009 理知的に見せていても追い込まれたときにボロが出てしまうのが人の常
上等な一枚紙にペンを走らせるかのごとく、魔力のインクが中空に幾何学模様を描いていく。五芒星を重ねていったような複雑な陣の外円に解読不能の文字が綴られていく。
ノアが指を鳴らすと、いっそう輝きを増した陣が、主から離れるようにスライドしながら霧散する。
残った燐光が四体の騎士甲冑を顕現させた。
ナイトスライムは、全身を覆う金属鎧、すなわちプレートアーマーを住み家とした特殊なスライムである。鎧を巧みに操り、武器を使用してくるのが特徴だ。
「この子たち、ボクのお気に入りなんだよね~。兜で愛くるしいお顔が隠れてるのが残念でならないよ」
騎士甲冑に頬ずりをするノア。はたから見たらただの変態だ。
そもそもスライムに顔があるのかという疑念が胸中に湧くが、自分から藪をつつくような真似はしない。いい大人は危険に近寄らないものである。
「それじゃあ、ミッションの時間だよ。今のキミにはうってつけの戦闘訓練だ☆」
ナイトスライムたちが一斉に羊太郎を振り返る。
錆交じりの甲冑たちが揃って動き出すのは、なかなか恐怖を煽る光景である。羊太郎は頬の筋肉を引きつらせながら後ずさる。
今すぐにでも逃げ出したい気分だ。
しかし、後ろに下げた足がガシャンと何かにぶつかる。
振り返ると、物言わぬ甲冑が佇んでいる。羊太郎の首筋に冷汗が流れる。
「ヨータローは逃げ出そうとした。しかし、回り込まれてしまった!」
やかましいナレーションが、戦闘開始を告げるゴングの代わりとなる。
羊太郎は視界のナイトスライムたちに番号を振る。近い順からⅠ,Ⅱ,Ⅲ,Ⅳ,Ⅴだ。
ナイトスライムⅠが羊太郎の肩をつかむ。ぎこちない動きだが、かなりの握力である。
羊太郎は周囲を一瞥して状況を確認。身をよじって拘束を振りほどき、ナイトスライムⅠの脇腹に蹴りを入れる。
「──ッ! 硬すぎるだろクソッたれ!」
離脱した羊太郎を四体のナイトスライムが追う。
腰に佩いた直剣を抜くが、相手は鎧でこちらは生身だ。剣を打ち付けたところでダメージが入るとも思えない。対抗策を探す必要があった。
中世、騎士の活躍した時代において甲冑に有効とされた策はいくつかある。
その一つが打撃だ。点の刺突、線の斬撃はいずれも肉を裂くことを強みとしているが、甲冑の装甲部に対しては、必ずしも有効打とはならない。
ではどうすれば敵を打ち破れるのか。
簡単な発想の転換である。外部がいくら硬かろうと中には人間が入っているのだから、内部にダメージを与えられる武器を用いればいい。その思想の許に用いられたのが、人体まで衝撃を届かせるハンマーなどの打撃武器だ。
羊太郎は両手で剣を握り、ナイトスライムⅡを殴りつける。ガインッ、と鈍い金属音とともに揺り返しの反動が体に伝わる。
──わかっちゃいたが……。
ナイトスライムⅡの行動に変化はない。ダメージを負っていない風だ。
当たり前だ。騎士甲冑の中身は人体ではなくスライムなのだから、脳もない粘性のボディに衝撃を与えたところで有効打とはなりえない。
五体の騎士甲冑がギシギシと音を立てて接近する。
「チッ」
苛立ちを覚えつつ、端に流れて包囲を避ける。
羊太郎は一騎当千の将兵ではない。囲まれてしまえば袋の鼠。それだけは避けなければならない。打開策を探す羊太郎の脳裏に一枚の手札が浮かび上がる。
「ノア! 俺の魔法スキルの効果はなんだ!」
「ん~? さあ、使ってみないことにはボクにもわからないね」
ノアがすげなくせせら笑う。ずいぶんと露骨な態度だ。
羊太郎の眉間にしわが寄る。
この女は羊太郎の魔法スキルの効果も知っているのだろう。
