啓蟄

神逢坂鞠帆(かみをさか・まりほ)

第1話

 大好きだったお姉ちゃんが死んでしまった時、私だったものも一緒に死んでしまいました。


「今日の部活、講評会か。あ、良かったらくれさんも顔、出してみない?」

「馬鹿、やめなよ。来るわけないって」

 私が廊下に出たあとで、その理由は伝えられたのだろう。私は、幽霊部員だ。講評されるべき作品など、ひとつも持っていない。それならば、みんなの作品について意見を出せばいいと、のん気かクラスメイトは言うだろう。余計なお世話だ。そんな風に、学校生活は成り立っていない。

 公園のベンチが、唯一の安息の場所と言っていい。息を吐き出す。頭皮に刺激を感じる。顔を向けた先には、小さな女の子が居た。

「髪、きれいだね」

「そう?」そっけなく返す。

 普通、容姿を褒められれば、喜ぶ。そういった反応を期待していたのだろうか。女の子は、顔をこわばらせている。再び、頭皮が痛みを感じる。女の子が私の髪を握っているのだ。これは、手綱だ。私の精神ではなく、女の子自身の精神を支配するためのものなのだ。女の子は顔を上げる。

「これ、頂戴」

 これとは、まさしく私の髪の毛のことだろう。どう見ても、女の子は美容師に見えない。奇妙なお願いもあったものだ。それでも、期待に満ちた目にやられた。

「いいよ」

 まさか女の子のほうも、本当に貰えるとは考えていなかったようで、何度も何度も私に確認を求めた。どうせまた伸びるからと、私は伝えた。さすがに、坊主にされたら困るけれど、まあ、常識の範囲内だろう。「じゃあ、行こう」手を引き、走り出す。

 女の子の家は、ごく普通の日本家屋だった。少しだけ上等で、少しだけ湿り気がある。私は、この空気を知っている。女の子が家の奥に行き、玄関で待つ。二階から、女の子に手を引かれた男の人が降りてくる。

「ねえ、本当だったでしょう。このお姉ちゃんが髪の毛、くれるってこと」

 言われたほうは、開いた口がふさがらない。それも、当然だろう。こんな無謀なお願いを聞くのは、私くらいのものだ。

「どうも、お初にお目にかかります。私の髪の毛が必要なようですね?」

「え、ええ」なんとか声を絞り出す。

 これは、現実に起こっていることなのかと、女の子と私の顔を交互に見遣る。奇異な出来事を理解できないまま、室内に客を招き入れる。どうにかしているかもしれないが、私は鏡台の前に座っていた。上半身には、シーツを巻かれている。

「本当に切ってしまっても」

「坊主はさすがに嫌ですけども、ボブくらいなら大丈夫です」

 肩のあたりで、手をぶらぶらさせる。目でも確認し、頷く。

「了解しました」

 抵抗があるのは、髪を切る方なのだろう。発声が煮え切らない。それでも、細長いゴムを適当に切り、髪をいくつかに束ねていく。思い切りがついたのだろう。はさみを入れるのは、早かった。

「どうぞ」

 眼鏡を受け取る。鏡を見て、目頭が熱くなった。

「本当は、切りたくなかったのでは」

「違うんです。そうではなくて、思い出してしまったのです」

 一度、言葉を飲み込む。

「亡くなった姉を」

 たまらくなって、顔を手で覆った。

「お姉さんを随分、慕っていたのですね」

「普通の、死に方じゃなかったから。急に、私の前からいなくなってしまった」

 彼は何も言わず、ただ泣きやむのを待ってくれた。



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