諸王



薄紫の空から優しく温かい雨が降る。

青く高い山々の肌にぽつりぽつりと黄金の陽が差している。

朱の屋根瓦の家並み。それを見下ろす石階段が紫雨に煙る中、幾人もの人影が立ち並ぶ。

階段を繋ぐ平坦な道には飛び石が敷かれ、美しい苔が生えている、それをさけるような足取りでスメロキノミコトが歩む。

複雑な文字の描かれた仮面、黄金色に黒の唐草の見事な直垂姿で、石畳の両脇には濃緑の狩衣姿の弥者が並び、皆、こうべを下げている。


豪奢な金の飾りの山門が開くと、中央の参道の脇に無数の傘姿の弥者達が膝を着いている。その奥、やや小ぶりな堂が見える。

タカマノミヤと呼ばれる第一等の合議場であった。

堂に入ると中央には火が焚かれ、囲むように車座に座る者達がいる。

スメロキノミコトを含め八名。弥者の将軍達であった。

最後の座に座り、懐より木札を出した。首を垂れて祷りの言を発し火にくべる。ぱっと燃え上がった炎はまもなく小さくなった。


「ヤオヨロズとゴギョウをかしこみてホオマノヒの元、我らミコト合わせ。」

スメロキノミコトより焔を挟んだ正面、巨大な弥者が厳かに言った。

すべての者が首を垂れ、低く言葉を発する。

中心の男は、美しく簡素な装飾の朱の仮面に、朱の直垂、見事な角に、黄金の総髪を垂らしている。

ただ、そこに在るだけで他の者を照らす太陽のような力を放つ。

弥者の頂点の者、オオジシノミコトであった。

「では、マツリドコロ。ベヘンノミコト。」

オオジシの左隣、同じ意匠で水色と銀の荘厳な直垂姿の弥者が口を平いた。

黒髪に簡素な仮面、扇子を手にしている。

その男に名指しにされた者はオオジシの右隣、細身の美しい緑の童直衣わらわのうし姿で

一見して女性にも見える。

が、その声は瑞々しい少年の物であった。

「マツリドコロ、細々とした事は夫々に送った通り。詳しくご照覧ください。

今期のミタマの恵みのご報告です。」

農作物と海産物、及びその加工品の収支を淡々と話す少年。将軍たちは皆、無言で聞き入る。所々、注釈をいれながら理路整然と輸出入までの報告を終えた。

「続き、イクサゴト。」

「お待ち下さい。アシタノトラノミコト。その前にお話したい事が。」

銀の弥者の言葉をさえぎって、ベヘンノミコトと呼ばれた少年が声をあげる。

アシタノトラノミコトが頷いたの見、ベヘンは仮面の紐尾を解いて傍らに置いた。

白に近い卯の花色の総髪、白面に深い紫の瞳、美しい少年であった。

「ムツノナタ様。」

「う、なんだ。」

一際大きな影のムツノナタノミコトがぎくりとした声をあげる。橙の美しい

狩衣姿に、革製の装飾がちりばめられている。

「ご配下の教練の際の宴事。これが毎回二日、三日と続いております。」

「うむ。」

「褒美をあたえ、兵を慰める事、これは結構ですが清らを尽きすぎです。」

贅沢を厳しく戒められ、ムツノナタは肩を落とす。

「また、スバル様。」

「なにか。」

「廃棄される武装、おためしで斬られた家畜の量が多く、訓練による兵の

疲弊の苦情が来ております。」

「死の思いを持たば身に付きはすまい。」

「それをなんとかして頂きたい。ヤシャビトはみな、宝です。」

ぴしゃりと言い放ったベヘンにスバルは無言になる。


「ひと月置きに互いの兵を交換し鍛えるがよい。またその時だけ宴を許す。

ベヘンノミコト、どうか。」

「オオキミの仰せのままに。」

オオジシの言葉に、ベヘン、スバル、ムツノナタは深く首をさげた。

「イクサゴト、キリヒトノミコト。」

「ヤマトの国、和賀藩に構築していましたヤシャの学び舎を侍が嗅ぎつけ、

管理諸共崩壊いたしました。」

「突入してきたビャッコの者はスメロキノミコトに食い止められ、幸いな事に

ヤシャビトの被害はありませぬ。すべてミコトの働きによるもの。」

「城に火を放たれ、逃走を許しただけです。」

「烈火の侍であったのだろう? 無事で何よりである。」

ムツノナタの言葉に弥者達は皆、頷いた。

「当初の目的は半ば達成したといってもよいでしょう。二の矢、三の矢の

ご説明は具体的な企みを立てた上で改めてお話します。」

「また、今後のイクサゴトの予定を、先ほどのオオジシノミコトのお言葉により組み替えます。この後、先にアシタ様に書面でお送りいたします。」

