逢魔
一
花火が上がった。大橋とそのたもと、川を挟んだ両岸に並ぶ
人々から歓声があがる。手に持った団扇が揺れる。
川の中州にも屋台が連なり、そこにも人は群がっている。
色とりどりの提灯が下がり、嬌声が響く。
腹に響く音をたてて、夜空に大輪の花が咲いた。
「男三人で祭見物とは。」
「園枝さんと見れたらなあ。」
「悪兵衛は桔梗殿と祭りにいけてよかったの。」
「大百足の血を頭から浴びて、あばらを三本折ったがな。」
悪兵衛、仁悟朗、士道の笑い声が大橋の上で響いた。
屯所から海沿いに出て一日、北上して峠を越えて一日。
上流の鉱山を結ぶ宿場町である。
今は収穫祭の最中で、不知火でも聞こえた剛腕の隊士三人は浪人姿で
のんびりと祭りを見物している。
小さな山村とは思えないほどの盛況で、労務者や浪人者風の男達が
多く行き交かう。雛上川は広く浅い河川で、中之島と呼ばれる中州によって
二股に別れており、東西の岸より中之島に橋が降りている。
眼下には、けたたましい笑い声の遊女らしき女の腰を抱いた浪人が
酔った足取りでふらふらと歩く。
中之島全体が、飲食と性風俗街になっていた。
一転、川の上流、黒くそびえる
点々と明かりが灯っているのが見える。
「あれが神尾鉱山か。」
「あそこに従事する者達が祭り見物と余暇にこの山村に訪れるというわけだ。」
「鉱山での事件の内偵に上流と下流、人々の流動を見て二手に調査するのは
わかるのだが。」
鉱山に内偵派遣された灰音と美浪、祭りに参加する自分を含めた三名、
どうにも作戦の意図がわからず、悪兵衛は首を捻る。
「鉱山での殺人や消息不明の事件を探るのであれば、我々が人足として
潜入する方が早い、か?」
仁悟朗の言葉に悪兵衛は頷いた。
「宿を取るぞ。」
士道に促され、大橋を渡り切り西岸へ向かう。東岸と同様に
屋台が並び、家族連れの姿が目立つ。
「むさ苦しい男共相手とはいえ、屋台の食い物は酷かったな。」
仁悟朗は苦笑しながら川向こうの屋台を眺める。
農家が廃棄したような病気の胡瓜を箸でさし、一本漬けにしたもの、
腐臭ただよう烏賊を濃い生姜醤油で煮込んでごまかしたもの、
酒の樽に水を足している者の姿も見た。
西岸の屋台は、比べるとやや大人しめで、胴や錫の土産物、風鈴、
地物の量り売りの酒屋等が並ぶ。
悪兵衛がこじんまりとした屋台の前で立ち止まった。
のれんには「かきあげ」としか書いていない。
中を覗くと、自らと同年代の若者が額に玉の汗をかきながら、油鍋から
天かすを取り除いている。
「何のかきあげなんだ?」
「いらっしゃい。雛上川の上流で獲れるすじ海老です。今日あがった
もんですぜ。」
脇の壷には水が湛えられ、泳ぐ半透明の海老の姿が見える。
「ひとつ、もらう。」
「いや、三つだ。」
暖簾をわけて、仁悟朗がにかにかと笑って言った。
屋台の前の床几に腰かけ、揚げたてのすじ海老のかき揚げを
頬張る。新鮮な海老と葱を種に、塩をふっただけの物であったが、
何とも旨い。仁悟朗と士道は美しい錫のぐい吞みで冷酒を煽った。
「これはいいな。」
「うまい。さくさくでうまい。」
士道はにっこりと笑ってぐい吞みを眺める。
「鉱山では胴と錫が採れると聞いた。この器もいい。」
かき揚げにかぶりつきながら、悪兵衛は屋台ののぼりの文字を目敏く
見つける。
「焼き鱒っていうのがあるぞ。」
「鱒で一杯いくか。」
「鱒はいい。川と海の物だ。」
三人が恵比須顔で席を立ちかけたとき、大声が響いた。
「できねえってのか」
かきあげ屋の若者が殴りつけられて転がる。
中年の浪人者三人に襟首を掴まれている。傍らには油鍋が
転がり煙を上げる。
「
「うちにはそんな用意、ありません」
「やれってんだ」
酔った浪人者が難癖をつけているようだった。
仁悟朗が立ち上がる。悪兵衛と士道は仁悟朗の背を一瞥し、
かき揚げを口に放り込む。
仁悟朗が、若者を掴んでいた浪人者を蹴り飛ばした。
家屋の間の闇に消え、派手な音と共に土煙があがる。
驚く連れの者を二人とも平手で突き飛ばす。圧倒的な膂力に、
文句を言う間もなく二人がたたらを踏んで道に出る。
士道は立ち上がり、浪人の帯を掴むと背後の雛上川に放り投げた。
大きな水音と悲鳴が上がる。
驚愕の表情の最後の一人も同様に衿を掴んで川に投げ込む。
「怪我はないか。」
呆気にとられた若者に仁悟朗が笑いかけた。
悪兵衛は「焼き鱒」とかかれた屋台の暖簾に頭を突っ込んでいる。
