『知らない場所のはずなのに、どこか懐かしい気がして立ち止まる。』

赤野ろびん

   

 知らない場所のはずなのに、どこか懐かしい気がして立ち止まる。

 

 

 夢を見たのは、二年前のちょうど今頃だった気がする。夢の中の私は、記憶にも残らないような中学校生活を終えたあとだった。同級生の女の子の顔すら覚えていなかったし、男子のことなんて尚更だ。私はどうやら、ぎりぎりの居心地、仮初めのやすらぎを得るため女子高校へと進学していた。もとより希望など儚いものだったのだろうが、大方予想された通り、宛らタイムラプス映像のように劇的な速度で同級生たちのコミュニティが形成されていく。早回しの日々に取り残されたもののことなど、誰も気に留めることはしない。

 

 

 しない、と思っていた。

 

 

 四階にある学校の図書室。夢であるにも拘らず、そのシルエットは薄く灰色がかった私の脳裏を金槌で思い切り叩くかのような衝撃で、あまりにも無垢すぎた。

 頭の天辺から背まで届くまっすぐな黒はくすみのひとつもなく、チークも差していないだろうに薄紅を湛える頬は優しくふくらむその唇とよく合っていた。着崩されることのない純白のセーラー服からすらりと伸びる、さらに白いその腕が、その指が、物語のページをゆったりと捲る。既に半ば自失していた私だったが、ふと上げられた彼女の、どこまでも深い双眸の黒と驚くかのように僅かに開いた口許に正対し、夢であるはずなのに無力になるしかなかったのだという気さえする。

 

 

 それから私は、たくさんの時間を共に過ごし、たくさんのことを聞いた。彼女の名前、好きな本、好きな食べ物や嫌いな食べ物。最近読んだ面白い本、面白い映画。仲の良い友だち、悪いクラスメート、好きな先生、嫌いな先生。家にいるときの過ごし方、遊びに行くときはどこへ行くか。

 仲良くなっていくにつれ、聞きたくてたまらないことばかりになっていく。電話番号は、流行りのSNSのアカウントは、恋人は、スリーサイズは、私のスマホのアルバムに厚みを増していく彼女の写真たちへの感想は、一緒に遠いところへ行くとしたらどこがいいか、少しずつ図書館に来る頻度が減ってきた理由は、少し痩せたようだからちゃんと食べられているか、彼女の自室の電灯は日付が変わるとほぼ同時に消えるのに、なぜ吸い込まれる瞳とは不釣り合いな目の隈が色濃くなっているか。



 夢でありながら、いや、夢だからこそといったほうが正しいだろうか。彼女という存在に、強く強く惹かれていたことが鮮明に思い出される。永久に続いて欲しい時間ほど、あっという間に終わってしまうのが面映い。彼女が図書室の向かって右から二番目の窓から、白い鳥となって、私の前から飛び去っていったのが夢の終わりを告げるチャイムだった。心残りだが、寂しくはない。鳥籠を発った鳥は、いつの日かあるべき場所へと帰ってくる。確信に近い予感とともに、私はもっともっと、彼女への憧憬を深めていくのだ。



 すこし、ぼうっとしてしまったのだろうか。

 たくさんの古びた本たちの、少し酸っぱい匂いが私の鼻腔をくすぐった。続けてグラウンドから響く部活を終えた下級生の女の子たちの囀りに紛れて、私を呼ぶ低い男の声が聞こえる。なんでもないですと答える代わりに、先生を追う足を速めた。だってここは、私の「知らない場所」のはずだから。地平線に隠れゆく陽の残光を受け、仄かに朱がかる「開放厳禁」の貼り紙に一瞥をくれ、そうして何事も無かったかのように振舞った。

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『知らない場所のはずなのに、どこか懐かしい気がして立ち止まる。』 赤野ろびん @Robin07xx

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