第2話 儀式

低いうなり声が、時折り雪風に打ち消されながらも続いていた。全く統一されていないうなりではあったが、愛する者を失った悲しみを唱ったものであるのは明かであった。

「ウー ウー ウー ガ・・・ウー ウー ウー ア・ ウー ウー」

うなり声の漏れる、この盆地の中央のこんもりと盛り上がった小さな山が、かって「”町”」と呼ばれ”希望”最大の部族[ツバ]族の唯一の名残りである。昔の繁栄を示すものなどとうに失われてはいたが、その小さな山が唯一残った人工の建築物でなのだ。しかし果てしなく続く雪風がその表面を包み込んだしまった今、往時の外観などかけらも残ってはいなかった。凍てつき厳しい気候ではありながらも、生の火を力強く燃やしていた時代はとうに過ぎ去ってしまったのだ。今はただ、昔の残り火を絶やさぬように、哀れな末えい達がただそれだけの時を送っていだ。 

「ウー ウー ウー ガ・・・ウー ウー ウー ア・ ウー ウー」

時折風音に打ち消されてしまううなり声は、発する者達の定めのように儚く感じさせた。うなり声の主は、かってこの地を中心に全”希望”を統一していたツバ族の僅かに残った10数頭であった。直径50m程の山の内部は殆ど使われてはおらず、10数頭は中央部、天井にぼんやりとした光を放つ球体の備え付けられた部屋に輪をつくって座っていた。[聖なる球]と呼ばれている球体は、天井から滴り落ちる水滴のような形をしており、それが何でできているのか、なぜ光輝くのか誰1人知らなかった。

「ウー ウー ウー ガ・・・ウー ウー ウー ア・ ウー ウー」

10m四方の正方形の部屋で族長ギルは、うなり声の流れる中儀式を行っていた。狭い洞穴のような部屋は、天井に白色に輝く[聖なる球]の光で照らし出されていた。しかしその光すら、彼らの排せつ物などで黒く変色した壁に全て吸いとられてしまうかのようであった。光はこの部屋に車座になって座る10数頭にとっては生の証であった。日の射す日が殆どない”希望”において、常に輝く[聖なる球]は神にも等しかった。この[聖なる球]のある限りツバ族に終わりはないと信じられてきた。しかし誇りあるツバ族も、[聖なる球]の光のある中に終息の時を迎えようとしていた・・・・・・・・

[聖なる球]を見つめているギルを中心に周りを取り囲む10数頭の唱えるうなりは、てんでんばらばらであった。それはツバ族の発声器官が退化し、言葉を失ってから10数世代を経たからで、誰も正式な口上をいえなくなっていたからだった。しかし、部族にとって、神聖な[継承]にはなくてはならない儀式の一部なのだった。いつもは悲しみの中にも僅かな希望が込められているうなり声も、今回に限っては悲しみと絶望だけが支配していた。    

「ウーッ ガバデ デ デ ダーーッ !」

右手を差し上げ、些か芝居がかった身振りでギルが皆を制した。居並ぶ者達は顔を上げギルを見つめた。皆を見渡しながらギルは感じていた。

”これで誇りあるツバ族も終わりの時を迎えたのだ”と・・・・・

大人達のどの顔もこの[継承]が未来を約束するものではなく、本当の終わりを意味していることを知っていた。唯一人ハニタだけを除いて・・・

ギルは族長たる威厳をもって天井に光輝く[聖なる球]を指さした。そしてうなり始めた。発声された音は言葉としては伝わらないが、意味だけは通じていた。[継承]の儀式が始まったのだ。

「ワリ・・・・・オオオオ、、、、、  メン ・・・・・」

意味を持たないうなりが続く、、、、。途切れ途切れになりながらも、朗々とギルのうなりが狭い部屋の中に響いていた。言葉を失った代わりに、彼らは微弱なテレパシー能力を発達させていた。ギルは少なくなった語彙と遠い記憶を探りながら皆にテレパシーで意志を伝え、うなりで語りかけ続けた。決して絶望を悟られぬように・・・・

”神が御与えになったこの聖なる玉の元に今、誇りあるツバ族の族長を若く勇敢な戦士ハニタに譲る。皆は新しい族長に従い、敬い、困難に立ち向かえ。如何なる敵にも恐れを見せぬツバ族の族長に従い誇りを守れ。ハニタよ、部族の繁栄と多くの子らを率いることを誓え・・・・・ そして”希望”にもう一度日を昇らせ給え。” 