そもそも、現状は違和感だらけだ。羊太郎たちがトラップをクリアした途端に現れると、名乗ってもいないのに第一声からこちらの名前を呼び、挙句稽古をつけてやると押し付けてきた。詐欺集団ですらもう少し疑念を持たれないように気を遣う。
「ちなみに、魔法は強く念じて唱えることで使えるんだよ」
「そうかよ。親切にありがとなっ!」
振るわれた直剣をはじき返しながら、皮肉を込めて感謝を告げる。
百歩譲って、名前の件はいいとしよう。それから、困難を乗り越えたことを知って現れるのも定番と言えば定番だ。ダンジョンの管理者であればこそ、名前を知っていることもダンジョン内での行動を知っていることも、不可解な点はあれどもうなずける範囲である。
しかし、ダンジョンの管理人だから、との理由だけでは腑に落ちないこともある。
世界中に数多く存在するダンジョンの、一億にも達すると言われる冒険者のなかで、羊太郎たちのような素人二人組に目をかける意味が分からない。
そこが羊太郎には予想がつかない。なお、蜂ヶ谷は考えてもいない。
きっと蜂ヶ谷なら「一種の様式美なんですよ!」と飲み込むだろう。喉元過ぎれば熱さを忘れるとも言うが、あいにくと羊太郎は得体の知れないものを飲み込める胆力を持ち合わせていない。
「使わないのかい? せっかくの魔法なのに……」
「考えてもみろ、銃を知らないやつが敵を打てるか? 銃口を覗き込んで引き金を引くかもしれないだろうが」
「……ふむ。一理あるね」
ノアが顎に手を当てる。その間もやまない攻撃を羊太郎はどうにか捌く。
こうして凌げているのは奇跡だ。先ほど火球に焼かれた際に痛みがさほどなかったこともそうだが、警鐘を鳴らす脳がリミッターを外しているのかもしれない。
「しかし、キミがそこまで用心深いとはね。ダンジョンに入ったのも、憧れやそれに類する感情からだろうに。普通なら、嬉々として魔法を使おうとするものなんだけどねえ」
「お前が出てこなかったら、使ってたかもな!」
「ええ! ボクのせいかよ!?」
白髪の上位者が大口を開けて驚く。せっかくの美貌が台無しだ。
「蜂ヶ谷の言葉を借りれば、この展開はテンプレどおりすぎる。まるで俺たちをハメようとしてんのかって感じだ」
「日本人の好みに合わせてちょっとテンプレから外したりしてみたのにぃ!」
「残念だったな! 一度会社に飼われた人間はな、都合のいい展開を疑うもんなんだよ!」
怒りを剣に乗せ、ナイトスライムⅣの手を強打する。
零れ落ちた槍を拾おうと手を伸ばすも、残りのナイトスライムたちがこれを阻止する。
「むぅ。そこまで疑われるなら仕方がない」
頬を膨らませたノアは、不貞腐れながら諦念を吐き出す。
「
「それだけわかれば十分だ!」
羊太郎は頭のなかの辞書を開く。
スケープゴートとは、古代ユダヤでの儀式において人々の罪業を身代わりに背負わされたという、可哀想なヤギを指す言葉である。現代では、責任を転嫁された人物を指して使われることが多い。
もっとも離れた位置にいるナイトスライムⅠに目を向ける。
──魔法スキルの効果が字義どおりだとすれば。
ナイトスライムの敵意は、すべて羊太郎に注がれている。予想が正しければ、この魔法スキルを発動することで状況を好転させられるはずだ。
半ば確信をもって、羊太郎は魔法スキルを唱えた。
「《スケープゴート》」
音に魔力が乗ったのを自覚する。自身の口から二重の音を生み出したような、筆舌に尽くしがたい妙な感覚があった。ひとり異口同音である。
小さなつぶやきは、しかし明確な効果をもたらした。
ナイトスライムⅡからⅤの四体が、足を止めて羊太郎からナイトスライムⅠへと向き直ると、己の敵意の向かう先へ行進を始めた。
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