅達が見下ろしている。

巨大な戦神の彫像のようなその姿、端正な青年にも似たその表情に、

怖れの色が浮かんでいる。

阿修羅は人間、というよりはその者が内包する士魂に反応していた。


伊庭は片腕ずつ、ぐるぐると回してため息をついた。

「鈍っておる。抜くのは久しぶりか。年だな。」

魁音刀が低く唸り声を断続的にあげる。

久些那岐くさなぎ。お前もそろそろ大人しくなってくれぬか。」

愛刀に呼びかけ、ゆっくりと刃を抜く。

鮮やかな紫の火花が散った。

白銀の棟に飛翔する龍の姿が鮮やかに彫り込まれている。その数八頭。


「吶喊白兵衆参 不知火。」

「隊長、伊庭辰之進中将である。」

「狗族。」

「我自ら八百万に帰してやる。ありがたく思えい」

伊庭の怒号と共に、六体の阿修羅が叫声を上げて殺到する。

大上段に構えた伊庭の魁音刀の刃を中心に衝撃が発生し、爆音が響いた。


刹那の沈黙の後、白炎で燃え上がった剣を伊庭は振り下ろす。

蛇之麁正おろちのあらまさ

激しく発光する爆壁が剣の軌道上から次々と生まれる。

長く尾を引く死の光は同時に六体の阿修羅の足元から頭頂まで爆破しながら突き抜け、上空に衝撃光が上っていく。

さらに別の二本の魁音撃が、上空を伊庭を中心に回転している。

一撃で阿修羅六体を葬った魁音撃は、後を追うように渦を描き、回転

し続ける。

その間、編切りの残存した魂が、絶え間なく爆発し消滅している。


桃乃介が魁音撃、星巡を行使し見極めた。

「魁音撃の龍が、魂を食いつくしている。」

瞳に白い炎を宿す桃乃介は震えている。

初見である環太積の隊士はあまりの光景にその場を動く事すら出来ない。

天駈ける龍が暴れ回っているかのように見える。


戦術決戦魁音撃、とは阿波野の記憶通り幕僚の承認許可なくば使役を

許されない程の強力な制圧兵器を指す。

個人の魁音撃で使役出来るのは本閥の侍二千二百名中、伊庭を含め二名しか

存在していない。

精神力により爆壁の軌道を操作、常時八つの攻撃目標を設定できる能力を持つのが伊庭の魁音撃、爆璧神代魁導砲、「蛇之麁正」である。

月追のような視認した目標を追尾するのではなく、目標破壊後も貫通力を

もった爆壁が攻撃し続ける、桁違いの戦闘力である。

本閥の隊士をして、それは「神代の剣」と呼ばれ知られていた。


*


幡殖宿の中央、弥者達が蛇之麁正を目撃する。

次々と破壊され、倒れていく阿修羅。その上空を死の明滅を続けながら

渦を描いて飛翔する魁音撃の龍。

「あれは、龍の巣。」

クロマシラが怖れ戦きながら口走った。

スメロキはマカミと合流し、掃討戦の支度を終えていた。が、急ぎ停戦の

命が下された直後であった。

「あれがワリヂカラなのか。人に非ず、魔神のようだ。」

スメロキノミコトも思わず言葉を漏らす。

配下のウツセミ、ミハカ、カタガイも恐怖の眼差しで見上げている。

阿修羅の惨死と共にそれを操っていたモガミノヒメは意識を失った。

「確かに、あれはヨモツノカミの禍々しい力。決してミコトは近づいては

なりませぬ。」

クロマシラが、スメロキを庇うように前に立った。

「何故だ、クロマシラ。そのような力ならば、猶更ヤシャビトがそれを

打ち砕かねばならぬ。」

「あの魔を打ち払うために、私は命をかけて戦う。皆を護る。」

スメロキの声は震えていたが、その言葉に弥者達は首を下げた。

祷りを捧げるウツセミの頬に涙が伝う。

スメロキの背後に控えるミハカは、燃え上がらんばかりの憎悪の眼差しで

平原の侍達を睨んでいる。

無言であったマカミがスメロキの肩に手を置き、目で頷いた。

背を見せ、手を流す。それが全軍撤退の合図であった。


*


兜を脱ぎ、刀を杖にして立つ伊庭の表情は、憔悴を隠し切れない。

幾多の戦闘の経験を積み、強大かつ、練りに練られた伊庭の士魂も、

魁音撃の一斉射で底をついていた。

不知火、環太積、玄嶽の部隊は一塊になり伊庭の後方で膝をついている。

「章雪、斥候を出せ。」

「幡殖宿、北方、南方の街道に向かわせます。」

床几に腰かけた伊庭に、悪兵衛が竹筒の水を差し出す。

「すまねえな。酒か。」

「水です、御頭。」

隊士達から笑顔が漏れる。

「貴様ら、わかってはいるだろうが俺はあと三日は撃てぬ。」

「弥者が攻めてきたら譲る。俺以上に斬ったら報奨を出すぜ。」

「無理ですよ、御頭。」

バルザックの声に皆、笑った。


環太積の隊士を一人ひとり労う上条源之助の背を、阿波野敬次郎は見つめている。皆、安堵の笑顔を向けている。

(敵はこれ以上の行動はすまい。重厚だが柔軟な戦略を繰る者達だ。不測の事態に陥りながら、無理な攻撃を続けるとは思えぬ。)


ふと、不知火隊士に囲まれている伊庭を眺める。

(蛇之麁正。人間一人が使役するには強力過ぎる。我々は軍神と共にいるのか。……そしてその配下である白緑の炎の侍達。兵員数を減らしはしたが、あれほどのちから。中隊程度でありながら戦闘力は師団に匹敵する。霧島参謀長が疎まれるのもわかる。)           


深く考え込む阿波野は、上条の声で我に返る。

環太積の輪に入り、今後の状況予測を伝えながらも、阿波野の心は暗澹と

していた。                             

差し始めた雄黄色の強い光が、勝利した侍達を照らしている。     

揺れる炎の戦旗が、墓標のように並び立っている。





鉾と龍    了                                                          

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