第七話 公開説教と異変

 騒ぎの当事者である皆藤と一緒に生徒指導室に連れていく最中に事の顛末を聞いた。

 通学中、よそ見をしていた美術部の男子生徒がぶつかり、ペンキが制服に付いた。怒った彼が謝罪を要求するとこう呟いたらしいのである。


「でかい図体しやがって。邪魔なんだよ。逆にこのペンキに関して謝罪してもらいたいね」


 そりゃ怒る。間違いなく誰でも怒る。

 その事実は目撃していた生徒も多いようだ。しかし暴力がいけなかった。

 擦り傷や打撲と言った怪我人も出たことから当該生徒は少なくとも二週間以上の停学処分が下されることとなるだろう。後は高等部の先生が決める事だから僕には何も出来ない。その後職員室に戻った僕と言えば……


「今回、偶々上手く物事が運んだのかも知れませんが、貴方自身が怪我をしていた可能性もあります。その影響で他の生徒にだって! 貴方の仕事は生徒の安全を守ることであり生徒を危険に陥れることではありませんのよ。そもそも――」

「はい、おっしゃる通りです。申し訳ございません……」


 先ほどの騒ぎのせいで、少し遅れて開始された朝礼にて。

 厳しいことで有名な女性の教頭先生からの、説教を喰らっていた。それも大勢の先生の前で。公開説教だ。

 それに伴い多くの視線に晒されている。視線が痛い。うぅ、早く終わらないだろうか。

 確かにマニュアル通り学校在中の警備員さんを呼んで生徒の安全を確保するのが懸命だったとは思うけど、一刻も争う状況でそんなことできるワケ無いだろう! と言いたい。言った所で言い訳するなと返されるのがオチだ。こうして説教をすることで他の先生に対して示しをつけているのであろう。

 上司の説教に、真摯に謝るしかこの場を切り抜けることは出来ない。泣ける。


 何とも重苦しく感じる空気に、他の先生は見守るしかできない。


「まぁまぁ、そんな怒りなさんな教頭先生よ」


 そんな状況であるのにも関わらず、救いの手が差し伸べられた。

 教頭先生にそんなことを言えるのはこの学校に二人しか居ない。一人はこの学園全体を設立し運営する学園長、そしてもう一人は……


「校長先生!」


 この中等部を取り仕切るトップ、校長先生だ。

 学園長の息子と言う、ゴリゴリに同族経営でありながらその手腕は見事なもので、事実、この学園をマンモス校に育て上げた一人だ。

 年齢は四十代だというのに髭を整えた若々しい見た目に、ビシッと決めたスーツ姿の校長は生徒から人気があり、イケおじ校長と呼ばれているのだとか。


 朝とは言えどいつも校長室で仕事をしていて朝礼に滅多に顔を見せることの無い校長が、ワザワザ朝礼の時間に職員室に来るのは珍しい事だった。


「御剣君、確かに君は無茶をしたが結果的には大きな怪我人もいないし、警察沙汰にならなくて良かったと思っている。僕は生徒の安全を守ろうとした君の姿を評価したい」

「あ、ありがとうございます……」

「それでこの話は終わりだ。生徒たちが待っている。早く朝礼を終わらせたほうがいいんじゃないかい?」


 そう、教頭先生に視線を向ける。(何故か)顔が赤くなっている教頭先生は静かに頷いた。

 え、あれ? 教頭、何か乙女化してない? 気のせいか?


「よし、では担任を持つ先生はホームルームに向かいたまえ。他の先生は授業の準備を」

「「「はい」」」


 そうしてこの地獄の様な時間から解放された。


「様子を見に来て正解だったかな。御剣君、悪かったね。このご時世、色々あるだろ? 教頭先生もピリピリしてるんだ」

「そうですか……」

「我々は生徒を預かっている立場だからね。神経質になるのも仕方ない。特に彼女は人一倍仕事に対してデリケートだ。許してほしい」


 そう言われると何も言えない。そもそも怒ってもないし、教頭の言うことにも一理ある。


「しかし、君は本当によく生徒の為に動いてくれるね。教頭先生はあのように言うが、君が動いていなければ生徒への被害は拡大していた。君の働きは聞いてるよ。また何か別の問題が起きたら、御剣くんに任せようかな」

「じょ、冗談はやめてください……」

「いや、君なら任せられる。妹がヒーローだからかな? 人助けに体を張れる人は少ない。我々は保護者から生徒を預かっている身なんでね、助け合いの精神を学ぶのは社会に出たうえで役立つだろう」