もう何年も前にギルが受けた言葉を、今また若いハニタに授けている・・・・・・それも以前よりはるかに厳しい状況の中で・・・・・・ギルは儀式を続けながらも思いを馳せていた。ハニタはやっと一人前となる10才にしかなっておらず、平均寿命が25才を切ったツバ族としてもまだ若手に属している。族長を継ぐには若すぎる・・・・・誰しもがそう思っていた。それでもハニタが族長になるしかなかった。それほどツバ族は追いつめられていた。今やツバ族は僅か27頭しかおらず、そのうち実に21頭までが雌で占められていた。雄の6頭の内、大人はギルのような20才を過ぎた老人4頭と、ハニタの1つ下の末息子「弱虫」イワニだけだった。その昔、数100頭を超えていたツバ族の男達は、年々酷くなる”希望”の寒冷化と、その気候に順応し、進化していくラルやラビを狩ることができずに、一頭また一頭と、その数を減らしていった。ここの所、ギル達は狩りに出かけても収穫がないばかりか、逆にラルに傷を負わされ命を落とすものすら出始めているのだ。族長のギルでさえ、1カ月程前に大怪我を負わされ、二度と狩りにはでられぬ体になってしまう有様だった。

ツバ族は”希望”に見捨てられた種族に成り下がってしまった。退化こそすれ、進化することを忘れてしまったヒト科は、狩られる一方だったラル、ラビの追い上げの前になす術がなかったのだ。昔ツバ族をはじめとするヒト科は、”希望”の主であり、思うままに自分の5倍はある体躯のラルを狩り、そして小型ですばしっこいラビを主食にしていたのだ。ラルもラビも十分いたし、何よりも簡単に狩ることができたのだった。しかし、”希望”の寒冷化と共に、ラビの食物である苔類までもが育たなくなってきていた。それはラビの数の減少を意味しており、同じくそれを食糧とし始めたツバ族の新たなライバルとなったラルとの熾烈な戦いの始まりでもあった。徐々に優秀な戦士となっていくラルにツバ族は押され気味になっていた。そう、僅かに残った戦士達が、復讐のためラル狩りに出かけてから既に2週間が過ぎていた。結局誰も戻っては来ず、食糧もつきた今、ギルは決断を迫られていた。

” 部族の存続をどうするのか・・・・・”

そして、ギルはツバ族の未来をハニタに託すことにした。決して見込みのあるというわけではなく、自分でツバ族を終わりにする勇気がなかったからに過ぎないのかもしれなかった。ハニタにこの絶望的な状況からツバ族を逃れさせる能力があるとは思わなかった。しかし、どのみち終わりを迎えるのなら若いハニタに全てを託そうというのがギルのたどり着いた最終の考えだった。長い間戦い続けてきたギルはもはや気力も萎え、ただこの救いのない責任の重みから解放されたいとの思いだけだった。ギルは傷ついた体に、今一度力を込めて体を起こすと胸に下げたメダルの付いたネックレスに手をかけた。ギルはメダルを手の平に乗せ少しの間見入っていた。メダルは金属製で卵型をしており、手の平に収まるほどの大きさだった。何でできているのかは誰も知らなかったが、決して割れたり変形することがなかった。歴代の族長の胸に輝いてきたメダルには、表面に無数の小さな傷があり、長く困難だったツバ族の歴史を物語っていた。そしてそれは長い間ギルの誇りでもあり、苦しみでもあった族長の証のメダルであった。

”ハニタよ、 偉大なるツバ族の新しい族長ハニタよ、いまここに族長の印を授けよう。これがある限り、如何なる時も族長であることを忘れてはならない。これを着けている限り、如何なる時も諦めてはならない。偉大な過去の族長達の名を、汚すことのないように行動するのだ。如何なる時もツバ族の名の元に誇りをもって歩け。さあ・・・”

ギルはハニタを促し、自分の側まで近ずけるとメダルをハニタの首にかけた。その時、ギルは自分自身の出口のない戒めが解けるかの様に感じた。そして張り積めていた体中の力が抜け、深いため息を漏らした。長い間の重い責任からの解放、それも出口の見えないラル狩りから解放されるそのことが、ギルの表情を若干明るいものにしていた。それは”俺はもう、ここまでやったんだ。もう十分だろう。”との思いからだったが、これからその重荷を代わって背負わしてしまうハニタのことを考えるとその表情はすぐに曇った。ハニタはというと、ギルからかけてもらったメダルに夢中になっていて、そんなギルの心配など気づくはずもなかった。若いハニタには、いきなり族長になってしまったことの重大さも、自分がまだ3回しか狩りにでたことのない若造であることも認識できていなかった。過去3回の狩りで、ハニタはいずれもラルに出くわしていなかった。ただ族長になれた喜びだけが、今のハニタを支配していた。そう、今のハニタには不安や重圧感、そして周りですすり泣いている女達の思いなど目にはいるはずがなかった。若者らしい希望に満ちた目でギルを見つめハニタは大きく吠えた。

”俺は狩りをする。きっとラルも捕る。ツバ族を大きくする。もっともっと大きくする。俺が族長になったらきっとうまくいく。きっと昔のような大きな部族にしてみせる!”