「わかった。日取りを見てまたキリヒトと話す。改めて各々方に伝えよう。」

キリヒトノミコトが明快に今後の侵攻を語り、夫々の疑問に答える。皆の納

得の上、アシタノトラノミコトが注釈をいれ、粛々と話は進んでいった。





「アシタ様。よろしいか。」

紫に黒の丸紋の直垂姿のスバルノミコトが口を開く、仮面をはずし、弥者達を見回した後に語り始める。

「ビャッコの参謀、織田刑部の力は忌々ゆゆしきものである。」

「後々の対応に関わらず、幾多の企てを阻止されたのもこの者に拠る所が

大きい。我のヤシャヂカラも半ば看破されている。」

スバルの静かな声に、他の者達に動揺が走った。

「オオキミの力により、壊滅に近い状態であったビャッコの軍団は徐々に

力を取り戻し、烈火の侍のような者も生んだ。」

「我を含め、対侍の特別攻撃隊の編成を望む。」

スバルは一旦言葉を切った。ムツノナタが大きな音を立てて膝を叩く。

「よい案である。我が立ち、奴らを屠ろう。」

「ムツノナタ、我主わぬしは構成にいれておらぬ。スメロキを推す。」

「何と。スバル様。」

「ではスバルノミコト、貴方がスメロキノミコトと連れ立ち、対侍の攻撃隊の配下を持つという事ですか?」

キリヒトが尋ねた。ムツノナタは俯き、膝の上の拳を固めている。

「否、我らを統率する者、マカミノミコトにお任せしたい。」

皆の視線が、灰色の毛皮に藍の狩衣姿、獣を模した仮面のマカミノミコトに

集まる。一切の感情がないような静かな姿であった。

「スメロキ、いかな思いだ。」

「スバル様と共に戦います。」

「マカミ、どうだ? 」

「承った。」

オオジシの言葉に両名は即座に答える。

「では次。クサワケゴトの報告を私から行う。」

アシタノトラが話を進めた。


*


扉を開け放った縁台からは、緑の枝の間、長く続く石段とそこに集う者達の姿が見える。

弥者達が退去したタカマノミヤに、オオジシノミコトが一人座し、下界を眺めている。紐尾を解き、仮面を置いた。

堂々たる眉にしっかりとした鼻梁、逞しい骨格、金色の瞳。王としての威厳と戦士としての畏怖を併せ持つ容貌であった。

その隣にアシタノトラが静かに座る。三方をオオジシに差し出した。

「コウサコです。」

「お、これは良い。」

オオジシは大らかに微笑むと、砂糖を練り、花の形にした菓子を摘む。

アシタノトラも面を外した。黒髪に、優し気な瞳。思慮深い容貌の男ではあるが、面立ちがオオジシとよく似ている。


「スバルはスメロキを買っておるな。」

「若く類いまれな力と魂を持ったヤシャです。」

「先鋒となる事、お前は何を想う。」

「イクサガミとしての力は疑いのないところ。……しかし心根は優しく、賢い者です。あと一年は手元に置きたかったのですが。」

「そうもいかぬか。」

「スバルがあそこまで云うのなら。」

アシタノトラはコウサコを手にとったまま、薄紫の空を見つめている。

オオジシは穏やかな表情で菓子を咀嚼する。


「スバルは変わった。剣において自ら以外を決して認めない男であったが」

「マカミと交わり、変わりました。」

「良き事。」

オオジシは控える者に目で頷く。程なくして盆に酒を乗せて現れた。

「アシタ。」

杯を渡す。アシタノトラは手で遮った。

「兄上、まだ日が高く、仕事が控えております。」

「これも、良き事だ。」

オオジシの笑顔に根負けし、アシタノトラは杯を受け取った。


*


山門を出たスメロキの前後に付いていた弥者が深く頭を垂れ、送り出す。

スメロキは頷き、歩みだすが、脚を止めた。

「オフネ、アカネ。迎えはいいといったのに。」

品の良い白髪頭の老婆と体格のよい短髪の娘が笑顔でスメロキを待っている。

「ミコトともあろう方がそぞろ歩きはいけませぬ。」

「うち一人でいいっていったのに、オフネも来るって聞かないんさ。」

口々に言い立てる二人にスメロキは閉口する。

「ミコト、荷物は?」

「ないよ。」

すらりとしたスメロキノミコトよりも頭一つ背が高く、健やかさを絵に描いたような娘は、スメロキの背後から連れ立って歩く。老婆も矍鑠とした様子で、スメロキの編んだ髪を甲斐甲斐しく直す。

