011 このお話はノアちゃん様の提供でお送りするよっ☆(その1)


 羊太郎と蜂ヶ谷の帰還を見送ってから、ノア=アークスは自身の作成したフィールドを闊歩していた。二人へのレッスンは、ノアにとっても楽しい時間だった。


「ふふっ。羊太郎の反応もよかったけど、フーカがトラップに引っかかったときの表情もよかったなあ」


 思い出し笑いしていると、背後に人の気配が現れる。


「よぉ姫さん。相変わらずあくどい顔してんな」

「ずいぶん酷いことを言うね、ブラフマン。よければ今度、鏡をプレゼントしようか?」


 ノアがからからと笑う。

 相変わらずのくたくたの外套に身を包む男は、誰の目にも浮浪者然としている。片や純白の衣装に身を包んでいるものだから、二人を切り取った構図はまるで貴族令嬢に乞食が物乞いをするシーンのようである。


「そりゃいいや。ひげ剃りのときにゃ重宝しそうだぜ」


 ヒュー、と口笛を吹き、ブラフマンは人を食った言葉を吐く。いつも無精ひげを生やしている男にとって、その言葉は「使わない」と同義だった。


「で、姫さんから見てウサギくんはどうだったよ」

「うーん……まだダメダメかな。及第点は上げられないね」


 と、ノアは眉間にしわを寄せる。

 五つ星で評価するとしたら、羊太郎の評点は星二つと言ったところか。


「機転は利くと思う。けど、詰めが甘いんだよね」

「へえ? どうしてそう思ったんだよ?」


 ブラフマンが眉を吊り上げる。興味が湧いたらしい。

 ノアが出会った当初から事細かに説明していく。ブラフマンは適当に相槌を打ちつつも、段々と熱が入っていく管理人様に引き気味だ。


「はじめはボクを疑って魔法を使おうとしなかったんだよ。『銃口を覗き込んだまま引き金を引くかもしれない』って言ってさ」

「疑い深くっていいことじゃねえの」

「まあね。でもね、ボクが彼の魔法について考察を披露したら、すぐに使ったんだよ!?」


 言葉尻に火がついた。あまりの勢いにかかとが浮いているほどだ。


「普通さ、そこまで疑ったんだから、もっと考証してから使うべきじゃん! なんですぐ使ってんの!? ボクを訝しむ素振りも見せてたのに、どうして全部投げ捨てちゃったの!?」


 言い放ち、ノアは息荒く肩を上下させる。小さな口からは、まるで炎を吐いた竜のごとく気炎の火の粉が舞っていた。


「あー……考えるのが面倒になったんじゃねえの?」


 ブラフマンには思い当たる節があるようだった。


「俺が姫さんにスカウトされたときのこと、覚えてるかい? アンタ、どえらい子分どもを引っ提げてきたろう」


 ノアの脳裏に記憶が蘇る。


 世界が終ろうというときに、寂れた繁華街で酒を浴びるように飲んでいたブラフマンの姿だ。彼は幾千にも及ぶ亡者の死骸の上に腰かけ、酒瓶を傾けていた。


「とっぱじめにゴズをぶちのめして、次にアルの野郎と喧嘩しようってときによ、俺ァ悟ったのよ。コイツらに賭けてみるのも一興か、ってな」


 ノアにとって、ブラフマンと接触できたのは幸運だった。

 彼が敵となっていれば、いまごろノアたちはこの地球にいなかっただろう。実績も何もないが、対人戦であれば並み居る英雄にも劣らない実力者を仲間に迎えられたのは、僥倖以外の何物でもない。

 そんなブラフマンの語り口を聞き、ノアは感涙をあふれさせる。


「つまり、キミもヨータローも土壇場でボクを信じてくれたんだね……っ!」

「ちげえ。自棄になっただけだぜ」


 ブラフマンはあっけらかんと言った。ショックでノアは石になる。

 懐から取り出した酒瓶を呷りながら、ブラフマンは上機嫌で言葉を続けた。


「ウサギくんも自棄になったんじゃねーの? 状況だけ聞きゃあ、姫さんは信じられねえし相方は頼れねえし、そうなりゃ出たとこ勝負しかねえだろう」


 俺と似てんのかもなあ、とブラフマンは喜色を浮かべる。

 羊太郎の魔法は幻惑系だ。同じ系統の魔法を持つブラフマンと似るのはわからないでもない。しかしノアの思考は、現在それどころではなかった。


 ノア自身が道化を演じているのだから、胡散臭いと怪しまれることも疑われることも仕方がない。それは自分でも理解しているつもりだ。けれど、そんな自分を信頼してくれる人が現れたのだと、ノアはブラフマンの語りに一筋の光明を見たのだ。


 希望を消されたノアの心は、ゲリラ豪雨直前の空よりもどんよりと曇った。生まれてこの方、ノアは人との付き合いがまったくと言っていいほどない。ゆえに、ノアの感情は山の天気のごとく移ろいやすいのである。

 うつろな目で俯く主をおもんばかってか、ブラフマンがノアの背をぽんとたたく。


「姫さんよ。信頼ってのは積み上げていくもんだぜ。はじめっから信頼されるわけがねえ。万一信頼されたとして、そりゃ中身のねえ空っぽの虚飾さ。吹けば崩れるようなもんより、ゼロから積み上げていく信頼のほうがよっぽど堅えんじゃねえか?」


 ノアの耳がぴくりと動く。耳障りのいい言葉は大好物なのだ。


「姫さんはちっとばかし誤解されやすいだけさ。大事なのはこれからだ」


 ブラフマンの言うことはもっともだ。

 誤解を招きやすいだけで、ノア自身の性格に問題があるわけがない。なにせ、大好きなマスターからそっくりそのまま受け継いだ性格なのだから。


 そう思うと、たちまち心の暗雲が爽やかな風に流されていく。


「ふふふ。そうか、そうだよね。ここから信頼されていけばいいんだよね!」

「その意気だぜ」


 ブラフマンは一仕事終えて息を吐き、酒瓶の中身をグッと飲み干す。ぼそりと漏れた「……チョロくて助かった」というつぶやきはノアの耳に届かない。

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