第9話 使い魔契約

 

 閉じられている木製の内窓の扉を開けていく。木漏れ日が入り、暗かった店内は優しい光で照らされていった。

 品物にかけられていた布をとって、埃を落とす。あとは出入り口の扉を開けて、風を通せばとりあえず開店できるだろう。表に看板をぶら下げれば魔女の店『灰猫の隠れ家』の始まりだ。魔女の店の営業時間は気まぐれが基本。だからいつも客足はまばらだが、数日閉めていたせいもあってすぐにお客が入り始めた。


 最近は『気分が明るくなる飴』、『緊張をほぐすチョコレート』が比較的安価でよく売れる。『緊張をほぐすチョコレート』はミランダが人見知りを克服しようとして開発した魔法だ。

 お客からは「初主演の舞台で成功した」とか「プロポーズがうまくいった」とか好評だ。

 でも作り手本人には全く効果が出ないため、お客の実力と運のお陰だと思っている。



「孫がアカデミーの受験を控えていてね。当日に飲んでもらおうと思うんだ。先日儂も世話になったし、良い薬だよ」

「そうなんですね。お買い上げありがとうございました」



 師匠と比べると自分なんて――という自信のなさもあって、せっかく誉められても素直に受け止められず、最低限の返事しか出来ない。

 師匠ならば『受験』や『孫』をキーワードに世間話へと繋げ、親しくなって常連客へと引き込んでいたが、ミランダは遠慮が勝ってしまう。


 お孫さん受かると良いですね。私も応援してます――――くらいの言葉は頭には浮かんでいるのに、緊張してうまく言葉が出てこない。結局いつものように喉まできた言葉を飲み込んでしまった。

 店内からお客がいなくなると、ため息が出た。

 こんな気分になったときのために作った『気分が明るくなる飴』も彼女自身には効かない。



(師匠早く帰ってきてよ……)



 今はまだ優しい常連客が師匠不在でも通ってくれているが、師匠が作った薬の在庫はもうない。ほとんどがミランダ製に切り替わってきている。接客も下手でいつ愛想をつかされるか不安が付きまとう。

 それに加えハインリヒを無事に飼うという大役まである。いつも頼ってきた師匠が恋しい。



「みゃあ」

「ベルンありがとう。そうね、一人前の魔女になるには、これくらい出来るようにならないとね」

 時間切れで猫の姿に戻っているベルンがカウンターに乗ってきたので、抱き締めて頬擦りをする。最高のモフモフに癒され、不安な心も軽くなった。

「そういえば殿下はどうしてる?」

「みゃあ」



 ちらりと作業場を見るとハインリヒはじっと小窓から外を眺めていた。小窓の方角には王宮がある。



(王族として民のために頑張ってきたのに……猫になるなんて辛いよわね。努力が消えてしまうのは怖いよわね)



 ハインリヒが背負ってきた期待も責任も、言葉では言い表せないほど大きいことは容易に想像できた。解けるか分からない未知の魔法への恐怖も計り知れない。



「ベルン、私も頑張るね」

「みゃ!」



 ミランダの新たな決意を応援するかのようにベルンは嬉しそうに鳴いた。


◇◇◇


 空が茜色に染まり、夜を迎える時間になると、ミランダは戸締まりを始める。お店の入り口の看板を外せば普通の一軒家の玄関になり、店には見えない。

 裏口には師匠が帰ってきてもすぐ分かるように、『お出迎えベル』という師匠のみに反応する魔法の鈴を設置。あとは全部の窓の鍵を確認して、木製の内扉を閉めた。



「悪しきものの目に幕を下ろし、我が城に霧のベールを――悪者からかくれんぼ♪」



 気休めだが、魔女の薬や魔法雑貨を狙う不届きが泥棒しないように呪文をかけておく。絶対に大丈夫とは言い切れないが、無いよりはマシだろう。

 なんせ今夜は使い魔の契約の儀式があるのだ。邪魔されてはたまらない。



「成功させなきゃ……そうよ、魔法書のためよ。やればできる子よ」



 呪いを受けている上に、元は人間相手。使い魔契約を成功させるには不安があった。

 しかし約束した以上、果たさなければならない。自分で発破をかけた。

 ご飯を食べ終え、月が真上に昇ったことを確認すると、ミランダはハインリヒを屋根裏部屋に招いた。

 床にはスカーフ大の真っ白な布、中央には銀のゴブレット、それを囲むように円を描いてバラの茎が置かれていた。銀のゴブレットにはワインが注がれ、天窓から見える満月の姿を受け止めていた。



「殿下、ゴブレットを挟んで私の正面に来てください。ベルンは見守ってて」



 ハインリヒはミランダの言うとおりに正面に構え、ベルンは部屋の隅で寝そべった。



「さぁ、始めましょう」



 ミランダは三度深呼吸をして、緊張していた心を落ち着かせた。そしてバラの棘に触れないよう、両手を伸ばして銀のゴブレットを包み込む。



「我、茜の魔女ミランダが告げる。絆を欲し、満月の盃を共にすれば、契は叶えられるだろう――汝、求めよ。さすれば我の力を与えん」



 呪文を紡ぎ終えると、ワインに浮かぶ満月が柔らかく光った。

 ミランダはゴブレットを持ち上げ、顔の前に運ぶ。移動したのにも関わらず、満月は変わらずゴブレットの中央で漂っていた。できるだけ表面が揺れないようゴブレットの縁に口をつけて、ワインを一口飲んだ。



「ハインリヒ殿下もどうぞ。飲まなくても、ワインに口をつければ大丈夫です」

「にゃにゃ」



 ゴブレットを中央に戻して促した。

 ハインリヒはそっとバラの円をそっと越えて、素直にワインに浮かぶ満月にキスをした。その瞬間、満月が発光した。



「――なっ!?」



 眩しさのあまり、驚いたハインリヒは声を出して後ろに飛んだ。しっぽを天に向け、背中の毛は逆だっている。

 その様子を見てミランダは薄紫の瞳を丸くして、猫の姿のハインリヒを見た。



「すまない。ミランダ殿どうかしたか?」

「ハインリヒ殿下……お声が」

「ん? 声が出るぞ! いや、しかし姿は猫のままだ。もしかして俺が飛び退いたせいで失敗したのか?」



 その問に対してミランダは首を縦にも横にも振れない。

 契約が結ばれた絆はベルンと同じように感じる。きちんとハインリヒを使い魔にできた手応えはあるのだが……



「姿が猫のままなのは問題ないのですが……人型にならずに言葉を話すことができるようになるのは、想定外です」

「そういえばベルンは猫語だったな」

「考えられる理由は……元は人間だからかもしれません。まずは人型にできるか試しましょう」



 ミランダは後ろに置いておいたシーツを広げ、ハインツに念入りに巻き始めた。今朝はバスタオルを使ったせいで、目のやり場に困ってしまった。それを教訓にして、しっかりと彼の体に纏わせた。



(お願い。成功していて……)



 冷静を装っているが、内心不安でいっぱいだ。

 再び深呼吸してから、ハインリヒに顔を寄せた。



「失礼します」



 チュっとハインリヒの猫額にキスをした。

 するとポンっと煙が広がり、ミランダより一回り大きい影――人の姿に戻った青年が姿を現した。夜だというのに銀糸の髪は光を集めたように眩く、瞳は朝露を集めた葉のような翡翠色。間違いなく、ハインリヒの姿だった。



(う、美しい……)



 ただの白いシーツがまるで神々が着ている服に見えてきたミランダは、とりあえず魔法が成功したことを感謝するように手を合わせて拝むことにした。

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