三人の横を、橙の直垂姿の弥者達が並び立っている。皆屈強で秀でた体格の者達であった。それを掻き分けるようにして、さらに巨大な弥者、ムツノナタノミコトが現れる。

スメロキとムツノナタは膝に手を置き、互いに深く礼を交わした。


「スバルノミコト程の方が其方そなたを推した。これは中々ない事である。」

「大変、名誉な事を思っております。」

「ヤマトビトとの一騎打ちの戦士団。これは我も是非にと思ったが、漏れて

しまった。口惜しい限りだ。」

「ムツノナタ様は大きな戦、多数のヤシャビトを導く光を持つと思います。

また、スバル様はそこに大きな信頼を寄せています。」

「うむ。自らの場所で力を尽くすべきだな。」

「深慮と遠謀、痛みいります。」

「よせよせ、お前も尊い者なのだ。」

豪快に笑いながら、ムツノナタはスメロキの肩に手を置き、橙色の戦士団を

引き連れて階段を降りて行った。スメロキは頭を下げ、見送る。

すぐにアカネが大声をあげた。

「ミコト! 名誉な事って? 」

「何かあったのか?包み隠さずばばにいいなされ。」

「うん。館に帰って話すよ。」

「だめさ。今教えてよ。」

「そうじゃ。気になるわえ。」

「だから迎えはいいっていったのに。」

スメロキは困り顔でため息をついた。

「さあ、帰ろう。腹が減ったよ。オフネの魚を炊きこんだ飯がいいな。」

得意げなオフネの顔を見て、アカネが頬を膨らませる。

「あれは、うちも得意だもの。」

「アカネは蜜柑をいれて酸っぱくしたじゃないか。」

「あれ、失敗だもの! 」

アカネの金切り声で、スメロキは笑いながら階段を下りていく。

雨はやみ、暖かい陽が差すと共に、虹が輝いている。





青緑の光の中、竹林が風で揺れる。

朝日が差し込む先に、瀟洒な館が見える。

広大な屋敷ではあるが、飾り気のない門に白木と檜皮葺一枚の屋根が

その主の気質を映しているようであった。

面姿のスメロキが門番の弥者に招き入れられる。

内には左手に車宿があり、見事な牛車が止められ、その傍らには馴染みの

巨大な牛が佇んでいる。灰色に白斑の額を撫で、その足で屋敷に上がり、女孺にょじゅ

と呼ばれる官女が奥へと案内する。

殿所を超えた先、丁度門と東西逆の位置に西の対と呼ばれる書間があり、

スメロキは膝を着いて明かり障子を開けた。

「御師さま、お早うそうらいます。」

「おはよう。」

書間の奥から穏やかな声を掛けた男は、アシタノトラノミコトであった。

タカマノミヤでの厳粛な服装とは打って変わり、結いあげた黒髪の両脇の角は織物で隠され、黒に灰の刺繍の質素で美しい衣に身を包んでいる。

しずかに書付を広げ、注釈を書き足している。

スメロキは卓につき、革袋より巻物と筆箱を取り出し、準備を始める。

「では、昨日の続きからだ。カミシロの山の鉱石について。」

唄のような朗々たるアシタノトラの声が響き、ゆったりと勉学の時間が過ぎて行った。


中天に陽が輝いているが、竹林は風の葉擦れの音と共にその温度も吹き攫ってしまう。

アシタノトラの館の者達はにわかに昼の用意に動き出した。

午前中の手習いを終え、西の対を出たスメロキは庭を横切り、東廊に入る。

その先には東の対の間があり、すでに騒がしい声が聞こえてきている。

開け放した妻戸から、元気の良い子供達が飛び出してくるが、皆スメロキを

認めるとその場に立ち止まり、深く頭を下げた。

スメロキは微笑みながら一人ひとりの頭に手を置く。その最後に、嫋やかな女官服の女性が現れる。長い黒髪に細面、優し気な表情をしている。

「ユリオ様。」

スメロキは居住まいをただし、目礼する。

「ミコト、本日のマナビネリは?」

「覚えねば成らぬ地名と技術が多数。算術の方が好きです。」

