第29話 ハインリヒの純愛


「みゃー!」



 師匠の姿を見つけるなり、ベルンはぴょんと先読みの魔女の胸に飛び込んだ。

 師匠との感動の再会と思いきや、勢いのままベルンは先読みの魔女の頬に猫パンチを繰り出した。



「みゃぁぁあ!」

「ごめんよ、ごめんって。勝手に出かけてて悪かったよ。でもアンタの主の姉弟子は出来が悪くてねぇ〜付いてきてくれって煩くてさ」

「ベルン君……情けない先輩でごめんなさぁい、うぅ……」



 師匠が筆頭宮廷魔女を指差すと、筆頭宮廷魔女は涙を浮かべて侘びた。するとベルンは鼻をフンスと鳴らしてから猫パンチをやめた。


 師匠は前・筆頭宮廷魔女であり、現・宮廷魔女の師匠でもあった。

今回は筆頭宮廷魔女が装身具に厄払いの力を込める儀式に不安があったため、師匠に同行を頼み込み、連れていっていたのだという。ハインリヒはミランダを調べたときに知ったが、彼女は自分の師匠が元筆頭魔女だったとは知らされていなかったようだ。


 ちなみに現国王の装身具はこの先読みの魔女――師匠が作ったものだ。



「力はあるのに自己評価の低いミランダが“ひとりでも大丈夫”と、自信を持ってもらうために荒治療で家出を演じてみたけど、頑張ったんだねぇ。話は聞いたよ。呪いに立ち向かい誰かを救うなんて、そうそう出来やしない。アンタはアタシの自慢の弟子だよ」



 師匠はぎゅーっとミランダを抱きしめた。ミランダは戸惑いながら、受け入れた。



「うむ、アタシのこともうろ覚え状態かい。困ったねぇ。ハインリヒ王子、しっかり抱っこしておいて下さいよ」



 先読みの魔女は目を細めてミランダを眺めたあと差し出したので、ハインリヒは慌てて立ち上がり受け取った。そして彼はそのまま頭を下げた。



「師匠殿、俺のせいで大切な弟子のミランダをこんな姿にしてしまいました。筆頭宮廷魔女殿もどうか――彼女をもとに戻すために助けてくれませんか? 俺にできることがあれば何だってします。儀式に必要な材料があればどこだって行きます。どんな雑用も引き受けます」



 解呪のために自分ができることは手伝いくらいしかない。王族が頭を下げることは、本来望ましくない。それでもハインリヒは王族のプライドよりもミランダを救うことを優先した。



「ふふふ、陛下……王子としては何も言えませんがねぇ、あなた様の息子はいい男に育ちましたよ」

「余は父親としては何もしてやれておらぬ。周りと本人の努力の賜物であろう……して、先読みの魔女よ。どうにかできそうか?」

「アタシを誰だと思ってるんですかね? アタシの大切な弟子なんだ。治すに決まってるでしょう……ふふふ……腕がなりますねぇ♪」



 師匠は口角をあげ、ニンマリと笑った。まるで悪の女王のような笑み浮かべ、ハインリヒを見た。



「とは言っても、鍵は貴方様です。ハインリヒ王子」

「俺が?」

「えぇ、条件が整っていれば一度のキスでパパっと解決ですよ。こう、チュチュっとね」

「キ、キス!?」



 ハインリヒは目を見開いた。「さっきもしていたではないか」と国王に呆れられるが、改めて『儀式』を『キス』と言われると恥ずかしくなってしまう。しかも呆気にとられるほど簡単に言うものだから、理解が追い付かない。



「どういうことだろうか? 俺は魔女ではない……いや、猫にだってなるんだから、次は俺が女になって魔女に……」

「落ち着きなさいな。突っ込みどころが多すぎますよ」

「す、すまない」



 ハインリヒは深呼吸をして気持ちを落ち着かせ、再び師匠に説明を求めた。



「解呪の呪文の構築と魔法陣はアタシとこの筆頭宮廷魔女阿呆弟子がやる。そして肝心のエネルギーとなるミランダの魔女の力はここにあるのを使うのさ」



 師匠はハインリヒの胸元をトンと指で押した。



「ハインリヒ王子の解呪のために老齢の魔女の魔力で呪いを溶かし、ミランダは自分の力で押し流して王子の体から呪いを追い出す方法を使ったはずだよ。だからまだ王子の体の中には、この子の力が満たされているに違いない。それを利用するのですよ」