二
「今日はもうめし打ちはできやせん。
仁悟朗に助けられた若者は正太と名乗り、三人を親分の元へ案内した。
近辺の屋台を管理し、運営している的屋と呼ばれる組織である。
その元締めは、通称親分と呼ばれる。
西岸の中程の屋台街の奥にその屋敷はあった。
正太から事の次第を聞いた男は、白髪に浅黒い肌の目つきの鋭い老人であり、
紺の半纏に包まれた身体は背筋が伸び、壮健な印象を与えた。
「
老人は深々と頭をさげる。三人には膳と酒が用意された。
「深町さんは乱暴者に何もいわず、いきなり足蹴にしたんだ。」
興奮した正太は口から唾を飛ばして、集まった一家の者に吹聴する。
二十人程の渡世人風の者、町人姿の者、若衆が皆、大声で笑いあう。
「ああいう手合いはやめろといってもやめん。」
升酒を飲み干して仁悟朗が平然と言い放つ。また笑いが起きた。
一人、未成年で素面の悪兵衛は白湯をすすりながら、
目を細めている犬神の惣吉に尋ねる。
「親分、東岸と西岸で随分屋台の雰囲気が違うようだが。」
「お若い浪人様でも気づかれましたか。お恥ずかしいこって。」
「別の的屋がまとめているのか?」
士道も惣吉に向き直った。
「そいつがなんとも。」
老人は眉間に皺をよせ、深くため息をついた。
みすぼらしい浪人姿でありながら、折り目正しく、武芸者然とした三人に
心を許し、少しずつ語り始める。
犬神の惣吉の談話は深夜に及び、三人はその日の宿を勧められ逗留した。
*
神尾鉱山から労働者が流入し、尾宇治の村が歓楽街として発展し続けて
六十年余り。取り仕切る的屋の収入も増えたが、その管理の範囲は大きく
複雑化し、老年の犬神の惣吉は最も信頼する手下の者と暖簾を分けた。
頭の回転が速く、愛想の良い一番弟子とも呼べる平治を親分とし、
親分となった狐火の平治は、徐々に強権を使い、粗悪な物を売って
荒利を得るようになっていったという。
尾宇治の的屋の最も大きな収入源は、中之島の歓楽街の上がりで
ある。惣吉が取り仕切っていた頃は芝居小屋、楊弓、川に面した
料理屋等で祭りを彩っていた。
一年に一度開かれる「尾宇治剛力比べ」は近隣より見物の人が訪れる
名物になっている。平治はそこに違法な賭場を開き、惣吉の怒りを
買う。その事がきっかけで両一家は断絶していた。
中之島の独占的な権益を狙い続けた平治は三年前、惣吉に賭けを持ちかける。
「剛力比べ」でお互いの一家の代表を出し、勝てば次の年の中之島の
取り仕切りをすべて行う。一般の参加者が勝てば今まで通りという物だった。
老年ながら伝法肌の惣吉はこれを受けるが、賭けに負けてしまう。
それから三年。惣吉は賭けに負け続け、中之島は労務者向けの
性風俗街に様変わりしてしまった。
翌朝。三名は宛がわれた客間で朝食の膳を囲んでいる。
湯気をあげる麦飯に川海老の佃煮に瓜の浅漬け、厚揚げの味噌汁を
ぱくぱくと平らげる。正太が傍らで甲斐甲斐しく世話をしている。
すっかり気を許し、お代わりの茶碗に麦飯を山に盛って笑い声が起きる。
「三年連続で椴松一家の者が勝ったというのか。余程の剛の者を集めたな。」
「それが旦那、剛力比べは三つの種目があるんですが。一人の者が毎年
すべて攫うんでさ。」
「一人?名だたる力士か。」
「いえ、俺と年も変わらねえ
「そのかいな力はどんな奴もかなわねえ恐ろしい奴で。」
「最近では妖怪の類いじゃっていわれてやす。」
奇妙な話に、三人は顔を見合わせた。
三
居籠一家の屋敷裏庭に、力自慢の者が集まっている。上半身を肌蹴、
ねじり鉢巻きを巻く。
犬神の惣吉も裸に半纏を羽織り、見分している。
悪兵衛達三名は客分として呼ばれ、縁台に腰をかける。
雲一つない青天の下、血気盛んな居籠一家の者達が、額と肩に
汗を浮かべている。
本日夜分に執り行われる「尾宇治剛力比べ」の代表者の選出が始まろうと
していた。不知火の三名は任務も忘れ、気楽な表情で景気づけの笛太鼓に
手拍子を打っている。
剛力比べの競技は三種。「樽運び」と「綱引き」、「腕相撲」である。
樽運びは四斗樽にたっぷり水が入った物を持ち上げ、一定の距離を運ぶ
その時間を競う。
力自慢が用意された樽を運ぶ間、周りのものが「ひとつ、ふたつ、」と
数える。細身だが筋肉質な正太が、「ここのつ」の間に運びきり、
一家の代表となった。
次の競技、綱引きは太綱を二人で引き合い、一歩でも動いた方が負けに
なる。これも正太が勝ち上がった。