「得意な事ばかりはいけませぬ。」

優しく笑いながらユリオと呼ばれた女性はスメロキの肩に手を置き、作泉を

望む手摺にむかう。

「主人は、イクサビトの編成の件は話しましたか?」

「いいえ。一言も。」

「そうですか。イハノビトの皆が気を揉んでいます。心ここにあらず。」

「私から話します。」

「その方がよろしい。」

ユリオノヒメはアシタノトラノミコトの妻である。

また、アシタノトラと共に子供達に勉学を教授している。彼女が気にかけている学徒、イハノビトと呼ばれる者達はスメロキ直属の配下だが、皆若年であり、

スメロキ共々日々勉学に励まねばならなかった。


東の対の間をのぞき込み、スメロキは思わず苦笑を漏らす。

束帯姿の若者達が口々に声をあげながら机に向かっている。

「マカミ様はわかる。誰もが認めるイクサガミのヤシャだ。文句は無い。」

「だがその配下のタケオビトの連中と我らが一緒にされては叶わん。」

両脚と筆を投げ出し、天を仰いで青年が言い放った。

弥者が大量に潜入工作を行っていた予篠学園。その頂点である武団会において男子武芸総長の鏑木と名乗っていた弥者、ウネビノヒコである。

その隣には長身の大弓使いの女子、穂乃村。弥者の名をミョウケンノヒメという。背後に小柄な女子武芸総長、八坂。同じくカタガイノヒメといった。

三人は渋々ユリオよりもたらされた書き取りの練習を行っている。

「ウネビが騒いでマナビネリが遅れた。」

鼻を鳴らしてカタガイが言った。若年に見えるが他の者と年は二つしか

違わない。今年十六である。

「口を閉じて終わらせねば、お昼に間に合いませんよ。」

三人を笑いながら見つめるのは、桐山と名乗っていた女性で、ウツセミノヌシ。その横に立つ元副会長、ミハカノヌシがスメロキノミコトに気が付き、首を垂れる。

「ミコト、お恥ずかしい。」

「どうしたんだ。外まで聞こえていたぞ。」

皆スメロキに向かい、改めて礼をする。

「マナビネリの最中にウネビが攻撃隊の編成の話しをミハカにして、騒ぎ出したのです。この、あほう。」

「あほうとはなんだ。このでか女。」

ウネビとミョウケンが歯をむき出してにらみ合っている。

「やめないか。ユリオ様より頂いた書き取り、終わらねば昼飯はないぞ。私も手伝おう。」

スメロキは苦笑しながらウネビの元に膝をつき、書き取りの手順を見てやる。

ようやく三人共肩を落とし、おとなしく筆を走らせ始めた。

「やれやれ。我がミコトおらねば手綱がとれぬ。」

困り顔のミハカが漏らす。ウツセミが笑いながら頷いている。





アシワラの国と呼ばれる弥者の王国。その首都たるのがここセイシュウの都である。上品で繊細な寝殿造の寺院と質素ながら機能的な長屋が立ち並び、其々王と呼ばれる八名の将軍達もこの地に居を構えている。

午後、柔らかな陽が差す町外れの訓練場に、若い弥者達が集い、教練に勤しむ。年齢が十そこそこの若年組も走り込みや組打ちを行い、東屋になっている道場の周りにその父母たちがはらはらと見守っている。


中央の運動場の脇に砂場があり、その周囲に人垣が出来ている。

カクリャキと呼ばれる格闘技の試合が行われていた。

均整の取れた筋肉質な細身の上半身に下履き、腕を固く麻布で固めた

ウネビノヒコが両拳を前に突き出して、身体を揺らし、攻撃の隙を伺う。

対しているのは子供のような小柄な男で、同様の姿をしているが、やや年長の顔つき、発達した胸筋と腹が波打ち、背を丸めた姿は獣のようであった。

ウネビが一歩飛び出し、しなるような下段蹴りを繰り出すと同時に、小柄な男はその胸元に飛びだし、素早い鉤突きを放つ。体制を崩しながらもウネビは肘をあげて防御するが、飛び出した攻撃自体がであり、すぐに着地した男は、地を掃くように回し蹴りを放つ。