「師匠殿はどうしてミランダの解呪の原理を知っているのですか?」



 師匠は呪いの話も聞いたばかりで、解呪の場面にも立ち会っていない。だというのに言葉に迷いはなく、すぐに方法に見当をつけた。



「ミランダの師匠はアタシですよ。力の使い方も呪文の唱え方も全て教えてきたんですもの。この子の魔法はお見通しですよ」

「さすが……で、整えるべき条件とは何でしょうか?」

「愛だよ。ハインリヒがミランダをきちんと愛し、ミランダが愛を受け入れる気持ちがなければ成立しませんね」



 魔女の力の使い方は感覚的だ。気持ちをコントロールして使うようなもので、気持ちが大きいほど力もよく伝わるのだと師匠は語った。魔女でもない力の使い方を知らない者には、愛を利用するのが単純明快で適しているらしい。一方通行では駄目。不確実なら、キャメリアがとった手段のように魅了の魔法で無理やりその状況を作るのも選択のひとつだと言う。

 もちろんミランダに副作用がでるため、可能なら避けたい方法だ。



「この解呪方法はハインリヒ王子の中に魔女の力が残っている間にしか使えない。時間は限られてます。ハインリヒ王子のお気持ちはどのような感じでございますかね?」



 そう問われれば答えはひとつしかない。



「俺はミランダを愛しています。この思いはすでに彼女には伝えました」



あとはミランダの気持ち次第だ。腕の中で強張る彼女に柔らかい声で心の内を問う。



「ミランダ……あなたの気持ちはどうなんだろうか?」



 できるのなら人の気持ちを捏造する魅了の魔法は使いたくない。どうか頷いて欲しいと切に願って答えを待つが、猫になってしまった彼女は答えない。

 ベルンもミランダに聞く。



「みゃーみゃ」

「みゅ……」

「みゃーお!」

「みゅうん」



 返事らしきものはもらえたが、全く意味は分からない。ついでミランダの声はか細く、ハインリヒの腕の中で丸くなって団子に擬態し、表情すら読ませてくれなくなってしまった。



「どっちだ? ベルンは分かるか?」

「みゃ!」



 なんとなく大丈夫だと教えてくれている気がする。



「――っ、絶対にあなたを救ってみせる。あなたの気持ちは定まらなくても、俺の気持ちを全てあなたに捧げることを誓おう」



 思いのまま抱きしめれば、猫パンチをいただいてしまった。ハインリヒ相手に手を出してしまうとは……呪いの侵食が進み、猫の本能に引き摺られはじめている証拠だ。



「じゃぁ決まりだね。ほら馬鹿弟子、アンタは魔法陣をさっさと描くんだよ!」

「はい、師匠!」

「使い魔契約の繋がりを利用したやつだからね。間違えるんじゃないよ」

「もちろんであります」



 師匠に言われるままに筆頭宮廷魔女は魔法陣を描き始める。そして師匠はぶつぶつと呟き、呪文の言葉を選んでいく。

 そうしてあっという間に場は整えられた。部屋はパーテーションで区切られ、奥の空間にはハインリヒ、ミランダ、師匠の三人だけになる。大きなテーブルには魔法陣が描かれた紙が広げられている。



「ハインリヒ王子、はじめてもよろしいですか?」

「少し待ってください」



 ハインリヒはミランダに巻かれたシーツをしっかりと整える。自分の二の舞だけは絶対に避けなければならない。きちんと確認してから、ミランダを魔法陣の中央に置いた。



「さぁ始めようかい……」



 師匠は胸の前で手を組み、呪文を唱えはじめた。



「闇に染まりし変化の魂よ、ありのままを思い出し、我の導きに招かれよ、乙女の身と別れを告げん――呪いよ飛んできなぁ♪」



 手のひらを天に向けると魔法陣が淡く光り出し、ミランダを包み込んでいく。



「ハインリヒ王子、今だよ。呪いから奪い返す気持ちをぶつけな」

「はい」



 ハインリヒはテーブルに身を乗り出すようにミランダに顔を寄せた。



「愛してる」



 そう告げてから、猫の姿の小さなミランダの頭を両手で包み込み、キスをした。



(帰ってこい。呪いなんかにミランダの笑顔を奪われてたまるか。来い……ミランダ、戻ってこい)



 瞼をぎゅっと閉じて、強く願いながら深く口付けをする。

 すると手の中にあったはずの猫の存在が形を変えた。唇に触れていたほんのり冷たい感触も、柔らかく温かいものになる。望んでいた存在にハインリヒは求めるように手に力を入れた途端――



「ハ、ハインツ様っ……も、もうっ」



 ハインリヒは胸を押され、身を起こした。テーブルの上には髪色に負けないほど顔を真っ赤に染め、シーツ一枚を纏ったミランダが座っていた。

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