汗にまみれて笑顔を見せる若者に三人は手を打ち掛け声をかける。
最後の腕相撲は十数名の者達が総当たりで行い、もっとも勝ち星が
多い物に決まる。正太がすべての競技の代表となった。
「正太、やるのう。」
仁悟朗が上機嫌で正太の肩を叩く。
裏庭には笑い声と威勢のいい叫びが響いている。
「深町さま、一度でいいんで、樽運びをひとつ見せてはもらえねえですか。」
正太に乞われ、仁悟朗は腕まくりをして立ち上がる。
一家の者達が沸いて手を打った。
仁悟朗は四斗樽を事も無く持ち上げ、「よっつ」を数える前に運びきる。
どよめきが起きた。
綱引きも乞われたが、仁悟朗は辞退する。
「こやつの方が俺より引き力は強い。」
仁悟朗は士道を指した。正太は食いつかんばかりに士道に勝負を頼み込む。
若いなりに鍛えた膂力には自信があった。
士道と綱引きは全く勝負にならない。大人と子供の様である。
二本目、士道は片手で綱を引き、つんのめって倒れた正太を起こした。
最後の腕相撲も勝負を頼まれたが、仁悟朗と士道は声を揃えた。
「悪兵衛が一番強い。お前では相手にならぬ。」
信じられぬ程の剛力の二人の言葉にさすがに正太も諦めた。
一家の者もそのあまりの力に声を失くしている。
「お三方、惣吉よりお頼みがありやす。」
犬神の惣吉が居住まいを正して、三名に頭を下げる。
「ひとつ、一般として「剛力比べ」に参加してはもらえねえでしょうか。」
事情を知る三名は顔を見合わせ、しばし考えた。
両一家の代表でない者が勝った場合、中之島の利権の割合は折半に
傾く。居籠一家を救うため、椴松一家を武力を持って制圧することは
軍人として民事に介入する事になり、許されない。
やがて悪兵衛が口を開く。
「出よう。親分に迎え入れて頂いた礼を返す。」
一家の者達から歓声が上がった。
*
「そんな目立つ事をして大丈夫か、頭目。」
川べりを歩きながら仁悟朗が呑気に言った。
士道は煌めく川面を見ながら仁悟朗と同様の表情をしている。
「月光の接触がない。」
「弥者絡みの差し迫った状況であれば出張ってきている筈だ。」
二人は悪兵衛の言葉を咀嚼している。
「また、椴松一家の代表として毎年勝つ、件の化け物じみた男を
吟味したい。」
「仁悟も士道も賛同してくれるか。」
悪兵衛の言葉に、二人は笑顔で返した。
「腹が減ったな。屋台で何か食おう。」
「東岸はやめておこうぜ。」
四
日暮れまで正太の屋台の修復や、すじ海老の仕入れ、他の露店の設立の手伝いに
汗を流す。その中で聞いた話だが、因縁をつけてきた浪人者達は
金で椴松一家に雇われていた。すでに村から放逐されたという。
毎年のように居籠一家に対する陰湿な嫌がらせが行われるという。
狐火の平治の目論見としては、犬神の惣吉亡き後、尾宇治の祭事の利権を
すべて手にするという事であり、心の臓に病を持つ惣吉をじわじわと
苦しめる手段であった。
惣吉は可愛がっている正太を救った侍達に、殊更に感謝していたようだ。
悪兵衛達には歯痒い事態ではあったが、民事故にこれ以上の直接の介入は
避けねばならない。
それ故に間接的に助けになるやもしれない剛力祭りへの参加を決めていた。
提灯に灯が入り、人通りが増える。
旅籠に逗留していた鉱山降りの人々が溢れてきている。
「剛力比べ」までの間、三人は中之島に降りた。
木々の間の参道には遊女や浪人者が行きかい、客寄せが声を掛ける。
雰囲気の落差に面食らう心持ちで三人はそぞろ歩いた。
「椴松一家は
「金になれば何でも良いのであろう。」
士道は眉根をひそめて言った。
未成年の悪兵衛には
魅力がわからず、きょろきょろと眺めるだけである。
「
「勝負してもよいな。」
剛力比べまでの時間つぶしに仁悟朗と士道は楊弓小屋に目をつけた。
大きく「的」と書いたのぼりに、着飾った若い女が立って笑顔を振りまいている。
楊弓とは座敷に座り、玩具の弓で的当てをする遊びを指す。
金を賭ける事も、女を買う事も出来る。
仁悟朗は女にしなだれかかられて、相好を崩している。
「弓は苦手だ。俺はあそこで待つ。」
悪兵衛は隣接した煮物の露店を示し、仁悟朗と士道を残して暖簾を潜った。
日も暮れたばかりだというのに、店は人で一杯になっている。
すでに顔を真っ赤にした中年の浪人が大声で何かをがなりたて、下卑た
笑い声が方々で起きている。
頼んだ田楽が供されるが、ぬるく、味がしない。かけられた味噌も塩辛い
ばかりで悪兵衛は顔をしかめた。