 校長は妹がこの学園の生徒であることから、妹がヒーローであることを知る人物の一人だ。

 ハッハッハッと笑う校長先生に、僕は若干戸惑う。

 何か変な仕事を与えてくるんじゃないだろうな。と邪推する。

 いくら身内がヒーローだからって、僕はヒーローでは無いんですよ。


「まぁ、その時はその時か。仕事に戻るとしよう。朝からこんなことがあったからかな。嫌な予感がする」


 そう彼は不吉なことを呟いて職員室から出て行った。

 一先ず助かったと安堵する。このままだと朝礼の時間が伸びて他の先生にも迷惑が掛かる所だった。大体5分で終わる朝礼が、今日は10分以上も続いていたのだ。僕のせいで送れた朝礼、しかもあと少しでホームルームの時間だと言うのに……。

 ホームルームに向けて気持ちを切り替える。慌ただしく準備をする先生たちを潜り抜け、僕は自分の机へと向かった。


「お疲れ様です、御剣先生。災難でしたね」


 椅子に座って背もたれに身を預けた際、隣から僕を労う、可憐な声が聞こえた。


「夢乃先生」


 僕が少し気になっている女性……夢乃 咲さんだ。

 おしとやかな白いトップスから映える彼女の隠し切れない胸がそこはかとなく色気を感じる。

 長髪で綺麗な黒髪をたなびかせ、その優し気な人相に整った顔立ちは、彼女を美人だと評価付けるのには十分な判断材料であろう。生徒からだけではなく独身先生の間でも彼女は人気があった。


「あ、昨日は本当にありがとうございました。助かりました」


 昨日と言えば、先生の代わりに部活動の顧問代理を引き受けた日だ。


「いえ、当然のことをしたまでです」


 校長先生のようにキリっとは行かなくても、少しでも印象付けられたらと声質を変えてみる。

 先ほどは朝礼で公開説教されると言う失態を犯した。少しでもイメージ回復に勤めねばなるまい。


「生徒が何か迷惑をかけませんでしたか?」

「いえ、何も。良い子たちばかりでした。流石、夢乃先生の教育の賜物ですね」

「そ、そうですか……。迷惑かけてないならよかったです」


 何か褒め過ぎて若干引いている気がするのは気のせいだろうか。気のせいだろう。うん。


「では、今からホームルームを始めるので、失礼しますね」

「あ、そうだ。メッセージの、今度ご馳走しますというのは……」

「はい、勿論用意します。楽しみにしててください!」

「いつ飲み……え、用意!? ということは家にお邪魔したり……」

「いえ、学校に持ってこれるものを用意しますので、楽しみにしててください。よろしくお願いします」

「は、はい、分かりました」


 そう言って、彼女は自分の受け持つ教室へと向かって行った。

 右手をひらひらとさせて彼女を見送るが、その手は虚空を舞うようにむなしさが感じられた。

 僕と彼女の会話を聞いていたのであろう、隣の席に座る一つ上の先輩教師、梶岡先生が愉快そうに僕の肩を叩く。


「脈無しだな」

「ぐうううううううううううーーーー!!!」


 僕の悲痛な叫びが職員室に木霊するが、気にした様子の先生方は誰一人として居なかった。



 ***



「おい聞いたか、御剣先生の話」

「レスリングで有名な皆藤先輩を倒したんだよな? あの筋肉の道山って呼ばれていることで有名な」

「えーー、私、あの人のことを見かけたことあるけど身長190センチ以上あったように見えたよ。すんごい筋肉モリモリだった」

「バケモンじゃん! あんなひょろっとして弱そうな先生がそんなバケモン倒すなんて信じられねぇ。その話、本当かよ――」


 僕の受け持つ二年A組の教室前の廊下で、扉を開けようとしてそんな会話が聞こえてきた。

 もう噂になっているようだった。そりゃそうだ。少なくとも橘が見てたんだもんな。目撃者がいる以上、噂になるのは仕方のないことだ。うん。


 ただ一点、クラスで僕の評価は『弱そう』だった事実に少し泣きたくなってくる。

 まぁ間違っていないが。


 とにかく、既にホームルーム開始のチャイムは既に鳴っていた。

 扉を開けて教室へと入る、僕が教室に入ったことを確認したクラスの皆の視線が僕に突き刺さった。


「お、おはよう。なんだ。皆コッチを見て」


 普段であればホームルーム開始のチャイムが鳴ってホームルームを始まろうが休み時間のようにおしゃべりしているくせに、今日に限っては僕が教室に入った途端静かになった。

 何かを期待しているような視線を向けられているのが分かる。


「ごほんっ」


 小さく咳払いした僕は、昨日刷っておいたプリントを手に取った。

 プリントの中身は学級だよりといって、二年を取り仕切る学年主任が作った月一のプリント。ここ1カ月で学校で起きたことが纏められている、保護者に見せる用のプリントだ。


「じゃ、学級だよりを配るぞ~。列ごとに渡すからよろしくな~」


 皆何も言わないんじゃ僕から話したって仕方ない。だからいつも通りに進行することにしたら、クラスの何人かが椅子に座ってズッコケた。

 調子のいいやつらだ。僕がプリントを渡し始めると、はいはい! 中央一番後ろの席に座る男子生徒が手を挙げたのを確認した。名前は鹿島かじま 則夫のりお、クラスのお調子者として認知している。