ウネビはしたたかに脛を打たれ、もつれる様に倒れた。小柄な男はとびかかり固めた肘をウネビの眉間に打ち下ろそうとする。が、すんでの所で止め、

身体を離した。


「打たないのか?罠を張っていたんだが。」

ウネビはにっこりと笑いながら起き上がる。対する男は見下ろしながら睨む。

「訓練にならん。ミハカノヌシ、手を合わせんか。」

腕を組んでみつめていたミハカが口を開く。

「俺は手加減できぬぞ。」

「望むところだ。貴様らイハノビトが我らと作戦を共にする話は聞いているだろう。少々選定せねば、脚を引かれるわ。」

男は侮蔑の表情を見せた。

「貴様、ロシノヒコ。」

ミョウケンが髪を逆立たせ、燃えるような瞳で睨みながら一歩前に出る。

「そこまで。」

床几に腰をかけていた銀色の髭を蓄えた屈強な老人が静かに声をかける。

一触即発であった両者は一歩引き、頭を下げた。

「イハノビト。お前達は年若く力がある。ヤシャビトの未来をその背に負う

責任がある。経験多い年長の者に教えを乞うのは決して恥ではない。」

「タケオビト。お前達はマカミノミコトの元で力を揮う精鋭である。それは

ヤシャビトみなの剣であり盾である。年若い者を正しく導くのも在るべき理由ではないのか。」

老人の静かな声に両者は首を下げたままであった。

「では、打ち込みの後に型に入る。」


紅の陽が差し、若者たちの影が伸びる。一段となって走り込む者達の向こう、

訓練を終えた数名の者が、髭の老人の元に集っている。

ロシノヒコと呼ばれた小柄な男が改めて老人に頭を下げる。

「クロマシラ様。訓練では畏まりました。」

「もうよい、ロシノヒコ。」

「しかし、連中の鼻は今のうちに折らねば戦場で死ぬぞ。」

無精髭の長身の男が言った。他の者も頷く。

「あれらはマコツヤシャ。元々もった気質だろう。」

涼しげな瞳をした長髪の男がやや笑いを含んだ声色で言った。

マコツヤシャとは、人間が変貌した弥者ではない。弥者の両親を持つ、生まれついての者である。

一般に、生来もっている破常力も強力で、その自尊心も高いと言われている。

対する多くの者はイリノヤシャと呼ばれ、マコツヤシャはそれを下に見る性質があった。

「打ち負かすのではない。力を見せ、共に学び、ぶつけ、認めてやらねば、若者は決してついては来ぬ。お前達が護ってやるのだ。」

タケオビトと呼ばれるマカミノミコト直轄の弥者達のまとめ役がこのクロマシラノカミと呼ばれる老人であった。有能な参謀であり、マカミの右腕である。

クロマシラはタケオビトを引き連れ、訓練場を去る。