隣席で酒を舐める武芸者然とした中年男が目に留まる。
肩がほつれた着流しに二本差しで、浅黒く筋骨たくましい。
「
悪兵衛は向き直ってやや硬く尋ねた。
若く、まだ頬も赤い悪兵衛の顔を見て浪人者は目を細めた。
「左様。お手前は。」
「拙者も、鉱山での人足に。」
「そうか。見たところまだ若いが。どうだ、一献。」
浪人者に酒を勧められ、悪兵衛は未成年と断ると浪人者は
優し気に笑い、摘んでいる蛸の串を勧めた。
「いかがで御座るか。山での仕事は。」
「きついな。この身体には堪える。落盤で人死にもでる。」
「だが、給金がいい。危険な分割り増しという事だ。」
浪人者は酒を舐めながら訥々と語る。
硬い蛸を四苦八苦しながら噛む悪兵衛を見て浪人は笑う。
「お手前は若く、丈夫そうだ。決して無理せず働くがよかろう。」
「痛み入る。」
悪兵衛は口の端から蛸の脚を出しながら頭をさげた。
「ちと気になる事があってな。」
「鉱山での作業は大野屋という
「近頃、それとは別口でお上の手が入った。さらに割のいい採掘の
作業ではあるのだが。」
悪兵衛は蛸を飲み込み、じっと聞き入る。
「これがな、どうにも怪しい。」
「怪しい、とは?」
「不明な人死にが出ておる。山の神の祟りと云う者もある。大野屋が
決して手をつけなんだ奥での作業じゃ。」
「若いの、給金に釣られてこれに手を出す事、考えた方がよい。」
浪人者は悪兵衛の飲食代もすべて持ち、店を出て行った。
その後、幾人かの人足や浪人に話を聞いたが、皆一様に山での
不明な事件の事は語りたがらなかった。
五
「いやぁ、
「不覚。」
仁悟朗と士道が大笑いしている。
「どうした。」
「どうしたも何も、賭け矢で負けた。」
「弓の張りも矢の重心もおかしい。あれでは当たらぬ。」
的にあたれば相応の掛け金が獲れるが、より賭け高のある「当て矢」
という、予め当てる的を申告する遊びに二人は夢中になり、金子を失った。
「小銭しか残っておらぬ。」
「俺もだ。」
呑気な二人に悪兵衛も笑ってはいたが、ぎくりとして聞き返す。
「待て、持ち金をほとんど使ったのか?」
「そうだ。お前の持ち分があれば帰りの費用位なんとかなるわ。」
「いや、俺の分は宿代と飯代として仁悟に預けた分がすべてだ。
後は手持ちしかない。」
「何。」
しばし三人は押し黙ったが、やがて大声で笑いあった。
「ま、居籠屋に事情を話せば融通してくれるだろう。」
「それもそうか。」
参道の向こう、櫓の立つあたりから呼び声が聞こえる。
剛力比べの参加の締めが近づいている。
力自慢の参加希望の者達が列を作り、そこに三人はなんとか並び、
締めに間に合った。
人々の騒めきの中、何度も聞こえるのが「力太郎」の名である。
椴松一家の代表として勝ち続けている男の通称であった。
無論今年も参加しているらしい。
やがてその名を呼ぶ声が広がり、前方の人だかりが分かれていく。
その中心に「力太郎」が現れた。
派手な振袖を着崩し、片腕をはだけた色白の若い男で
のっぺりとした顔に唇が赤い。絶えずにやにやと笑いながら
分れた人の中心を歩む。香水を嫌味な程振りかけているようで、女郎のような
匂いが残った。その背後には椴松一家の者達が付き従っている。
「奴がそうか。わかったか?」
「美浪のような能力が無ければな。」
「弥者かどうかわからん。兎に角、気味の悪い男だ。」
仁悟朗と士道は小声で語る。思い返したように悪兵衛が言った。
「まて、人間に擬態したままでは破常力は使えぬ。」
「む、そうか。奴らの本来の姿に戻らねば。」
「だからこそ、お上の捜査から漏れているという事か。」
しばし三人は考えるが、やがて仁悟朗が口を開く。
「悪兵衛、お主のかいな力の方がよほど人間離れしておるわ。
そういう者も世の中にはおるのだろう。」
悪兵衛は不満げな顔をしているが、士道は大声で笑っている。
*
背後には三名程が並んでいるが、そこで人数の打ち切りにあっている。
ぎりぎりに間に合った形である。受付には村の若者があたっていた。
「こちらにお名前を頂きやす。そうして念書にも。」
署名には、剛力比べの間、いかなる怪我を負おうとも元締めにその責めは
負わせないという覚書が添えられている。三名はそれぞれ書き込む。
「結構でございます。それでは参加料で三名様、一分銀三枚で。」
「何、参加料を取るのか?」
「へい、そういった取り決めになっております。」
三人は顔を見合わせる。