ハニタはギルから首にかけてもらったメダルを手に乗せ、そして握りしめながら部族の者にテレパシーを送った。立ち上がり皆を見渡すハニタの体はツバ族の平均より若干大きく、その自信に満ちた態度と逞しい体は皆に希望を抱かせた。しかし実情を知る者には滑稽で、また哀れにしか見えなかった。なぜならそれがとうてい無理なことで、ハニタの若い希望がすぐにも崩れさるのが明白だったからだ。ハニタの言葉を額面通り受け取ったのは弟分で、何をするにもハニタの後を付いて歩くイワニぐらいのものだった。イワニは族長ギルのただ一人生き残った末の息子であったが、ハニタよりも1才若く、なにより数多くいたギルの息子の中でもとりわけ臆病だった。

「オウオ・・・オウーーー・・・・・・」  ”俺が族長だ!・・・ 俺はラルを狩る、絶対ラルを狩る!!・・・” 立ち上がり雄たけびをあげるハニタの周りでイワニははしゃぎ回った。

「ハニタ! ハニタ!!   」 イワニは、なにかと出来のいい兄のハアシュにばかり目をかけて、自分を相手にしてくれない、親であり族長であるギルに不満を持っていた。それだけに年も近く、気心の知れた兄貴分のハニタが族長になったのが嬉しくてならなかった。イワニは力強く立ち上がったハニタを崇めるように見つめながら、周りを跳ね回っていた。つられて数少ない子供達も、訳のわからぬままに雄々しく見えるハニタにまとわりつき奇声を上げた。ハニタは満足だった。若者らしい純粋さで、自分をツバ族最大の英雄シバに重ね合わせていた。ツバ族の若者の中でも、次代を担うものとして期待されていたギルの3男ハアシュは先の狩りから帰ってこなかった。ハアシュこそ、ツバ族の未来を切り開くことのできる可能性を、唯一持った若者だったのだ。イワニは末っ子であり、兄であるハアシュと常に比較されて育った。ハアシュは親のギルからみても思慮深くリーダーシップのとれる、1番出来の良い息子であった。事実生まれた時代さえ良ければ、ツバ族最大の英雄として祭られてすらいただろう。ハアシュは親であり、族長でもあるギルがラルに傷つけられたこと、そして次代の族長として、どうしてもラルに一矢を報いたいと思っていた。ハアシュは残った戦士を連れ、最近では平気でツバ族の狩場まで降りてきてラビを横取りし、ギル達を襲ったラルに戦いを挑むことにした。もはやラルとの決戦は、避けられないものになっていたのだ。ギルがその無謀と思える狩りを許したのもそれ故であり、また溺愛し、期待しているハアシュなら可能かも知れないと思ってのことだった。ギルが部族に対する本当の最後の決断、賭に出たのは、その時だったのかも知れない・・・・・ギルは継承の儀式をハアシュに行いメダルを渡そうとしたが、ハアシュは狩りが終ってからだと断ったのだ。

ツバ族の生き残りを賭けた・・・ しかし、狩りの腕も験も申し分のないハアシュですら帰ってこなかった・・・・・             

「我々は最後の賭けに破れ去ったのだ・・・」

ギルは、もう部族の行く末を案じる気力も失っていた。疲れはて、失意の底にいる老人それが自分であった。ギルははしゃぎ回る若い2頭を見つめながら、中央の壇上から静かに降りた。年長の者の常である助言や、はしゃぐハニタ達を諌める気力もない。今のギルはもう抜け殻といってよい程疲れきっていた。

”もう終わったのだ・・・   何もかも・・・ そして俺の役目もだ・・長い長い苦しみもこれで終わりなのだ・・・・・・・・ ”

”ヒュウ・・・    ヒュウ・・・・・”儀式が終わった後も外ではいつもと変わらぬ冷たい風が吹き過ぎていた。

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