その姿をミハカノヌシが腕を組んで見つめている。


*


星が瞬き、遠く黒い山々を眺める縁側にマカミノミコトが座している。

山上には細く弓なりの朱い月があがった。

背後にはクロマシラノカミが控え、本日の顛末を報告した後である。

マカミは静かに杯を飲み干した。

能々よくよく言い聞かせましたが……あの人びとは相容れない物が強く根差して

おりますようで。」

マカミは杯をクロマシラに渡し、酒を注いだ。

クロマシラは一息に飲み込み、息を吐く。

「いかなしましょうや。アガキミ。」

雲間に細い月が見え隠れする。

マカミは静かに眺めたまま黙している。





松の大木が並ぶ石畳の道を、黄金の直垂姿のスメロキが静かに歩む。

その背後にはイハノビトの若者たちが付き従い、沿道に道を避けた弥者達が

首を垂れている。

山門の向こうには緑の隧道のような道が続き、石階段が昇っているのが見える。スメロキはそこで立ち止まり、配下を見渡した。

「ミコト、また御独りで?」

槿花むくげ色の長髪を複雑に編んだウツセミが問う。スメロキは頷いた。

「ここから、上がっていく途中の景色が好きなのだ。途中の人々も護って

くれている。」

「他のミコト達は皆配下を引き連れています。私もいきたい。」

不満顔のミョウケンが声をあげた。

「側にいずとも、皆我の周りに在る。お前達も、死んだ者も。」

若者たちはスメロキの言葉に膝を着き、頭を垂れた。

イハノビトの熱く信頼に溢れた視線を背に受けながら、スメロキノミコトは

タカマノミヤへの石階段を昇っていく。


*


ホオマノヒが燃え上がる間、スメロキは末席についた。

将軍であり、王でもあるミコト達は入室し、木札に祷りを捧げて火にくべる。

黒衣に金の細かな刺繍の見事な衣に身を包んだキリヒトが、最後に席につく。

オオジシの言葉と共に会議が始まった。


「ワリビトの戦士が同日に一同に会する? 」

ベヘンノミコトによりもたらされた情報にミコト達は騒めいた。

「何を持ってそのような。」

「ヤマトビトの王の力の誇示が目的のようです。」

「愚かな事を。」

キリヒトが薄ら笑いを浮かべて唾棄の言葉を発した。

「アボウタノカミは何と?」

アシタが冷静に問う。

「父はヤマトビトの最高会議でこの議題を論じたそうです。無論、推進の立場をとっています。」

「導火線は用意している。火をつければヤマトビトは互いに争い、功を求めて狂いだす。またそこに金に目がくらみ、入り込もうとする者が現れる。事が大きければ歪みもまた。」