「おい、そんな金は無いぞ。」
「すぐに居籠屋に戻るか。」
受付の若者が声を大きくする。
「お支払いできねえなら、参加は諦めておくんなさい。もう締めの時間で。」
「お武家さん、さっさとしておくんねえ。」
背後で並ぶ者から不満の声も漏れる。
「まずい。」
「参ったな。参加できぬぞ。」
三人の背後より声が上がった。
「私が払うよ。使っておくれ。」
遊女姿に扮した、副長、風祭玲であった。
六
「たわけ」
不知火副長の雷が落ちた。
三人は裏通りの石畳に正座し、その前に風祭が仁王立ちしている。
「よくよく聞けば怪しい者を吟味する為に祭りに参加したのであろう。」
「賭け事にうつつを抜かし、目的を失う所であったぞ。このうつけ共。」
風祭の剣幕に、屈強な男達がしょぼくれて、首を垂れているのを
遊女たちが笑いながら覗く。痴話喧嘩や、賃金の未払いに浪人がとっちめられて
いると思っているらしい。
「悪兵衛。頭目でありながら何とした事だ。」
「申し訳ありませぬ。しかと顛末を報告させて頂きたく」
「こんな下らぬ報告は刑部殿の心痛になるだけじゃ。必要ない。」
「はは。」
風祭の胸三寸に納めてくれるという事である。三人は平身低頭した。
先に内偵に入った神尾鉱山の調査と、問題解決の為に風祭は出張っていた。
その帰り、もう一組の内偵、悪兵衛達の確認をしに来ていたのだったが。
まさか賭けに負けて無一文になっているとは。三人を叱責しながら参道を歩む。
すらりとした高い背に涼し気な目元、臙脂に芍薬が鮮やかに描かれた浴衣の上で
垂らした髪が揺れる。遊女姿でありながらどこか近づき難い雰囲気の
風祭であった。道行く男たちは遠巻きに眺めるだけである。
「してその剛力比べの対応は。」
「は。樽運びに深町、綱引きに畦倉、腕相撲に播磨が臨む所存。」
「その怪しき「力太郎」なるものの所感はいかがなものか。」
「人間の姿のままで剛力を操る為、弥者に非ずとの見解を持っております。」
「よし、まずは勝て。」
「はは。」
三人は声を揃えた。いよいよ負けられぬ。
*
樽運びの競技は、五人一組で行われる。同じ重量の四斗樽を横一列に
並んだ男達が一定の距離を運ぶ。
四苦八苦し、脂汗を流して樽を運ぶ男達に声援が飛ぶ。
仁悟朗は三組目に入る。裾をからげ、腕まくりをして樽の前に立った。
その二人横に、かの力太郎もいる。士道は風祭に、奴です。と耳打ちした。
号令がかかり、仁悟朗は軽々と樽を持ち上げて歩き出す。その力強さにどよめき
が起きる。が、力太郎はひょいひょいと小走りで運びきった。
歓声と騒めきが広がり、不正を疑う声が上がる。
村の者が力太郎の持った樽を持ち上げようと試みるが、他の物とまったく
同じ、なみなみと水の入った樽であった。
力太郎はゆうゆうと勝者の札を受け取り、張り付いたようなにやけ顔で
敗者達を見回し、仁悟朗の足元に唾を吐いた。
「たしかに、並の者ではないな。」
悪兵衛は人波に消える力太郎の背を目で追った。
仁悟朗はにやりと笑いながら肩をまわしている。
居籠組の正太も健闘したが、決勝で力太郎に敗れる。圧倒的で
あった。
「副長、如何思われますか。」
士道の問いに風祭は目を閉じて感覚を反芻する。
「八百万の揺れを感じた。だが破常力と断定できる程表出している
物ではなかった。我らが魁音撃を撃つ時も揺れは起きる。」
「何らかの力を持つ、ごく一般の人間と云う事ですか。」
「今はそうとしか考えられぬ。詳しく観察するべきだな。」
「士道、そろそろお主の番がくるぞ。」
悪兵衛の声に、士道は立ち上がり人だかりの中心、綱引きの土俵に向かう。
歓声が起きた。
一組目の相手、頑健な中年の町人に士道は片手で勝った。
にこりともせず、土俵を下りる。どよめきはおさまらない。
三十人の勝ち上がり戦で、士道は白星を上げ続けた。
土俵際で見物している力太郎は相変わらずにやにやと笑いながら
升酒を流し込んでいる。士道に対抗するように片手で勝って見せた。
正太が三組目で鉱山降りの巨漢に負け、士道は四組目で力太郎と
当たる事になる。
行事の声に応じ、士道は力太郎の待つ土俵に上がった。
よく発達した二頭筋の膨れ上がりに、からげた袖が引っかかり落ちてこない。
その巨躯は岩のようにごつごつと膨れ上がり、威容という言葉が似合う。
見下ろす士道に対し、生白く力仕事等した事が無いような、なよなよとした
力太郎は不気味な事この上ない。