「先生! あの噂って本当なんですか!」

「あの噂とは何だ?」

「しら切っちゃってさ! あの噂って言うのは今朝のことだよ! 先生が皆藤先輩を倒したこと!」


 鹿島はさっそく噂の真相を解き明かそうと、僕に質問をしてきた。

 橘もいるだろうに僕に直接質問する当たり、気になる話題であるに違いない。


「倒した」


 そういうと、鹿島本人含め、おおっと感嘆の声をあげた。


「だけど偶然の出来事だ。あれは興奮状態を鎮めようと何とかした結果に過ぎない。本当だったらぶっ飛ばされて終わりだよ」


 冗談交じりではあるが、それは真実だ。本当に偶然、僕の身体が動いたに過ぎないのだ。

 だから誇れることでは無いし、この話もこれで終わりにしたい。


「だから皆は喧嘩騒ぎには巻き込まれないこと。巻き込まれそうになったら逃げること。自分が巻き込まれないように行動することが、自分の身を守るうえで今の社会では必要なんだからな」

「説教くさ~い」

「先生らしいこと言ってるだろ!?」


 はははと、クラスの生徒から小さく笑い声が上がる。

 そうこうしている間にプリントが生徒中に行き届いたようだ。まぁホームルームはこのプリントを配るくらいしか用事も無いし、締めるか。


「まぁ、ホームルームはそのプリントを保護者に届けてな、くらいか。じゃ、次の授業の準備をするように」


 タイミングよく、ホームルーム終了を告げるチャイムが鳴った。

 チャイムが鳴ったと同時に生徒たちは各々行動に移す、準備をしろと言ったのに遊ぶ子や、朝が弱いのか取り出した教科書を枕代わりに寝る子、読書する子など様々だ。

 ふと、職員室に1限目の授業で使う資料を忘れたことに気付き、戻ろうかと廊下に出たその時だった。


 袖に違和感、ふと見ると前髪で目が隠れた女の子が袖を掴んでいるのを見た。


「先生……」

「ん?」


 珍しい、クラスの学級委員長を務めてくれる冨士代ふじしろ 優花里ゆかりから声をかけてくるなんて。

 内気な性格からか、あまり喋ったところを見たことが無い生徒だ。そんな彼女から声をかけられるなんて思いもしなかった。


「どうした?」

「……先生は……能力……を、得たのですか?」

「へ?」

「どう……なんですか」


 どう、と言われても。能力とはつまり、特殊能力のことだろうか。

 ヒーローになるための力で目覚めた人も一握りの人間しか居ない。確かに妹は目覚めたが、僕は目覚めていない筈だ。


 思い出すのは聖剣の事――。しかしながらそのことを冨士代が知っている筈も無い。


 ならば多分、今朝の話を聞いてそう考えたのかも知れない。偶然の出来事によって力に目覚めたんじゃないかと考える人は一定数いるのだ。


「今朝のことを言っているのか? あれは偶々で能力を得たとか無い……と思うが」

「そういう……ことじゃ……」

「? じゃあどういう……」


 会話の途中、チャイムの音ではない音が学校中に響き渡った。

 ウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウゥゥゥゥゥゥ――――

 学校備え付けのスピーカーからけたたましい音が溢れる。放送部の調整ミス? いや、この不快なサイレンの音、どこかで聞き覚えが……


 小さな地震が起きているのか、廊下の窓ガラスがビリビリと揺れている。


「な、何だ……?」


 生徒が窓の外を見て騒ぎ始めていた。

 先ほどまで天気の良かった空が、急に雲で覆われたからか薄暗くなっているようだった。

 何かしらの異変を感じる。


「冨士代、その話はあとで!」


 袖に掴んでいた手を優しく振り払い、急いで窓を開けて外を見やる。

 どうやら学校内だけでなく、街中にサイレンの音が響いているらしく、その音に驚いたのか、多くの鳥が鳴き声をあげながら空を飛んでいた。


 そんな中、校庭の真上の空。そこだけとぐろを巻いたように妙に雲が渦巻いている。

 それを見て生徒が騒いでいるのだった。


「一体、何が……」


 そう呟いた時、サイレンに次いで聞き取りやすいようにするためか、言葉を一拍ずつ区切りるように教室に備え付けてあるスピーカーから機械越しの音声が響いてきた。


『――これは訓練では、ありません。これは訓練では、ありません。異界の門ゲートが出現しました。異界の門ゲートが出現しました。白蘭学園にいる生徒、教職員は、速やかに地下シェルターに、避難してください。白蘭学園にいる生徒、教職員は、速やかに地下シェルターに、避難してください』


 その音声は、騒ぎ出した生徒たちを黙らせるのに十分だった。一斉に息を呑む音が聞こえる。


 ――『異界の門ゲート』。


 五年前を彷彿とするような事態に、僕はその場に立ち尽くしていた。

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