キリヒトが身を乗り出して将軍達に言った。

「攻撃のはかりごとを立て、託宣を受ける。ベヘンとアシタは共にイワトへ参れ。」

オオジシの言葉に一旦話は収束した。


「我が配下のイハノビトは幼く、気位が高く、タケオビトといつも力を比べて誇示してしまい、衝突を繰り返しています。合同の編成に問題を持ったままでは。」

スメロキの率直な申告に静かな笑いが起きる。

「マカミは何を想う。」

「戦士かくあるべし。」

オオジシの問いに対するマカミの一言に、また穏やかな笑いが生まれた。

「編成の際、我が率いる者は両陣から抜く。力の配合と役割を与える。スメロキ、マカミ両ミコトが指示する場合、そのまま配下を使えば良かろう。」

スバルが断じた。皆頷いている。

「スメロキ、マカミ、異論はないか。」

オオジシの確認にマカミは黙して頷き、スメロキは笑顔を見せた。


午後の遅い時間までタカマノミヤでの話合が行われ、解散となった。

門に向かうスメロキにアシタノトラが声を掛ける。

「スメロキ、マカミが大きな鯛を持って来たのだ。今夜、アカネとオフネと

屋敷に来なさい。」

「はい、御師さま。……いえ、ミコト。」

笑顔で頷く師をスメロキは見つめる。

「この後に、アメノイワトへ? 」

「うむ。今ベヘンが身を清め、支度をしている。」

「私はあの地が、貴 《とうと》く、恐ろしく感じます。」

「それは私も同じだ。人が神に対する時の正しい姿であろう。」

「アメノイワトは私達を導くと同時に、滅ぼす力を持つというのは本当でしょうか。」

「恐らくだが、真実だ。」

スメロキはタカマノミヤのその先、霞がかった山頂を見上げた。

紫雲が棚引き、全容を見る事はできない。

雲間から黄金色の粒子のような陽が差し、山肌を照らしている。





青い炎の蝋燭が並ぶ一室。照らされた金の壁には古の神々が描かれている。

それらは大きな円の中に順列を持って並び、雲上より下界を見下ろす。

部屋には黒衣に身を包んだキリヒトノミコトと、その正面に紫の袿姿の者が

首を下げ、控えている。静かにその細面をあげたのはユウギリノヌシであった。衣服の袖の中に腕はなく、裾を組紐でまとめている。


「どうだ、アサツキでの生活は。」

「ミコトの思し召しにより滞りなく。」

ユウギリの声は掠れ、時々空気が漏れる。対不知火戦での影響は重く、以前の高く美しい声は失われていた。

「義手を願ったそうだな。」

キリヒトの静かな問いにユウギリは答えず、俯いている。

「お前は幼少の頃より私の下でよく動いてくれた。もう、良い。」

ぴくり、とユウギリの眉が動く。

「この後、若き者を育て、楽曲に勤しむがよい。」

キリヒトの言にユウギリは顔を上げた。

「ヤツヒロノイクサガミが降りたち、二年。」

「我等の力は日々増し、ミコトの中にマホロバへの道が出来ていると感じています。戦が、始まります。」

「ここで、命をかけねば。父祖に顔向けできませぬ。」

一息に言葉を発した。キリヒトは目を閉じている。

「貴方様は、この戦で自らと共に世界とヤマトビトを亡ぼす御積もりです」

「その礎となるのは、タマミズ率いるこのわたくし以外おりませぬ。」


キリヒトは立ち上がり、明かり障子を開けた。

暗い山道に点々と星のような松明が続き、その頂点のタカマノミヤを照らしている。

「滅びと共にヤマトビトを根絶やしにする道筋は探してはならぬ。」

「また、ヤシャビトの世界は続いていく。人々を戦に導き、戦でめい終えるのは我々だけで充分なのだ。」

ユウギリノヌシは震えながら俯いた。キリヒトがその横に寄添う。

「お前はもう、自らの涙を拭う事も出来ぬ。」

絹の手布でその頬を押さえてやり、いい聞かせる。

「戦の場にていたずらに命を散らしてはならぬ。ヤシャは宝なのだ。」

「タマミズを抜けよ。我の最後の命である。」

キリヒトの静かな一言は、雷のようにユウギリを撃った。

障子の外に光が差した。