士道は片手で引き綱を拾い上げる。力太郎は両手を上げて応じようとしない。
「りょうてで、もて。」
老人のような皺枯れた声で力太郎は言った。
士道は空恐ろしい物を感じながら、初めて両手で引き綱を握りしめる。
勝負は一瞬で決まった。
人とも思えぬ力で士道は引き寄せられ、脚を掛けられ倒される。
またその時、思い切り綱を引かれ士道の掌から煙があがり、苦痛に眉をしかめた。
皮がめくれ、ぷつぷつと血玉が染みだしてくる士道の掌に、
風祭は焼酎をまわしかける。
合わせ貝の中の膏薬を掌全体に塗り、麻の包帯を丁寧に巻いていく。
「かたじけない。」
「剣を握ってはならぬぞ。膿んでは治りが遅くなる。」
にやにやと笑いながら見下ろす力太郎の顔を思い出し、
士道は拳を握る。額に筋が浮かぶ。
「士道、怒ってはならぬ。」
風祭がその拳をほぐした。その優しい物言いに思わず士道も首を垂れる。
「勝負は決まっているのにわざと綱を引いたな。」
仁悟朗が腕組みをして、土俵の上の力太郎を睨む。綱引きでも
圧倒的な勝利を果たし、椴松一家の者に持ち上げられて上機嫌に笑っている。
ふと、傍らの悪兵衛の表情に気づいた。
悪兵衛は歯を見せて笑っている。
仁悟朗は悪兵衛がこの表情をした時、最も凶暴になる事を知っている。
七
剛力比べの二種まで、力太郎の勝ちになり、居籠一家と椴松一家の
賭けも最後の腕相撲により決まる。
居籠一家の正太が勝てば、来年の中之島の取り仕切りは一対二となる。
椴松一家の代表である力太郎が勝てば取り仕切りは全て椴松の物。
一般人である悪兵衛が勝てば折半である。
腕相撲の三回戦まで悪兵衛は一息に勝ち上がった。
身体の大きい者、腕力自慢の者、地方大会で結果を残した者、
すべて仕合にならない程の強さを見せて下した。
腕相撲は腕力に拠るというのは当たり前だが、悪兵衛は少し違う
戦い方をしている。
大樽に肘をつき、互いの掌を握り、自分側に倒す。これが通常の腕相撲
だが、そもそも悪兵衛は片腕を倒し込もうとしていない。
逆の手で樽の縁を掴み、両腕を閉じるような運動をしている。
幼少より鍛えに鍛えた引き上げる力、牽引力を左右合わせるように
使う。また、それにともない地面を踏み込み、腰から腹、胸、
肩までの回転を掌に伝え、それぞれが相互に干渉しながら最も強い
力を生み出している。
戦闘における身体の使い方に天賦の才を認められ、十六の若さで
最強の攻撃力を誇る「旭光」の習得に成功した侍、
播磨悪兵衛の面目躍如であった。
自らの膂力に多少の自信のある者でも、おいそれと勝負になるはずが無い。
それほど、悪兵衛は腕相撲に無類の強さを見せる。
四回戦が始まる。
悪兵衛の相手は力士崩れの大男で対峙すると大人と子供の差があった。
圧倒的な力で勝ち上がった悪兵衛ではあったが、同情の声が飛び、
大樽の置かれた台座周りの人だかりから笑いが起きた。
「本当にやるのか?若いの。」
力士崩れが分厚い唇をまげて笑う。悪兵衛は無表情に
樽に肘をついた。
「奴が本当の力を出すのは、ああいった類いの時だ。」
「俺や、バルザックのような相手だな。」
仁悟朗と士道が悪兵衛の横顔を見つめる。
屯所の隊士を驚かせたのはまさに、全身運動による腕相撲でも到底叶わない相手、
「筋量の目方が根本的に違う」場合であった。
行事の掛け声とともに腕相撲が始まる。
やや拮抗している展開で、互いに余裕はない。力士崩れの男は
悪兵衛の剛力に多少面食らう。だが、体重と筋量の差で一気に
勝負をつけようと、抱え込むように身体を傾けた。
悪兵衛の瞳孔に白い光が灯ったように見えた。
力士崩れの太い腕はなんなく悪兵衛側に倒れる。
歓声が沸き起こる。見ている者達の座布団が飛んだ。
負けた男は狐につままれたような顔をしている。
「成る程。」
風祭は悪兵衛の汗にまみれた顔を見つめる。
仁悟朗、士道と笑顔で語る悪兵衛の掌、下碗、上腕、肩まで視線を這わせた。
「悪兵衛、倒し込む時にどのような
「それが、あのような強い者とやる時…いつもよく覚えておりませぬ。」
「意識が無くなるのか。」
「いえ、ただ、自分の心が無くなるというか。全身全霊であたっては
いるのですが。あの時は自然に腕を倒しております。」
「そうか。よくやった。後はあの化け物だな。」
悪兵衛の腕回りの怪我の有無を確かめ、何事もないのを確認した風祭は
手ぬぐいを渡してやった。
(こやつ、挑む際には無意識に体中に士魂を通しておるな。)
