空は彼方
佐藤ムニエル
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今日、育ての親が死んだ。六十を少し越えたぐらいだったから大往生だ。
葬儀は俺の帰りを待つというので、仕事が終わったらすぐ戻ると伝えて無線を切った。ポケットからクシャクシャになった煙草のパックを取り出して、一本だけ残っていた煙草に火を点けた。
時間を掛けて吸う。俺に煙草の味を教えたのは彼だった。それから、仕事のやり方を教えたのも。
彼は、俺にとっての父親だった。
本当の父親のことは知らない。俺がここにいるわけだから、ある時点では確かに存在したのだろうが。少なくとも、俺の記憶の中にはいない。
母親については、いくつか情報がある。歌がうまかったということ。右腕に〈8〉の焼き印が捺されていたということ。その女性から、アオジは俺を託されたのだという。歌はともかく、数字のことから察するに、どこかから逃げてきた奴隷だったらしい。彼女がどうなったのか、アオジは具体的には語らなかったが、大体の想像はつく。俺は母親の腕の数字にちなんで〈ハチ〉と名付けられた。鳥の名前を付けるという村の慣習にも則った、丁度いい名前だ。
アオジに拾われたことで、俺は一生分の幸運を使い果たしたといっていい。こんな世の中だ。拾った子供を連れ帰り、身体を洗って食事をとらせるような奇特な人間はそういない。良くて無視され、悪ければどこかへ二束三文で売り飛ばされる。だがアオジは、実の娘に「弟ができたぞ」と引き合わせ、〈息子〉として俺を育てた。それから読み書きを教え、ある程度の年齢になるとクーリーの仕事についてまわらせた。ある時、俺を拾った理由を訊いたら「無料で働く労働力が欲しかっただけだ」と答えたが、俺だって無報酬で動くわけじゃない。時には配送報酬以上に高くつく食糧を費やす口が増えるわけだから、どう考えたって割には合わない。結局、真相は聞けず終いになってしまった。
指の間に熱を感じ、煙草が根元まで灰になっていることを気付いた。俺は吸い殻を崖の向こうへ投げ捨てた。
ここからの眺めが好きだ。近くを通る度、つい立ち寄ってしまう。
崖の向こうには広大な廃墟が広がっている。崩れかかった四角い建物の群れ。拉げた赤い鉄塔。それより更に高かったと思しき別の鉄塔は途中で折れている。ここは大昔、都市だったのだとアオジは言っていた。〈楽園〉ができるよりずっと前――つまり〈かれら〉がやって来る前、人は誰もが隔壁もガラス天井もない空の下で生活していた。その名残がこの廃墟なのだ、と。
都市の残骸は、俺とアオジの出会いの場でもある。これら膨大な数の朽ちた建物のどれかで、俺は母親に抱かれていたらしい。
空は静かに晴れ渡っている。白みがかった青い空に、雲が音もなく浮かんでいる。雲が流れていくと、〈かれら〉の円盤が時折姿を見せた。こちらも無音で浮かんでいるが、決して風に流されることはない。何があっても微動だにしない。銀色の外装が、日の光を受けてキラキラと輝いている。いつもの景色。
「さて」俺は伸びをしてから、ユニットの操縦席に戻った。
配送先はあと四カ所。夕方までに帰れるといいのだが。
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