漆黒の山影の頂上、紫と白の焔の柱が立ち上っている。

その先は雲を突き抜け夜空へと延びる。


山頂の光を認めた若者が、ムツノナタに報告した。

賑やかな宴の間、弥者達は言葉を潜めて山頂の光に首を垂れる。

ムツノナタは杯を持ったまま、その焔を見つめる。


母屋に続く小振りな橋の途中、欄干に手をついてスバルは見上げた。

黒影の山頂から白い焔が立ち上る。見つめながら表情を引き締めた。

その背後には羽衣とうちぎ姿の儚げな女が寄添っている。


「託宣のお光だ。」

アカネが障子を開け放ち、見つめた。オフネと共に膝を着き、頭を下げる。

スメロキは箸を置き、その紫の焔を見上げる。雲を分け、燃え上がるように、

突き刺すように伸びる光り。畏怖の表情が浮かんだ。


マカミの灰色の瞳が、仮面の奥より打ち粉を振った刀身を見つめている。

白く煙るような粉のついた刃は、闇のような黒色で波間の紋様の刃文も黒い。

クロマシラが手布を渡す。ゆっくりと刀身を拭った先、山上から光が立ち上るのが見えた。

「おお、託宣の」

マカミはクロマシラの言葉に一目見上げ、また丁寧に刀身を拭っていく。

星一つない夜空のような打ち刀であった。


黄金の装飾が篝火で輝く、豪壮な姿の山門の中央。オオジシが振り向いて

山頂を見上げた。

紫と白の焔が雲をわけて天に向かう。前後の弥者達が畏怖の声をあげた。

屹立する焔は天の先に消え、分けられた雲間から星々が見える。

「アシタノトラ。」

我知らず、弟の名が口に出た。


アサツキの宮を退去したキリヒトは石畳を歩みつつ見上げる。

街の灯に山腹まで照らされたタカマガハラの頂上、

白く輝き、屹立していた焔の柱がやや弱まり、紫の煙のように棚引き、

やがて消失した。

乾坤けんこん穿つは、あの火か。ヤシャか。」





朝日が降り注ぎ、清浄な冷気が肌を刺す。

狩衣に板金の鎧姿のスメロキが、参道に立つ。黒地に金の装飾の入った

軽装の鎧は美しく厳かなかたちで、その若く強靭な身体をぴったりと包む。

背後には同様の配色の装備で身を固めたイハノビトの若者達。

やがてその一団と道を分ける様にして、灰色の毛皮と黒と紺の革鎧に身を包んだ戦士団が現れる。先頭はマカミが率い、様々な武具の者で構成され、足音すら立てない佇まいとその眼差しは歴戦の集団であることがわかる。

精鋭、十名のタケオビトであった。

配下の人々は膝を着き、頭を下げる。スメロキとマカミは互いに礼を交わした。


最後に参道に現れたのは銀の骨格の鎧に身を包んだスバルと、その背後に影のように付き従う三名、さらに弥者の兵団であった。みな濃緑の胴丸に太刀を佩き、短槍を用いている。

三名の将軍と五十五名の弥者達は一糸乱れぬ様子で歩みだす。


タカマノミヤの丁度山腹を挟んで裏手に、石柱で囲まれた石舞台がある。

戦姿の弥者達はそこに一同に参集した。

漆黒の影が凝縮したような狩衣姿のキリヒトと、銀の美しい文様の衣を纏ったアシタノトラが並び立つ。

「ゆめゆめ、アメノミカドの刻を見誤らぬようにしてください。」

キリヒトの言葉にミコト達は頷く。

「スメロキ、連絡は密にな。」

アシタノトラの厳しい表情に、スメロキは微笑んだ。

「大丈夫です。御師さま。」

スメロキの手を握る大きな掌が気持ち震えている。

「決して激昂せず、いついかなる時も我主を待つ者を心に置きなさい。」

「はい、御師さま。」

スメロキの真直ぐな瞳を見つめ、アシタノトラは頷いて背を向けた。


キリヒトは黒漆に金の装飾の雅な手鏡を持っている。

最後の言葉をマカミと交わし終えると、それを頭上に差しあげた。

陽の差す石舞台と弥者達のまわりに、光の結集した粒子が発生しはじめる。

膨れ上がる戦意が燃えたつような弥者の戦士を、鮮烈な光が包む。

やがて結集した光はある物をゆっくりと形作っていった。





諸王   了

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