(その放出が衝撃ではなく、血潮のように掌を伝って相手の体内、
恐らく骨格内の髄に浸透しているのであろう。)
(繋がった状態で相手の腕も我が物としてただ、倒しているという
わけか。)
風祭は悪兵衛の身体の秘を垣間見た気がしている。
(いずれにせよ、訓練云々で身に付く物ではない。恐ろしい男よな。)
優勝まであと二つ。台座には正太と力太郎があがる。
派手な着流しから片腕をはだけ、青白く、柔らかな腕を見せる力太郎。
対して、日に焼けた正太の上腕が逞しい。
掛け声の後、力太郎は舌なめずりしながら正太の攻めを受ける。
脂汗を流して、全身の力を籠める正太。
密かに伝え、その通りに行っている。
力太郎は正太の足元から頭の先まで眺めると、一気に引き倒した。
歓声が沸き上がった。直後、正太の悲鳴が人々の声をつんざく。
力太郎は倒した正太の掌を握りつぶした。
恐らくたなごころの内部、複雑な構造の骨は酷い折れ方をしている。
手首を抑えて絶叫する正太を居籠一家の者が介抱し、何人かが
怒りの形相で力太郎に詰め寄る。
刹那、力太郎は人々の頭上を飛びすさり、天井の梁に手をかけて
台座の外の闇に飛びだし、消えた。
後にひくくしわがれた笑い声だけを残す。
「物の怪か。」
人々は恐怖の表情で口々に言った。
八
次の対戦相手であった農夫は、悪兵衛の試合ぶりと力太郎を見て怖気づき、
辞退した。そうして、最後の取り組みが始まろうとしている。
「悪兵衛。対戦中の無意識だが。よいか、三つは良い。五つを数えるまで
使ってはならぬ。」
風祭の言葉に悪兵衛は意外な表情で答える。
「それは、なぜでありますか。」
「恐らくだが、お前の身体に甚大な損傷を与える可能性がある。」
「わかりました。しかし、勝つまでやります。」
「好きにせよ。」
苦笑しながら風祭は壇上を降りる。傍らには腕組みしている仁悟朗と
両手を包帯で巻いた士道。その背後には居籠一家と犬神の惣吉の姿も
見える。
襷がけをした悪兵衛の眼前に闇の中から力太郎が現れた。
舐めるように悪兵衛を見つめ、口元を歪めて笑っている。
悪兵衛も歯を見せて笑った。その表情を見た瞬間、力太郎の顔色が
変わる。明らかに怒気をはらんでいる。
掛け声と共に腕相撲が始まった。
悪兵衛は全身を使い、殴りつけるように押し込む。
左手で掴んだ鉄輪で補強された樽の縁が、めりめりと軋む。
額にうっすらと汗を浮かべ、攻めに攻める。
力太郎のぬるりとした柔らかな掌は、壁のようにびくとも
動かない。暫く悪兵衛を観察する表情であった力太郎はやがて
気味の悪い笑顔を浮かべる。
力太郎は舌を出して一気に腕を引き倒した。勝負は決したかに見える。
すんでの所で悪兵衛は踏みとどまっていた。まだ、手の甲は樽については
いない。大きなどよめきと歓声が起きる。
悪兵衛から表情が消え、瞳孔が白く光っている。
力太郎は驚愕と共に、苦痛に顔を歪めた。組み合った掌から白煙が
あがっている。悪兵衛がゆっくりと腕を引き上げる。
「悪兵衛、それ以上はいかん。」
豪胆な風祭も冷や汗を浮かべ、ひとりごちた。
力太郎は歯をむき出して、苦痛にあえぎながら抵抗するが
力の流動が腕から肩、胸まで蝕み、半身が壊死したかのような錯覚を
覚えている。
樽の天板を割って、悪兵衛が手を打ち付けた。
力太郎の人間とも思えぬ絶叫があがった。
逆に曲がった肘の先、尺骨と頭骨が皮膚を突き上げて飛び出す。
下碗が分離し、皮一枚で繋がっているようにぶらぶらと揺らしながら、
力太郎は悲鳴を上げ続ける。
人ごみを掻き分けて闇に帰るように消えた。
混乱と騒めきの中、行事が悪兵衛の勝利を告げ、歓声と拍手が沸き上がる。
居籠一家の者達は腕を振り上げ、勝利に沸き立つ。
犬神の惣吉が穏やかに微笑んでいる。
*
大櫓の背後、地母神を祀る古い神社の境内に不知火の侍達はいた。
風祭が悪兵衛の腕を看ている。悪兵衛は苦痛に顔を歪め、
脂汗を流す。仁悟朗と士道は灯りを燈し、眉を寄せて
見つめている。
勝利に沸き立つ居籠一家は侍三人と風祭に祝勝会へと誘い、
今夜の逗留も決めていたが、悪兵衛の異変に気付いた風祭は
人ごみを離れていた。激痛に顔を歪め、右腕が動かない悪兵衛は
歩くこともままならず、士道がおぶって運び込んだ。
「二人とも、月旦抜きを持っているか。」
風祭の声に士道が腰の皮巾着より、手渡す。風祭は封を噛んで開ける。
小刀で悪兵衛の掌の中心を切り、月旦抜きを突き刺す。
右腕が振動し、切り口から血液が噴出、爪の間から白煙を吹きあげた。
悪兵衛は大きく息をつき、震える腕を持ち上げる。
疼痛が残るが、先ほどまでの腕が爆ぜるような激痛は収まった。
「これは。」
「お前は士魂を体内の表層ではなく骨の髄で練って放出していたのだ。」
「魁音刀と同じく、身体が悲鳴を上げた。二度と、使ってはならぬ。
お前が破壊した刀の数を覚えているか?」
風祭の言葉に仁悟朗と士道もようやく笑顔を取り戻す。
悪兵衛は腕に当て木を添えられ、きつく縛られて吊るされる。
乱暴な手当てをしただけであり、早々に屯所に戻り、医療班の診察を
受けねばならなかった。
風祭は大量の士魂の流入による細胞の壊死を心配している。
「本日は居籠一家に逗留するが、酒は当分禁じる。よいな。」
「はは。」
頭を下げた仁悟朗と士道はこの世の果てのような表情をしている。
悪兵衛が初めて、笑った。
九
人気の無い参道を端までいくと、西岸に上る橋と階段がある。
腕を吊った悪兵衛と両手を包帯で巻いた士道を仁悟朗が
笑っている。その背後に楚々とした風祭が付く。
提灯の並ぶ参道の先、闇の中にほの白い人影が立った。
力太郎である。
はだけた腕の先は変色し、ぶらぶらと関節をなくした人形のように
振っている。逆の腕で石灯籠を殴りつけた。
灯籠が粉々になると、その背後、女が佇んでいる。
顔つきは力太郎そっくりののっぺりとした色白で、女児のような
派手な朱の金魚の描かれた浴衣に身を包んでいるが、
その額にはねじ曲がった角が生えている。
口元から瘴気のような息を吹き出した。
「成る程。二人組の弥者、か。」
風祭がうっすらと微笑んで言った。
「片方が人間体の相棒に破常力を送り込んでいたようだな。」
三人は刀袋より魁音刀を取り出す。
「ヤマトビトの、いかでかマホロバの土をば侵すべき」
「ヤシャショウライ」
しわがれた声が参道に響く。ごきり、ごきりと音を立てて
破壊された力太郎の右腕が復元し、女の弥者の様相とそっくりな
正体を現した。
男女の弥者に、怒りと殺意で膨らんだ気が満ち満ちている。
「はぐれの物の怪に宣戦布告するまでもない。頭目、戦闘指示。」
風祭の鋭い声が飛んだ。一呼吸おいて悪兵衛は宣言する。
「対峙する人外を弥者と認め、これを討つ。」
「深町仁悟朗大尉、単独でこれを殲滅せよ。」
「承った。」
仁悟朗は魁音刀を一気に引き抜く、白い火花があがり、炯々たる瞳を照らす。
馳駆紫の改造型でどっしりとした太い握りに拵え、刃も幅広の
魁音刀は「扇田」と呼ばれ、仁悟朗専用の物である。
「コ ワ ラ カ」
両弥者が同時に呪詛を放ち、鏡のように対象に腕を振る。暗い境内に
二人の姿がうすら赤く光り、影が伸びる。
「野火」
仁悟朗の太い声と共に、振り抜いた刀鳴り響く。次いで女の弥者の
足元から、魁音の衝撃の柱が上がり一気に男の弥者まで巻き込んで
通り抜けた。まさに破壊の暴風のような魁音撃である。
二人は、自らが消滅していく自覚もないまま、この世から痕跡を消した。
「各自、周囲を索敵。」
悪兵衛が静かに言った。
「よい。居れば繋ぎをつけに立ち去ったであろう。」
「は。では深町大尉の魁音撃にて弥者二名を殲滅。戦闘を終わります。」
風祭と悪兵衛の短い会話の間に仁悟朗は刃を揮って納刀する。
「ありがたい。清々した。」
*
居籠一家の屋敷の前に篝火が焚かれ、歌い声や笑い声が聞こえてくる。
西岸を歩みながら、楽し気な人々を臨む。
「犬神の親分に一宿の恩返しができたか。」
「副長、椴松一家はいかがあいなりますでしょうや。」
「弥者と繋がっていた事は明白だ。それを知っていようがいまいが。」
「審議の上、取りつぶしだ。」
「まずい露店と、
「露店はいいが、楊弓は」
いいかけた仁悟朗を風祭がじろりとにらむ。
「…無くなって結構。風俗の乱れは治世の乱れ、ですな。」
「左様左様。」
そらぞらしい仁悟朗と士道の会話で悪兵衛は苦笑している。
狗族と同様に弥者は人間と太古からつながりを持っていたと言われる。
それが非対称戦争によって表層に現れたのはつい百年の昔。
人間のつながりの中に弥者が存在し、今も一つの社会として
動いている。
弥者は何故、人々を虐殺し国を亡ぼす事を望むのか。
黒々とそびえ立つ神尾山が、人類の抗争を見下ろしている。
逢魔 了
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